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私は過去四回吐いた。
「はァ? 仲間なんてただの残機だろ? 一々気にするわけねぇじゃん」
目の前の彼はそう嘯いた。
それは言うでも話すでも無く、嘯くという表現が正しかった。
強がり、空元気、自分に言い聞かせるように努めてぶっきらぼうに。
声の震え、揺れる瞳孔、それは自己防衛の言い訳だった。
彼と出会って私は、他人の命の軽さを学んだ。
「……何十人も友達を殺してきたんだ。今更私が降りたら、アイツらが死んだ意味が無くなるじゃない! ……だから、進むしかないのよ……墓を、抱えて、抱えた分だけ。止まれないし、止まる権利なんて無い。……どれだけ辛かろうが、奴らを殺すまで進み続ける義務があるのよ」
目の前の彼女はそう話した。
それは覚悟を決めた人間が、凡人の感性のまま傷付きながら歩く地獄の道だった。
罪悪感、責任感、復讐心、それらを正常に捉え受け取ってしまう凡人の出した勇気だ。
進めば進むほど止められなくなるのが分かるから、態と自分から進んでいく自罰的な背水の陣。
彼女と出会って私は、自分にもう逃げる資格が無いことを知った。
「俺は救世主だ。俺のすることは全て崇高で、俺の前なら全ての死が意味のあるものになる。……分かるか? 俺達は讃えられるべき正義であり、そして誰よりも価値がある」
目の前の彼はそう説いた。
それは自分を肯定する事実の羅列、最強の論理的武装。
啓蒙的な説法、英雄症候群のような内容は、煌めきを持つ瞳から放たれた訳では無い。
現実的で冷淡な、非難される自分を理屈で救うための縋り先。
自分は必要であると、自分は光であるのだと世界に宣い思い込む臆病者。
彼と出会って私は、自分の命は肯定されるべきものだと覚えた。
「辛い、死にたい、もう嫌だ」
目の前の廃人はそう呟いた。
外面もなく、プライドも無く、折れてしまった人間の絶望の声。
前を向いていない、もう止まってしまった私達の御旗。
生きている先駆者の寿命切れだった。
何もためにならない時間の無駄だった。
「いいなぁお前は……SAN値が元々0なら減らないんだからさ」
一度目の嘔吐の後、そう話しかけてきた男が居た。
毅然と振る舞う私に何を思ったのかそうほざく男に、私はノータイムで回し蹴りを顔へ叩き込んでいた。
「……ああそうだね、確かに自分にとって天職だとは思えてるよ」
私が所々壊れているのは事実だった。
そんなの幼少期からのことだし、別に許容してこう生きているが、普通の感性が無いわけじゃない。
それは確かに私の下地のお陰であったのだろう。ダメージはあったけど、だとしてもそれは人のいない所で消化出来る範囲ではあった。
それを気にして滅入っている自分がカッコ悪くて、それが嫌だから表に出さない私の表情。
極めていつも通りの姿に対して、彼は勘違いをしていた。
ああ、こいつは本当に気にしない人間なんだろうって。
「だったら吐いてねぇんだよクソが」
心外も甚だしい評価であった。
ただでさえイラついていたのに、戦闘力以外で面と向かって化け物であると決めつけられて。
つい手が出てしまった私を、誰が責めることが出来ようか。
「……割り切れ、私」
先駆者に聞いて回ったアドバイス。
憐れだなと見て聞いて思った感想は、ああなるほど、そうなるのも仕方が無い。
実際にその立場になって、彼らが壊れた理由は察しが着く。
「まぁ私は絶対壊れてなんかやらないが?」
納得と理解は違う。
常に自分と戦っている、カッコイイが好きな私は、情けない自分が大っ嫌いで。
現実に折れる自分の姿を想像し、かっこ悪いそれになってやるかと決意を固めて。
二回目の嘔吐は、それから一ヶ月程後だった。
「なんでへらへらしてられんだよお前ぇぇぇ!!!」
「なんでそんなにキレてんの?」
「はぁ!? 俺の親友が死んでんだぞ!? テメェのクソみてぇな死亡のせいでッ!!!」
「お前だけじゃねぇよそんなこと、なのになんでお前だけ図々しくキレてんだって話」
「そんなこと、だァ!!??」
ある怪物の討伐後、頭に血の昇ったバカの相手をしていた。
私はミスを犯した、でもそんなこと誰でもあることだった。
それを一々責めるような奴は戦闘班にいないし、仮にイラついていようが、仕方が無いと割り切れる奴しか私のいる編成隊にはいない筈だった。
今回こんなことが起きたのは人員不足で中堅の勇者組も含めて再編したからで、今目の前で吠えている彼も、私の身代わりとなって死んだ奴も、そこの出身者であった。
(一番役立たずから消える仕様上、まぁ当然の結果でしょ)
