表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/41

プレイボール

「――バッターアウト!ゲームセット」

 試合終了を告げる球審の声が球場に響く。

 一塁側のベンチから選手が飛び出しグラウンドに歓喜の輪ができる。

 バッターボックスには膝から崩れ落ち泣いているバッター。三塁側のベンチに言葉はなく、お通夜のように静まり返っている。

 勝者と敗者、対照的な光景である。

 その光景を彼『矢野克也』は三塁側のスタンドで眺めていた。三年の克也にとってはこれが中学最後の大会。レギュラーはおろかベンチ入りさえ叶わなかった克也だが声が枯れるほど声援を送り続けた。だが克也の応援も実らずチームは敗れ克也たち三年の引退が確定した。その瞬間これまでの想い出が蘇り自然と涙が溢れだした。

 こうして克也の中学野球は幕を閉じた。


桜舞島(おうぶじま)

 東京湾に造成された人工島。

 この島を造った桜小路恒雄は世界的企業桜「桜グループ」の創設者だ。

現代において桜グループなくして日常生活は送れないと言われるほどの巨大企業の会長である恒雄の影響力は国内のみならず世界経済に影響を与え、恒雄氏がその気になれば国家転覆も可能とまことしやかに囁かれている。

 今まで仕事一筋だった恒雄は会長を退いた後ゲームにハマることになる。

 中でも街づくりのシミュレーションゲームに心酔した恒雄はその財力と権力にものを言わせ桜舞島を造成しグループ会社などを誘致し街をつくったのだった。

 島への往来は通常朝夕の定期船のみだが、最新鋭の設備が整った総合病院や大型のショッピングモール、アミューズメント施設、保育園から大学までの教育機関などもあり、島から出なくて都市並の生活ができるため島民は何の不便もなく逆に休日ともなると島に遊びに来る人たちで賑わいを見せていた。


「ここだよな?」

 今春から桜舞島にある高校に入学した克也は校門の前に立ち尽くしていた。

『桜華女子高等学校』確かにそう書かれている。

 当然だがそれは何度見ても変わることはなく、あるはずのない文字が並んでいる。そう、あるはずのない『女子』の二文字が。

 登校してくる生徒は当然女子ばかり。不審な目で見られている気がして周囲からの視線が痛い。

(通報とかされないよな)

 かれこれ五分以上立ち尽くしているが男子生徒の姿はない。

(まさか女子高に入学したのか?できるのか?何かの手違い?何故だ、何故こうなった……)


 中学最後の大会が終わり周囲同様、克也の生活も受験に向けた生活にシフトしていったが、朝夕のランニングや素振りなどのトレーニングは続けていた。体に染みついたそれらはもはや生活の一部となっており引退したからといってやめるのも逆に気持ちが悪く、進学後も野球を続けようと思っている克也には少しでも体を鍛えておきたいという思いもあった。それに机にじっと座っているより体を動かした方がリフレッシュになり勉強の効率も上がるようだった。

 その日も勉強につかれた頭と心をリフレッシュさせようとランニングに出かけた克也が帰ってくると家の前に黒塗りの高級車が止まっていた。

 克也の知っている人でこんな高級車に乗ってる人はいない。当然矢野家に用事のある人じゃないだろう。「人の家の前に車を駐車してこれだから金持ちは」と悪態をつきながら玄関を開けると克也の母親が慌てた様子で飛び出してきた。

「克也!克也にお客さんよ。早く来なさい」

「一体何をしたの?」と不安気な母に引っ張られ応接間に行くとテーブルの奥に黒いスーツの男が座っていた。

 スーツの上からでも分かるがっしりとした体に整髪料で固められたオールバックの髪、纏っている空気、威圧感は強打者のそれを思わせた。それに外の高級車。

 それらを合わせて導き出した結論は『この男は堅気ではない』だった。

「まってたよ矢野克也君」

 男の視線が克也を捉える。

 その視線に克也の体は硬直する。まさに蛇ににらまれたカエルだ。

 男は立ち上がり右手を懐に忍ばせる。

(ヤバい殺られる)

