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この話には私の創作感がゴリゴリに入ってます
全ての物語は"退屈"から始まる。
それがどんな物語であろうと大抵の場合読者や視聴者は「どうせ主人公が勝つんだろ」と、或いは「最初に現れたヒロインとどうせ最後にくっついて、他のヒロインは全員負けヒロインになるんだろ」と、言わないながらも心の底で理解して、展開が薄々読めていながらも、それを読み進めていくものだ。
結末の分かりきっていることを、ここでは"退屈"と定義しよう。
大抵の努力と勝負の"結果"が"退屈"であるのなら、その分かりきった"感想"を変えるのはいつだって、"過程"と"結果が齎す物語への意味"しか存在しない。
畢竟、物語が"愉快"な物であるためには、定義した"退屈"を裏切る敗北か、或いは"退屈 "であろうとも"過程"と"結果が齎す物語への意味"で許すことの出来る面白い大団円の完全勝利でなければならないのだ。
作者は"退屈"を殺さねばならない生き物だ。
予想を裏切り続ける──"ドキドキハラハラ"と形容される怒涛の展開を描き切るのなら、それは天才にしか不可能だ。
深層心理で主人公の勝利を祈っている読み手に対し、"退屈"を殺すために主人公に死や敗北を齎そうものなら、余程の天才で無い限り──それは"駄作"の烙印を押されるのがオチだ。
仮にそれが"傑作"であったとしても、バッドエンドを心から求める極少数派にしか刺さることは無く、
仮にそれが"傑作"であろうとも、普遍的な大多数派にとって、"心に刺さる一作"になれやしない。
全ての物語は"退屈"から始まる。
そして大多数の読み手は退屈を嫌いながらも、"退屈"で"愉快"な物語を求める生き物だ。
故に、"物語の価値"を決めるのは、その"面白さ"を決めるのは、大抵の場合は"過程"と"結果が齎す物語への意味"なのだろう。
それらが省かれて"愉快"の欠けた、"退屈"なだけの物語には、決まって"終わり"なんて存在しない。
──きっとこの物語は"退屈"だ。
最初から"結末"なんて分かっていて、"結果"なんて読めていて、"終わり"なんて直ぐに来て、予想を裏切り続ける"ドキドキハラハラ"なんて無いのかもしれない。
現行を走る未来があるのだから、そこから飛ぶ過去への回想というものは、物語の進行度が進んでいればいるほど"退屈"を極めていくのだろう。
──ただ、仮にそうだとしても。
"過程"と"結果が齎す物語への意味"が、そんな"退屈"な"感想"を塗り潰す物であるのなら。
それが例え"退屈"を極めていく物語だろうと殺し尽くして、"愉快"にすら変えていくのだろう。
──これは雨宮霖と白の物語。
──ただ一瞬の白夜を殺す、刹那の夜明けの物語だ。
次章『DAYBREAK:WHITE NIGHT』
──雨よ、その夜を塗り潰せ。
プロット組んで書き始めてから「あこれやばい長すぎ」ってなってたので、二章は前後編に分けました。
プロット構築なりエグゼなり、準備が出来るまで暫く更新が空きます。
掲示板とかの幾つかの閑話を挟んで、次章からは白ちゃん編です。