ACT1
似非宝石姫
「おい、起動しろ」
生まれてこのかたうん十年になるけれど、当たり前ながらそんな風に声を掛けられたのは初めてだった。昨日は外でお酒を飲んだ記憶もないし、私はいとしの我が家に独り暮らし中だ。目下彼氏募集中の私だが、さすがに人を機械扱いするような痛い彼氏はほしくない。
——ヤバい犯罪者だったりして……。
明らかに男性の声でそんな危ない発言をされて私の脳内は半分パニック状態である。おそるおそる目を開くと、こんな状況でなければ、ご褒美と叫びたくなるような彫りの深い美形と目が合った。キャラメルブラウンの髪にマンガやアニメでしかまずお目にかからないアッシュモーヴの瞳。彼の覗き込むような態勢に思わず仰け反ろうとして、違和感を覚えた。地べたに座り込むような姿勢をとっていた自分の服装が身に覚えのないものだったからだ。
ふわふわの三段フリルスカートのワンピースドレスに手の甲までを覆うお揃いのフリルレースの長手袋。ちらりと視線を向けた先の手の色も、まるで白人さんかと思うほど白くなっていて、寝てる間に着替えさせられたあげく、白粉でも塗りたくられていたとしたら、こいつはかなり危ないやつだと思う。そもそも、いくら東洋人が童顔だとはいえ、三十路まであと少しの女としては、ロリータ系は痛すぎることにまず気づいてほしかった。
「おい。認識しているのか?」
相変わらず、彼はまるで機械を調整するような声かけをする。しかし冷静になってくると、彼の機械に対するような態度は奇妙ではあるものの、彼には女を拐ったあげく着せ替え人形にするといった異常犯罪に走るような熱があるようには到底思えなかった。
ここはどこであるかとか、あんたは誰だとか、聞きたいことはたくさんあるが、まずは人として扱われていないような無礼な物言いに非難の声をあげようとした。しかし、いざ声をあげようとしてもなぜだか口すら開かない。暫し不本意ながら、彼と見つめ会う。
「……ちっ」
やがて彼は舌打ちすると、只でさえなきに等しい距離をさらに縮めてきた。
「まだ鍵があったのか?」
そういって彼の顔がどんどん近づいてくる。
目も瞑れぬまま見つめる彼の顔はやはりどこか無関心で、長い夢を見ているような心地も手伝って、私はどうにも危機感を抱けずにいた。
あ、キスされる……
彼の顔が傾き、長いキャラメル色の睫毛が彼の顔に影を落とす。
バチン!
不意に強い抵抗が生じ、身体が後ろに傾く。
ゆっくりと天井が視界に入り、反転してゆく世界のなか、私は唐突に一つの可能性に思い当たった。あ、もしかして私、この男の金持ちの親玉とかに誘拐されたのかも、と。
その証拠のように、脳裏には見たこともないほど豪奢な天井画がはっきりと焼き付いていた。