ある戦士の死にまつわる不思議な話。
パーティの主力であり、歴戦の戦士として名声を得ていたKさんが、とある討伐クエスト中に死んでしまった時の話。
仲間の精霊術士Sさんが、すぐさま駆け寄り、蘇生呪文の詠唱を始めた。精霊呪文の蘇生は、詠唱にかなりの時間が掛かるが、今のこのタイミングでのKさんの戦線離脱は、最悪パーティの全滅さえあり得る緊急事態だった。
無防備になったSさんを狙って、不死狼の群れが、不吉な咆哮を木霊させながら飛びかかってくる。
「Sさん! 詠唱だけに集中するんだ。こいつらは、私たちでどうにかしてみる!」
他のメンバーが取り囲むようにして防御体制を敷く中で、できる限り急いで呪文の詠唱を済まそうと、Sさんは必死になっていた。
すると。
「イソゲ…!」
呪文詠唱は極度の集中力が必用なので、基本的にSさんは自らの聴覚を遮断しているのだが、それでも、その声は聞こえたという。
「イソゲ…!」
声のしたほうを見ると、Kさんが自分のほうを見て立っている。
えっ? と思い、見下ろすと、やはり、そこには横たわった瀕死のKさん。思わず詠唱を中断してしまったSさんに、隣で立っているKさんが「イソゲ!!」と、さらに強い口調で促す。
「イソゲというのは、何を?」
「イソゲ!」
「何を急げばいいんですか!」
「じ、じゅ、ジュモン!」
「呪文を急げですか? つまり、詠唱を速くしろと?」
「イソゲ! イソゲ! イソゲ!」
訳がわからないまま、Sさんはできる限りの速さで呪文の詠唱に集中した。ただでさえ複雑な呪文の高速詠唱なので、本当ならば、かなり意識を集中させなければならないのだが、詠唱中にも関わらず、イソゲというKさんの声も耳元から離れない。
「…間に合ったな。」
それまでの声色と違い、まさしく、いつもの、まるでキャンプでくつろいでいる時の、はにかみながら喋るKさんの声がはっきりと聞こえた。
突然、足下から轟音がした、次の瞬間、一気に盛り上がった地面の裂け目にKさんが引き込まれるように消えてしまった。そして、替わりに巨大な地面虫が大きな鋸顎を振り回しながら現れた。
仲間たちは、大混乱に陥った。
地面虫といえば、パーティ連合を組んで、最低でも25人くらいでようやく倒すことが可能な相手。しかも、通常は奥深い洞窟に潜んでいるので、滅多なことでは出会うこともない。つまり、十分に準備してから相対する怪物なのだ。
それが突然現れた。
鋼鉄のように鈍く光る巨大な顎三組が、嫌な音を立てながら開閉を繰り返し、その間から覗く黄みがかった牙は幾層にも連なる。体表の側面から伸びる無数の脚が、不揃いなのに整然と巨体を支え、しかも驚くほど素早く転進を繰り返す。
魔王さえ直視することがないという、おぞましい姿を至近にしたとき、どれほどの歴戦の勇者でさえ、脚がすくむという。
「みなさん、離れて!」
Sさんの声が響き渡った。
精霊呪文の詠唱を終えたSさんが、まさに効果を発動しようとしていたのだ。Sさんの放った"死の呪文"が地面虫を捉え、その巨体を黒い霧で包んだ。
地面虫の滅びを確認するや、Sさんは仲間たちを促し、不死狼の群れを殲滅した。
蘇生呪文と死の呪文は、精霊呪文において、最強の呪文とされるだけに、その詠唱に掛かる時間も長い。特に死の呪文は、最強でありながら、その詠唱時間の長さから、戦闘で使われることが皆無なのも確かだが。
「Sさん、助かったよ」
「私も死を覚悟していたんだ。」
「地面虫を一撃で倒せるとは、精霊術士の実力を初めて見た気分だ。」
「いえいえ、みなさん。いくら精霊術士でも、戦闘中に死の呪文を用意することは不可能なんです。まったくKさんのお蔭ですよ。」
「それはどういうことなんだい?」
「じつはですね。蘇生呪文と死の呪文は、ほとんど同じなんです。“最後の一文が違うだけ”なんです。そして、あの恐ろしい地面虫が現れたとき、私は蘇生呪文をほとんど詠唱し終わっていたのです。最後の一文を残して。」
「なんたる偶然というべきか、それとも幸運だろう!」
「いえ、偶然でも幸運でもないと思います。まったくKさんのお蔭なんです。私は彼を生き返らせることより、自分が助かることを選んでしまったのです。」
「まさしく! 彼を蘇生できなかったことは残念でならないことだ。しかし、全滅を免れたことも事実なんだよ。あなたが責めを負うべきではない。もしも、誰かがKさんの死に責任を負うならば、それは我々全員なのだから。」
「Sさんは、我々を生き延びさせてくれた功労者ですよ。」
仲間たちは、慚愧の表情を浮かべるSさんを口々に称えた。
こうして、Sさんのパーティは、単独で地面虫を倒したと評判になり、その立役者となったSさんは大きな名声を得た。
後になってSさんは述懐する。
「あの時、Kさんに急かされなかったら蘇生呪文は間に合っていたかもしれません。
結果としては、ちょうど地面虫が現れたタイミングで詠唱が終わり、死の呪文に切り替えることができた。Kさんを生き返らせることができなかったことは、私が一生背負っていくことになるでしょう。しかし、奈落に落ちていくKさんが、あの朗らかな笑みを浮かべているように見えたんです。
戦士のKさんが、精霊呪文のことを知っているはずもないのに、まったく不思議なことです。」