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一人の少年がいた。
比較的裕福な家庭に産まれた彼は、両親の言うことをちゃんと聞いて、特に怒られることも無く成長した。
少年は賢く、そして聞き分けのいい優等生だった。
そうあることが出来たがために、そうあることを求められたがために……生来の自分より他者を優先する気質もあって、叱る前段階の注意を受けた時点で、例えその時どんな感情を抱こうとも、言われた通りにして生きてきた。
故に少年は、特に怒られることも無く成長した。
閉じた傘を槍に見立てて振り回し、開いた傘を盾に見立てて友達の傘の突きを防いで穴を開ける。そんな男の子はただの一度の注意で消え、言われるがままに……勉強をして、宿題をして、友達と外で遊んで、ボランティアをやり始めた。
早熟で聡明だった少年は、それが『良いこと』だと悟ってしまえたがために、苦に思うこともなく習慣にしてしまう。
不幸だとは思わなかった。だって『良いこと』をしているのだから。
『悪いこと』をしてなくて、人に喜んで貰えて、褒められて。そんなことが出来るのだから、たかが自分のやりたいことの抑圧程度は、優先するようなことでは無いだろうと。
幸せそうな両親から褒められて、真っ当な性格のまま成長した優しい少年は、何時しか自分の都合を優先することは無くなっていた。
幸せである。少年は心底から自身をそう認識する。
友達に恵まれ、日常に不自由を感じず、誕生日プレゼントに完全感覚没入型VRセットを貰える自分は、不幸とは程遠い位置にいると、疑問も無く少年は思っていた。
ファンタジー物のアニメや漫画を好み、小学校でハリーポッターとデルトラクエストを読破した少年にとって、VRMMOは本当に夢のような世界だった。
自分の好きなキャラクターが作れる! 誰かを主人公とした話の登場人物じゃなくて、自分が理想の主人公になれる!
男の子を発揮した少年は、日々の習慣以外の時間を全て電脳空間に注ぎ込んで、遊んだ。
許される限りの全てを注ぎ込んで、注ぎ込んで。
戦って、戦って、戦って、戦って、戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って──
──何時しか少年は、あるゲームで最強と呼ばれるまでに成長していた。
誰よりも強く、誰にも負けることは無く。
そうして参加出来るコンテンツには何でも出て、あらゆるマップを遊び尽くして…………やがて少年の日常から変化が消える。
変な遊び方をする人種で無かった少年は、そのゲームでやることが無くなったのだ。
習慣で続けているだけのゲームを見て、少年は笑顔を貼り付けて両親に「楽しいよ」と話す。
これまでの人生で「新しいゲームが欲しい」なんて言えない人格形成をしてしまった少年は、優しくも虚しい目でヘッドギアを抱いて眠る。
……やがて、どれほどの月日が流れたのだろう。
ある日青年の前に、退屈を破壊する化け物が現れた。
******
「第三仮説って言えばあの……」
「矛盾の代入!?」
「どうせハッタリだ、あんな化け物がこんなキチガイに付き従ってるわけねぇだろ!」
始まった大喧嘩、辺りから聞こえる声は黒の唐突なカミングアウトへの驚愕ばかり。
ああ、本当に有名なんだなテメェ。私の名前にも困惑しろやムカつくなァ……まずはテメェらから死んでいけ。
「……だってさ? 黒」
「『姫の知名度が低過ぎたな』」
「よっしゃ霖ちゃんブチ暴れちゃうぞゴラァ!」
「『タウント』」
煽りに煽りで返さたのでキレ芸で返しつつ、黒がスキルで注意を惹いた瞬間に敵陣に切り込んで破壊する。
なんか謎にクッソブチ切れて向かってくるプレイヤー共は、戦ってみりゃ分かるがマジで弱ぇ!
(回復厚いせいで即死させなきゃなのが難点だが……別に問題にならねぇな!)
