プロローグ
プロローグというよりは、この作品の世界観です。
さらっと、読み飛ばしていただいても構いません。
緑豊かで豊富な水や資源、広大な海もあり非常に美しい世界であるミズガンディア。
この世界は剣や魔法が蔓延り、人間は元よりエルフやドワーフなどを含む妖精族、獣人族、魚人族、天人族、はたまた魔族などの多種多様な人種が存在する。
ちなみに、人間とは人族という種族を指し、単に人と言うと種族関係なく人型である者全てに対して使われる。
この世界の種族間では、必ずしも仲が悪いというわけではないし、かといって特別仲が良いともいうわけでもない。
互いに共存の道を進んでいる者達もいれば、互いを受け入れる事は出来ずにいがみ合っている者達もいる。
理解できなくても知ろうとする事で仲良くなる事も出来るのだが、種族が違えば理解し合うのは難しいのもまた事実であり、そこで溝が深くなってしまえば種族間での戦争が起こってしまう事もある。
まあ、実際の所は種族という一言では一概に言えないという事。
そして万が一そこで争いが起きてしまえば、非戦闘員である一般の民にとっては自分達の生活や命を脅かす脅威となる。
確かに戦争となると脅威である事には違いはないのだが、彼らにはいつ起こるかわからない争いそれ以上に、日常生活で脅威を感じている身近な存在がある。
それは、魔物の存在。
魔物は意志を持たざる凶悪な生物。
殺戮・破壊本能を持ち、その本能に従って種族など関係無く人や生き物を襲う危険があるため、常に警戒せざるを得ないのだ。
魔物を生物と大きな括りで説明したのには訳がある。
魔物には動物型・虫型・植物型などが確認されており、あらゆる生物が魔物に成り得る可能性があるからだ。
成り得る可能性と言ったが、では魔物と他の生物の違いは何か。
魔物とは大気中に含まれる魔力、いわゆる魔素を取り込み凶暴化したもの。
では、魔素を取り込むと凶暴化するのかと言うとそうではない。
この世界に生きとし生けるものは全て、魔素を取り込み体内に魔力が流れる事で体を保護し生命維持を成している。
従って身体的ダメージに限らず、体内の魔力がなくなってしまう事も死の原因となる為、絶対に欠かすことの出来ないものである事も間違いはない。
だがその魔素を、何かしらの原因で生物が大量に取り込みすぎてしまい、突然変異してしまった生物の事を魔物と呼んでいる。
先程、意志を持たざると述べたが、それは許容量を超える魔素を取り込んでしまう事で、脳がそれに耐え切れなくなって理性が飛び凶暴化して人々に襲うために、そう認識されている。
実際は魔物すべてが意志・理性が無いというわけではないのだが・・・
どちらにしろ、通常の生物よりも身体能力に優れ、魔物によっては魔力を使う事が出来るので危険である事に変わりは無い。
そのために魔物は討伐すべき対象とされている。
しかし討伐対象とされるのは、魔物から襲ってきた場合や襲ってくる可能性が高い場合、もしくは危険度が高いとされる魔物の話であって、むやみやたらに討伐すればいいというものでは無い。
人々と出会えば襲ってくるかもしれないが、それ以外では逆に魔物の恩恵を受けている事もまた事実なのだから。
というのも魔物の素材は、普通の動物と比べて上質であり、衣類や生活道具(家具などを含む)、武具などにも大いに貢献している。
そして魔物は意志を持たないとされているが、人々には無条件で襲い掛かるにも関わらず、なぜか他の生物には捕食する以外に襲い掛かる事がめったにない。
さらには魔物同士でも互いに捕食しあう事があり、ある程度は一定の数が保たれている。
そのことにより、魔物の存在によって守られ育まれた自然の恵みがあり、人々も魔物を警戒しつつそれを糧にしている事も否めないのである。
ただ闇雲に一部の魔物もしくは魔物を全滅させてしまうという事は、生活水準の低下・生態系の変化に繋がり困るのは人々だという事。
従って、必要性のない討伐は禁止とまでは言わないが、暗黙の了解として自粛されている。
だからといって、魔物が人々の住む街に襲ってきてこないとも限らない。
そのために、都市では侵入防止として街の周りには高い塀が設置されており、さらには魔物の侵入防止の為の結界が張られている。
なので街の中にいれば魔物に襲われる心配は皆無である。
小さな町では結界までは張れないにしても、それなりには対策はとられている。
もちろん、街の外に出る時にも対策はとられている。
街の外にはきちんとした街道が整備されており、街道を馬車で走らせると荷台の車輪から魔物の嫌がる音が鳴るよう作られている為にあまり近寄ってくる事がない。
森などに動物や植物などの食料を採取する時には、魔物よけの鈴を必ず持ち歩き魔物を遠ざける事で遭遇する可能性を下げている。
