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「意外だね黒、乗り気じゃないなんて」
「…………まあね」
言われるがままに配信設定を終わらせた俺にかけられるのはそんな声。
開始ボタンはまだ押してない。決行時刻──配信者『羽蛾dis流』の生配信──まではまだ時間があり、開始予定地には動画に感化された新規ファンもあって既にかなりの人が居る。
それを離れた位置で隠れて眺めている俺達は……彼らからして見れば、配信をぶち壊すために来ている害悪アンチに他ならない。
勢いに押し切られて、俺は今何をしているのだろうか?
「何がつっかかってんの?」
「逆に、霖ちゃんはなんで俺が乗り気だと思ってんの?」
「え、普通、ちっさい女の子を酷い目に遭わせたクズが楽しそうに生きてたらブチ切れるような正常な人間でしょ? お前。逆になんで抵抗感あんだよ騎士様よぉ?」
「………………あー、なんでかなぁ…………」
平坦な声でそう問われ、何か言おうとして言葉に詰まる。
抵抗感。
少女がそう評したそれは、俺のどこから生まれるものか?
口を開きかけて、やがては閉じる。
無言の間にそれを幾度か繰り返した後、心底にあった感情が、ぽつぽつと言語化されて漏れ出した。
「……俺個人の単純な感情で言えば、騒動の元凶には滅茶苦茶ムカついてる」
「それで?」
「助けてあげたい、何とかしたい、それは常々思ってる。……でも、もしここで俺が何か行動を起こしたら、俺の人生が台無しになるって、今馬鹿やったらまず間違い無く腫れ物になるって、現実を見てる理性が止めてくる」
プロゲーマーになるのは、なにも簡単なことじゃない。……それも、実績の無い子供なら尚更のことだ。
大会で優勝した訳でも無く、話題性と第二仮説の実績で浮かんだ話は、薄氷の上で掴んだ切符でしかない。
俺が切符を手に入れて「やってみたい」と言った日から、多くの人が俺のために動いている。
仮説という厄ネタを受け入れて、世間の批評を跳ね除けて椅子を造ってくれている企業やスポンサー。
それら全てを衝動という理由だけで、人の費用と努力を自分がただ気持ちよくなるためだけに無視して台無しにすることなんて、俺には簡単に出来なかった。
自分の将来と、人が自分にしてくれた期待と努力。
それを考えた時に、理性は俺の衝動を馬鹿馬鹿しいと冷たく手折る。
「……この誰かを助けたい気持ちは……俺と、俺に関わる多くの人の人生を壊してまで満たす価値があるものなのか。衝動と現実を天秤に掛けて、うだうだと大人になり切れなくて割り切れないのが今の俺だよ」
我ながら情けない話だと思う。
高校三年、社会に出る直前にもなってこんな感情に振り回されている俺は、まだまだ子供なんだろう。
もうすぐ俺は大人になる。ならなきゃいけないってのに、決断力の無い情けない姿を四つも年下の女の子の前に晒している。
果たして彼女は笑うだろうか? いつものように愉しそうに馬鹿にしてくるだろうか? 或いは興味無いとばかりに無感情で聞き流してもいそうかな?
語る内に気付けば見上げていた空。
喧騒は遠く、吹き抜ける風は心地好く。
果たして俺はこんなところで何をしてんだと思いながら興味のままに視線を下ろし、白髪赤目のお姫様の顔を捉える。
果たして彼女は──
「……いや、高三はガキでしょ?」
──心底呆れた表情で、そう呟いた。
******
「黒ちゃんさぁ、もしかして高校卒業までに大人にならなきゃとでも思ってんの?」
「……え?」
「あっきれた、まぁじでガキじゃん。ガキもガキ。大人ってのはなろうと思ってなれるものじゃねぇし、なりたいって思ってる時点で子供なのは自覚してるんでしょ? なら──なんで逆に子供であることを享受して楽しまねぇの?」
馬鹿だ、ここに馬鹿がおる!
如何にも"自分落ち着いてますよー、クラス内で一番精神的に早熟してますよー"って雰囲気しといて、まさかここまでお前が馬鹿だとは……ギャグ超えて呆れたわ。
「大体さぁ、高々進路の一つが潰れるかもしれないってだけなのに、何『自分の人生を壊してまで』ってクソデカ主語で捉えてんのよお前。一々重いんだよ。じゃあそれで誰か死ぬの? 違うでしょ、そんなもん、人生によくある失敗の一つでしかないだろばぁか」
……いや、そんなギョッとして見てくるようなこと言ってるか私?
