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第二話 既視感


私はこの人生を知っています。

たぶん、そう、二度目なのだと思います。


夢には知った白鯨が出てきましたし、小さな天使が最後に死んでしまうことも知っています。

悲しくて目を覚ますと、先生が二時間後にコーヒーで床を汚すのも知っていました。

そのあとに私が掃除するのは、まあ、必然なんでしょうけど、それも知っていました。

それだけじゃありません。

きみが給湯室で火傷をすることも知っていました。

ごめんなさい、私がもっと早くに気が付いていれば……。


もう、うんざりなんです。

なぜ私は二度目の人生を追体験させられているのでしょうか。




---




俺がこの白い病棟に来てから3日が経った。

ここでの生活を覚えるため、最初に会ったあの子……マチちゃんにかなりお世話をしてもらったと思う。


他の子はまだ見ていない。

俺はリビングのようなところで食事を摂っているが、同席しているのは俺と先生、そしてマチちゃんだけだ。

マチちゃんが食事を持って三階に上がっているのを見ると、誰か他の子もいるのだろうなと思う。

俺はまだ、自分の部屋がある二階までしか上がったことがない。

生活に必要な道具は一階にあって今の所は不自由がないし、今の所はそれでいいと思っていた。


のだが、今日、先生から三階の廊下掃除を命じられた。

働かざるものは食うべからず。

その絶対不変の法則に従い、俺は未知のエリアへと向かい、ひとつの個室に掛かった名札を見つけた。


吉高神真知キタガミマチ


どうやらそれがあの完璧の名前らしい。


完璧完璧というが、もちろん、すべてが完璧ってわけじゃない。

あの子はよく手に持った花瓶を落としそうになるし、たまにボーっとしていて周りの声が聞こえないような反応をすることもある。

しかし、しかしだ。そもそもそんな行動は特別おかしいという程ではないし、普通の人間だってよくあることだろう。


では、彼女の何が完璧なのかというと、その仕草や身にまとう雰囲気だ。


これまで見てきた女性の中で、これほど「完成している」と思った女性はいない。

なにが他の女性と違うのか。

そこのところは正直、俺でもよくわからない。

ただ、そういった雰囲気だけで、何をしていても完璧に見えるのだ。


そんな完璧な真知ちゃんは半年前に先生が攫ってきたのだという。

攫ってきたってなんだ。

俺も似たようなものだが、もしかすると、この病棟にはそんな経緯でやってきた子しかいないのだろうか。


俺は、この病棟に来た日にこんな話を先生としていた。




---




「ここはね、まあ見ての通りなんだけど、訳アリの施設なんだよ。

ここで生活することになるのは主に外の病院じゃ手に負えない子どもばかりだ。

お金持ちや有名人の家の娘さんとかね。

表舞台に出してしまうと、余計な混乱を招きかねない。そういった子たちの隔離施設プールなんだ。

この施設はね、鬱蒼とした森の中にあってマスコミや保護者に見つからないようになっているんだ」

「あれ?マスコミはともかく、保護者にも見つかっちゃいけないんですか」

「もちろんだ。精神病というのは他人に理解されにくいやまいだ。気持ち悪がって、子どもを外に出さずに監禁してしまうことだってある。

その場合、僕は保護者から患者を守らなければならない」


そういうこともあるか。

実際、俺の母親もそうなのかもしれない。

母親が俺を監禁するより先に、先生に監禁されそうになっているが、それが狙いなのかもしれない。


「ん?いや、俺の母に俺が隔離病棟に入れられていると知られているんじゃ?そこからこの場所の存在を知られる可能性もあるんじゃないですか?」

「確かに貴女の息子を入院させると話したけど、どこに入院させているのかは話していないよ。僕はほとんどの場合、しがない町医者だからね」

「それでは親が面会を求めた場合はどうするのですか」

「そういう時は、君が狂犬病になっただとか言って追い返すよ。それでも納得されないなら、君の親も此処に入院させないといけなくなる」

「なんと過激な」

「君をここに連れてきたことは誰も知らないから、傍から見たら誘拐だよねぇ、ハハハ」


この先生、危険すぎないか。


なにかの精神病を患っているのではないか。


実際、傍から見れば、狂人なのだろう。だが、この人は傍にも誰にも見せずに趣味でこの病院を建てている。

確かに、誰にも知られていなければただの先生だ。


気に入った患者を誘拐して軟禁しなければ。


「他に何か質問は?」

「……では、なぜ俺を此処に入院させたのですか。俺は有名人じゃないし、親もただのキャリアウーマンだ。

それ以上でも以下でもない。俺の家系が世間から消えたところで、社会に影響を与えることはない筈です。

そんな、貴方にとって価値のない家族の長男をなぜ此処に?」

「男手が欲しかったんだ」

「はい?」

「見ての通り、今の病棟には男が一人もいない。僕がここを離れたら、力仕事もままならない。

今後、ここに男子の患者が来ることになったとして、疎外感は半端じゃない筈だよ。最悪、鬱でも発症しかねない。

女子にとっても、年の近い異性が居ると居ないとではだいぶ違うだろう?だから男のキミをスカウトした!いやー、ごめん!ハハハ!」


えーっと。

つまりその。


「雑用係、ってことですか」

「ぴんぽんぴんぽーん!正解!はい、というわけで二階の廊下を綺麗にしてきてね」


タオルとバケツを渡された。


俺はじとーっと先生を睨む。先生は鼻唄を刻んでいる。


「わかりました、行ってきます」


只の雑用係か。

やっぱり、俺は精神病じゃなかったんだ。

そうと決まれば早くこの施設からオサラバしたい所だが、逃げたところできっと脱出はできない。

話から察するに、誰にも見つからない場所に建てたそうだし、数分歩けば道路に出る、なんてことは無いだろう。


今のところ、機会を待つしかない。

まるでアルカトラズだ。


まずは手始めに、このバケツの破片で針金でも作るか。


「あ、雅人君、最後に一ついいかい?」

「なんです?俺、脱出の用意しなきゃいけないんですけれど」

「君の思春期メソッド・反抗期編は一足飛んで続いているよ」

「え?」


なに?

思春期メソッドが続いているだって?


