プロローグ
天井にぶら下がっているシャンデリアはホール全体を照らすため、明るくきらめいている。その真下にいるのは夜空を模したドレスを身にまとう黒髪の令嬢、つまりは私だ。その向かいには私の婚約者であったはずのこの国の第二王子と彼に寄り添うように立つ、気品はないが愛らしい令嬢が一人。
さて、話は変わるが、最近、貴族の間でとある恋愛物語が流行っているらしい。その物語によるとヒロインは身分が低い令嬢、もしくは平民であるそうだ。そして、彼女は貴族について酷く疎く、高位の令嬢にいじめられてしまうらしい。その高位の令嬢は悪役令嬢と呼ばれている。まあ、ここまではなんてことのない話で、現実味のある話である。問題はその後だ。そのヒロインの現状を知った悪役令嬢の婚約者がヒロインを庇うようになり、そのうち二人は恋に落ちる、という話だ。ありえない、他国ならともかくこの国ではありえない。身分が上の者が下の者を庇うなんてありえない。だが、現実に起こってしまったらしい。
「レティーリア・メリュシュル公爵令嬢。貴様はこのメルク・ミミリア男爵令嬢を害していたそうだな。それは高位貴族の者としてはあってはいけない行為だ!」
私の婚約者にはどうやら羞恥心というものがないらしい。彼はホールに集まっている貴族達全員に聞こえるように声高に宣言した。私は内心呆れつつも二人の動向を見守る。
「貴族としての振る舞いができない者に王子妃が務まるか?いや、務まるわけがないだろう。だから私は全ての貴族が集まっているこの場で宣言しようではないか。私はレティーリア嬢との婚約を破棄し、新たな婚約者としてメルク嬢を置くことにする」
私の婚約者、いや、元婚約者は言いたいことを言い切った満足感からなのか、血色が随分とよろしい。頭の中お花畑令嬢もこちらを見下すかのように見ている。私を煽っているつもりなのだろうけど、怒りより喜びの方が湧いてくる。だって、もうすぐこの国とおさらばできるんだもん。私はこうなることを事前に知っていた。だって、彼女の魔性の魅力にやられてしまった振りをしている弟が逐一情報を流してくれたから。実の弟ではないけど、私達姉弟の仲は良好だ。だが、学園では敢えて険悪な雰囲気を醸し出していただけ。みーんな、私の掌上で踊り狂っていたのだ。あの令嬢を唆したどこかの貴族も実は私が自由になるために利用していた。本人は気付いてないでしょうけど。それよりも、この茶番を終わらせないと。
「お言葉ですが殿下。この婚約は王家と我が公爵家との間で結ばれた、この国のための婚約です。殿下の一存で覆せるとは到底思えないのですが」
私は微塵も思っていないことを声に出す。何が国のためだ。豊富な魔力を持つ王族が欲しいだけだろうが。所詮、私は子供を産むだけの道具でしかない。そんなの生きている意味がないではないか。果たして、この国の人間がその事実に気付いているのか、幾人気付いているのか。本当は一人くらい産んでずらかろうと思っていた。だけど、もし産まれたのが女の子だったら?王家の女児は成人まで離宮に監禁される。そして、王太子の側室として扱われるようになるのだ。それは、流石に可哀想だ。だから、私は一刻も早くこの国から逃げ出さなければならない。もう、貴族にいたぶられる平民も、王家の食い物にされる貴族令嬢や王族なのに王族として扱われない王女達も見たくない。私には友人がいない。だから、この国に未練はない。ただ、公爵家に入る前の平民の実の家族が気がかりだ。亡命先での生活が安定したら迎えに行こうか。
色々今後の生活について考えていると馬鹿王子が何かを取り出した。おお、高級品である紙をサラッと使うとは。民の血税を何だと。
「ふん、王家、公爵家ともに承認は貰っている。そして、王家と男爵家に婚約する旨を伝えた。貴様は王家にとっては敵でしかない。明日の夜までに出て行け。もちろん、この国を、だ」
「ふふ、さよなら。元公爵令嬢さん」
いつの間にか私は殿下の近衛騎士達に囲まれていた。このホールを出るまで私は公爵令嬢だ。安易に触れることはできないため、私が歩き出すのを待っている。私はにやけるのを今まで培ってきた令嬢の表情筋をフル動員して誤魔化す。とりあえず、家に帰って、亡命の最終準備をしなくちゃ。お金や換金用の魔石は大量にあるから、鞄に詰めて、着替えも準備しないと。ああ、冒険者登録、しておいてよかった。この国に冒険者ギルドが無くて困ったけど、商業ギルドを介して登録できたし。もちろん、平民としての名前を使った。契約魔法が反応しなくてラッキーだった。
私が馬車に乗り込んだのを見届けた近衛騎士達はホールの警備に戻っていった。馬車は静かに動き出し、公爵邸へ向かったのだった。
邸に到着し、まずは自室に向かう。部屋にはメイドのマナがいた。ナイスタイミング!