背伸びの必要性に駆られてる……そう思い込んでるだろう馬鹿に対して、私は暇潰しで言葉を吐く。
別にいいことをいってやろうとも、からかって愉しもうとする気も無い。救いたいとも貶したいとも掛け離れているこのフラットな感情の名は、純度100%の呆れだ。
「別に、なり切れないなら大人である必要無いでしょ、お前にはまだ高校生があるんだから。嫌々なろうとしてる時点で今のお前に大人の適性はねぇし、なら子供なら子供らしく、ワガママに馬鹿やれよ馬鹿らしい」
「……卒業前に不祥事起こしたってなったら、社会に出る時絶対に失敗する」
「逆にさぁ、なんで失敗しちゃいけないの? もしかして大人に夢見てる? 赤ちゃんの時に漏らした人間しかこの世界にはいねぇんだぞお前。常に完璧な人間しか大人であることを認められない社会なら既に人類は絶滅してんだろ」
「……プロゲーマーへの誘いは、もう二度と来ない」
「なんで? 普通に大会出て優勝してきゃいいじゃん、遅いか早いかの違いでしかねぇだろお前の場合。つかお前の夢なり目的なりはプロゲーマーでなきゃいけない必然性があんの? 偶機会が来たから目指してみるかぁくらいの動機ってんなら、もっとやりたいこと見つければ?」
「……じゃあ、仮に、プロゲーマー以外の道を模索して、夢を探して、見つからないままもし卒業したら?」
「えぇ〜……それ私に聞く? 別にいいじゃん、遅れても。黒は私と違って社会性もありゃ真面目で体力もあるんだし、場当たり的に社会に放り出されても最低限生きてけるでしょ。あ、じゃあ進学すれば? 金あるかは知らんけどさ」
「あんまりにも適当な返答じゃない?」
「そだよ? だって決めるのはお前じゃん。別に私はお前の将来の相談に乗ってる訳じゃねぇし、私の価値観で思ったこと垂れ流してるだけ」
未来なんてなーんにも考えずに、場当たり的に今見えてる快楽に飛び付き、衝動のままに青春を謳歌する。
子供だからこそ、全力で子供を満喫している私に、何か人のためになることが言えるとでも思ってんのか?
ただ暇潰しの雑談がてらに思ってることを脳死で吐いてるだけだよ私?
「私から言わせりゃそんなくだらねぇ将来のことで、あと僅かしかない子供時代の癇癪に歯止めを掛けるのが理解出来ないわー。だってそれ、やがて廃れてく今しか味わえない熱情だぞ? 抑えるの勿体ないでしょ、人間活動が下手かよ」
気付けばそろそろクズ共の生配信の始まる時間だ。
黒は……ああ、まだなんか考えてるわ。なんで割り切れないかねぇ自分がガキだって?
最初に『助けてあげたい、何とかしたい』っつったのはお前だろ。本心が分かってんのに足踏みしてんだコイツ。遅漏か?
はぁ……しょうがねぇなぁ……
「じゃあもう分かったよ。おい黒、黒騎士、お前の大事なお姫様からの命令だ。……私に着いてきてアイツらを感情のままにぶち殺せ」
軽快にくるくる回って、最後にびしっと人差し指を眼前へと突きつける。
務めて愉快に、痛快に。
だってこれはそういう劇だから、そういう役をするのだから。
まるで悪役みたいに笑みを浮かべて、さあ嗤え。
悪辣に、凄惨に。
物語に出て来る悪役のように、コイツを強制的に使役してやろう!
「お前のやったことはRPで崇めるお姫様からの強制的な命令で、これから起きる出来事も、滅茶苦茶になるかもしれないお前他お前の将来に関わる全ての関係者の人生も、全部全部、ぜぇぇぇぇぇんぶ私のせい。……横暴で最悪なお姫様の癇癪に憐れにも! 可哀想にも! 巻き込まれた黒騎士君は……そうして私に騙されて、今からお前は暴れるだけ」
人ってのは基本的に責任を取りたがらない。
責任を押し付けたがるし、責任を前に足踏みする。
だからお前を騙してやろう、私が駒を悪用してやろう、私の目的に強制してやろう。
責任を押し付けられてやる。私が全て受け止めてやる。
何もかもを私に責任転嫁して、理性への大義名分を作らせてやろう。
だから──
「──それでいいだろ?」
全部が全部私のせいだって、衝動に従ったんじゃなくて私に従ったからだって、やりたくてやった訳じゃないって……騙させてやるよ。
現実逃避? だから何だ? 不利益なんざ後で考えりゃいいんだよ。今この瞬間の感情以上に優先すべきことなんて、子供にはねぇんだからさぁ!
