とある生き物ノールの冒険(1)
ある日、ひとつの命が生まれました。
彼の名前は、そう、彼は男でも女でもありません。
でも、やっぱり名前がないと不便です。
ノールがいいでしょう。
彼はノールといいます。
ノールは、生まれたときからひとりぼっちでした。生まれたけど、お父さんもお母さんもいません。ある日、偶然に生まれ落ちた、新しい命なんです。
だから、仲間もいません。自分に似た生き物に会うこともできないのです。
ノールは、そのニョロニョロしたほそっこい身体をくねらせながら、山に登ったり、谷を滑ったりして毎日を過ごしていました。
「ヘビ」という動物に似てると、フクロウ爺から言われたことがありました。フクロウ爺は、ノールが生まれ落ちたときに、たまたま近くで寝ていた年寄りのフクロウで、眼も悪くなっていたので、エサのネズミと間違えたのです。
すぐにノールをネズミじゃないとわかったフクロウ爺ですが、こんどは「ヘビ」だと勘違いしたのです。そんなこともあって、ノールは、その「ヘビ」に無性に会いたくなって、山々をめぐりました。
ノールが「ヘビ」を探し初めて、何回も季節が変わった頃です。
南のほうのジメジメした森のなかで、ノールは初めて「ヘビ」に会いました。
「やあ、ボクはノールというんだよ。キミがヘビだね、どうかよろしく。」
ノールはにこやかに、(ノールなりに最大の好意をもって)挨拶しました。
「なんだ、不気味なヤツだな。ほそっこいくせに、ヘンテコな姿しやがって、キモチ悪いヤツだ。」
じつはノールの言葉は、まるで「ヘビ」には伝わっていないのです。ノールは、「ヘビ」語を知りません。しかも、自分の言葉さえ持っていないのです。
「しっ、しっ、あっち行け、ヘンテコなヤツめ。」
「ヘビ」は、臆病な生き物でもあります。初めて見たノールを警戒しています。
ノールは、最大限の好意をもって「ヘビ」に話しかけたつもりなので、「ヘビ」の様子が、どうも敵対的なことが不安でたまりません。
「まだまだ、親密さのアピールが足らないのかしら。」
ノールは、最高の笑顔を作って、さらに「ヘビ」に近付きました。
「やい、それ以上近付くな。それ以上近付くと、こうだぞ。」
「ヘビ」は、鎌首をもたげて、大きく口を開けて、長くて大きな毒牙を見せびらかして威嚇してきました。
「怒ってるのかなあ。」
ノールには、「ヘビ」を怒らせた覚えがありません。
「そうか、怒ってるわけじゃないんだ。あれが、ヘビの挨拶なのかもしれないじゃないか。」
ノールは、自分が納得できる結論を導き出しました。つまり、ノールとしては、「ヘビ」に自分の好意を示すため、「ヘビ」と同じようなことを試してみました。
ノールは、おもいっきり、そのニョロニョロな身体を伸ばして、膨らませて、口をできる限り大きく開いて「ヘビ」に迫りました。
突然のノールの変わりようにビックリしたのは、「ヘビ」のほうでした。「ヘビ」はパニックに陥って、逃げ出すつもりが、反対にノールに突進したのです。
今度はノールがビックリする番です。
ノールも逃げ出したかったわけですが、彼の場合、ビックリし過ぎて、そこから動けなくなってしまいました。「ヘビ」は、ノールの大きく開いた口の中に飛び込んでしまいました。
ノールは、さらにビックリしました。そして、わけがわからないまま、「ヘビ」を飲み込んでしまいました。
ノールは、これまで食事ということをしたことがなかったので、初めての経験です。
「どうしよう。ヘビを飲み込んでしまった。大丈夫なのかなあ。どうしたら、お腹の中から取り出せるのかしら。」
すると、どうでしょう。
徐々にノールの身体つきが変わってきました。痛みはありませんが、ノールは自分の身体が変化していくのを感じます。
「あれあれ、どういうことなんだ。身体の表面に硬い皮が浮いてきたよ。まるで、ヘビみたいじゃないか。」
なんと、ノールの身体は「ヘビ」に変わってしまったのです。
もちろん、ノールはノールなので、本当の「ヘビ」とは違います。いうなれば、ヘビ風ノールです。