双剣で縦横無尽に駆け回る私のアバターは、一年前から丹精込めて鍛え上げた廃人ビルドだ。
エンドコンテンツの報酬を幾つも身に付け、対人戦に慣れ親しみ、スキルも最適化を施した私の前じゃ、例え並のレベルカンストプレイヤーだろうと相手にならない。……のだが、
「だってのにさぁ! 絶技云々以前にカンストしてないプレイヤーが多過ぎだろ! マジでお前の視聴者って雑魚しかいねぇんだなぁ羽蛾さんよォ!?」
「たかがPK二人でこの人数に勝てると思ってんのか!?」
「あはっ! この程度勝てなきゃそもそも特別な主人公である資格が無いだろうが! 負けたら自殺でもするから気にすんな!」
「『生殺与奪握らされる俺の気持ちにもなってくれ。タウント』」
圧倒的な手数であるのは間違い無い。何か一つでも食らえば紙装甲の私はひとたまりもないのだろう。
飛び交う魔法、出鱈目に放たれるアーツ、FFを気にせずにぶちまけられる範囲攻撃は然し、ヘイト管理スキルによって尽くが黒へと吸われていく。
アイツのスキル構成は基本的にどのゲームでも一緒だ、だから一々連携合わせも作戦も必要無い。
回復手段や回避力、無敵やカウンターすら削ったタゲ管理にだけ特化した、私を自由に暴れさせるためだけに存在する妨害タンク。その能力を遺憾無く発揮した黒騎士は見事にタコ殴りにされているが、お陰で私を止めるものは何も無い……!
「こいつっ……!」
「速っ!?」
「なんでこの人数で捉えられない!?」
「お前らが遅いんだよ」
身体能力も、反応速度も、対策も!
斬閃が乱れ舞い、それを飾り付けるように首が飛ぶ。
加速と急加速を織り交ぜ、止まらないステップで人の波に突っ込んでは、集団であることの欠点……味方へ誤射する可能性を盾にして、人の頭と心臓を潰して回る。
誰かが散開しろ! と声を張り上げるが、悲鳴と怒号で溢れかえるこの戦場で、いったいどれだけの人間がその声に従うものか。
連携も無く、統率を欠き、質で余りに劣る烏合の衆。
場当たり的な反撃を捌いて立ち止まらずに剣を振るえば……ほら、更に混乱が加速した!
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
「お前が死ねよっ変態っがっ!」
嫌な音を聞くと同時に緊急回避すれば、一人のプレイヤーが発動した自爆スキルによって辺り一帯が消し飛んだ。おいこら視聴者の躾はどうなってんだ!? もうちょいマトモに死んでけや私の殺せる人数が減るだろうが!
爆心地の周りに敵は無し。ものの見事に消し炭かよ、即死対策すらしてないのはエンジョイ勢にも程が……っと!?
「おい黒あれ邪魔、制空権もちゃんと取れ」
「『御意』」
爆炎と騒乱が目障りな程断続する方角から、一瞬の返答と同時にハルバードが投擲される。
圧倒的筋力で飛来するそれは私の頭上に陣取って魔法を撃ち始めたゴミをぶち殺し、続け様に制空権を取りに来た他のプレイヤーにも、私に攻撃するより早く同じように武器が投擲されていく!
「あはっ……あっははははははははっ!!!」
連続する上空からの悲鳴、それに負けじと加速した私は更にDPSを上げていく。
8種の加速スキルを連打して斬撃を手当り次第にぶちまけた。鍔迫り合いを筋力で捩じ伏せて抵抗を引き裂いた。悲鳴と怒声を酒にして溺れるために殺して殺して殺して殺して!
