第0話 あたしはこれで、会社を辞めました
不定期連載になりますが、よろしくお願いします。
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神崎薫子 殿
懲戒辞令
今般、貴殿が就業規則第9条19項2号の規定に違反したと認め、論旨解雇に処すとともに、
願いにより、平成2x年7月15日付けをもって職を免する。
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送られてきた通知と同じ文面を、社内掲示板に貼られていた辞令で確認し、最早諦めの表情をしている彼女。
この物語のヒロイン神崎薫子22歳独身彼氏なし。
彼女は今年、地元の国立大学をそこそこの成績で卒業した。
近年稀にみる就職難で、なんとか入社できたのは、地元ではある意味有名な不動産会社、田野倉不動産有限会社。
毎日のように、テレビでスポットCMを流している企業でもある。
地方ではCMの流れる会社は一流企業扱いされるので、外面はとても評判がいい。
しかし不動産業の業界内では、あまり評判のよろしくない、親族経営のワンマン会社、新入社員の彼女には判る訳もない。
入社して3か月の研修期間が終わり、今の部署に配属されて半月ほど経った日だった。
薫子は、会社の機密情報を外部に漏らしたとして、話し合いの結果、自己都合退職することになった。
諭旨解雇とは、自己都合により退職しないと、懲戒免職になってしまうという、言わば社員を辞めさせるための辞令である。
その日、薫子は机にある自分の荷物の整理に来ていた。
朝礼の時間の前にお世話になった人達に挨拶するのも必要だった。
あらかた荷物を整理し、近くのコンビニで自分の部屋に宅急便で送り、戻ってきて部長始め皆に挨拶をしている。
事の発端は、研修期間が終了した打ち上げのあった夜、同期入社の子達と2次会へ流れた先の居酒屋で始まった愚痴大会。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「神崎さん、まったくあの、課長には困りましたよ…」
同期の女性の愚痴に合わせる薫子。
「あぁ、あの人ですか。
そうですよね、研修中、何かにつけて、やれ【挨拶の腰の角度が悪い】と言っては腰を叩いて、そのままお尻触ってくるし…」
「【君の希望する部署に配属させてあげるよ】とか言いながら、肩をベタベタ触ったかと思ったら【あ、手が滑った、済まないね】と言って胸揉んできたのよ!」
「あれがなければ背は高いし、国立大卒だし、社長の親族だから将来的には取締役だって言ってたし。
長髪でちょっと嫌味っぽいとこはあるけど、イケメンだし…
──だからって何やっても許されるわけじゃないのよ」
薫子は訝し気な表情で反論する。
「えっ、イケメン?誰が」
「だから田野倉課長でしょ」
薫子は口を手で押さえ、吹きださないように笑う。
「ぷぷぷぷ…」
「何かおかしいこと言ったかしら?」
「いや、あの落ち武者が、イケメンだなんて言うから…」
驚く同期の女性たち。
「落ち武者って、あの頭を剃っているワンレンみたいな髪…えぇええ!」
「あのさ、あたし偶然見ちゃったんですよ、夕方の喫煙室で。
田野倉課長がヅラ取って頭タオルで拭いてるのを…」
「それホントの話ですか?」
「ホントもホント、スマホで写真何枚か撮っちゃった、反射的に…ね」
薫子はそう言いながら、バッグからスマートフォンを取り出し、画面を操作してギャラリーを開けて、写真を2人に見せた。
そこに映った田野倉課長は、蒸れて汗をかいたのか、カツラを取って確かにタオルで頭を拭いていた。
「なにこれ、ホントなんだ、信じられない…」
「これがイケメンだったら、世のイケメン達は神様だよね」
「「「あははは…」」」
乾いた笑いの薫子たち。
「ははは…」
そのとき、同期の女性2人が急に壁の方へ向いて大人しくなった。
薫子は何が起こったのか解らず、辺りを見回す。
そこにいたのは…
茹で上がったタコのように顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいる、田野倉課長本人が。
薫子と目が合った。
その瞬間、薫子の正社員としての生命が終わりを告げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「(あたし、今日から無職なのね…)」
同期同僚、上司への挨拶も終わり会社を出てきた薫子。
初夏の暑い日差し、汗をハンカチで拭きながら、通勤に使っている自転車を停めている駐輪場へ向かう。
そして、自分の失敗を思い出し、今更ながら自己嫌悪に陥る。
「(あの瞬間だよね、あたしが諭旨解雇になったのって…)」
背負っているメッセンジャーバッグに結んでいたヘルメットのストラップを外し、ヘルメットを両手に持って、似た形のものを思い出す。
「(ヅラが会社の機密情報とか、おかしいでしょう)」
ヘルメットを被り、顎紐を絞め、サングラスをかける。
「(まぁ、こうなっちゃったのは、あたしのせいでもあるんだし、仕方ないかな…)」
今回の顛末を姉に報告していないことを思い出す。
薫子は、メッセンジャーバッグからスマホを出し、アドレス帳から一番上の名前をタップして通話開始ボタンを押した。
RURURURURU──
──ガチャ
「あ、お姉ちゃん、あたし」
『どうしたの薫子、こんなに早い時間に』
電話に出たのは、薫子より4歳年上の姉、紫子。
紫子は学生結婚していて、旦那さんが地元に戻るからとそのまま一緒についていった。
薫子には優しく、旦那さんには一途な紫子。
「うん、あのね」
『うん』
「あたし、会社クビになっちゃった…」
『えっ、もう一度言ってくれないかしら』
「だから、会社辞めさせられたのよ…」
『何があったのよ。
ちょっとあなた、薫子が会社クビになったって』
「お姉ちゃん、なんでお義兄さんに言うのよ…」
『だって、あの会社、うちの慶介さんもクビにしたんだもの』
「えっ」
薫子は義理の兄の過去を聞いて、自分と同じだと驚いた。
『それでこっち戻ってきて、実家の小さな不動産屋さんを継いだのよ。
そのまま私もついて来ちゃった、言わなかったっけ?
