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吟遊詩人グラスの異世界怪談  作者: 百鬼萬斎F/ハシビロコウ
7/8

銅鐘がカランと鳴った。

 これは、戦士のJさんが実際に体験した話。


 その頃、Jさんは難しい討伐依頼を終えて、仲間たちとも別れて、ひとりで宿に滞在していた。

 仲間のひとりから別の採取依頼に誘われていたのだけど、装備の補修もしたかった。このところ何かと遠征続きだったこともあって、どうしても護衛役に戦士をと懇願されたが丁重に断ったのだ。


 「あなたが来てくれたなら、とても心強かったのですが、残念です。」

 「だが、その探索なら危険もないし、私がいないほうが報酬の取り分も増えますよ。」

 「そうですかね。あなたとの旅は、私にとっては報酬以上のものですから。」

 「そう考えてもらえるのは、たいへん嬉しいことです。それではこうしましょう。あなたが帰ったら、その時に次の旅の計画を練るということでいかがですか。」

 「それは楽しみです。それでは、なおのこと手早くこの依頼を終わらせてこなければ。」

 

 彼が辞して行くとき、腰から提げた魔虫よけの銅鐘がカランと鳴った。



 数日たったある朝。


 ドンドン。


 ドンドンドンドン。


 Jさんは、部屋の扉を激しく叩く音で起こされた。


 「う、ん、ああ、誰かが来たのか。ちょっと待ってくれ、今出るから。」

 眠気が完全には抜けきらないままで、Jさんは扉の向こうの訪問者に声をかけた。寝具から抜け出たJさんは、手早く身支度を整えて扉を開けた。




 そこには誰もいなかった。



 「あ、Jさん。ちょうど良かった。」

 そう言って一階に通じる階段から顔を覗かせたのは、仲介所で馴染みの請付人だった。


 「あなたか、ノックしたのは。」

 「いえ、私はしてませんが。」

 「それでは、階段で誰かとすれ違ったかい。」

 「誰も見てませんよ。それどころか、この階段ですれ違うのは無理ですね。」

 請付人の言うように、宿の階段は狭くて、すれ違うときには、どちらかを通してからしか上り下りできない。


 「おかしいな。確かにノックされたのだが。」

 「そんなことより、大変です。」

 「そんなこととは、酷い言い様だ。 しかし、一体どうしたのかね。あなたが、わざわざ出向くとは、確かに大した用件なんだろう。」

 「まさに、大した用件です。あなたのお仲間から緊急の依頼です。」

 Jさんをすぐに探し当てた安堵の顔つきから、一転して深刻な表情に変わった。


 「針塚山の渓谷で大層な困難にあっているそうです。大牙猪獣の狩猟場に紛れ込んでしまったらしく、すでに二晩追跡されているとか。」

 「針塚山。まさか、彼らの依頼の品は高原苔虫だったはず。ならば、まずは街道筋をたどり、灰色平原へ向かうだろうに。この探索ルートならば、問題なく依頼を達成できるのだが。」

 「はい、しかし、どうも街道を辿ると日数がかかると考えて、茶帯川を上ることにしたそうです。」

 街道は、針塚山、鷹落山、西高山地を大きく迂回していて、確かに茶帯川を行けばかなり距離は短くなるのだ。


 「だからといって、大牙猪獣の狩り場は、さらに山奥ではないか。川筋を伝えば、迷いこむはずがない。」

 「ところが、先日鷹落山で大きな崩落があったらしく、川の一部が通れなかったそうです。」

 「ならば、余計に街道を使うべきだった。」

 「この依頼を告げに来た方も、川を迂回していたところ、偶々、お仲間に出会ったそうです。たいへん青ざめたお顔で、これは大変なことが起こっているに違いないと、すぐにわかりました。その方も腰には銅鐘を提げていましたから、虫の多い針塚山から来たのは間違いないでしょう。」