「反抗期編の難関だよ。親と仲違いをして、最終的に行きつく行為といえば――『家出』さ」

「家出?」

「そう。君は今、家出をしているんだ」

「……あ」


確かに。


俺はいま、家出をしている。


忘れていた。反抗期といえば、家出じゃないか。


戸籍にも載っている自分の住む家を、なぜか手放してしまう行為。メリットが感じられない。

家出の無い反抗期なんて、反抗期じゃない。


「先生、そういうことだったのですね」


先生はニコッと笑う。


「そういうことさ。さあ、はやく掃除しておいで」

「はい!先生!」


少々、先生への評価が下がっていたかもしれない。

この人は俺をまともな人間にしてくれる、協力者だ。

施設を脱出するのはやめにして、もう少し滞在することにしよう。




---




と、まぁそんな話をしていた。

だからきっと真知ちゃんも誘拐されてきたのだろう。


なんて思っていると、個室のドアが開いた。

俺の真知ちゃんを想う気持ちが届いた……というわけではないらしい。


「あ、雅人くん!おはよう!」

「おおおおはよう、きょうもいい天気だね」

「? ちょっと曇ってる気もするけど……。でもまあ、読書するにはいい日かもね!」


バッドコミュニケーション。

選択肢を間違えたか。


うん、真知ちゃんが読書家でよかった。

真知ちゃんの後ろにチラッと見える部屋には、本棚があって本がびっしり埋まっていた。

買い出しの時、先生に買ってきてもらうらしい。俺も暇だし、何かおすすめの本を教えてもらおうかな。


うーん、それにしても真知ちゃん、すごくかわいい。

というか、天気が悪くてもかわいいってすごくないか。

宇宙は彼女を中心に回っている気がする。きっとそうだ。

彼女が「逆回転!」と叫べば地球の自転は左向きになるだろう。

そして起こる天変地異。天候がハチャメチャになり嵐が吹き荒んでも、彼女は相も変わらずかわいいのだ。


「あれ?雅人くん、なんか先生の慌ててる声してない?」

「あれ?……してたかな」


ごめん。ちょっと聞いてなかった。


「してたよ、ぜったい!多分、またコーヒーこぼしちゃったんだ。

染み抜きしなきゃね。私、タオル持ってくるから雅人くんはお湯を沸かしておいて!」

「お、おおおう任せてくれ」


そう言って真知ちゃんは一階に消えていった。

元気だなあ。かわいいなあ。


さて、俺も与えられた任務を達成しないとだ。


ちょうど、三階の給湯室が近くにある。

行ってみると、電気ケトルがあった。これに水をいれて沸かしておこう。


お湯が沸くのをしばらく待っていると、廊下を走る音が聞こえた。


「雅人くん!そのケトル、使っちゃダメ!」

「え?なんで――」


そう口から疑問が出るか出ないかの瞬間、電気ケトルの蓋が勢いよく開き、俺の腕に熱湯がふりそそいだ。


「あッぢぃ!」


床を転げまわる俺。


そんな視界の端で、真知ちゃんは何もせず、ボーっとしていた。


あれ?




