139
青年は人気者だった。
人当たりが良く、勉学が出来、運動も得意であり、所謂オタク文化にも造形が深かった。
「ケッシーおはよー」
「景色貴くん今日は早いねー?」
「おはよう。いやぁ課題を学校に忘れちゃってね、馬鹿な僕はこうして朝早く登校して証拠隠滅を図っている訳なのだよ」
「何その喋り方w」
「サボればいいのにそんなん。なんならウチの見せようか?」
「うーん……厚意はありがたいんだけど、空欄から何を写せばいいんだろ?」
「「辛辣で草」」
170cm後半、それなりに筋肉があり、顔も決して悪くない青年は、女子生徒二人の挨拶に気楽に応じる。
HRまで残り30分といったところで課題を終えて軽く見直しをしている最中、集中の切れかけた彼の耳は窓の外から届いた大きな声を捉える。
それなりに部活動が活発な彼の通う高校は、夏の大会に向けて練習する運動部の声で朝でもにわかに騒がしい。輝かしい青春を描く彼ら彼女らを青年は、純粋な尊敬の眼差しで見下ろした。
「…………もう三年だもんなぁ……」
窓に凭れて風を受ける青年の元に、教室に着いたクラスメイトが続々と挨拶を交わしていく。
真面目な生徒、授業中でもかなり喋る不真面目な生徒、特に話さず静かに読書に耽る生徒、影の薄い趣味に生きる生徒。
クラスカーストで言うなら青年はどこにも属さない、それでいて誰とでも話せる絶妙な立ち位置にいる。
「景色貴ー、宿題見してー」
「またかよー、じゃあアクエリ一本で手を打とう」
「んじゃ昼一緒に食うべ、そん時なー?」
「あの、景色貴くん……その、昨日僕が勧めたブルー○ックって──」
「ああ! 見た見た超見た! あれめっちゃ面白いね! 思わずネットで全巻買っちゃたよ」
「ぜ、全巻!? え、いや全然貸したよ?」
「……ケッシー、次のガチャの内容は見たか?」
「……ああ。まさか水着シ○コが来るとはね……天井してでも引くから安心してくれ」
「……ククク、すっかり沼に落ちたなお前も……ハフバ何来るんだよ怖ぇよ俺はぁ!」
青年の人生は賑やかだった。
人当たりが良く根のいい彼は、人に勧められた物は何であれ直ぐに触れる行動力があり、それこそが彼が人に好かれる所以なのだろう。
「……どこ行く? 職員室でいい?」
「……お前、こういうのは女子にやれば?」
「性別とか関係無いだろ。やりたいからやるだけだし、何より僕って他の人より暇だしさ?」
「……さんきゅ」
そこまで親しいわけでもないのに、重い提出物の山の半分を自然な動作で奪われたクラスメイトの男子は、"女子相手じゃなくてもこれが出来るから人気なんだよなぁ"と心の中で呟く。
「渡黒ってさ、彼女とかいねぇの?」
「あー………………まぁ作ろうと思ったことは無いかなぁ」
「この前後輩に告白されてたって聞いたけど?」
「うん。でも悪いけど断ったよ。流石に仕事と両立出来なさそうだし、僕にだってキャパはある」
高校三年生とは人生の大きな分岐点だ。
考えざるを得ない進路という課題に直面する学生達は迷いながらも期待を抱き、勉学や資格の入手へ励む。
或いは五月のこの時点で進路の内定もしている生徒もいるわけで、青年──渡黒景色貴もそんな一人であった。
「やっぱムズいもんなの? VRのプロゲーマーになるって」
「僕の場合は特例ではあるんだけど……学校も行って趣味も楽しみながらってなると、難しいものはあるよ。……あとなにより──」
「なにより?」
「──馬鹿なことが出来なくて困る」
「…………………ぷっ、溜めて絞り出した言葉がそれぇ!?」
「こっちは真面目なんだけどなぁ!?」
あははっ、と笑い合って男二人は並んで歩く。
向かいから歩いてくる人がいれば自分から大きく避けて、やがて目的地に荷物を届けて教室へと帰っていく。
行きよりも楽しそうに会話する彼らは、もう既に一端の友情が生まれていた。
