五十話 終わり・始まり
『先日逮捕された櫻坂エレクトロニックの櫻坂竣夜元社長は、脅迫の事実は認めたものの未だにその主旨については沈黙を守ったままです』
俺はデスクに肘を付きネクタイの結び目を緩める。なんだか最近ネクタイを緩めてばかりいるような気がする。
ただ理由はわかっている。それだけネクタイが息苦しいのだろう。
『櫻坂社長は、現在わかっているだけでも7社の社長に対し、弱みを握り脅迫した疑いが掛けられています。営利目的との声もありますが、櫻坂の名は地に落ちたも同然です』
ニュースでは、淡々とした表情で原稿が読み上げられている。灯真は呆けたような目でその画面を見つめ、ふと横に目を流す。
「穂澄くん?」
いつからいたのだろうか。最近元気がなかった穂澄であるが、今日は顔に影が差し込み、一層暗い印象を受ける。
それにしても、気付かなかったとは失態である。灯真は前かがみにだらしなくなっていた姿勢を直し、気付かないぐらい。少しだけ、唇を噛み締める。
注意力が散漫になっていた事は望ましくない。
だから、竣夜を警察に取られてしまった。
「灯真さん。竣夜様が捕まったそうですね」
「ええ、脅迫とは。虫も殺せないような人のはずですが、人は変わるものなのですね」
一瞬。
伏目がちだった穂澄の目線が上がり、目が合う。その目は静かに燃えているようであった。
――どうやら、散漫にもほどがあるようですね。
静かにそう思うと、穂澄の口が少しだけ開いた。
「辞められた社長の方々は、取引相手でしょう? "大丈夫"なんですか」
まあ、そう思うだろう。社長が変われば方針も変わる。それが優秀な企業であれば尚更だ。
「大丈夫です。社長が変わったとしても、私は専務にもその会社の理事にもつながりがありますから、取引は撤回される事はありません。妹さんのお金はしっかりと差し上げますよ」
「――っ」
「失礼します」
穂澄が何か言おうとしたが、ノックとほぼ同時に入ってきた和服の女性によって阻まれる。
「何ですか?」
「はい、灯真様に来客が……」
「? 予定はありませんが……」
スケジュールは全て頭に入っているが、一応スケジュール帳を取り出して確認する。
確かに予定はない。
と、何故か女性がバツの悪そうな顔をする。
「何ですか?」
それを汲み取って話しかけるが、女性はまだ何か言いづらそうにしていた。
「あの……『早くしないと縛って引きずる』……と言えば誰かわかると」
「…………」
思わず穂澄と目を合わせてしまう。まさか自分たちから足を運んでくるとは思わなかった。スケジュール帳を片付けて椅子から立ち上がる。
「……わかりました。さて、穂澄くんもいきましょうか? 多分会いたがっていますよ?」
自分でも顔がにやけているのがわかって、少し気持ち悪かった。
ズズズーと私は不味そうにお茶を啜っている。態々遠出をして来たと思えばこの部屋に通され、お茶を出され、早20分。一向に目的の相手は現れる気配はない。
「栞。音をたてないの」
「……蕎麦を食べる時は啜るのがマナー」
「それはお茶ですよ」
二人して私を責める。
おもしろくない。何事もうまくいかず、穂澄も竣夜兄様いなくなってしまった。私の思うとおりにならない。
「……おもしろくないおもしろくない」
「何ブツブツ言ってるの? そろそろ灯真さんが来るんだからしっかりしてよ」
そう。私は穂澄を取り戻しに来たんだ。
つまらなくなったのは、穂澄がいなくなってからだ。執事のくせに私の生活に入り込んで……帰ったら全裸で縛って鞭打ちだ。水穂にも手伝わせる。
私が、そんな事を考えて水穂をチラッと見ると、その視線に気付いたのか。水穂か顔をこっちに向けて、不思議そうな顔をする。
「お茶のおかわりですか?」
「……違う」
今の話し方穂澄に似てるし……水穂まで穂澄に侵食されたか。
そんな事を考えていると、外の廊下を歩いてくる音が聞こえて、私はお茶を置く。
「失礼します」
「……失礼します」