---




「無事でよかったよ、もう」


俺は真知ちゃんに介抱してもらっていた。

幸い軽度の火傷で済んで、数日で治るらしい。


どちらかというと役得だ。

包帯も巻いてもらって、幸せな気分だ。


しかし、そんな俺とは対称に、真知ちゃんの表情は優れない。

暗く、沈んでいる。


「俺は無事だし、そんなに気にしなくても……」

「……私、知ってたの。それでも私、ドジでこういう事故が起きちゃったから……すごく、申し訳ないの」

「気にしてないって。あの電気ケトルのストッパーがぶっ壊れてたのは真知ちゃんのせいじゃないんだし」

「んーん。そうじゃないの。電気ケトルじゃなくて、雅人君が火傷しちゃうってことを知ってたの」


なんのことだろう。

いまいち要領を得ない。


「ねぇ。私、雅人くんになら、話せるかもしれない。……話しても、いい?」


真知ちゃんは俺の顔を伺っている。

なんだかよくわからないが……。


「もちろん」


断ったら天変地異が起きて人類は滅ぶ。

そんな覚悟で俺は答えた。




---




真知ちゃんの話は、一言でいうと荒唐無稽だった。

相手が真知ちゃんでなければ、話を聞いていなかったかもしれない。


真知ちゃんはこの人生で毎日、『既視感デジャヴ』を感じているそうだ。

朝起きて、何をしても既視感を感じる。

新しい服を着ても、新しいメニューのご飯を作ってみても、既に経験していることのように思えるのだ。


これを真知ちゃんは「二度目の人生を追体験している」と半ば確信めいた顔で呟いた。


何をしようにも、気力もわかない。

そりゃそうだろう。

先の展開がわかっているのなら、なんのワクワクもない。


俺に見せている笑顔も、空元気だったってわけだ。

それはちょっと悲しい。


とはいえ、納得がいった。

こんなに完璧でかわいい子が、なぜこの精神病棟にいるのか。


たしかに精神病と疑われてもおかしくない内容だったし、しょうがないとは思う。


でも、実際に辛くて、真知ちゃんは助けを求めている。

真知ちゃんはあまりこの事を話したことがないのだろう。信じられないと切り捨てられる危険もあったわけだから。


なら、俺は答えるべきだ。

真知ちゃんの勇気に、答えるべきだ。


とはいえ。

この病棟で俺が出来る事といえば、あまりない。


普通の身体の病気であれば、何らかの形で支えてあげられることもあるのだろうが、心の気持ちはどうにもならない。

俺は精神病棟に滞在していてなお、3日目にして、そんな当たり前の現実を思い知った。


であれば、専門家に相談するしかない。

先生に真知ちゃんの現状を伝えて、解決策を提示してもらうしかない。

本当は俺一人で解決したかったが、そんなプライドは捨ててしまおう。


思い立ったが吉日。

早速俺は先生の元に向かった。


「先生」

「どうしたの?」

「実は――」




---




「アッハハハ、そんなわけないじゃん」


真知ちゃんの現状を伝えた後の、先生の第一声はそれだった。


ズコー!と転びそうになったが、俺はお笑い芸人ではないので我慢する。

それよりも、先生の当たり前だろというような嘲笑が癪にさわる。


もしかして先生は真知ちゃんの苦悩を知らないのではないだろうか。

この病棟に連れてきたというのだから、少なくとも先生は一度くらい真知ちゃんの診察をしているはずだ。

でも、真知ちゃんの『既視感デジャヴ』をただの精神障害として扱って、ここに連れてきたのかもしれない。


そうだ。きっとそうだ。

先生は、真知ちゃんのことを深く知らないのだ。


それなのに先生は俺の真剣な話を笑ってすまそうとしている。

なんだか腹が立ってきた。


「なんでそう断言できるんです?先生は真知ちゃんの悩みを知っててそんなことを?」


俺の少し苛立った声に、

すると先生は「うん、そうだね……」と前置きをして、真面目な顔で答えた。


「だって未来が分かっているのなら、小説なんて読めないでしょ」


あ。


あれぇ?