 目を瞑る克也。

「あの、克也くん?」

 恐る恐る目を開けると目の前に男の手がありその手には小さな紙が握られていた。

「名刺?」

「はい。私は桜小路虎子の秘書をやっております若林と申します」

 確かに差し出された名刺には『理事長秘書若林秀太』と書かれている。

「秘書にしては随分立派なお体をお持ちですね」

「ええ。ボディーガードも兼ねていますので」

 あの雰囲気にこのガタイ、おそらくボディーガードが本業なのだろう。

「それで克也に何の用事でしょうか?」

 相手の素性が分かり安心したのか克也の母が若林に尋ねた。

「克也君を桜華にスカウトに来ました」

「桜華?聞いたことないな」

「大々的に生徒募集もしてないからね。このご時世にホームページすら開設してないし、部活も盛んじゃないんだ。それに現在桜華に野球部はないから知らなくても無理もないよ」

 若林の話によると新たに理事長に就任した桜小路虎子は大の野球好きで、来年度野球部を創設するため密かに人材のリストアップをしていたのだそうだ。

「たぶんそのリスト間違ってますよ。おれレギュラーじゃないですし」

 そう、レギュラーでもない克也をスカウトなんてあり得ないことだ。そもそも克也の通う中学でスカウトが来るなら投手の高橋くらいだろう。強豪校でもなかった克也の学校が県大会に出場するまでになったのは高橋の力によるところが大きい。現に高橋は地元の高校からも誘われている。

「去年の秋季大会、南中との試合」

 若林の言葉に克也の記憶が甦る。その試合は数えるほどしかない克也の公式戦スタメンの試合だった。

 その試合、高橋は急に「肩に違和感がある」と言い出し控え投手と克也の控えバッテリーで試合に臨んだ。

 南中は県内屈指の強豪校で中でも四番の村上はホームランバッターでありながら広角に打ち分ける技術も併せ持つ全国でもトップクラスの打者である。

 高橋も県内では多少名の知れた投手だが全国レベルの南中は高橋クラスの投手とは幾度となく対戦をしており、前回対戦したとき高橋は南中打線を押さえることができず、村上にはホームランを含む四安打を打たれ大敗した。

 恐らくプライドの高い高橋は、前回みたいに打たれるのが嫌で投げなかったのだろう。

「その試合、うちはコールドで負けましたよ」

 そう、結果は2-15で六回コールド負け。高橋が投げても勝てない強豪相手だ。控えバッテリーでは当然の結果と言えるのかもしれない。

「でも四回までは1-0でリードしてたじゃないか。それも君のタイムリーで」

 確かに四回までリードしていた。しかし五回、疲れからボールが浮き制球が乱れ始めた投手が攻められ1-2と逆転された。その裏、ヒットで出塁した克也は盗塁を決め、送りバントで三塁に進むと、ファーストゴロでホームに生還しすぐさま追いついた。

 が、ホームへの送球が逸れジャンプした捕手の体勢が崩れベース上で克也と交錯、滑り込んだ克也の右足に相手捕手の全体重がのしかかり鈍い音と伴に激しい痛みに襲われた克也は起き上がることができず救急車で病院へ直行した。

 診断の結果、右足は骨折しており春まで辛いリハビリの日々を送ることになる。

 試合はその後、限界が近かった投手が勝ち越しを許し、更に変わった投手も南中の勢いを止めることができず終わってみればコールドゲームと大敗したのだった。

「結果はコールドだったけど、あのまま君が出ていたら面白い試合になっていたんじゃないかな。もしかしたら勝っていたかもしれないね」

「言い過ぎですよ。投手も疲れていましたし勝つのは難しかったと思います」

「ほう、難しいね。無理とは言わないんだね」

「勝負に絶対はないですから」

「そうだね」

 若林は克也の言葉に頷き言葉を続ける。

 虎子はあの試合を見に来ていたそうだ。当然お目当ては村上だったが、その村上を含め南中打線を翻弄するリードや盗塁を阻止した肩、さらにチームを鼓舞するその姿に虎子は凄い掘り出し物を見つけたと興奮していたと言う。