入ってきたのは、灯真と――
「穂澄さん!」
尊は、思わず声を上げて立ち上がりそうになるが、私が服の裾を握った事に気付くと、渋々座りなおした。
穂澄は穂澄で、尊がそんな反応をするものだから、猫騙しを喰らったような素っ頓狂な顔をしている。あらかた、罵倒されると思っていたんだろう。まあ、帰ったら罵倒だけじゃないけど。
「お久しぶりです。元気でしたか?」
灯真は、私たちの正面に座り、何食わぬ顔で笑いかける。その笑顔がいつも通りで、本当に何事も無かったように変わってなかったのが、ムカつく。
「……穂澄を取り返しにきた。返せ」
「直球ですね。ですが、穂澄くんは櫻坂には帰りたくないようですが? ねぇ」
先ほどとは違う意味ありげな笑みを浮かべ、視線を隣に座っている穂澄に向ける。
「……穂澄」
「穂澄さん帰りましょう。お金なら何とかします」
「……っ。い、いえ、私は――」
『自分で考えて動きなさい。たまには、自己中心的に動いて、そして、決めなさい』
「――っ」
穂澄は何処か辛そうな顔をする。何かを思い出しているのだろうか。ただ、私にはそれを知る術はない。
「――私は櫻坂に帰る気はありません」
「穂澄さん……」
今にも泣きそうな尊。水穂も少し厳しい顔をしている。
……おもしろくない。
「……穂澄。帰るよ」
「い、いえ、だから私は――」
「――黙れ」
「えっ?」
おもしろくない。気分が悪くなってくる。
「帰るの。穂澄の意思は関係ない。私が、つまんないから穂澄を家に連れて帰る」
私は立ち上がり、穂澄の手を掴む。
「っ? 穂澄。手が……」
穂澄の手首を握って初めてわかった。
穂澄の手首は明らかに痩せ細っていた。前から掴んでいたからわかる事なのだが、2まわりほど細くなっているのがわかる。
もう一ヶ月近く会っていないが、それにしてもこれは異常だった。
「お嬢様……」
私が強く握って顔を顰めた事で、穂澄は私が、気付いた事がわかったのだろう。眉を歪め、バツの悪そうな。それでいて私を気遣うような目で見てくる。
「そんな目で……私を見るなっ」
パァンッと良い音が鳴ったと思ったら、無意識の内に穂澄を叩いていた事がわかった。
それでも、穂澄の顔は変わらない。どこか寂しそうな、そんな顔。
「お嬢様。すみません、私は期待に答えられる事は出来ません。私は最後まで、お嬢様達の執事でいたい。お金の為にお嬢様達と一緒にいたら、竣夜様にも顔向けが出来ません……」
「そんなの勝手な考えだよっ! ……それに、借金はどうするの? 穂澄は私たちに借金が――」
「それは、私が竣夜に小切手で既に渡しておきました」
とって付けた様な言葉に、今まで黙っていた灯真が口を開く。
「っ! じゃあ……じゃあ、学院は? 折角頑張ってたのに、私たちに付き合って、その後も寝ないで勉強してたの知ってるんだよ!?」
「学院には、既に私の席はありません。それに、真希菜の事もありますし、学院を卒業しても高卒のままでは就職は難しいでしょうし、大学まではとても無理です」
「席ぐらいだったら、私が何とかする! 尊だって水穂だって何でもする!」
「……栞」
尊は私になにか言おうとしたが、手を引っ込めて黙ってしまう。
ただ、いつもは気にならないが、追い詰められている今になってはその仕草は私の精神を逆なでした。
「何で尊は黙ってるの?」
「えっ?」
急に顔を上げて、私の方を見る。
その目……嫌いだ。
「穂澄が取られちゃうんだよ? 私に言った事は嘘だったの? 穂澄は渡さないって! 嘘だったの!?」
私は尊に近寄り、無理矢理立たせる。
「お嬢様落ち着いてっ」
水穂が止めに入るが、私はその静止を振り払い、右手を振り上げた。
「おじょうさ――っ」
「っ! 穂澄くん!?」
灯真の驚いた顔に、私は振り上げた手を止め、後ろを向く。
「ほ、穂澄さん!」
私が振り向くより先に動いたのは、尊だった。私は目の前で何が起きているのか、わからなかった。
何で?