しかし絶対に襲われないという保障もないので、街の外に行く場合は傭兵など腕の立つ人を雇う事が一般的である。
ただ、今述べた魔物の脅威と言うのは、人々の日常に密接した脅威であるという事。
人々は忘れている。
脅威は戦争や魔物の存在だけではないという事を・・・
実際にはもっと深刻な問題があり、この世界に生きる者が滅びる危険性さえ秘めていたりもする。
特に危険度が高いとされるのが、邪神、魔王、ドラゴンなどの存在・・・
その中で最も脅威であり、警戒すべきは邪神の存在である。
そう、この世界では常に邪神の脅威に晒されているという事。
邪神の存在から考えると、魔物などは大した脅威ではない。
邪神にとってあらゆる生物が駆逐の対象となり、この世界の生きとし生ける者が死滅する可能性がある。
それなのに、人々は邪神よりも身近な魔物に怯えているという事実。
なぜなのか・・・
それは邪神が現れる度、時を同じくして勇者もまた現れ、邪神を打ち倒しているからなのだ。
それでも、邪神を討伐するまでに被る被害は甚大である。
過去には世界の半分近くが犠牲になった事があるほどだ。
しかし現在は、邪神は以前に倒されてから未だ現れていない。
いくら絶滅の可能性を秘めた脅威であるとはいえ、年月が経つごとに危機感が薄れていくのは当然だろう。
そのため徐々に邪神の存在が人々から忘れていってしまったのだ。
現れるたびと表現したのは、そう・・・邪神は必ず復活する。
邪神は肉体が滅びても、邪神そのものが滅びる事は決して無い。
それこそが、邪神の一番警戒しなくてはならない事であり、忘れてはいけない事なのである。
邪神の復活には法則性がなく、数年で復活する時もあれば、百年以上復活しない事もあるのだ。
それがなぜなのかは誰にもわかっていない。
今わかる事は、前回邪神が倒されてから50年程経っているという事だけ。
そして邪神とは別に今から20年ほど前に、魔族・魔物達の王なる魔王の存在が初めて確認された。
しかし、その5年後には勇者と名乗る者に魔王は討伐されている。
そしてその討伐前後に、魔王に直接関係あるかは不明であるが一つの国が消滅した。
魔王が現れた事、勇者と名乗る者が現れて魔王を討伐した事、一国が消滅した事は公にされる事はなく、ごく一部の者にしか伝わってはいない。
なぜ公表されなかったのか・・・
それすらも闇に葬られてしまったため、誰も知る由もない。
それまで現れなかった魔王が、突然現れた理由も定かではない。
そして勇者と名乗り魔王を倒した人物は、今どこで何をしているのかを知っている人物はいない。
さらにはドラゴン。
ただドラゴンは人里離れた山奥にひっそりと住んでおり、基本的には人のいる場所に現れる事が無い。
空を飛ぶ場合も人のいない場所を飛んでいる。
一説にはドラゴンが人里に近づかないのではなく、昔の人々がドラゴンの旋回場所を把握した事で、誰も住まなくなったのではとも言われている。
しかし例外としておよそ百年に一度、子供を生む時期だけ人里に下りて来る。
これは子供の栄養源を確保する為ではないかと考えられている。
警戒していないのは邪神とは違い、その時期がおおよそでわかっているため、人々に被害が出る前に力のある者を集め討伐される事になる。
ただ、ドラゴンの子供は倒すような事はしない。
それはなぜかというと、ドラゴンの存在が魔物にとって脅威であり、その地域には魔物が存在しないのだ。
そのためドラゴンさえ刺激しなければ、豊富な資源が安全に確保出来るため、ドラゴンを全滅させるわけにもいかない。
そしてドラゴンが人里に下りてくる時期には、人々の不安を煽らないようにするために秘密裏で討伐が行われている。
その事が原因で人々にとってドラゴンとは、夢物語に近い存在なのである。
それらも、さらに人々から魔物以外の脅威を感じさせる事が無くなってしまっている要因の1つに他ならない。
人々にとって身近ではない脅威に関して、脅威であると感じる事の方が難しいだろう。
そして先程述べた勇者と言う存在。
邪神を倒せる力を持つ者は勇者と呼ばれるが、ドラゴンを倒せる力を持つ者は英雄と呼ばれる。
その理由として、邪神を倒せる者は例外なく聖光覇気を身に纏う。
むしろ、それが故に邪神を倒す事が出来る。
そしてその聖光覇気を持つ者は、身に纏う事で闇を裂き、発する事で相手を威圧・萎縮させる事も出来るが、発する事などしなくてもカリスマ性をもたらす性質を持つ。
さらにはパーティとして信頼関係を築き上げた者にも、聖光覇気の恩恵を授け邪神と対峙する事が出来るようになる。
しかし、ドラゴンの討伐には聖光覇気を持たなくても、単純にドラゴンを超える力さえあれば倒す事が出来る。
簡単にドラゴンを超えると言ったが、そんな力を持った者は中々いるものではないのだが。
そしてドラゴンを倒しても、ドラゴンという事は伏せられ強大な魔物から守ったとだけ伝えられる。
