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"鋼結草"というアイテムは、サバイバー御用達の便利素材である。
水に触れれば字面の通り鋼のような強度になるこの草は、サバイバルキットにある無限に水の出る水筒で簡単に起動出来るため、編み込んでロープにしたり、棒に纏わせて鉄パイプのように使ったり、包帯のように巻いて簡単な防具に出来たりと、使い道に事欠かないので重宝されていた。
「その使い方のチュートリアルがお前な辺り運営性格悪いよなぁと」
それが今目の前で、ボスの全身を覆っている。
ああ、正しく天然の鎧だ。
初期装備とステータスじゃ歯が立たないその装甲で、数々のプレイヤーを屠ってきた"シレネの森のエリアボス・大猿ハリケーン"
無理矢理その装甲をぶち抜くならゲーム中盤辺りの最大火力でギリギリという火力要求は、絶望的な壁となって私の前に立ちはだかる。
「まぁ正直、序盤4ボス中一番狩れる可能性があるのはお前なんだけどさァ」
さて開戦、思考の前に敢行していた取り敢えずの突撃。
地を蹴れば肉体が急激に加速して、一瞬で大猿との距離が詰まっていく。
敵の迎撃は腕の振り払い、私の対応は回避と打撃。
攻撃圏内ギリギリで足首を捻り、身を屈めながらその場で無理矢理体を回転。
頭上スレスレを大猿の巨腕が通り過ぎながら斜め左へ体を飛ばし、遠心力を乗せて燃える鉈を横腹に叩き付ける。
刹那の交錯、切れ味上最近は鈍器として扱われている一撃。
返ってきた手応えは、強烈な抵抗とその後に続いた空を切る感触だった。
硬質な音と共に、私の腕が弾かれていた。
「あっはぁ燃えてすらねぇな! それ本当に草かよぉ!」
テンション高めに現状確認、振り返れば無傷の大猿。
即座にステップを踏み攻撃圏内から抜け、痺れる右手を意思で捩じ伏せて使用可能にする。
ワンチャン期待したけど燃えないかぁ、なら当初の予定通りアレで殺そっか。
思考が加速を始める。
どうにかなると確信して、吹き荒ぶ攻撃判定の嵐、その中に飛び込んだ。
「耐久気にしなきゃなのは面倒よなぁ!」
槍のリーチを持ってすれば回避しながらの攻撃自体は簡単だ。でもまたぶっ壊れたら困るし、耐久値は出来る限り有効なダメージで消費したい訳でして。
かといって鉈で雑に殴っても"鋼結草"の鎧は抜けなくて。
(ああクソ、マジで反応速度落ちてんだけど!)
飛び掛かりをステップで避け、振り向きざまの右裏拳を屈んでやり過ごし、左手の叩き付けをギリギリで躱す。
飛び散った地面の破片を無視して伸び切った腕の鎧の間隙に突き。
二撃目を放つ直前、流れるようにしてきたタックルに予定を潰され回避を選択。
吹き飛ぶように回避した身体が大猿を通り過ぎる直前、予め発動しておいたエアハンマーを自分に当てて進路を無理矢理直角に曲げる。
身を捻って回転、鉈と槍による空中乱舞。
視界に映る瞬間に見える隙間を縫う刺突と、隙間をこじ開けるよう乱雑に振られる斬撃。
効果は果たしてあるのか無いのか、敵の連撃は止まらない。
「鎧邪魔ァ!」
バランスを崩しながら着地。即座に自分にエアハンマーを当てて後方に吹っ飛べば、数瞬前にいた地面を大猿の巨腕が割っている。
次に大猿が取ったのは突進の予備動作。
弾丸のように突っ込んでくる大猿を引き付けてから躱し、すれ違いざまに攻撃すれば硬質な感触が。
ハズレだ。
「隙が無いねぇ……じゃあ無理矢理通すだけだけど」
基本的にMMOのボスってのは複数人のプレイヤーによる真っ向勝負で仕留められる前提で作られている。
そんなん相手に一人で真っ向勝負挑んでも隙なんざ見える筈もなく、然しそれでもその偉業に挑まんとするならば、避けると同時にダメージを与えるしか勝つ手立ては無い。
うーん不愉快、殴り合いで殺してー。
感情が思考のノイズだな? 戦闘に関して思考しろよ。
「じゃあ脳味噌増設しよう、働かないなら数で攻めろ!」
性懲りも無く突進してきた大猿を躱しながら、思考を増やしていく。
加速というよりはエンジンを増設するような感覚で、脳味噌の酷使を開始する。
単純作業ではなく、複雑な思考を、二つ。
それも全力で動き、魔法の衝撃に吹き飛びながら。
まぁいつものことだな?