 「なるほど、では、彼らのひとりが来たわけではないんですね。」

 「ええ、大牙猪獣ですから、簡単に逃げられるとは考えられません。その方を救援の伝言人にするだけでも、かなりな苦労だったでしょう。」

 「うん、奴等は容易には包囲を解かないだろうから。」


 大牙猪獣は、見上げるほどの巨体に太い丸太のような脚でありながら、鬱蒼とした森林を小柄なケンコーのように駆け回ることができ、一度狙われたら逃げることは難しい。

 その上、長い鼻を腕のように巧みに操り、岩の狭間の狭い穴にに潜もうとも、難なくつまみだされてしまう。

 しかも、大きく鋭い眼は暗闇の中でもすべてを見通し、大きく広い耳は渓を隔てた樹上の羽虫が羽ばたく音さえ聞き逃すことはない。

 そして、一度捕まったら、上下4本の鋭い牙と器用な鼻で引き裂かれ、そのまま飲み込まれてしまうのだ。


 「採取依頼だったことで、武装は軽かったようです。」

 「それで私を誘っていたのだな。私なら、大牙猪獣を倒すことができるから。」

 「いえ、本来は大牙猪獣が現れるところではないですから、そこまでの用心はなかったでしょう。」

 Jさんは誘いを断ってしまったことを悔やんだ。


 「いずれにせよ。すぐにでも出立します。それで、伝言が届いたのは今日ですね。」

 「はい。」

 「まだ、その方はいますか。できれば、状況などを詳しく聞きたいのですが。」

 「そう思って、ここにお誘いしたんですが、何でもすぐに戻らなければならないとおっしゃって。」

 「戻るですと。針塚山にですか。」

 「いえ、私もそうお聞きしました。すると、そうではないが、急いで戻らなければならない場所があると、とても焦っておいででした。」



 Jさんは、報せてくれた礼をして請付人を帰すと、急いで支度し、針塚山へ向かった。

 装備は大牙猪獣を倒すための長槍と短槍を双ふり、宿の向かいにある道具屋で傷薬をいつもより多めに補充しての出発だった。


 長期間の探索ではなく、目的もはっきりしており、比較的軽装ということもあって、焦る気持ち以上に速く歩けた。報せが朝方だったこともあり、暗くなる前には針塚山の麓に到着していた。なるほど、普通ならば大牙猪獣を警戒するようなところではない。


 旅装から武装に着替え、早速山に分けいった。警戒モードを大にして、周囲に注意を払いながら木々の間を探った。民家も近い山なので、本来ならいろいろな山の音があるはずだが、まるで山自体が何かを恐れるかのように鎮まりかえっていた。

 針塚山それ自体は、まわりの山々に比べても小さな山だが、名前のように細く高い。警戒モードは、山の中腹より高いところを指し示していた。


 長槍を低く構え、短槍を背負った武装でJさんは、急な坂を慎重に素早く移動した。

 

 周りはガジュの大木に囲まれて視界が塞がれている。しかし、早くも何かに捕捉されたのは確実だった。Jさんが移動するのに合わせるかのように、何かも動くようだ。

 

 (3匹、いや4か。)

 Jさんは、冷静に何かの様子を探った。

 

 (大きな群れではないようだ。ハグレだな。そうであれば楽なんだが。ボスを倒せば、あとは逃げ散るだろうから。)

 警戒モードでは、仲間たちの気配は関知できなかった。どうやら、まんまと大牙猪獣をこちらに誘導できたようだ。

 Jさんが警戒モードを大にした本当の理由は、大牙猪獣の群れに強敵が来たと思わせることだったのだ。大牙猪獣は群れで行動して、強い獲物からターゲットにする。全力を出せるうちに強敵を相手にすることは、ケモノにしては利にかなっている。しかも、強敵ほど大きく肉質が良いと本能的に理解しているのだろう。弱い獲物はそれからでも間に合うし、もし逃げられたとしても、奴等にとっては大した問題ではないということだ。


 Jさんは、身体強化の補助魔術を宿した指輪をはめキーワードで発動させ、戦闘に集中するため警戒モードを切った。地面スレスレに構えた長槍は、大牙猪獣の視界では捉えにくいはずだ。大きな相手には小さく構える、Jさんが経験から会得した固有闘技のひとつだった。




 山全体が緊張していた。


 勝負は一瞬だった。


 Jさんの背後から2匹が、雄叫びを上げながら踏みつけてきた。誰の目にも、Jさんの姿が4本の丸太に押し潰されたと見えただろう。そこへ残る2匹が現れ、長い鼻でJさんの身体を巻き取ろうとした。