蹂躙という字は踏み躙ると書く。
ああそうだ、これは正しく蹂躙だった。
なんでこんなことになってるのか分から無い奴らを蹂躙した。
無意味で無様で滑稽で情けなくて取るに足らない抵抗を蹂躙した。
ふざけるなという感情を、理不尽に止まらない人の激情を蹂躙した。
私の快楽と八つ当たりのためだけに、捕食した。
「縮地」
この戦場においては強者側のプレイヤーを見つけたので、PSだけで更に加速して反応より速く首を飛ばす。
「自傷跳躍」
黒のヘイト管理を逃れた魔法が来たので、自分の魔法を蹴ることで空中で進路を変えて回避する。
「──ほら、あんなん白ちゃんじゃなくても出来るんだよ」
常に一対十以上の戦場で私は嗤う。
多対一なのにたった一人に蹂躙されていた動画を見て、可哀想だのこれだから仮説はだのほざいて同情心と尊敬心でここに来た大量は、なんでもない私みたいなプレイヤーにすら蹂躙されていた。
ああ、これのなんたる無様なことか。
戦闘の内容等、特筆するに値しない。
印象的な瞬間なんて無く、描写する価値も無い。
走って避けて殺して殺す、この戦場にはただひたすらにそれしか無い。
悲鳴が、怒号が、爆砕が。折り重なった不協和音が爆音で地獄を奏で、その中で私が無双する。
気持ちのいい戦闘を邪魔するノイズは、私しか見ていない黒が出鼻を挑発スキルで全て潰している。
アイコンタクトなんて必要無い。
私が好き勝手自由に暴れて、その邪魔をする無礼者を黒が尽く排除する。
それが私達の……どんなゲームだろうとやってきた姫と黒騎士の日常だ。
「『姫、増援だ。PKKギルドが動き出した』」
「同接も伸びてるな、バズったか?」
「『BANレベルのコメントしか来てないがな。対処は?』」
「羽蛾が死ぬまで全殺し」
「『御意』」
包囲網を蹴散らして傍に現れた黒の姿は当然ながら未だ無傷。刹那の会話の内に周りを見れば、わーおおかわりがいっぱいだぁ!
「あはっ、まあカメラマンを即退場させるわけにはいかないからさぁ! 自殺か流れ弾で死なない限り終わらせる気は無いんだけどねぇ!」
「『ならコメント返しでもするか、武器より退屈で死にそうだ』」
戦争はまだまだ終わりそうに無い。
ああ、なんて愉しい日だ!
******
数百人は殺した。
大半は弱いプレイヤーばかりで、増援に来た野次馬やPKKの集団は比較的強かったが、俺にとっての強さの指標は俺を前に何秒死なないかでしか計れない。
霖ちゃんの隙を狙うプレイヤーの視線をスキルで俺に強制して、霖ちゃんの動きの邪魔になる位置にいるプレイヤーに奪った武器を投擲して。
視界を埋めるプレイヤーから先に潰し、常に霖ちゃんを視界に捉えて、彼女本位のサポートをする。
戦闘も後半になれば流石にFFだけで削れるプレイヤーも減ってきたが、別に処理速度が多少落ちるだけ。
高速で回し続けるスキルの八割強は転職を繰り返して集めた多種多様なタゲ取りスキルで、残りの二割は範囲攻撃へのカウンタースキル各種。
火力も防御力も回復力も機動力も無い癖に、ステータス値はSTRに極振りしている俺のビルドは、レベルカンストのタンクとしては産廃もいいところなのだろう。
「化け……物……ッ!」
「『良く言われる』」
何一つとして問題にならなかった。
全ての攻撃を相殺する気も無く、無造作に喰らいながら俺がするのは攻撃だけ。
何一つとして意に介さず、俺の進撃は止まらない。
奪った武器を一端に振るい、投げ、また奪い、使う、使いこなす。
防御をしない俺と、全ての攻撃が甲高く弾かれる他全てのプレイヤー。絶え間ない無尽蔵の増援はやがて、戦意の喪失によって壊滅し始めた。
殺す。
誰一人として刃向かえないように、感情による正当な抵抗を、絶望的な現実で破壊する。
