158
ハッピーニューイヤー
『思考加速』の効果時間は二分、その間プレイヤーは加速したいときに体感速度を十倍まで引き伸ばせるようになる。
オンオフの切り替えが出来るのは当然だ。これを仮にフルタイムで発動した場合、体感速度にして最大二十分もの間……スローモーションの世界で過ごさなきゃならないからなぁ!
「あっはははははははははははははははははははははぁ!!!」
普通のゲーム速度で生きる限り『神速』と表すしかない少女は、今の認識速度でなら『等速』の少女でしか無く。
そして誰一人として彼女の十分の一の速さでしか動けない『この時間軸』で、絶対的な時間の抵抗を身体能力で引きちぎれ!
脳火事場で筋力発揮の完全化を成し、肉体の反応速度を飛躍させて尚、到達して身体能力は目の前の化け物の五割くらいってとこか!
水の中で暴れてるような感覚だ。この戦闘速度の基準点に脳が引き摺られて、いつもより遥かに遅く錯覚させられる肉体の躍動。
抵抗、抵抗、抵抗に次ぐ抵抗。それを無理矢理に力で捩じ伏せて……馬鹿みたいに読み易い白の剣筋を、片手で迎撃する!
拮抗なんてしない、交錯の瞬間に彼女より遥かに遅い私の剣閃が、圧倒的な物理エネルギー差によって容易く弾く!
鈍く鳴り響く金属音は、みよーんと引き伸ばされたように長く低い。
衝撃に体勢を崩す標的は体幹が本当に出来てねぇなぁ!? そのくせもう片手で追撃を伸ばしても回避されんのが腹立つわぁ!
「ほらどうした!? もう残り十五分しか無いぞ!?」
「うるさい……!」
「あぁ!? 声が小さ過ぎて聞こえねぇなぁ!?」
「ッ遅過ぎて聞こえないんだよ!」
正常に喋れている白に比べて、私が紡ぐ言葉は呆れる程遅い。
この時間軸の基準において異物なのは私の方だ。思い通りに口が動かず煽りすら満足に伝えられない私にあるのは、劣化コピーに過ぎない第二仮説。
あれから計40時間自分をデメントモリで痛めつけて漸く戻ってきた『死の感覚』、それを握り締めている時にしか出せない脳火事場は本当に使い勝手が悪い。
既に激痛と高熱で視界の右半分が消失した。
全体的にモヤで霞んでたってのに、こっから更に焦点の効率が半減するとか終わってんだよなぁ! 半減した視覚情報を勘で埋めて、さあ体を飛ばせ!
ぐらっ……と体が沈む。気付いたら全身の力が抜けている。最悪の体調が仕掛けてくるランダムなバットイベントを抱えて、それでも更に加速して認識しろ!
届く筈が無いと誰も彼もが匙を投げた、世界でただ私だけが挑んでいる神速を!
「なんっで……着いて、これるのっ!?」
捌く、捌く、捌く、捌く!
どれだけ敵が速くても、その半分の速度が出せて攻撃コースさえ予測出来てりゃあ、迎撃を置くことなんざ造作もねぇ!
今なお白は私よりも倍は速い。
この速度で連打戦に持ち込まれたら勝ち目が無い、だから一撃一撃で絶対に体勢を破壊する!
腰の入っていない、体重も乗っていない、ただ速度任せの猛攻を、速度を出させないように立ち回って潰す!
どんな人間であろうと、瞬間的な加速は技術無くして出来やしない。十倍速によって有り得ない速度を叩き出している白は然し、倍速されているだけで動き自体は素人のそれだ。
縮地なんて知らない彼女は最高火力までの所要時間が余りに長かった。
典型的な走り慣れてない奴特有の加速力音痴……二~三秒は助走が無けりゃパフォーマンスを発揮出来ない白を、怒涛の白兵戦で自由を縛る!
近付いたから振った感じの反射的な横薙ぎを、全力の大振りで弾き飛ばす。
体勢を整えようと咄嗟に後退したのを、縮地で急加速して逃がさない。
木々を使って慣れてない三次元機動を試みる白を、環境を障害物として筋力で破壊して、どこまでも直線で詰めろ!
縮地を出す度に重い風圧が全身を包む。雨で冷たい筈の外気は空気摩擦によって焼けるような熱さに変わり、叩き売りされていたボロコートは剣閃でなく風圧によって既にズタボロに引き裂かれていた。
反動に耐えきれず辺りに散るは雨雫と布片、視覚化出来る形にまで私が切り裂いた風。
漫画でよく見る衝撃エフェクトを刹那に私の肉体が空に描き、桜吹雪のような円錐水蒸気が私の背後に作られた。
そう、とうに戦いの舞台は音速を超えている!