(右フック、左アッパー、タックル、右裏拳、左叩き付け、右蹴り、ラリアット、暴れ、跳躍、ボディプレス、回転ラリアット、右アッパー、突進、反転、吸気、ブレス……
(回避攻撃回避攻撃攻撃攻撃回避回避攻撃回避攻撃攻撃回避回避攻撃回避回避攻撃回避攻撃攻撃回避回避回避攻撃回避攻撃攻撃接近……
爆速で回る二つの思考回路。
酔いそうになるような気持ち悪さを制御して、上がったギアがその隙を捉えた。
「そこ」
鉈側面による横殴り。
地を掴んで何かを溜めていた大猿の顎をぶん殴り、チャージしていたものが爆発する。
悲鳴を上げて盛大にノックバックする大猿、畳み掛けるならここだ。
「じゃあ死のうか」
地を駆けて、無防備な喉に突き。
厳重に巻かれている草の包帯の重なる隙間、そこに無理矢理潜り込ませてこじ開けにかかる。
硬質な手応えを力でゴリ押して。
火力の足しに鉈を振りかぶって、鋸で引き裂くように叩き付ける。
そこに決してダメージは無く、故に、彼は未だ耳障りな悲鳴を上げて悶えていた。
嗚呼、良いね。緩んできッ──
「……がっ!?」
全身に衝撃が走った。
肉体が吹き飛ぶ。
視界が流れていく。
……風が気持ちいい。
「じゃねぇわ」
地面にぶつかった。
身体は未だ吹き飛んでいた。
地面に何度もぶつかった。
痛みが止まない。
じゃあ止めよう。
暴れ回る視覚情報を捨てて重力から地面を判断、蹴り飛ばして私のベクトルを上に逸らす。
感覚で世界を捉える。木に近付いてる、それも蹴ろう。
脳が揺れる。でも現実じゃ揺れていない。幻覚だ。だから私の頭は正常だ。
自己確認が終了すれば、さぁいつもの私の出来上がり。
把握した地形から、エアハンマーで再度ベクトル変更。幾つかの枝を掴んで勢いを殺し、正常に着地する。
「ぺっ……あークッソ、人が気持ちよくなってる最中なのにどーしてそういうことするかなぁ!」
空中で食ったポーション瓶の破片を、切れた口内を無視して空気と共に吐き出した。
生きていたのは被ダメージが最大でも50%になる『被弾上限』スキルと、反射的に回復ポーションを口内に放り込んで噛み砕いたからであり、吹き飛ばされたのは強敵に備わっているあるスイッチを踏み抜いたから。
致命ダメージ狙った訳じゃねぇのに、首の守りが多少緩んだ程度で生存本能パンチしてくんのは納得いかねぇ!
「んー、絶妙に痛みがもどかしい」
VRゲームにおいて痛覚は、倫理がどうたらこうたらで衝撃として再現される。
痛覚設定を弄れば仕様による物理的な硬直制限を無効化出来るが、それでも態々上げるプレイヤーは稀な方。
生存本能の刺激とか、気が緩んだ時の罰ゲーム的な感じで常時100%にしてた身としては、今の上限50%は絶妙にパフォーマンスが上がらなくてぶっちゃけノイズまであるぞ。
これなら衝撃変換0の閾値で抑えとく方が効率的かもしんないね?
いや下げる気はないけども。
「……つか君、余程殺されたいらしいね?」
全身と口内に走る痛みを無視して追撃を警戒していたが、件の大猿は私を見下すように嗤っているだけだった。
それはまるで、格下を虐めて遊んでいるような、嗜虐的な表情で。
トドメを刺せるタイミングで刺しに来ないのは、ああ──
実 に 神 経 を 逆 撫 で す る な ぁ ?
「無様に垂れ下がってる首のそれ見てからしろよ」
猛攻で多少しまりが緩んだ首の鎧は、狙えばギリ抜ける程度の隙間が出来ている。
果たして私は余裕そうなコイツを捩じ伏せた時、一体どんな爽快感を味わえるのだろうか。
元はと言えば私の不注意で決めたラッキーパンチなのに、それで私を舐めにくるのは実に愉快で不愉快だ。
これは冷徹にやれば瞬殺出来るってことを教えてやる必要があるよなぁ。
授業料はまぁ命でいっか。余りにも良心的だぁ、私ってば優しいなぁ?
「余命五分」
ブチ切れじゃん私。
設定:生存本能パンチ
一部の強いモンスターは頭や喉、心臓とかの急所を狙われるとゲームの難易度維持という理由でモーションをキャンセルしてまで抵抗してくる
睡眠中だろうが麻痺中だろうが殴り返されるため、かつてのPVE廃人達は、敬意と唾棄を込めてそう呼んで狙えても急所は狙わないのが基本になった