そうだ。

たしかに。


真知ちゃんは読書が趣味だ。

部屋に本棚が置いてあるぐらいの読書家だ。

読書に没頭している姿もよく見かける。

少なくとも、小説の展開を楽しんでいるようには見える。


「思い出してみなさい。あの子の話すことは全て過去形だ。

"何々が起きたことを知っています"みたいなね。

"何々が起きます"とはぜったいに言わないんだよ。あの子は実際に起きた事しか知らない。未来の事なんて、何も知らないんだ。

昨夜、彼女はハーマン・メルヴィルの「白鯨」を読み終わり、本岡類の「夏の魔法」を読んだのだろう。

彼女の部屋の机に置いてあったからね。

ええと、たしかこの小説には〈エンジェル〉と名付けられた子牛が事故で死んでしまう場面がある。小説にあった出来事を夢に登場させているんだろうな。

目が覚めた後、僕がコーヒーを床にこぼしてしまって彼女に掃除させているのは、毎朝のことだ。申し訳ないね、ハハハ。

みんな、ある程度は予測できることだよ」


そういう……ことか。

でも納得できないことが一つある。


「俺が給湯室で火傷をすることも知っていたらしいですけど、それは予測できないでしょう?」

「うーん、そうだね、その通り。

もちろんあの子にも予測できないことだって起こるさ。それでもあの子は辻褄を合わせてくる」

「辻褄を合わせてくる?」

「ボーっとしている時があるだろう。あの時、吉高神真知は頭の中で高度な『短期記憶のリハーサル』を行っている」

「『短期記憶のリハーサル』?」


「そうだ。『短期記憶』とは、眼や耳から入る膨大な情報の中で、脳が必要のある物と判断したときに一時的記憶領域に分けられた記憶のことを指す。

この記憶は通常、数秒から数分で忘却してしまうんだが、同じことを見たり聞いたり、考えたりすると記憶の『リハーサル』が起こる。

『リハーサル』が起きることで『短期記憶』は『長期記憶』となり、恒久的な記憶の保持が可能になる。

我々が数年前の出来事を覚えていられるのは、この『短期記憶のリハーサル』を行っているからだな、うん」


「それが……あのボーっとしている時に真知ちゃんがしていることですか?」

「うむ。あの子は目の前で強い印象が残るようなイベントが起こってから、そのイベントを頭の中で反芻しているんだ。多分、何度も、何度もね。

ボーっとしているのはその間、余計な情報を見ないように、聞かないように外界から感覚をシャットアウトしているから。

目が覚めて現実に戻ったとき、なんとその『短期記憶のリハーサル』をした行為は全て忘れてしまっている。一種の夢のようなものだ。

そうしてそのイベントは吉高神真知にとって、あたかも一度体験していたような事象に思えてしまう。

これが吉高神真知の『既視感デジャヴ』の正体だ。」


なんとなくだが、理屈はわかった気がする。

夢の中で追体験させて、夢から醒めると追体験した感覚だけが残る……って感じだろうか。


「理屈はわかりました。でもなぜそんなことをする必要性があるんです。真知ちゃんはそういう病気なんですか?」


先生はここからが本番だ、と姿勢を正した。

膝の上で指を組んで、俺に言い聞かせるように話を続ける。


「そうだね。なぜ、そんな意味の無い行為をしているのか。

……それは病的な強迫観念だ」



「吉高神真知は、"二度目の人生を送っていなければならない"という強迫観念に駆られている」




---




「……雅人くん。きみは『セルフ・ハンディキャッピング』という言葉を知っているかい?