あ、きたきた、ちょと代わるわね』
(慶介兄さんと何を話せばいいっていうのよ)
『お、元気にしてたか、薫子ちゃん』
姉の紫子と電話を代わった義理の兄。
義兄の名前は与那覇慶介、紫子と同い年。
実は紫子と慶介も薫子と同じ大学出身だった。
「はい、慶介兄さんもお元気そうで」
『聞いたよ、あの会社クビになったんだって?』
「そうなんですよ…」
『まさか、落ち武者田野倉のボンボンが原因かい?』
ことの元凶になったと思われる男の名前を聞き、また驚く薫子。
「なんで、それを!」
『あははは、俺もあれが原因だったからさ。
薫子ちゃんがまだ大学入ったあたりだったかな』
「そうなんですか」
『そうそう、それであの落ち武者、俺が入社したときもあれが酷くてね』
その頃も落ち武者とあだ名のついていた課長だった男。
「あれって、まさか…」
『そうだよ、女性社員へのセクハラ。
社長の甥っ子らしいけど、それを理由にやりたい放題でね。
さすがに新入社員だったから、見ないふりしてたけど。
あいつ、終いにゃ紫子の尻まで触ったって聞いて』
「えっ、お姉ちゃんもあの会社だったの?」
『言わなかったっけ?
それでな、退社時間あとに、ちょっと呼び出して、殴ってやろうと思ってね。
髪の毛掴んだら、ほら、ヅラが取れちゃって。
携帯で写真撮って、またやったら写真ばらまくぞって言ってやったら』
「あはははは、やめて、お腹痛い…」
『それで部長に朝礼で辞令出されて、クビって言われて。
そのとき、ヤツがニヤニヤ笑ってたからヅラとって窓から投げてやったんだよ』
笑いすぎてごほごほと咳込む薫子。
「ちょ、勘弁、息が…」
『面白いだろう、っていうか、あんな会社辞めて正解だよ。
紫子に代わるな、元気出せよ』
(し、死ぬかと思った…)
『薫子、大丈夫?』
「ちょっと、まって。
ふぅ、落ち着いた、うん大丈夫」
『そう、あのね慶介さんが辞めた次の日ね、あいつが言い寄ってきたのよ。
【クビになったあんな男と別れて、僕にしなよ】って。
頭きたから、ヅラひっぺがして、私も窓から投げてやって…
あの広いおでこに辞表ペタンと貼り付けてやったわ。
汗でくっついて落ちなくて大声で笑っちゃったのよ』
「ぷっ、や、やめて、息が…」
『だからね、気にしちゃだめよ。
そうね、薫子』
「うん」
「あなたこっち来なさいよ」
紫子の一言に意表を突かれる薫子。
「え、あたしが沖縄に…?」
『いいわね、決めたわよ。
慶介さん、いいでしょ?』
受話器の遠くから聞こえる慶介の声。
『あぁ、構わないよ』
『じゃ、準備できたらチケット送るから電話ちょうだいね』
ガチャ、ツーッツーッツー…
「えぇえええええ!」
置かれた状況に対処しきれない薫子。
そんなとき、薫子の右肩あたりに、他人の目には判断できない程度の光が集まっていく。
キラキラとした、光の雪のような。
『(ただいま、薫子)』
大きさから言えば、コーギー犬くらいだろうか。
白い毛並みで目が赤いく、尻尾が二股に別れている狐の姿をしている。
彼女と言ってもいいのだろう、薫子の幼少の頃から一緒に育ち、遊び、時には喧嘩をして友情を育んだ妹のような存在。
元々は薫子の実家、神崎稲荷神社の現役の守り手であり、妖狐白夜の娘。
悪戯が大好きで、よく薫子を困らせることはあるが、基本的にはお姉さん代わりの薫子想い。
よっぽどのことが無い限り、薫子以外に見ることはできないだろう。
そして、普通にしゃべることはできるのだが、薫子が頭のおかしな娘と思われたくないのか、2人きりでない限り、念話での会話をすることにしている。
「(どこいってたのよ、小雪)」
『(あの落ち武者の髪、焼いてきちゃった)』
「えぇえええ!」
つい声を出してしまう薫子。
『(だって、薫子が皆に挨拶してるとき、ニヤニヤしてるから、見てて腹が立ったんだもん)』
そのとき、上の階の窓からだろうか、絶叫する声と共に、煙の燻った何かが落ちてくる。
「うわぁああああ!!」
ボスン…
「あ、カツラだ…焦げてる、ぷぷぷぷ…」
「(でもやりすぎよ、小雪。
…ありがとうね、少し気が紛れたわ)」
『(ふふーん、これくらい簡単なんだよー。
ちょっとだけライターの火を大きくしてカツラを焦がしただけだし)』
薫子は小雪に軽く触れ、撫でるように手を動かす。
「(いつも感謝してるわ、ありがとう小雪)」
それでも敵を討ってくれた小雪に感謝する、薫子であった。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
次話は沖縄への引っ越しあたりを書こうと思います。