何かを咀嚼している風な黒は、少しの時間を置いてやがてこう呟いた。
「……霖ちゃんさ、やっぱ君クソかっこいいよ」
「何? もしかして惚れちゃった?」
「ごめんお前だけはマジで無理」
「(無言で中指を突き立てる)」
コイツマジでさぁ! 態々お前の感性に合わせてやったのにマジでさぁ!!!
******
VRMMO『天光のエクリプス』は、それほど有名なタイトルというわけじゃない。
例えばこれがパソコンで出来るMMOであったのなら、何かと並行して出来るゲームとしてもう少し人口が増えていたんだろうが、残念ながらこれは人間機能を全て捧げなければプレイ出来ない、金のかかる完全感覚没入型のVRMMOだ。
やってと言われたから始めた、それがこのゲームを俺が持っていた理由。
……そうだ。思い返してみれば、あの日あの時あの瞬間、死力を尽くした彼女に真正面から負けてから、俺の人生はそもそも彼女に奪われていた。
彼女のやってるゲームは全て自分も買った。彼女の突発的なワガママに付き合うために、その全てでレベルをカンストさせてきたのは……ああそうだ、俺がこの子に振り回されるのが好きだからだ。
関わるだけ損なこの馬鹿に自分から付き合ってる時点で俺は、端から馬鹿なことが大好きな子供じゃないか。
そりゃ呆れられもする。だって彼女からしてみれば、自分に付き合って楽しんでる時点で衝動の制御出来ないガキなんだし。
「ほら、いつまで素でいるんだよ。さっさと括弧つけて喋れば? カッコ悪いぜ? 黒騎士さんよ」
自由奔放に、傍若無人に、唯我独尊に、少女はそう問いかけてくる。
だからこそ。どうしようもなく彼女のファンな俺は、代わりにヘルムを被ることで返事した。
漆黒に染めた全身鎧に身を包み、直径2mのランスを二本背中に背負う。
冷徹ながらも正義感を持ち、然しながら主の命令ならどんなことでも実行する……誰とも群れない、孤高で最強な、俺の思う最高にかっこいい漆黒の騎士。
そんなRPをするために、そんな理想の妄想を成すために、俺は今から剣となる。
「現地民は目測大体200人くらい? まあ暴れりゃ減るか。……さて、いける?」
「……『それが姫の命令ならば、その倍来ようと殲滅しよう』」
将来なんざ知ったことかと思わせた決定打は、君だ。
きっと君は背中を押した気は無いんだろうけれど、俺は今、確かに致命的な一歩を踏み出した。
この子の力になりたいと思わせる力……言うなれば霖のカリスマに理性を殺された俺は、そうして初配信を開始する。
アーカイブを消すつもりは無い、プロゲーマーなんて知ったことか。
やがて凄まじい数の罵詈雑言を吐き捨てられることになるライブの視聴者数は、未だ1。
「目標、目の前の人垣の向こうにいるゴミ! 罪状、私の日常生活で生じたあらゆるストレスの元凶! 判決、死刑! 行くぞ黒ぉ? 私の邪魔物を全部ぶちのめせぇ!!!」
……最も、その1以外には誰も、何も、必要無いのだが。
「あはははははは!」と笑う少女に、さあ『黒騎士』ならどう答える?
今を生きる彼女に感化されて槍を抜いている俺の返せる言葉は……ああ、ついてないなぁ。一つしか選択肢がないじゃないか。
「『姫、実は命令されなくとも俺は奴らを一人残らず殺す予定だったんだ』」
「へぇ? なんで!?」
「『何か気に入らねぇ! だからぶちのめす!』」
「あはははははははは!!! ガキかよお前ぇ!!!」
そうあっていいと教えてくれた馬鹿を追って、俺は全力で地を蹴った。
嘘みたいに軽い体は、なんのしがらみも無く抵抗感無く風を切る。
心も、理性も、何一つ遮るものの無い俺達は、衝動に突き動かされて祝勝会へと殴り込んだ。
「こんにちはぁぁぁぁぁぁ!!!!! 迷惑系配信者の逆凸でぇぇぇぇぇぇす!!!!!」
「は?」「え?」「ちょっ!?」「なっ!?」
人垣に躊躇無く凶刃を振り翳すお姫様は、なんとも楽しそうな顔をしていて。
「『退け……姫の御前だぞ?』」
きっと俺も同じ顔をしながら、生涯で初めてのPKに手を染めた。
因みに黒は"マジでお前の人生どうしようもなくなったら貰ってやるかぁ"程度にしか、サイコちゃんに恋愛感情はありません