先に述べた理由により、一般的には聖光覇気を持つ者を勇者と呼び、ドラゴンを倒した者を英雄と呼ぶ。
まあ、身近な脅威から救われた人にとっては、倒してくれた相手を英雄と呼ぶ事はあるのだが。
ただ、その場合に関しても、勇者と呼ぶ事はまずありえない。
魔王を倒した者に関しても、魔王と言う前例が無い事であるが故に、全てが伏せられてしまい本当に勇者であったのかは定かでない。
これらの出来事は全て口頭伝承であり、手記として残されているものが殆ど無い。
しかも先に述べたように、事によっては一部の者しか知らされず口外されないため、大半の者が起こった事実を知らない。
そして、邪神のように広く知れわたっていたとしても、親から子、子から孫へと伝えていく途中で危機感が薄れ、後世に残さない者が多くなる。
従って、脅威が人々の記憶から忘れ去られても仕方の無い事なのである。
ただ、人々が邪神の存在を忘れても、邪神の脅威から守ろうとした動きの名残が今でも留めているものがある。
最後に邪神が現れた時、邪神の脅威を目の当たりにした当時のある国の王が、勇者と言う存在が邪神を倒し人々を平和に導いてくれた事に感銘を受けて、勇者たる人材を見つけ育成すべく国税を使い学校を設立させた。
それこそが勇者養成学園である。
出来た当初は、勇者を見出して脅威に立ち向かってもらおうと躍起になり、多くの強者を排出してきた。
魔王を倒し勇者と名乗った者も、その事実を知っている者の間では、実はこの学園で教育を受けた者ではないかといわれている。
その事によりさらに躍起になっていた。
しかしそれは過去の話。
実際、勇者になるには資質が必要であり、そんな者が早々現れるわけがない。
そんな現実に加え何事も無く年月が過ぎていく事で、段々と勇者の必要性がなくなり、探し出そうとする意識も希薄になった。
従って今では勇者養成学園とは名ばかりで、主に国の機関などに勤める者を排出する事に力を注いでいる。
騎士や宮廷魔術師、治療師などがその最たるものである。
国の治安維持などに心血を注いでいるとも言えるが、言い換えれば戦場で戦いぬける戦士を作り上げているともいえる。
先に述べた理由により、今では通っている生徒の多くは勇者になりたいと望んでなどいない。
勇者養成学園を卒業して、エリートコースを進みたいと考える者がほとんどだ。
というのも、現在の勇者養成学園を卒業できるのは、入学した生徒の1/4が残れば良い方だと言われている。
もちろんその年によって全く違うので、本当に少ない時は1/10位の時もある。
しかも他国からの入学生は、卒業と同時に自国に戻る者がほとんどな為、その国にとってはさらに少なくなるのだ
卒業するのは難関であるがその反面、卒業した者には必ず未来が約束されている。
約束された将来が目的でこの学園に入りながらも、そして多くの者が挫折していく。
それでも自分はその一部になるのだと、この学園への入学希望者は後を絶たない。
実際、いくら自分は卒業すんだと息巻いていても残れる可能性は低い。
さらには勇者としての資質を持つ者や勇者の需要性の低さ。
それを考える現状の中で、本気で勇者になりたいと考える者がいる方がおかしいのだ。
ちなみに勇者養成学園は世界各国にも設立されており、現在7校ほど点在している。
その内の一つである、ローエンデルバ共和国内にある学園都市セントヘプタグラム。
世界で最初に勇者養成学園が出来た都市であり、話の舞台となる都市である。
学園都市と呼ばれるだけあって、一般教養や鍛冶・錬金工学、建築設計など人々の暮らしに関わる学校もある。
どの学校も入れる年齢は15歳以上と決められているが、下限の制限は有れども上限による制限は特に設けていない。
というのも種族による制限も無く、長命種族も入学する事があるからだ。
地元の子供達が、この都市にある学校に入学したいと考えるのはもちろんの事、他の国の子供達であっても入学したいと考える者は後を絶たない。
なぜならば、他の国にも学校があるとはいえ、この都市にある学校が一番優秀であると言われているからだ。
特に勇者養成学園は毎年、都市対抗戦が行なわれるのだが、今までに優勝を逃した事が無く常に高い評価を受けている。
もちろん優勝すれば、それだけ各国や民間の様々な機関から注目を受け、スカウトされやすくなる。
そのため非常に倍率が高く非常に難関な為、入学出来るだけでも羨望の眼差しで見られるのだ。
しかしその反面、先程も述べた通り挫折する者も多いのもまた事実である。
そして季節は春。
各学校の入学を控えた新入生達がこの街に集まり、1年の中で特に賑わいを見せる時期を迎える。
次回から登場キャラが出てきます。
自分もそうですが、登場キャラが多いと忘れてしまうので、
必ず後書きにその話の登場人物を載せていこうと思います。