よく見る顔が増えてきた。
一人の少女以外は全員そうなってきた、『勝てない』という現実に直面した悲痛な表情だ。
「『終わりか? なら道を開けろ』」
姫様はまだ元気に暴れているが、あれはもう羽蛾とか完全に忘れてただ殺し回ってるだけだ。……だからこそ、もう決着は俺にしか着けれない。
まとわりつくプレイヤーを蹴散らして向かった先に居た青年は、絶望と憎しみが織り交ざる顔で俺を睨んでいる。
喚き散らしていた何事かは俺を前にして沈黙に変わり、降参するとばかりに武器を放り投げる彼は、幸運なことにまだ配信を続けていた。
少しの距離を置いて向かい合ったライブカメラ。
態と一瞬だけ意識を逸らした直後、奇襲してきた羽蛾の暗器を鎧で弾く。
「『……ただ生きているだけで否定されたことはあるか?』」
「……否定されるべきだろこんなクソみてぇな現実は。二度も実体験して分かったよ、テメェらに石を投げて何が悪い。こんなチートと認識されないチーター共を叩いて金を稼いで何が悪い!」
「あの子は子供だっただろうが!!!!!」
続け様の伏兵を無造作に殺しながら、羽蛾の返答に俺は反射的に叫んでいた。
「まだ中学生そこらの少女を無理矢理ネタにして、嵌めて、それを叩かせて再生数にする? ふざけんな! そんなことは仮説だのズルだの以前に、人としてダメなことくらい常識で分からないのかお前らは!!!」
RPも忘れて叫んだこの言葉が、どれだけの人の心に届くかは分からない。
直近まで大量殺害をしていた、炎上の渦中にいる人間の言葉だ。ただそれでも、俺は叫ばなくてはならなかった。
正義感? 同情心? 違うだろ。
これはそれ以前の……人間の道徳の問題だろ!?
「はっ、なんだよ、じゃあお前はそれを言うためだけにこんなことに参加したってのか? 初心者も大量にいた生配信に突入して大量PKをしておいて、直後に張本人から出た言葉がそれだって!? 響くとでも思ってんのかよこの惨状を全世界に晒しておいて!」
「別に俺が社会的に死ぬだけだろ。それでこの言葉が世界に晒せるのなら、別にいい」
「ッ……狂ってる!」
今更の言葉だった。
あの子に出会って俺の価値観は壊されたし、数時間前には更に自分から道を踏み外してやった。
彼女に付き合って狂うなら、どうせなら俺という概念を有効活用するべきだろ。
未だ背後で続いている戦闘音、その発生源たる少女の狂ったような笑い声を聞いて……ふと、ある会話が脳裏を過ぎる。
『言い切ってやるよ、テメェは不幸な人間だ!』
『自我を抑制しなきゃ成立しない他者の幸福がある時点で、お前が感じてる幸福なんざ欺瞞でしかねぇんだよ! それはただ単にお前が痛みに鈍かっただけで、そうあることが普通だと思わせられてるだけだろうが!』
『そんな下らねぇ理由でそんなつまらねぇ顔をしてんなら、私がテメェの退屈を殺してやる!』
『徹底的に完膚無きまでにぶち殺して、テメェの人生破壊してやるよクソ野郎がァ!!!』
──ああ、それは忘れもしない。俺が俺に変わった日のことだ。
絶望なんて知らないとばかりに何度でも挑んできた、人生でたった一人の少女の言葉。
「……なあ、なんで俺があの子に付き従っていると思う?」
全ての抵抗を引き裂いた。
もう俺達の周りにプレイヤーは存在しない。
描写に値しない戦闘強度を終わらせて、ライブカメラがお互いしか捉えない距離で羽蛾の腕を切り飛ばす。
最後まで呪いの言葉を吐く青年に、RPが剥がれて尚も、きっと俺の言葉は何も届かないのだろう。
──だから、
「最強の騎士のお姫様が、その騎士より強かったらロマンだろ?」
何を言っても通じないなら、何を言っても変わらないと、
どうせならと自慢話を口にして、俺は羽蛾にトドメを刺した。
黒の仮説は本編で書くまでお預けだ!