既にこの日常に慣れてきた私は、私が居る日常に慣れている戦闘班は、既に感情の処理を終えている。
それがどんなことを意味するかなんて、私達は気付いていなかった。
その日常が如何に狂っていて、外から見ればどう映るかなんて、考えてもいなかった。
「お前ら全員狂ってやがるッ!」
「……逆に、この状況で少なからず狂ってないやつこそ異常で──」
常人は時に思いもよらないことをする。
それは狂人といる時間が長かった私にとって、全くもって未知の行動原理だった。
感情によって後先考えず、非合理的なことをする。
誰でもすることではあるが、少なくとも彼が選択したそれは、前提条件故に完全に私の虚を突いた。
それは流石に誰もやらなかった非合理の極みだ。
「…………は?」
ざくん。
音が鳴る。
それは首元から。
眼下には怒りに支配された少年の顔と、半分を占領する銀色が。
「死ねぇぇぇぇぇぇ──
生暖かい感触。
首が濡れた。
それは赤い液体によるもので。
私の首を、彼の剣が貫いていた。
激痛と、有り得ないほどの熱さと、
そしてやってくる、HPが0になるあの感覚。
耳朶を叩く彼の声が引き伸ばされて──
──やがて時間が止まり、ルーレットが開始する。
ぇぇぇぇぇぇ………………────?」
壮絶な衝撃。
振り抜かれていた私の右腕と、吹っ飛んでいく少年の頭部。
切り裂いた感触、生々しい何かを殺した感触。
肉を引き裂いた。
骨を断ち壊した。
抵抗はなく、それは絶対の運命のように。
傷が逆再生して塞がっていき、ステータスが上がって、全身を満たす高揚と、勢いよく通う血流。
ルーレットは選定した、この中での一番の役立たずを。
それは正に一択の確定ガチャのようで、逡巡の無い過去一番早い結論だった。
時間の停滞が終了する。
私だけが動ける時の狭間は終わりを告げて、結果を世界に見せつける。
考えないようにしていた疑問に対する、余りに残酷な回答は、
私と、私達を、吐かせるに足りうるものだった。
「…………は?」
──特殊職業死神は、デイブレ中最も死から遠く、地獄に近い職業である。
設定される転職条件故に死と関わりが深いこのクラスは、プレイヤーに制御不可能の三つの能力を齎す。
一つ目の能力は、生物死亡時にされる能力強化。
敵味方問わず、干渉可能範囲内の生物が死亡することで、プレイヤーは全能力が強化される。
二つ目の能力は、死亡判定の上書き。
パーティ、或いはレイド内で死者が出た場合、その瞬間時間を止め、死神が代わりに殺したことに判定を上書きする。
それが例え感染するゾンビに殺されたとしても、怪物に殺されたとしても、死神の範囲内で死んだ者は正常な死が齎される。
それは戦闘班のゾンビ化や改造を防ぐ唯一の手段で、対怪物戦において死神が必須とされる理由であり……然して決して好かれることが無いのは、第三の能力によるものだった。
三つ目の能力は、死神の死亡判定の肩代わり。
死神がパーティ、或いはレイドを組んでいる時に死亡した場合、その瞬間で最も価値の低いプレイヤーに死を強制的に押し付けて蘇生する。
人は誰であろうが失敗を犯す。
それがどれだけ気を配っていようが、初見殺しを幾重にも内包する怪物共の前には無意味であり。
歴代の死神達は、幾度と無く死んでは生き返ってきた。
他人の命を、生贄に捧げて。
自分のせいで誰かが死んだ。
それは字面通りの出来事だった。
自分のお陰で普通に死ねた。
それだけで自分の命の価値は釣り合うのか。
最も自殺者が多いのに、最も精神的ダメージが高いのに、周囲が居ることを求めて止まない。
今や彼女以外は全員消えた、幻の職業。
死神の彼女が仲間に殺されたらどうなるのか?
怒りも恨みも買うことを理解していた彼女の、いつか来るであろう出来事が今起きて、システムが下した裁定は、自分を殺したという、余りに分かりやすい最も価値の低いプレイヤーへの強制的な肩代わりだった。
彼女は最も精神の安定している死神だ。
元来からそうであった訳では無いが、この二回に渡る嘔吐こそが、彼女を最も死神に適した人間へと変えた出来事だった。
正常では無かった下地が、これによって粉々に破壊されて。
やがて妹の一件で、破片すら完全に消化して。
かくして彼女の感性は、哲学は出来上がる。
死神に適した性格の少女が出来上がる。
それは終末で刻まれた記憶であり──
──それは彼女に人の死をトリガーに入る、スイッチを作るのに十分な経験だった。
強制的に体が動くため、職業に就いた以上ソロで自殺でもしない限り死神は基本死ぬことは無いです
"彼女"はキレてましたがSAN値が0なら減りようがないんですよ、回復でもしない限り
"彁"は今0みたいなもん