何で、穂澄が倒れてるの……?
私は、駆け寄る事も出来ずにその場に座り込んだ。
頭が痛い。と言うか体の節々が痛い。疲労が溜まっていたのだろうか、それとも、ただ単に躓いてこけただけなのだろうか?
『ちょっと、聞いてるの?』
あれっ? 姉さん? 何で此処にいるの? って言うか此処、何処?
『目を瞑って意識が落ちてるなら夢の中だろうね』
何でいるの? えっ? 死んだの姉さん?
いよいよ訳がわからなくなってきた。
『私言ったよね。今の穂澄嫌いだって』
……っ。そんな事言ったて、簡単に決断を変えられるわけないじゃん……
『……穂澄変わったよね?』
えっ?
『昔は鼻水垂らして、おねえちゃんおねえちゃんって、着いて来たのに……』
何か、遠い目をして、こっちを見て来る。頼むから、そんな焦点が合ってない目で俺を見ないでくれ……
明らかに、5年10年単位で前だよね? それ。
『……じゃあ、もっと簡単に考えてみて』
話を逸らすな
『いつもニヤニヤニコニコしてる何か変な男と、可愛い女の子3人と穂澄は、どっちとる?』
その言い方はずる過ぎるだろ。明らかに灯真さんが変質者級に悪者っぽくなってるし。
『今、考えた方が穂澄の気持ちだよ』
いや、してやったり見たいな顔してるけど、明らかに誘導だよね? そのドヤ顔をやめてくれ。
「穂澄さんっ!」
「――っ! あれお嬢様?」
目の前には尊がいた。さきほどいた明らかにテンションのおかしい姉の姿はどこにもない。
『今、考えたのが穂澄の気持ちだよ』
姉さんの言葉が、俺の心に突き刺さる。
「急に倒れた時はびっくりしましたよ。どうやら過労のようですからゆっくり休んでいてください」
声がした方を向くと灯真が、やや疲れたよな、呆れたようなそんな顔をして、俺の方を見ていた。
ニヤニヤニコニコした、何か変な男……駄目だ。噴きそうになる……
「あの、栞お嬢様は?」
「栞は、外にいるけど……」
歯切れの悪い言葉、どうやら愛想をつかされたのだろうか。それはそれで、また悲しいな。
「穂澄さんが倒れたのは自分のせいだって、言って泣いちゃって……」
「えっ?」
そんな事ないのに……知らない内にまた悲しませてしまった様だ。
俺の胸の辺りがズキッと痛んだ気がした。
俺は寝かされていたベッドから立ち上がる。っと、まだちょっとふらつくな……
障子を開け、縁側の方へ出ると、すぐ近くに、顔を伏せて縁側に足を投げ出している栞の姿があった。
「お嬢様?」
「……? っ!?」
誰かと思って首を上げたお嬢様は俺を見た瞬間投げ出していた足で立ち上がり、離れようとする。
「待ってくださ――っ!?」
躓いて廊下に頭をぶつけてしまう。
痛ぇ……
「っ! 穂澄!」
栞は、ドタドタと足音を立てて穂澄に近寄り、倒れている穂澄の顔を覗き込んでくる。
「掴まえましたよ。お嬢様っ」
「!? 穂澄、わざと転んだの?」
いえ、素です。
覗きこんできた栞の手をグッと掴み近くに寄せる。
栞の顔が、ボスッと自分の胸におさまり、穂澄は、一息を付く。
「…………」
暫くの沈黙。
穂澄の胸の中で栞がギュッと胸元の執事服を掴んだ……気がした。
「何で、着替えてないの?」
「服……ですか?」
「部屋に入ってきた時。穂澄が執事服を着てたの見て、私も尊も喜んだんだよ? 穂澄がまだ執事でいてくれたって……」
握られている部分に力が入るのがわかった。
「ずっと、一緒に居てよ……ねぇ、穂澄?」
「私は――」
『今、考えた方が穂澄の気持ちだよ』
――っ。本当にそれで良いの? 自分に我侭で?