 その刹那、4匹の大牙猪獣の中で、一際大きいのが絶叫した。

 大牙猪獣のボスの背後にJさんは、回り込んでいたのだ。というよりも、Jさんは自分の虚像を残したまま、ボスの背後に忍び寄っていたのだ。そうして、長槍ではなく、2双の短槍を両手に構えて、一ヶ所を突き通していた。

 大牙猪獣のボスは、声をあげる間もなく大きく痙攣した後、硬直したまま巨木が倒れるように地響きを立てて崩れ落ちた。


 最初から、大牙猪獣の唯一の弱点、耳のつけねを狙っていたのだ。全身を硬い鎧で覆われた大牙猪獣でも、この一点だけは軟らかく、しかも、突き通せば頸椎を破壊できる部位なのだ。


 ボスを失った他の3匹は、狂乱し統制を失って、散り散りに逃げていった。すべては、Jさんの目論見通りに運んだ。

 あとは仲間たちの無事を確認すれば依頼は完了する。Jさんは再び警戒モードを探索に設定して山中を探ることにした。



 カラン。


 どこからか銅鐘の音がした。


 カラン。



 Jさんは、それが仲間が虫よけに腰に付けている銅鐘の音だと確信した。Jさんは無駄になった警戒モードを解除して、音のするほうへ向かった。


 しばらく進むと、古い巨木が群生している斜面に出た。大牙猪獣が幾度も牙を叩きつけた跡が無数に刻まれていた。

 どの跡も新しい。

 樹液を湿らせていて、早くもさまざまな虫が取りついている。こうなると、大牙猪獣よりも厄介だ。Jさんは、背嚢から虫除けの香木を何本か出して火をつけた。黄みがかった煙が周囲に充満すると、やがて虫たちは姿を消し始めた。


 「みなさん、もう大丈夫ですよ。虫はいなくなりました。気を付けて下りてきてください。」


Jさんが樹上に声をかけると、3人の仲間たちが地面に下り立った。


 「Jさんですか、助かりました。まさに命の恩人とは、あなたのための言葉です。」

 「いえ、それほど大層なことはしていませんよ。それより、あとひとり足りませんが、彼はどこに避難しているのですか。じつを言うと、彼の誘いを断らなければ、みなさんをこのような災難に会わせずに済んだと、とても後悔しているのです。」

 「ああ、なんということだろう。彼は冥府に落ちてしまいました。後悔くらいでは言い尽くせない程の悲劇です。」

 急に仲間たちの表情が暗く沈み、涙を浮かべる者もいた。


 「彼は死んでしまったのです。しかも、それが今回の悲劇の序章だったのです。」

 「彼は私たちを助けるために、大牙猪獣の注意を引こうと、銅鐘をかき鳴らしながら走り出したのです。」

 「なんと勇敢で無謀な行いでしょう。」

 「しかし、その隙に私たちは、ここまで逃げ、大牙猪獣でも倒せない巨木に取り付くことができたのです。」

 「彼ほど勇敢で友人思いの方はいません。もちろん、あなたもそうですが。」


 「待ってください。それでは、私に救出依頼をもたらしたのは、彼ではないのですか。」

 「この通り、大牙猪獣に襲撃された後は身動きもできず、二晩を木の上で過ごしていました。」

 「しかし、私に危急をもたらした方は、あなた方のひとりに依頼されたと言ったそうです。」

 「この山に入ってからは、他の誰とも会っていません。」

 「それは妙ですね。あの請付人が依頼人の言葉を聞き間違えるはずもないし。」


 Jさんは困惑した。彼らの言葉にも嘘はないようだった。

 

 そういえば。


 「あなた方の中のどなたか、銅鐘をお持ちですか。」

 「誰も持っていません。銅鐘を持っていたのは彼だけでしたから。」

 「私たちが最後に銅鐘の音を聞いたのも、彼が大牙猪獣に殺された、その瞬間です。」

 「まさに彼の死を悼むような、悲しい響きでした。」

 「銅鐘の音を聞くたびに彼を思い出し、涙を流すでしょう。」


 Jさんは、しかし、確かに聞いていた。

 「しかし、私がこの場所にたどり着いたのは、その銅鐘の音に導かれたからです。」

 その時、その場の全員が顔を上げた。


 カラン。




 音だけが木々の間を巡った。








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