「守備だけでなく打つ方でも二安打一打点一盗塁。克也君がいなかったらノーノーで負けていたのだからあの試合の主役は君だったよ」

「それで僕を?」

「そうだよ。でもあの試合以降、試合で見なかったけど、怪我の影響かな?」

「そうですね。春先まではリハビリでまともな練習はできませんでしたし」

 理由は他にもあるがここで話す事でもないだろう。それに完治するまでまともな練習ができなかったのも事実だ。

「今は問題ないよね」

「はい」

 力強く答える克也に安堵した若林は姿勢を正し克也を見据える。

「克也君、是非ともうちに来てくれないか」

 克也の目を見ながら真剣な表情で懇願する若林。その迫力に思わず「はい」と答えそうになるも自分みたいな補欠をスカウトするような高校で、まして新設野球部でまともな野球ができるのかとの不安がよぎる。

「おれの他には誰に?」

「村上君はもちろん、吉田君や岡本君とか全国でも有名な子たちには声をかけているよ」

「すごいですね」

 克也でも知っている全国クラスの名前に驚嘆する。

「虎子様は本気で甲子園を目指されておられるからね」

「練習設備はどうですか」

「グランドは建設中ですが校内にはトレーニングルームも完備されて強豪校にも引けは取らないと思うよ」

 話を聞く限り凄くいい話だ。実際に名前の出た選手が来れば本当に甲子園出場も夢ではない気がする。それに全国レベルの選手たちと切磋琢磨できるのは自分にとってもプラスになるだろう。

 しかし……

「他の人たちの感触はどうですか?」

「うっ、そうだね、まあ半々くらいかな。ははは」

 額の汗を拭きながら答える若林。

 やっぱりそうだ。村上たちは甲子園常連校からも話がきているはずだ。そんな彼らが名前も聞いたこともない新設野球部を選ぶはずがない。

「少し考えさせてください」

 克也の返事に若林の顔が歪む。

「お願いだ克也君。うちに来てくれ!」

 テーブルに額を擦り付け懇願する若林。その姿になんとしても自分に来てほしい思いは伝わってくるが若林の必死さは異常である。

「頭を上げてください。おれなんかのためにどうしてそこまでするのですか?」

 本当に不思議だった。自分には実績はない。確かにあの試合では結果を出したかもしれないが、あの試合は上手くいきすぎた試合だ。偶然の産物だろう。にもかかわらずそんな自分に何故そこまでするのか。

 頭を上げた若林がその答えを教えてくれた。

「とにかく虎子様が気に入られているのです。君だけは絶対に獲得するよう命令されているのです。虎子様の命令は絶対です。もし君が首を縦に振ってくれなければ私は職を失ってしまいます」

「まさかそれくらいでクビなんて……」

「そればかりか裏から手をまわして再就職できないようにされる可能性も」

「いくら何でもそんなこと無理でしょう」

「それが出来るのです。桜小路虎子はあの桜小路恒雄の孫ですから。今の世の中、桜グループと関わりのない会社なんてありません。今度子供が生まれるんです。もしそんなことになったら妻と生まれてくる子を路頭に迷わせることに……」

 若林の目から涙が零れ落ちる。克也は大人の男が恐怖で泣く姿を初めて見た。

「克也、桜華高校に行ってあげたら」

 若林の姿に同情した克也の母はそんなことを言ってきた。

「でも……」

「どんなところでやっても野球は野球でしょ」

 その通りだ。野球は野球だ。自分の好きな野球はどこに行ってもやれる。新しい仲間と一からチームを作っていく。苦労はするかもしれない。でもともに苦労する仲間と勝てば笑い負ければ泣く。中学時代には無かった嬉しさも悔しさも仲間と分かち合える野球は克也が求めるものであった。

「分かりました。僕は桜華を受験しようと思います」

 こうして克也は桜華に入学することとなったのである。


お読みいただきありがとうございます。

次話もご一読いただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