産まれ持った才能も無しに彼女の君臨する領域に……ただプレイヤースキルだけで音速にまで辿り着く。
超音速の肉弾戦。
極限状態で到達したその世界は、何もかもが狭かった。
制御しようにも一歩で進む距離が長過ぎる、『思考加速』で認識速度を十倍まで引き上げようと、ステータスで強化されたこのアバターで馬鹿みたいな加速技をしようものなら、この時間軸でさえ体感速度は時速100km近くになる。
暴れるには道が、世界が、何もかもが狭過ぎる。ブレーキは進路と逆方向への縮地でしかかけられず、曲がろうにも縮地で無理矢理曲げないと体勢がぶっ壊れるし、乗った速度を全部衝撃として何かに叩き付けないと減速もままならない。
あはははははは! このパフォーマンスでこんな暴走技を制御しないと追い付けないなんて……
「つくづく才能の差って残酷だよなぁ白ちゃんよぉ!?」
「あうぅっ!?」
回避と同時に入れた回し蹴りを間一髪で防いで、悲鳴を上げながら真横へと白ちゃんが吹っ飛んでいく。
反応速度と全体動作は遠く及ばないけど、やっぱり最高速度なら私が上だ。加えてパワーでぶっちぎっている今、この戦闘で有利なのは私の方!
受け身も取れず無様に地面を転がっていく第四仮説は、ああ、なんて最強とは程遠い!
「……仮説ってのは畢竟、魂単位でVRゲームをやるために作られた存在じゃなきゃ辿り着けない領域だ。私に言わせれば仮説保持者達の戦闘力は、人生の形、人生の意味そのものとも言える」
文字を読み取れない大量の赤いシステムメッセージを邪魔だから削除しまくる傍ら、私はつい楽しくなってこんなことを呟いていた。
「想像してみなよ白ちゃん。VRのためだけに存在するような奴にもし勝てたらさぁ、それってそいつの人生の価値……存在意義の否定に他ならないって思わない!?」
だから最初から言ってるんだ、この戦いは存在意義を賭けた殺し合いだって。
修学旅行を蹴って、体調を破壊して、遡ればネットタトゥーに他ならない配信凸の大炎上を経てここまで来て、それでももし負けてしまったのなら──
何一つ持ってないと思っていた引き籠もりが、漸く見つけた自身の存在意義と現実逃避をするための添え木を、舐めプ極まるクソ女に滅茶苦茶にされてしまったのなら──
「──自分に何の意味があったのかって、死ねるほどの絶望に浸れるでしょ?」
閃光。
容易く弾き飛ばした一撃は、でも先程までと重さが違う。
至近距離で捉えたその表情は、瞳孔が揺れている。
一番分かりやすく読み取れた感情は、怒り。次いで分かりやすかったのは、恐怖。
或いは引っ括めて殺意と形容出来るソレは……ああそれだ! 私がこの殺し合いにまだ足りないって思ってたものだ!
「嫌だ……っ!」
「あはっ、何が?」
心底から笑いながら問いかける。
返ってきた激情は、ああそうだ……
「私はもう、否定されたくないっ!!!」
生存本能から来る、不倶戴天の殺意!
もう言い訳なんて出来ない全力を尽くしての殺し合いに……命を懸けたこれからの死闘に、漸く白が乗ってきた!
「私の否定が、そんなに青春を捨ててまでする価値のあるものなの!? 負けた時のことを考えないの霖さんは!?」
「あはははははははははははは!!! 死んじゃいたくなるだろうねぇ何やってんだろ私って。だからこそ……この殺し合いは存在意義を賭ける程の重さが出来るんでしょ!?」
ゆっくりと降る大雨の中、円錐水蒸気が乱れ飛ぶ!
風切り音は最早銃声に近かった。何重にも折り重なるそれらはジェット機のエンジン音のような重低な不協和音を形成し、二機の戦闘機が空戦なぞ知らんとばかりに地上で超音速の激突を繰り返す!
蹴り荒した泥濘は粘度を考えれば有り得ない程にバキバキに破壊され、風圧だけで大木は揺れ、余波に耐えられない自然環境が戦場に砂漠に似た空白を作っていく!
「あああああああああああああ!!!」
意味の無い声を上げて我武者羅に突っ込んでくる白の斬撃を、冷徹に火力で片っ端から捻り潰す。
さっきまで受け身の対応が多かったのに、殺意に突き動かされて今では自分から攻めてくる少女は、本当に無理矢理と言っていい戦い方だ。
剣が弾かれ腕が真後ろに伸びても、もう片手で地面を掴んでまで速度に物を言わせて反撃してくる様は、感情任せも甚だしい獣のよう。
多過ぎる予備動作で放つ蹴りや殴りの尽くを態と同じ体術で潰して、反撃に縮地と同時の袈裟斬りを叩き付ける。
瞬時に超音速に達した刃先が水蒸気の桜吹雪を纏って白の防御を破壊し、衝撃に揺れる無防備な胴体に蹴り!
