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「………………あたまいたい」
ヘッドギアを投げ捨てて枕に頭を埋める。
ごちゃごちゃと考えていた脳は疲労とあの顔に殺されて、身に残ったのは純粋な疲労感。
ネガティブな自己嫌悪すら面倒くさい。考えるのすらだるい。そんなことより今は寝たい。
「……何か食べよう」
集中し過ぎてカロリー不足だった、脳とお腹がエネルギーを求めている。
時間が止まって見えるくらい思考速度を自力で加速させてたし、スキルも含めたら20分以上超音速戦闘で使い倒した頭は、死ぬほど重くてガンガンしてる。
本当に全部使って戦ったんだなぁと、初めての体験に苦しみながら部屋から出た。
「あ」
「お、久しぶり」
出会ってから気付く。よく考えたら今はまだ六時半、久々に見たママは私を見ずに一人居間でコーヒーを飲んでいた。
「珍しいねこの時間に起きてくるなんて。流石に修学旅行には未練ある?」
「…………びっっっくりするくらい無い」
「おや?」
すたすたと冷蔵庫の前に行き、上段で見つけたのはラップにかけられている野菜炒め。白い水滴が見えないから出来て間も無さそう。
……食べるの面倒。
ノータイムで開け放った下段、野菜室にあったのは……房付きバナナ! これ! すごくこれの気分!
「……ご飯作っといてバナナ選ばれるのママ悲しいなぁ」
「んー……」
「皮付いたまんまだよ」
「あー……」
言われてみればだ。
剥いて、食べて、ソファに座る。ふわふわした感覚のまんま、無意識に身体が左右に揺れる。
栄養が急速に体に溶けていく。凄く眠くなってきた。まるで赤ちゃんみたいだ今の私。
「ゲーム、楽しい?」
「……分かんない、でも──」
回らない頭でママの変な質問の答えを探す。
記憶にこびり付いてる白夜を裂く血濡れの星、それ以外のことなんて今の私の思考に無い。
虐めとか、炎上とか、コンプレックスとか、現実への絶望とか、人やママへの罪悪感とか、独りぼっちの虚しさだとか。
きっとこれが脳を焼かれる感覚なんだろう。
『そんなもの』だって言えるくらい、今の頭の中には霖さんしかいなかった。
私の中にあったあらゆる感情が全部ぐちゃぐちゃに破壊されて、熱に浮かされたようにボーっとする。
良い事なのかは分からない、DVを受けてる彼女みたいに感覚が麻痺してるだけかもしれない。
だとしても。
死んだ思考が吐露した深層心理の言語化は……
「──一緒に居たい人が出来たかなぁ」
目を閉じれば日光が当たって気持ちがいい。
夜雨の中での死闘とは打って変わって、現実はついさっき日が昇ったばかり。
「本当に、久しぶりに暗くない顔になったなぁ」
暖かい陽の光、それを久々に浴びて天気を知った。
「熱中出来るものが一つでも出来ればいいと思ってたけど……白露が自発的にやりたいことを、久しぶりに聞いた気がするよ」
快晴。
いい修学旅行日和だった。
******
「よし」
あの死闘から丸一日気絶し、計三日寝込んだ末、漸く動けるまで快復した。
ヘッドギアを取り上げられたのは想定外だったが、チャットルームでバカ二人と会話出来たのは不幸中の幸いだな。根掘り葉掘り事の顛末を話させられたが、一生寝てるよりは会話してる方が遥かにマシだ。
お陰で準備も滞りなく終わったし、空はそんな私を祝福するかのように綺麗に澄み渡っている! ふざけんな死ね太陽、日傘を長時間差す筋力なんて私にあるとでも思ってんの!?
「ぅお゛っ重っも……いけないつい私の悩殺メスガキボイスが」
「……お姉、こんな朝っぱらから何してんの?」
美なんて求めちゃいないので、装備しているのは実用的なリュックサックと小さなキャリーケース。
……まさかとは思うが、世の学生達は小学校時点でこんなのを背負って遠足をこなしてきたのか? やべぇ普通にゴリラじゃん、課外学習って字を見たらこれからはゴリラ養成計画ってルビ振って読んでいこう。
「……妹よ、私は思うのだ」
「一応聞いてあげるね、何を?」
「なんで初めての遠出が誰かに縛られる学校行事で無くてはならないのかと」
久々に来た玄関に私の外出用の靴は無い。
そりゃそうだ。
下駄箱の戸を開けて引っ張り出した学校指定の靴を履き、だせぇからこれも買っていこうと計画をたった今微修正。
「どんだけクソみたいな失敗をしようが、別にそれだけで人生なんざ終わらないんだよ。人間その気になれば形は少し違っても、自分で自分を救えるものさ」
コンッコンッ! と踵を鳴らし、振り返って見えたのは呆れ顔の妹様。
振り替え休日で土日を挟んだ三連休を謳歌する級友達とは反対に、私の旅行はまるで空き巣のように今始まる。
団体行動? 就寝時間? 自由行動? ふざけてる。
好きなように動き、好きな時に寝て、好きな場所に行く人間こそが私なのだ。
「じゃ、行ってきまーす」
私が楽しみにしてたのは初めての遠出に対してだし、修学旅行に行けなくなったんなら、別に自分一人で旅行に行きゃ良い話だろ?
リュックサックを背負って、スーツケースを転がして、日傘を差して、さあ外へ。
枯れかけの紫陽花の香りがした、梅雨明けのアスファルト。
雲の白ひとつ無い青空には、全ての星の輝きを塗り潰す恒星が私のことを見下ろしていた。
「うーん憎たらしい程の晴れ」
最悪の修学旅行日和だ。