自己防衛の手段のひとつなんだが、例えば学校のテストで高い点数が取れないかもと不安になったとき、

友達に「テスト勉強してないんだよなー」とか言ったりすることないかな? あ、ない?そう……。

とにかく、そう言って自分に逃げ道を用意すると、テストが酷い点数で返ってきてもある程度は自尊心を保つことが出来る。

なんてったって自分はテスト勉強をしていないのだからしょうがない。ってな感じでさ。

もしテストの点数が良くっても、勉強をしていないのにいい点数が取れるなんて自分はなんて素晴らしいんだ!となり、どちらにしても自尊心が保てる。

これが『セルフ・ハンディキャッピング』。ハンディキャップ《重り》を自分に設定することで安心を得るんだ。

これまさに完璧な自己防衛!芸術性すら感じるよね」


「――で、これが吉高神真知にとっても当てはまる。あの子は少し……ドジだろう?」


ああ。少しな。

でも、言うほどドジってわけでもない。

別に毎日花瓶を割っていたり、転んだりしているわけじゃない。

注意欠陥の病気だとか、そういうふうには見えない。


「そうだ。そんなにドジってわけじゃない。

でも、あの子にとってはそれが強いコンプレックスだったんだ。

あの子になにがあったのかはまだ分からない。

酷いトラウマになる程、"強い印象が残るようなイベント"があったんだろうね。

……あの子は残念ながら、それを乗り越えられなかった。

悲しい、とても悲しいことだ。

人の脳は要らないことまで無限のように思考できるのに、心はそれらを全て受け入れられるほど広くはない……」


先生は悲痛な表情でうなだれた。いつも笑っている先生の、初めての表情だ。

くそ。真知ちゃんのことを深く知らないだなんて、俺は先生によく言えたものだ。

ちゃんと考えてくれているじゃないか。まったく、俺が恥ずかしい。


「そして、あの子は自分がドジであることを正当化し始めたんだ。それも最悪な方法でね」


まさか。


「『セルフ・ハンディキャッピング』……?」


先生は頷いた。

そんな、いや、まさか。



「「自分は二度目の全く同じ人生を送っているから、ドジをしてもしょうがない」」



背筋に悪寒が走った。

いくらなんでもそれは。


「いやいやいやいや、発想が飛躍しすぎている! なんでそんな考えになるんだ!?」

「あり得るんだ、あり得るんだよ雅人くん。人の思考は本当に未知だが、その結論に達するのは容易いんだ」


容易いって、そんなわけ……。


「自己防衛としての『セルフ・ハンディキャッピング』の理論と実行のしやすさは他の追随を許さない。

それに気が付いてしまえば、小学生でも日常で使える。そうだろう?」


いや、でも、だって。


「それは!さっき言っていたような学校のテストの時間なんかで使うような理論であって、自分の人生全部に使うようなモノじゃないでしょう!!!!」


思わず叫んでしまい、息が荒くなる。

そんな馬鹿なことがあってたまるか。

メリットが感じられないどころか、むしろデメリットのほうが多く感じられる。

その結論を実行するには、何をすればいいのか。

そこまで殆ど無意識に考えて、気付く。


「これが二度目の人生だとスムーズに思い込む為に、『既視感デジャヴ』の妄想を作り出した……」

「その通りだ。雅人くん。それが正解だ」


絶句。


つまり、妄想を妄想で蓋をしたようなもの。

信じられない。

人間は、そんなことが果たして可能なのか?


