投手 小林亜美Ⅱ
「女子のお前じゃ、まずレギュラーは無理だ。他の部に入ったらどうだ」
中学に上がり入部届を提出したその日、亜美は戦力外通告を受けた。
亜美の父親は高校時代、球児として甲子園を目指し、青春の全てを野球に捧げた人だった。もちろん夢はプロ野球選手、結局プロにはなれなかったが、その実力は相当なもで、野球推薦で入った大学を経て社会人チームに所属する。
二十五の時、同じ職場の女性と結婚する。
結婚し、子供が出来たと聞いたとき彼の夢は『子供とキャッチボールをする』となった。
そんな野球好きの父親の影響で小さい頃から野球に親しんだ亜美は、小学生になる頃には父親に負けず劣らずの野球好きになっていた。
「野球をおしえて」とねだる亜美に父親は嬉しそうに野球を教えた。好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、亜美は父親の教えを吸収し、またたくまに上達していった。
遊びといえば野球、一番の楽しみは父親に連れていってもらうバッティングセンター。小さい頃の亜美はそんな女の子だった。
近所に住む同い年の新井姉妹とは親同士も親交があり、よく一緒に遊んだ。
同い年の妹、美帆は真面目でしっかり者、姉の菜那は一つ年上で破天荒だが明るい性格で周りを明るくさせた。そんな新井姉妹も亜美の影響を受け野球にはまり、よく三人で亜美の父親の指導を受けた。
四年生になり、新井姉妹を誘って地元の野球チームに入る。地元の小さな軟式野球チームだ。
小さな頃から父親の指導を受けていた亜美たちの実力は相当なもので、特に亜美は五年生に上がる頃にはチームのエースとなっていた。
当時の亜美は男子よりも背が高く、速い球を投げた。もちろん体力でも男子に負けることはなく、地元では「凄い女の子がいる」とそれなりに有名だった。
女子ということもあったのだろうが、それを差し引いても男子に負けない亜美の投球は目を見張るものがあった。
チームには亜美たちの他に、女子がもう一人いた。名前は野口瑞希。女子同士、さらに同じ学年ということもあり、亜美たちはすぐに仲良くなった。
三人は亜美に引っ張られるように練習し、夏休みに入る頃には皆レギュラーを勝ち取っていた。
当時は男だとか女だとか関係なかった。努力した分、上手くなり、努力を続ければ、もっと高みに行けると信じて疑わなかった。
「瑞希も野球部入るでしょ?」
亜美の入学した中学に女子野球部はなかったが、今までも男子と一緒に野球をしてきた亜美は当たり前のように瑞希に訊いた。
「ソフト部に入ろうと思ってる」
「えっ、野球やらないの?」
予想だにしなかった瑞希の言葉に亜美は驚きの声を上げる。
「どうして?」
「うちの中学、女子野球部ないし、男子と一緒なんて絶対ムリ、敵うわけないよ」
「今までだって男子に負けなかったでしょ」
「でも中学だよ、三年なんて体大きくて、あれ大人じゃん。亜美もソフト部入ろうよ」
瑞希の言うとおり同じクラスの男子と比べ体の大きい三年生は、当時の亜美たちから見たら大人のように見えた。
そんな瑞希の誘いも、努力すればそんな男子にも負けないと思っていた亜美は野球部に入部する。
入部届を提出し行ったとき、監督も兼ねている顧問の教師に言われた言葉が「女子ではレギュラーにはなれない」だった。
「そんなことはない」と亜美は思った。今までだって努力すればクリアできた。
それに同じ一年の中には、小学生の時同じチームだった男子もいた。その男子より自分は上手く努力してきたという自負もあった。
女子というだけで無理、そんな理不尽な理由に憤りを感じていた亜美は、「絶対にレギュラーを勝ち取ってみせる」と闘志を燃やすのだった。
入部したての一年生は、グラウンド周りのランニングや筋トレなどの基礎体力作りか、上級生の練習の補佐などの雑用しかさせてもらえなかった。
亜美も他の一年生同様、雑用をこなしながら毎日基礎体力作りに取り組んでいた。
三年生が引退し、新体制になると、ようやくグラウンドでの練習が解禁となりチームでの練習ができるようになった。
しかし、チーム練習が出来るようになっても亜美は一人だった。他の部員は亜美に対してどこかよそよそしく、キャッチボールの相手を探すのでさえ苦労した。
女子なのに生意気と思われていたのも否めないが、なにぶん思春期の男子である。女子と一緒に練習することに恥ずかしさもあったのだろう。
この孤独な状況や、頭から離れない監督の言葉に亜美は挫けそうになることもあったが、そんなときはある約束を思い出した。
「また一緒に野球をしよう」
五年生の終わりに転校していった美帆たちとの約束。小学生の口約束なんて当てになるものではないだろう。瑞希のように、すでに野球をやってない可能性だってある。
しかし亜美はそんなことを考えたことはなかった。愚直なまでにその約束を信じ、挫けそうになる心を何度も奮い立たせた。
二年生になると男女の違いが顕著になり殆どの部員が亜美よりも背が高く、筋肉が付き、ガッシリとした体つきになっていった。
ほんの一年前は自分より肩が弱く、力もなかった男子でさえ亜美と同等かそれ以上の打球を飛ばし、ボールを投げている。
亜美も日々の基礎トレーニングで筋力はアップしていたが、男子のそれは亜美の比ではなかった。
同じトレーニングをしても男子の半分しか成果が出ないのなら男子の三倍トレーニングをすればいい。そう考えた亜美は部活が終わった後も一人遅くまで自主練を行っていた。
努力に比例し疲労は蓄積していく。
明らかなオーバーワークに亜美の体は限界を迎えつつあった。
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