悲鳴を上げて打たれた野球ボールのように真横に吹き飛ぶ白、その飛翔速度以上にまで肉体を再度加速させ、神速の突きを繰り出せば……!?
「はぁ!?」
私が切り裂いたのは、白が形作った私が作る以上の大きさの円錐水蒸気!?
白の影は既に私の視界のどこにもいない。
遅れてきた凄まじい風圧と爆音、私ですら思わず体勢を崩すほどの衝撃を作ったのは──
「……こう?」
──白が今この瞬間に成功させた"縮地"だった。
「マジかよこの天才」
頭を振って見つけた白が居たのは遥か30m先、私が捉えると同時に再度"縮地"を使って突撃してくる速度の暴力を、反射的に二刀を交差させて防御する。
化け物にも程があるこの野郎……! こいつこの短時間で解説無しで私から見て盗みやがったのか!? 私なんて理論知ってて一ヶ月デメモリで拷問して漸く成功したのに、どんだけVREEGAありゃたった数分で出来るようになるんだよ!?
縮地無しで私の縮地と並ぶ速度を誇る『神速』が、よりにもよって縮地をこの土壇場で覚えやがった……!
今どちらが速いかなんて視覚的に馬鹿でも分かる、加速で作られた円錐水蒸気は私よりも白の方が大きい。
直線速度でなら勝るという前提が、最高速度を上回られることで崩れ去る。あはっ、やってくれんじゃねぇかこの女ァ!
「これでもダメなの!?」
「私のセリフだけど!?」
縮地をカタパルトに先程より遥かに威力の増した斬撃を、然し未だ上回る火力でギリギリ片手で弾き返し、
隙だらけの胴体にもう片手の剣を反撃に放てば、縮地で無理矢理後方に飛ばれて躱される。
千日手のような戦況を思わせながら……実質のところ、この状況は持久戦だ。
私の視界からはもうほぼ色が消えている。
頭痛は頭が割れそうなくらい酷くなり、息はとうに絶え絶えで、度重なる脳火事場中の縮地の風圧という反動で、体力と感覚はボロボロになるまで削られていた。
多分、私はもうそろそろ切れる。
「あはっ……でもそれより、お前のタイムリミットの方が近そうだなぁ!?」
闇夜である筈なのに訪れた真っ白な世界で、焦点たる一人の女の子のために剣を振るう。
猛攻は止まない。
寧ろこの短期間で著しく私から学習した少女の剣技は、最初の頃とは雲泥の差と言えるほど成長している。
圧倒的な筋力による火力差は、縮地を覚えられて誤差と言う程に縮まって。
どれだけ筋力で剣閃を捩じ伏せても、受け身を学んだ彼女の体勢は大して崩せない。
攻め方も変わっていた。真正面から突っ込んでくるしか能が無かったのに、気付きば縮地でサイドステップを踏んで多方向からフェイントを掛けて殺しに来てくれるでは無いか。
進化──そう呼ぶに相応しい変化は、どうしようもない壁に直面してなお、腐らずに、諦めずに、真剣に挑む者にしか起こらない。
もし壁に直面したとして、人間は挑むか逃げるかの選択を強いられる。
逃げて逃げて逃げ続けてきた人生の果て、最後に見つけた大事な宝物に手を掛けられて、本当に命を賭けて全力を出して漸く、彼女は思考を始めたのだろう。
なりふり構わず使えるものを全て使って、学べるものならなんでも使って、我武者羅に、真剣に、自分を私を殺せる形にまでぶっ壊して成長させる。
全力を出すのは怖い。
だってそれでもし負けてしまったら、ここまで死力を尽くしても負けてしまったのなら、言い訳なんて出来ないんだから。
ましてや存在意義を私が賭けさせたこの殺し合いで、「あの時は全力を出していなかったから!」って保険も無しに辿り着く結末が、言い訳の出来ない敗北であったとしたら……初めて真剣に頑張った果てに「お前に意味は無かった」って現実を受刑しなければならないのだ。
それは絶望すら生ぬるい否定だろう。
怖くて堪らない筈の、自身のアイデンティティの否定を前に、然し少女は今も尚成長を続けている。
進化を続けてくれている。
ならば……
「あは、あははははっ、あはははははははははははははははははははははははは!!!!!」
最後のその瞬間まで、君の進化に正面から付き合おう!
「お前の『思考加速』が切れるまで君の時間軸であと一分……さあどうしたの? 初めての否定出来ない敗北をちゃんと刻む準備は出来たぁ!?」
******
どうして私は今、こんなところで戦っているんだろう?