「おかえりなさいませ、お嬢様。計画はうまくいきましたか?」
「ええ。もちろん上手くいったわよ。早く亡命の準備をしましょう。と言っても鞄に荷物を詰めるだけ」
私はマナに着替えと私がこっそり騎士団に先回りし討伐して得た魔石と硬貨、地図、方位磁針、ナイフ、一日分の食料を用意するように指示を出した。マナは早速行動した。その間私もダラダラしている場合ではない。
私は部屋から出てお父様の執務室に向かう。この時間ならまだいるはずだ。私はカーペットの敷かれた廊下を歩き、いくつも並ぶ扉の内、一つの前で歩みを止めた。軽くノックをし、入室の許可を得る。
「誰だ」
お父様がいつもより数段低い声を出した。思わず後ずさりしてしまったが、ここで怯んでいては今までの計画は水の泡だ。協力してくれた二人に申し訳ない。私は深呼吸をし、高揚する気持ちを落ち着かせた。
「レティーリアです。入ってもよろしいですか」
「入れ」
流石は公爵。威厳が違うぜ。私は扉を開け、中に入る。お父様は机に肘をつき、項垂れていた。お父様の纏う空気がヤバい。お説教かな。最後の最後にお説教は嫌だよ。私はお父様が話し出すのをじっと待った。
「王家から正式に婚約破棄の申し出が来た。何をやらかした、レティーリア」
「何もしておりません。あのお花畑令嬢と馬鹿王子が勝手に動いてこうなりました。お父様にはご迷惑おかけしますが、このまま亡命しようと思います」
「マナとオストルを使って何やら動いていると思ったら、亡命の準備でもしていたのか」
「はい」
私は何一つ隠さず洗いざらい吐いた。そして、この公爵家を狙った犯行だとも。お父様の仕事が増えていく増えていく。関係ないけど。お父様は引き出しから一枚の紙を取り出した。私はこれの内容を読まずとも知っている。私が平民から貴族になる時に使った契約魔法が掛けられた魔道具。
「契約魔法だ。内容は今後一切公爵家に関わらないこと。以上だ」
「それだけでよろしいのですか?」
「ちなみに弟のオストルにも、メイドのマナにも関わるな」
「マナは私の亡命が完了したと知ったらマギラ王国で暗殺者として生活し直すそうですよ」
「え」
お父様の目が点になってる。マナ、あんた凄いよ。暗殺者やってメイドやって暗殺者に再就職って初めて聞いたよ。お父様の反応は当然だよ。だって、私もマナ本人からこれを聞いた時はお父様と全くおんなじ反応したもん。完全に足洗ったのかと思ったら、メイド業は貴族について詳しく知るためって言うからさ。
「お父様、驚いてるところ申し訳ないんですが、もう行ってよろしいですか?」
私が恐る恐る聞くとお父様は部屋から出ていくように言った。もちろん契約魔法をしてから。
さっきと同じルートで部屋に戻る。マナは既に準備を終えたようで次は自身の準備を始めていた。いや、亡命先の国、マギラ王国そんなに近くないから。マナ自身がよく分かってると思うんだけど。海渡らなくちゃいけないし。マギラ王国に行くまで何ヵ国かあるからそこで食料調達とか考えるともっと掛かるしなあ。
「お嬢様、時間がないですよ。明日の夜までには国を出なくてはならないのですよね。国境まで歩きで行くと考えると二時間以内に出発しないと」
「へえ、急がなくちゃ」
私は適当に返事をして、ドレッサーの椅子に腰を落ち着けた。身に着けているアクセサリーは公爵家の物だから勝手に持ち出すことはできない。オストルの嫁さんのものとして再利用されることを願おう。お団子に結ってあった黒髪を解き、最後に明らかに他のアクセサリーより地味な指輪を外すと、私の体は光に包まれ変化していく。黒髪と闇のような黒い瞳はシルバーグレイになり、身長もぐんぐん縮んでいき、最終的には十二歳ぐらいの子供の身長になった。これが私の本当の姿。魔力の影響で私は成長が遅く、寿命も長い。今までは魔道具を使って誤魔化していたが、これからは自由だ。箱庭の国から羽ばたき、他の国の文化や他種族を見てまわることができる。この国は人間至上主義でもあるから。だから発展しないって、なんで気付かないかな。
身長が縮んだことによりドレスを脱ぐ手間が省けた。ドレスをマナが片しているのを横目に私は旅用の服に着替える。白の長袖ブラウスに、灰色のプリーツスカート。膝まで隠れるから、安心だ。黒のタイツを履き、茶色の編み上げブーツを履く。銀縁の伊達眼鏡をつけ、実の両親が買ってくれたお守りのオパールのループタイを首からさげる。最後に黒のマントをつければ完了だ。ちなみに、このマントは優れモノで、リバーシブル仕様なのだ。片面が黒、もう片面が白で、朝昼用と夜用にどちらも使えるのだ。考案者はマナ。
「お嬢様、鞄に金貨などは詰めておきました」
「ん、ありがと」
私はマナから布を袋状にしただけの簡単な鞄を受け取り、肩に掛ける。流石に手提げだと長期の旅には辛いから肩掛け鞄にしてよかった。これは買ったものだよ、下町で。ドレッサーの引き出しから豪華な装飾の施された箱を取り出し、蓋を開ける。そこには、一通の手紙が入っていた。実の両親に向けて数日前に書いた手紙だった。忘れてはいけない。旅の途中で家に届けないと。
「それじゃ、マナ。あとはよろしく。私は人生謳歌しにいくよ。十年も苦しみを味わったんだからね」
「はい、お嬢様。お疲れ様でした。どうか、お幸せに」
私は白枠の窓を開け、そこから飛び降り、着地する。脚に魔力を溜め、部分的な身体強化を施し、着地の時の衝撃を軽減させる。あ、オストルに挨拶するの忘れた。ま、いっか。
こうして、私の亡命の旅は始まったのだった。
悪役令嬢、パート2
今回は主人公は転生者ではありません