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──11歳の誕生日に親がVRゲームを買ってきた。
世間ではまだ発売されたばかりのそれをどんな伝手で手に入れたかは知らないけど、先天性の病を持ち家からほぼ出ない私に、そのプレゼントは大層衝撃的だった。
漸く綺麗に見えた景色に、なにも縛られることのない身体。外で遊んだことがほぼ無い私には、それが仮想現実だからといって……突き詰めれば偽物でしかない世界だとしても、現実の何よりも輝いていて……そして刺激的だった。
空虚で退屈な日々の常、あった刺激と言えば小指を角にぶつけた時の激痛くらいな私は、知らず知らずの内に刺激に憧れていたのだろう。
私は与えられた情報に対して魅入られていた。
刺激……今で言う楽しさや快楽を求める内に辿り着いたのは戦闘だ。
程よい痛みと熱さと緊張感、それが永遠と続く状況に私は惚れた。
やがて最初のきっかけから目的が離れていくよくある話として、何時しか私が磨いていたのは"どうすればより強くなれるか"だった。
数少ない人生経験と、歪んだ成功体験と、特異な私の状況が合わさって、子供なりに考えて、考えて。
思考の果てに私の辿り着いたものは、"何かを得るには等価足りうる何かを捧げればいい"という哲学だった。
私は不器用な人間だ。新しい物に触れれば人より慣れるのに時間がかかり、ゲームだってチュートリアルが無いと操作すら覚束無い。
ただその代償と言うべきか、私の成長は一度たりとも止まることが無く、やればやるだけ上手くなっていく私は、暫くしてある事実に気付いた。
それは努力の大切さか? ──違う。
そもそもが努力を嫌い、楽しかったから何十、何百時間と遊んでいただけで、その概念が頭の隅にすら無かった私が学んだのは"時間を掛ければ掛けただけ絶対に上手くなる"ということだった。
それはやがて形を変え、"時間を強さと交換している"気付きを齎し、或いは公式を数列から見つけるように、そんな"哲学"に辿り着く。
人から歪んだ価値観だと言われた。
私の中で成り立つ公式通りに振舞っているだけなのに散々な言われようだけど。
遥か遠くに勝利があるのなら──
──それに足るだけの何かを捨てれば、絶対に届くのだろう?
──なら、簡単な話じゃないか。
DPSチェック。
彁が食らった爆撃はその失敗によるものだった。
使徒を中心に放たれる光の拡散は、敵体力の200%に設定された単発の割合ダメージ……その三連射。
全てを消し飛ばす青が明滅する。
総計600%、即死火力の六回分。
彁が不幸だったのは『機套[不屈]』のPS『不屈』が、回数で無く秒数判定だったことだ。
『不屈』の効果は致命傷を受けた時にHPを1残して、5秒間不死身になるというもの。
それによって彁は生き残ってはいたのだが、不死身とはあくまで死なないだけで、ダメージは無かったことにならない。
即死対策を貫通するように3hitする審判に一撃目で発動した不屈は、以後五秒間の死亡不能状態を作り出し……二発目と三発目を効果時間内に直撃させてしまう。
デイブレは如何なスキルによって数値上の変動を削ろうとも、ダメージの痛覚変換は正常に行われる。
彁の痛覚設定は50%であり、無理矢理にスキルによって堪えた総ダメージは600%
つまり、現実で即死するだけの激痛の三回分が、
生き残ったペナルティとして、彁の全身を喰らい尽くす。
──痛い
痛い、痛い、痛い、痛い!
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!
全身をトラクターで挽き潰されて、チェンソーで頭をガリガリと削られて、骨という骨を破壊されて、臓器を出鱈目にぐちゃぐちゃにされて、不快極まる冒涜的何かが体内でのたうち回る。
肉体がチーズのように裂けて、腐食したように至る所が溶け落ちて、太い槍が全身を刺し貫いて、脳味噌がジリジリと焼かれ、感覚が端から端まで牙で噛み砕かれ、荒い爪で引き裂かれる。
激痛では収まらない有り得ない痛み、熱くて熱くて熱くて熱くて激痛に焼かれている。
気分なんて分からない、それより先に触覚が暴れ散らす。
吐くための内臓が殺されてるのに何が吐けるというんだ。
激痛が止まない、痛みがオーバーフローして止まらない。
殺されていて、殺されたくて、死なされていて、死にたくて。
死を感じて、でも死ねなくて。
意識がトびそうになる、神経が焼き切れる。
血が全身から吹き出るような、絶え間無い死の実感が私を……
「た゛か゛ら゛な゛に゛?」
爆撃。
黒鉄のハンマーと暴血狂斧が使徒を殴る。
気絶したように落下した距離をブラストジャンプで飛んで、破壊で開けた空間を駆けていた。
暴血狂斧を振るって起きる激痛も、頭がおかしくなる程の痛みも。
五秒間の不死身状態の内に、莫大なダメージを踏み倒す!
「あはっ、あはははははははははぁッ!!! 別にHPが1ならさぁ、どんな大ダメも自傷も踏み倒せんだよねぇ!」
激痛が体に残って、だとしてそれが何だ?
私の体は千切れたのか? 骨が粉々に砕けたのか?
割合だろうダメージによる外傷は、高々全身への傷と激痛でしかない。
痛みは動きを阻害するのか?
否、断じて否!
痛覚が齎す運動機能の低下は物理的には存在しない!
肉体欠損で無い限り体は動くし使えるのだ。
痛いのは、嫌いだ。
でも、それは私の動きを止める理由にはなり得ない!