こうしてノールは、硬いウロコにおおわれ、長い舌であたりをチョロチョロなめることができるようになりました。
ノールは、この新しい身体がとても気に入りました。とりわけ、長い舌をのばして、あたりをチョロチョロ舐めると、甘い辛い苦い、いろいろな味がすることが面白くてたまりません。
ノールは、山々をめぐり、そこらじゅうをなめ回しました。
「面白いなあ。ヘビは、こんなにたくさんの味に囲まれていたんだね。」
ノールは、手当たり次第にチョロチョロ舐め回しては、あれは甘いとか、これは苦いとか面白がっていました。
そんなある日、ノールは一匹のトカゲに出会いました。
「こんにちは。」
「やあ、キミはヘビみたいだけど、なんか、ちょっと違うね。」
「わかりますか。私はノールといいます。」
「ノール? うーん、聞いたことがない生き物だね。」
「あそこに見える、霧でおおわれた山脈の麓から来ました。」
「あの微かに見える山からですか。 それはそれは遠いところからきたものですね。」
実際、ノールはこの地にたどり着くまでに10年くらいかかっていました。
「長旅でしたね。でも、私たちのように足があれば、一年ほどの距離ですよ。」
「なんと。足とは、そんなに便利なものなんですね。」
ノールは、トカゲの足をじっくりと見直しました。ここへ来るまでの道中でも、確かに4本の足で駆け回るシカやイノシシに何度も追い越されました。ただ、ニョロニョロと蛇行していたので、横を駆け抜けたシカやイノシシの姿をふたたび見つけることができなかったのです。
「足があれば、走ることもできるし、いろんなものをつかんで、木を登ったり、垂直な崖を登ったりもできるのさ。」
「つかむ。つかむとは、なんですか。」
「こうして、葉っぱや虫なんかをつかむのさ。」
トカゲは、目の前にあった枯れ葉をつかんでみせました。そうして、葉っぱを裏返して見せます。なんと、そこには小さな虫が何匹もくっついているではありませんか。うねうねとした白い、何かの幼虫のようです。
トカゲは、チョロチョロと舌を伸ばして、白い虫たちをひとなめにしました。
「至福。まさに美味ですよ。」
「時々、葉っぱの上に見かける、あの小さな白いうねうねですね。なめるだけではなく、口の中に入れてしまうんですか。」
「え、あなたは食べないんですか。 それはたいへんもったいない。」
トカゲは、卵から孵って初めて、信じられないものを見ている気持ちです。
「あなたは、草食ですか。そんな風には見えませんね。」
「いえ、私は食事をしたことがないんですよ。」
「なんと。食べなくでも良いんですか。まるで草花のようなイキモノですね。」
「イキモノ。私はイキモノなんですか。」
「いえいえ、私もあなたも、この虫たちもイキモノですよ。草花さえも、水や日差しを食べているわけですから、一種のイキモノかもしれません。ところが、あなたは食べないという。食べないイキモノは見たことがありません。」
「そういえば、昔、一度だけ食べました。ヘビを飲み込んでしまったんです。」
その言葉を聞いたトカゲは、眼を見開いて喉を鳴らしました。それで思わず叫びました。
「なんてこと。」
そうして、走り去ってしまいました。
ひとり取り残されたノールは、何が起こったのかさっぱりわかりませんでした。トカゲが去った方角を放心して見るだけです。
「ああ、またひとりになってしまったよ。」
何日も、何ヵ月、何年もひとりで過ごしたことがあるノールにとっては、それほど困った状況でもありません。
「でも、お別れの挨拶できなかったなあ。」
ノールは、少し残念な気持ちがしました。しかし、ノールは知らなかったのです。じつは、ヘビとトカゲは親戚同士の間柄だったのです。
ノールにその気はなかったんですが、トカゲは食べられては敵わないと思い、逃げてしまったのです。
「トカゲさん、また会えるかなあ。 足のこと、もう少し聞きたかったんだけど。」
ノールの頭の片隅に、足という言葉が刻み込まれました。