[1]
『夏の夜の夢、その顛末。』
その日はウンザリするくらいの熱帯夜だった。
加えて、また更にウンザリなことに、学生時代から住み続けている独り暮らしのアパートの部屋には、冷房機器といったら扇風機しか無い。
帰宅して扉を開けたと同時、むわっと籠もった熱気が俺を襲った。
「…うわ、相変わらずだな、この部屋」
すぐ背後から、眉を寄せたしかめっ面まで見えてきそうな声音でもって、そんな言葉が聞こえてくる。
声の主は、俺が連れてきた今夜の客――とはいっても、学生時代から何かにつけこの部屋に入り浸ってきた、勝手も知り尽くしている友人その一だ。
「そろそろエアコン買えよ」
俺の後に続き、もはや『お邪魔します』のヒトコトも無く上り込んだソイツ――ハルマは、まっしぐらに窓辺へと足を進める俺の背中へ、なおもそんな言葉を投げてくる。
からからとした音を立ててサッシを引き開けながら、「うるせー」と、もはやお約束のごとき返答を投げ返した。
「そんなもん買える余裕があるなら、まずこの部屋から引っ越すわ!」
開いた窓の外は無風の如く凪いでいて、室内に籠もった空気を入れ替えてくれるほどの効果は得られなさそうだった。それでも、外へと開けた視界のおかげで、少しばかりの解放感らしきものは感じられた気がして、我知らずほっと小さく吐息が洩れる。
全開にした窓の桟に腰かけ、改めて狭い部屋の中へと視線を向けると。
やはり勝手知ったる何とやらで、ハルマは断りも無く冷蔵庫を開けてビールの缶を二つ、取り出しているところだった。その手が扉を閉める前に、まさについでのように、ここに来る途中で買ってきた缶ビールを手際よく仕舞ってゆく。
それを見て俺も、思い出したように、酒と一緒に買ってきたツマミ類を入れたビニール袋を手元へと引き寄せた。
畳の上に広げた小さな卓袱台の上、袋の中身を広げたところで、目の前に冷えたビール缶が差し出される。
「あーもうホント暑すぎだろ、この部屋」
こちらの真正面に座ったと同時、すぐ傍らに引き寄せてきた扇風機のスイッチを入れる。当然のように首振り機能はオフのまま。――まあ、いつものことだから今さら何も言わんけどな。俺も俺で、家主の特権とばかりに窓辺を占領するワケだから、おあいこというものか。
「――しかし、面倒なことになったな……」
ぷしゅっとした音を立てて受け取ったビール缶を開けながら、フとそんな呟きが洩れる。
この暑さ以上にウンザリこのうえない出来事を思い出してしまった俺は、洩れそうになったタメ息を隠すかのように、慌てて喉へとビールを流し込んだ。
そう……ウンザリの原因は、今夜の飲みの席でのことなのだ。
『こんなことになったのは、おまえらの所為でもあるんだからな! 頼むから何とかしてくれよ!』
今夜わざわざ俺とハルマを呼び出し、そんな脅迫めいた頼みごとをしてきたのは、やはり学生時代からの友人であるショータ。
その頼みごとというのが、“ケンカ中のカノジョと仲直りする手助けをしろ”なんていう、内容だけ聞けば、くだらないことといったら極まりなく。
だが、それがもはや別れ話にまで発展しそうなほどに拗れてしまっている、ともなれば、『そんなもの自分で何とかしろ』と、ただ突き放してしまうのも友人としては気が引ける。
しかも、そこまで拗れた大ゲンカとなってしまった原因の一旦は、俺とハルマ、であることにも、違いは無く……、
発端は、ひと月ほど前に開催された、学生時代に親しく付き合っていたサークル仲間で集まった飲み会だった。
久々に顔を合わせた懐かしい顔ぶれに、皆が皆、ハメを外してしまっていたことは否めない。
大人数でわいわいと楽しんでいるうちに、酒を過ごし、時間を忘れ、気が付けば朝もとっくに過ぎ去っていた。
――それが、ショータにとっては仇となってしまったらしい。
後から聞いたことだが、その飲み会のあった日に、ショータはカノジョと会う約束をしていたのだそうなのだ。カノジョの方から『どうしても今日会いたい』『今日でなくちゃダメ』とせがまれて。
だがこの飲み会は、それよりも以前、大人数の都合を調整すべくかなり前々から予定を組んでおり、それこそショータだって万難を排し参加を決めていたものだ。いくらカノジョのためとはいえ、そのような会に、今さら自分だけ不参加を伝えるのも場に水を差すようで申し訳ない。ならば、飲み会を早めに切り上げてからカノジョに会いにいくことにすればいいだろう、と。
そういう心積もりでショータは、当のカノジョにも『あまり遅くならない時間に会いに行く』と告げておいた。
しかし、そんなこととはつゆ知らず。楽しい雰囲気に酒を過ごして悪ノリした俺とハルマが、時計ばかり見てそわそわし始めたショータの様子にいち早く気付いてしまい、『なーに一人で帰る気マンマンなんだよ!』『今夜は帰れると思うなよコノヤロー!』と、嫌がるショータにがんがん酒を飲ませた挙句、そのまま酔い潰してしまったのである。――という事実を、早々に記憶をなくした俺はコレッポッチも憶えちゃいないのだが、何だかんだと最後まで正気を保っていたハルマが『間違いない』と断言したのだから、おそらくその通りなのだろう。
で、その結果、ショータは朝まで爆睡、カノジョが『どうしても』とまで願っていた約束を、あろうことか一方的に反古することとなってしまった。
それでヘソを曲げに曲げまくってしまったカノジョが、ショータに三下り半を突き付けてきた挙句に連絡まで絶ってしまった、と……まあ、そういう顛末があったワケだ。