「できてしまうんだよ。そして、これこそが自己防衛の極北だ。

自分で設定した『セルフ・ハンディキャッピング』のことすら、あの子は忘れている。

その上で『既視感デジャヴ』を作りだしたことすら理解していない。

今の彼女は純粋に、起きた物事すべてに既視感を覚えてしまう、ただの哀れな少女に過ぎない。

……僕がもし、彼女をまともな状態に戻そうとしたとき、何が起こるか分からない。

とても大きい範囲での記憶の破損や損失が起きるかもしれない。

なんでもかんでも忘れてしまって、植物状態になることだってありえる。

だから今の所、僕には彼女にしてあげられることはない」


そんな……。


逃げて逃げて、どん詰まり。

後退もできず、前にも進めない。

それが、今の吉高神真知だっていうのか。

俺が感じた完璧な雰囲気は、ある意味で自己が完成していたからだった。


「先生」

「なんだい?」

「治療法はないんですか」

「ないね。あるとすれば、彼女が自分自身でこの身に起きている妄想の構造に気付いて、納得してもらうしかない」


知っている。

駄目で元々、聞いてみただけだ。


「でも、それに繋がる道ならあるかもしれない」


……!

いま、なんと言った?


「君だ。東九寺雅人くん」

「俺?」

「そうだ。同年代の男女と過ごしていれば、友情や愛情も生まれ、自分の内面と向き合うことも多くなっていくだろう」


んん?


「待ってください。どういうことです? 俺が真知ちゃんにカウンセリングするってことですか?」


ハハハ、と先生は笑う。

先程とは打って変わって、いつもの調子だ。


「いや、カウンセリングなんてしなくてもいい。君はただ、彼女のそばに居てやってくれればいい。

君がいるだけで、彼女は自分を見つめる機会が増えるからね。

前にも言ったが、年の近い異性が居ると居ないとではだいぶ違うんだ」


なんだそれは?

どういう意味なんだ。

俺が居るだけで彼女の何が変わるんだ。

同年代の男女がいることのメリット……。


あ、そうか。


「身だしなみに気を遣って、鏡を見る機会が増えるってことかな?」


先生の眉が下がったように見えた。


「こりゃだめかもわからんねぇ……」




---




あれから俺は、何をしたというわけでもなく、普通の日常を続けていた。


真知ちゃんも、何かをしてもらおうとして暴露したわけでもないらしい。

それはそれで悲しいことであるが、出会ってたった3日の男に期待もしていないだろう。


ただ、先生の言う通り、できるだけ真知ちゃんのそばに居るようにした。

もちろん、不自然に思われない範囲でだが……。


真知ちゃんは真知ちゃんで不思議がっているようだが、俺との距離が近くなったと喜んでいると先生に聞いた。

俺は、あまりどもらずに挨拶できるようになった、というくらいの進展だ。

まあ、そんな感じでいいだろう。


「雅人くん、見て見て!庭に綺麗なお花が咲いてる!」

「ん、そうだな。 花瓶に飾るか?」

「えーっと、そうだね……。うん、やっぱりいいや。 あの場所に咲いてるのがあの子にとって幸せな気がするの」

「そうか。 なら、見守ってあげような」


「うん!」


真知ちゃんの一度の人生だ。

近いうちになにか、真知ちゃんの既視感も追い付かないような、一生に一度のサプライズが起こせればいいなと思う。

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