『秀才』
景色貴を表す言葉を探すなら、きっとそれが相応しい。
何事も器用にこなし、人当たりのいい彼は、欠点らしい欠点など見当たらない。
「なんか景色貴くんって、本当にいい人だよねー」
「わかるー、なんか辛いこととか全然無さそう」
「面倒臭そうなことでも率先してやってくれるし……本当はストレスとか溜まってない?」
「いや? 全然そんな無いよ?」
「うっそだぁ〜? 何でもない日でもうち、偶にメンタル死にたくなるよ?」
「ケッシー毎日クソ忙しそうなのに疲れんの? だる絡みよくされるしさぁ。ウチらに」
「進路も内定したとかで今一番忙しいんじゃないの? 学校正直だるくない?」
「……全然気にしたことない」
「「うっそだぁー」」
順風満帆な青春を過ごす景色貴は、本心からそう言っていた。
彼は日常生活でストレスを溜めることは無い。
何を言われたところで、何をしたところで、楽しみこそすれまるで気にしない彼は、"ピコン!"という一つの通知をスマホに受診する。
「……あ、ごめん、用事出来たから帰るね」
「ありゃ、そりゃ残念」
「またね〜」
放課後にだる絡みしてきた女子二人に別れを告げ、青年はカバンを掴んで足早に駆けていく。
下駄箱にて靴を履き替えながら思い出されるのは、さっき友人二人に言われた言葉。
(……いや本当に、あの子に付き合うのに比べたら何もかもそよ風と変わらないんだよね)
箇条書きの呼び出しメールに応えるため帰路に着く景色貴。
軽く汗に濡れ髪が風にたなびく姿は、その走る理由さえ知らなければ……
「あっづいなぁ!」
……眩い青春真っ盛りの高校生そのものだ。
******
どんよりとした黒い雲、有害物質によって一日中薄暗い空気、荒廃し傷だらけの廃墟。
緑や青のエキセントリックな色使いの液体が染み込んだヒビまみれのコンクリートは、それを下地におびただしい量の赤が……鮮血が塗り潰している。
端的に世界を説明するなら、ゾンビアポカリプスとでも言うべきだろうか。
徹底的な物量と攻撃力を誇るゾンビ達に多種多様な方法で殺されまくる、R18GのVRMMO──『デメント・モリ』
臓物の詳細な再現から肉体欠損で肉から骨が飛び出るリアル志向、発狂ゲージやウイルスを完備、寄生された体の内側から触手が突き出して死ぬような、プレイヤーを苦しめることに振り切り過ぎた死にゲー……そんな世界のある場所へと呼び出された景色貴は、呼び出した当人の姿を見て思わず顔を顰めていた。
「……で、来たけどどうしたの霖ちゃん」
「ああ"黒"、漸く来たのぉ?」
渡黒景色貴を"黒"と呼ぶその少女は、このゲームをやるには余りに若く、そして全身が血塗れだった。
美しい白髪はボサボサに乱れて赤く染まり、服は穴だらけのズダボロで、顔の半分を血で濡らす少女は、それが返り血では無く全て自分の血によるものだと、青年は経験から知っている。
理不尽の権化。或いは小さな暴君、さもなくば狂姫。
そんな形容詞が似合う14歳の少女を前に、景色貴はつい先程までの学校生活を思い出していた。
気を使ったら普通に感謝してくれて、ちょっとしたことで癇癪を起こさなくて、理屈の読めないイかれたことをしないクラスメイト達。
"ああ、本当に。この子に慣れてる自分にとって、学校で起きることなんて瑣末事でしかない"
少女は満面の笑みを浮かべて口を動かす。
にこやかに、気楽に、元気に、何事も無いように躊躇無く。
渡黒景色貴は人気者だ。
人当たりが良く、勉学が出来、運動も得意であり、所謂オタク文化にも造形が深い秀才だ。
凡そ欠点の見当たらなそうな彼に然し、敢えて一つ問題を挙げるとするならそれは──
「ね、ちょっと私を拷問してくんない!?」
──ただ彼は、致命的に女の趣味が悪かった。
※尚、この作品は致命的に女の趣味が悪い作者と読者によって支えられております