『自分で考えて動きなさい。たまには、自己中心的に動いて、そして、決めなさい』
――っ。大切だから、守りたい。でも、離れる事は守る事なの?
「――私は……いや、俺はお嬢様達と一緒に居たい……離れたくないっ」
「えっ?」
胸の中で、栞が思わず変な声をあげる。
「お2人ともずっと好きでした。明るい栞お嬢様。優しい尊お嬢様。ずっと、ずっと前から……もしかしたら、一目惚れだったかもしれない」
自然と涙が零れる。嗚咽が止まらない。見っとも無い姿を見られたくないはずなのに、それでも止まる事はない。
「俺は、櫻坂に戻ります……」
離れる事が、守る事に繋がるのかな?
違うよね。それは悪い自己満足だ。
いつも通り、俺は執事服を身につけ、お嬢様達と学院へと続く道を歩いていた。
二人とも前より楽しそうで、後ろから付いてきている水穂も、前より笑顔が増えた気がする。
あの後、俺は灯真さんに櫻坂に戻る事を言った。
なんと言われるか、わからず。もし、真希菜を盾にされたらどうするかなど考えていたが、答えは呆気なく。
「そうですか、しかたありませんね」
その後は、怖いぐらいに順調に進んだ。肩代わりしている治療費は出世払いと言うことでチャラになり、真希奈もしっかりとした治療を受けている。
郵送してあったはずの退学届けは竣夜様が、破り捨てていたらしく休学の扱いになっていたし、欠席が多いはずなのに、普通クラスへの移動もなし。
とにかく、毎日が怖いぐらいに進んでいた。
「……お2人ともずっと好きでした(声真似)」
「えー穂澄さんの声はそんなんじゃないよ!」
「お願いですからやめてください……」
ちなみにあの会話は後ろで尊もしっかり聞いていたらしい。
後で顔から火が出るかと思うぐらい話題に持ち上がった。
「もしかしたら、一目惚れだったかもしれない(声真似)」
「尊お嬢様もやめてください!」
ほらっ! 何か、周りの目が痛い! 痛いよ!?
「ほすみぃ……」
どうやら後ろで怒っていらっしゃる方メイドさんが俺の肩をグッと掴む。
「あんた、そう言えば私に随分恥じかかせたわよね?」
あんたって……瑞穂、俺はお前より2つ先輩なんだぞ? もっと敬ってもバチはあたらないぞ?
そんな困った様な顔をしていると、栞と目が合う。
「……ヤバッ、妊娠した」
「嘘ですね」
「……!」
何か思いついた様に、言ったと思えば……間髪入れずに突っ込むと意外な顔をされる。そんなに突っ込むの久しぶりだったかな?
と、何やら栞が、尊に耳打ちをし始めた。
今度は、どんな恥ずかしい事をしてくるのやら……
そう思っていると、2人は大きく足を伸ばし、先に走る。
「えっ? ちょっ!」
慌てて追いかけようとしたら、すぐに2人はこちらを向いた
「「おかえり、私の執事さん!」」
はい、終わり。はい、終了です。
長かった執事になる50の方法。
気が付けば二年経ってます。はい、遅すぎですね、すみません。
とり合えず完結して、一言。
もう一度最初から書き直したい……
誤字脱字・表現・話のつながり……etc
話せばいろいろと出てくる問題ですが、まあとり合えずこうして終わった事を喜びます。ええ、飛び上がりますともう。
でわでわ、最後まで読んでくださった方(いるのでしょうか?)
ありがとうございました!