「……あはっ、お陰様で目ェ醒めたよ」
痛み、それは私にとって何より身近で容易く切ってきたカードだった。
程度によって接続する記憶と経験の束の中、これはトップレベルの瞬間火力だった。
満ち満ちていたテンションと殺意は、熱で浮いていた思考と一緒に、圧倒的情報量で漂白されて。
徹夜明けのように冷え冷えと冴えた頭が、それらを掻き集めて統括する。
──彁の記憶と感覚に反し、現実の脳が最後にVRゲームをしたのは去年の大晦日まで遡る。
半年を超えるブランクは彼女の脳味噌を鈍らせて、逆に細部まで磨かれた技術の経験を、十全に扱えていなかった。
二周目の世界で彼女は出来る限り自由に暴れてきた。それは猿合戦でも、ハリケーンでも、チャリオットでも、黒天の使徒でさえも。
脳を酷使する形で磨こうとしてきて、然し未だ終末前の全盛期にすら遠い脳機能は、漸く一つの欠けたパーツが埋まることで覚醒する。
激痛。
それは彼女が高嶺の花に手を伸ばす時に真っ先に捨てる、最も馴染み深い代償だ。
論理と意地の怪物である彼女は、痛みを嫌うが恐れはしない。
痩せ我慢と根性だけで自分の動きにデメリット無くリソースを生み出せるからコスパが良いと、そう思い込んで実行してきた狂人にとって、激痛の経験には事欠かない。
今使っている彼女の現実の脳には、タイムリープで消えた未来の実体験は存在しない。
点と点を繋ぐ馴染み深い線が無い状態で、ああ、それは実に丁度いい働きをしてくれた。
脳が認識した痛みが、奥底にあった記憶を呼び覚ます。
同格の苦痛を何千個と記録していた、全盛期の頃の活動速度を。
錆が取れ、認識が追い付いた。
寝起きの頭まで劣化していた彼女の元来の処理能力が、漸く平常時まで覚醒して──
「──ああ、実にいい」
これまでに無い爽快感だった。
ボロボロに砕け散っている私の鎧。
纏っていた槞は既に殺されてて、篭手もブーツも消し飛んでいて、残っている防具は穴まみれのコートだけ。
そんな死に体に反してリソースゲージは全て100%、全身の爛れたような外傷は暴血狂斧の吸収により再生していて、声も綺麗に通っている。
バフ状況は暴走が持続しているだけ。ヘイストだけ更新し、狂乱は暫く寝かせておく。
「…………」
細めた目が捉えた使徒の動き。
さっきの三連クソ爆発の後休息を取っていた奴は、性懲りも無くまた岩石の四角柱を全方位から生み出した。
破壊で開けた空間を再度それらが埋め始める。
鳴動、轟音。
聞き飽きた。
敢えて自由落下に身を任せ風を感じる。
気持ちいい。
「さてどうすっかなぁ」
迫る壁、或いは床共。
19本の裏には突撃体勢を取る使徒。
視界でも聴覚でも認識出来るそれを前に私は思考する。
噛み合ってから爆速で回り始めたギアとギア、圧倒的殺意を持ちながら努めて冷静に処理する情報。
余裕がある、精神的にも肉体的にも。
それは黒天の使徒との戦闘が始まってから初めてのことだった。
(手数が足りない)
過去の戦況を分析しても行き着く先は全て手数の不足だ。
そもそもの話、コイツはコヒメちゃんと一緒に挑む用のボスらしい。二人分のDPSを出さなきゃいけないんだからどうやったって手が足りない。
私の取れる手段は現状、高火力の近接攻撃か低火力の魔法攻撃のみ。
冷静になった頭で改めて私の手札を確認する。
垂れ流されるレシートのようなステータス画面、今の私にこれ以上何が出来る?
"要は手数がありゃいいんだろ?"
終末で培われた私の発想がキチガイみてぇな回答を叩き出す。
馬鹿みたいなその案は、精神的にも肉体的にも形に囚われない自由なもので。
ああいいね、実に楽しい解決法だ!
「『ブラッドキャスト』『操血』『虚空接続』『死霊作成』『合成』」
MPが一秒経たず0になり、それでも足りずHPすら削って。
五つものスキルを繋げて現れたのは……血色の、翼。
間欠泉のように肩から吹き出る紅の放出は勢いそのまま太さを増し、その先端が虚空へ消える。
赤色の二つの手、それが入ったのはアイテムボックスに直接繋がる小さなゲート。
拡散し所持アイテムに絡み付きに行くそれにすら意識を割き、腐る程あるモンスター素材と地獄の融合を開始する。
どれだけ事細かに見えない物だけでイメージを具現化出来るかの問いは、コンマ一秒と経たず答えが出た。
発想の加速が、思考力の飛躍が止まらない今の私は。
一瞬で望む形を最適な出来で創り出す!
「ああそうだ、痛覚の次は人間性で詰めようか」
そう言って獰猛に私は笑う。
楽しさを隠せないように、口角が三日月のように吊り上がる。
両腕を広げ斧槌二刀を構える私の背からは、まるで翼でも生えたような重量があった。
その形は視界内にあるものによく似ていた。
蛇のように細長く自在にうねり、然し材質は根本的に違っている。
その色は余りにも場違いな朱色で、液体のように流動的で、固体であるかのように結束していて。
然しその先端にあるのはゾンビのような骨と血肉の結合物。
ぐじゅぐじゅに絡み付き融合したそれらには、巨大な斧と巨大な掌がそれぞれ形成されていた。
「──じゃあ、反撃といこうじゃないか」
迫る石柱と使徒を前に、私の背に生まれた手数とは──
──先端に武器が付けられた、血の塊で出来た触手だった。
「あははははははははははははははははっ!!!!!」
さあ、勝つために人間を辞めてみよう!
【祝】サイコちゃん、人間卒業【祝】
手の数が足りないってそういうことじゃねぇよ