「嫌だ」
学校で失敗して、友達が一人もいなくなって、引き籠もって、初めて出来たフレンドに修学旅行を蹴らせて、修学旅行当日の早朝に雨の降る森で、気付いたら全力で存在意義を掛けて殺し合っている。
「嫌だ……!」
逃げ道は全部潰されてた。
どう考えてもチートみたいな能力を持ってるのに、どう見ても満身創痍で体調最悪な人が相手なのに、それでも私はこの人を上回れない。
「嫌だ!!!!!」
全力だった。
真剣だった。
本気だった。
頑張っていた。
嘘も虚飾も言い訳も無しに、傍から見ても否定しようがないくらい全てを尽くして理不尽を叩き付けているのに、彼女には未だ一撃も届かない。
適当に暇潰しをしていただけの世界で、初めて私は攻撃の仕方を考えた。戦い方を目の前の人から学ぼうとして、体の使い方を覚えた。
投げやりに現実逃避をしていただけの世界で、私は初めて工夫をしていた。
やろうと思ったことが全部出来るのに、それでも私は……まだ『雨宮霖』に届かない……!
「あはははははははははははははははははははは!!!!!」
もう言葉を喋るのすらキツいみたいに狂ったように笑うだけの少女に放つ剣閃は、軌道を完全に読んでたみたいな遅い迎撃に全て叩き落とされていく。
見様見真似の加速技を使っても何もかもが防がれて、火花と水蒸気の欠片がずっと舞い続ける戦場で、ただ目の前の少女に私は傷一つ付けられない……!
──届かない。
「──そんな現実は認めない!!!!!」
私がやっと見つけた、私だけにしかない個性が!
不幸でどうしようもなく暗い人生の代償に持っていた才能が!
普通に暮らしたいだけなのに、平凡でいたいだけなのに、異常であることを強制させる呪いが!
これだけ悲しい思いをして手にしている私の存在意義が、私よりも救いがある人の本調子ですらない力に負けてしまうような物だったら!
「なら私は何のために、こんなに苦しい思いをしなきゃいけないの!?」
涙を流しながら心の底から出た絶叫。
スキルの効果時間が一秒を切って、とうとう死神の鎌が首に掛かる。
終わりたくない、まだ負けてない、まだ戦っていたい……!
どれだけ頑張って成長しようとしても……彼女を殺すよりもスキルが切れる方が早い。
「さあ最終決戦と行こうじゃねぇか白ちゃん!!!」
霖はまだ立っている。元気よくそう叫ぶ彼女は……まだ気絶には程遠い。
敗北の文字が頭を過ぎる。
冷たい絶望が全身を走る。
──否定、されてしまう。
「──うるせぇんだよさっきからごちゃごちゃと!!!!!」
ここまできてまだ弱気になっている頭を振って、今日一番の大声で吐き捨てる。
絶望する暇があったら考えろ、泣くのは負けてからにして最後まで絞り尽くせ!
まだ……まだ私は負けてないだろうが!
「「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」」
──例えば、人間は極限の集中状態に入ると、今必要の無い情報を一時的に遮断することがある。
少女の世界から音が消えた。
次いで木々と苔の匂いも無くなり、体に叩き付けられる雨の感触も感じなくなった。
ただ目の前の少女に勝つために、最後まで諦め悪く足掻く少女から──やがて世界の色が消える。
日の出前の暗い午前六時、そのゲームの雨降るまだ夜明け前の暗い森において……二人の少女は白に居た。
一人は精神の極限状態によって、一人は色すら邪魔だと消してしまう程の集中状態に到達して。
お互いその光景を美しいとは思わない。
何故なら彼女達の焦点は、お互い一人の人間しか捉えていないのだから。
夜明け前の刹那の間、木々が日陰を差し、常に雨が降る異常気象……ともすれば雲が絶対に空にあるこの場所に置いて、暗闇が陽に灼かれることは決してない無い。
陽など差していなかった。
木々は全滅していなかった。
雨は止んでなどいなかった。
雲が消えてなどいなかった。
未だ暗い夜で、星すらいないこの場所に……しかしながらその二人は白い世界の中に居た。
色が全て抜け落ちた先が白であるというのなら、その景色はああ確かに、例えどんな夜であろうと白く染まるというのだろう。
きっとこの日この時間に、気象上この現象を観測した人間はいないのだろう。
されど、修学旅行を休んでこの日この時間この瞬間に巡り会った二人は、確かに同じ白い夜を共有する。
──そうして世界にただ二人だけの白夜が降りた。
活動報告に新年の質問コーナー作ったから、何か気になることがあったらコメントしてってネ