第四十八話 逆転の一手
「さて、気持ちの整理はついたか?」
返ってくる返答はわかりきっているが、一応聞く。
「……殺すぞ?」
「変わりません」
……尊にしてははっきりと俺の目を見て言った。それ程、穂澄は大事なのだろう。まあ、それぐらいでないと穂澄を取り戻す意味はないのだがな。
栞は栞で今までに無いほど冷たい目で見つめてくるが、それも穂澄の事を思っているからこそであり、『こんな時に不謹慎な事言うな』と言う感じの目だ。
昔は、『お兄ちゃんお兄ちゃん!』と懐いていたのに……
俺は、何故か熱くなった眉間を押さえる。
「冗談だ、冗談」
首を絞めたネクタイを緩めて、上着を脱ぐ。
ここ最近あっていなかった2人はいつの間にか大人びている雰囲気が漂っていた。
……やつれた。とも言うのかもしれないが、何処か、穂澄と会う前、穂澄と過ごしていた間とはまた違った様子だった。
「……なんで来たの?」
「おいおい、お兄ちゃんが妹に会いに来るのに理由なんて――」
「とぼけないでください」
……これが、反抗期なのか? お兄ちゃん泣いちゃうぞ? 言葉もなんか棘があると言うか、毒針状態だ。
もしかしたら、穂澄を取り戻したら2人の記憶から俺は無くなるんじゃないのか?
「ああ、悪かった。理由はちゃんとあるよ」
もちろん、しっかりとした理由無しに此処にくる必要はない。灯真に勝つためには、俺としてはもう1つばかり、背中を押してもらう為の材料が必要だった。
その材料を確かめる為に、2人に会いに来た。
「お前ら、俺と穂澄…………どっちが大事だ?」
流石に真面目な顔で聞く俺に、2人は眉を顰めて口を紡ぐ。
良かった。即答されなくて……
「……竣夜兄様は、大事。だけど、今は穂澄の方が大事」
「兄様は、私たちを大事にしてくれてますけど……私も穂澄さんが……」
まさに、娘を嫁にやる父親の気分とはこう言う感じなのだろうか?
ただ、その一言が聞けて大分。いや、十分に足枷が外れて、決心がついた。
「良いか? これから、俺は成松――いや、灯真を潰す。ただ、無傷じゃ無理だ。相打ちになるかもしれないし、俺が大負けするかもしれない……ただ」
社長代行と言う、仕事はもう十分に達成されている。
「穂澄はちゃんと取り返してやる。それだけだ」
俺は、席を立つ。
2人は、俺が何を言っているのか。まるで検討が付かないようだが、それで良い。物分りが良い妹よりもわがままで、ちょっとぐらい手の掛かる妹の方が可愛い。
それに――
それに、何か言われたら、また足枷がくっ付いちまう。
立ち上がり、俺は振り向かない。
2人の顔を見ないまま、邸を後にした……
「ああ、そうだ。そこの社長を説得しろ。多少無理をしても良い」
そう言って久留間龍介は受話器を切る。
デスクの上に投げ出した足を引っ込めて、革製の椅子に座りなおす。
手元にあったリストの社名の所に斜線をを引いた。
「これで、櫻坂に肩入れする会社は0。やっと、成松がトップに立てるわけか……」
タバコに火をつけ何も存在しない宙に向けて煙を吹く。
「これで、やっとの事で灯真新社長になるわけだ」
タバコを強く噛む。
昔から、灯真の事は嫌いだった。
どんなに努力しても昔から龍介は灯真の前に立つことは出来なかった。その度、龍介の親は言う『何で、灯真に勝てないんだ!』
頬を殴られ、腹を蹴られ、日ごろの鬱憤を全て龍介にぶつけて来る親。暴力を振られまいと、灯真に勝とうと努力する……が、それでも灯真は平然とした顔で俺の前に立っていた。
だが、灯真が勘当されて、龍介はトップに立ったはずだった。
「なのに!」
ダンッとデスクに握りこぶしをたたきつける。
怒りよりも痛みが素手にかかる。
なのに、灯真は当然の様に帰ってきた。そして、当然の如く副社長の座についた。
それも、副社長と言うのは形式で、最初に与えられた仕事。櫻坂を潰す事で灯真はそのまま社長に就任するだろう。
しかも、それだけじゃなく、灯真は、龍介に会社の手回しを要求してきた。仕事を拒否すれば、当然龍介のキャリアは終わる。
そう。灯真はいつも龍介の前を歩いていた。そして、いなくなったと思ったら、屈辱と共に龍介の前に再び現れた。
「くそっ! 何で俺が……」
龍介はやり場のない怒りをデスクにぶつけるしかなかった。
ただ、それは自分を傷つけるだけだと知りながら。
「入ってよろしいですか?」
「……っ!?」
何度も聞いた事のある声に龍介はタバコを落としそうになる。
そう、まさに声の主は灯真であった。
まるで、悪態をついたのを聞いていたかの様にタイミング良く現れる灯真に、苛立ちを覚えながらも、龍介は持っていたタバコを乱暴に灰皿に押し付ける。
「……ああ、入れ」
本当は今すぐにでも帰れと大声を出したい所だが、そんな事をしても虚しい事は龍介自信が一番わかっていた。今にでも爆発しそうな感情を体内に押し込め、何とか言葉を絞りだす。
「失礼します」
入ってきたのはやはり、いつも通りの締まりのないニヤケ顔の灯真だった。スーツ姿から察するに、今まで何処かへ行っていたのであろう。
「何の用だ?」
「いえいえ、ただね。久留間さんの顔が見たくなっただけですよ」
――その、何もかもお見通しと言う感じの笑みが一番むかつくんだよ。
「どうせ、目当てはこれだろ?」
デスクの上に置かれたリストに手を置く龍介。灯真も一瞬だけそのリストに目を落とし、そして笑う。
「流石、久留間さんですね。私が頼んだ仕事を2日で片付けるとは」
「まあな、櫻坂と縁の深い古株の会社ばかりだったからな」
コイツの魂胆は見え見えだ。
もし、リストの仕事が終わっていなければ、俺は無能呼ばわりして、出来ていれば自分の利益に繋がる。
自分は安全な所で笑っている訳だ。胸糞悪ぃ。
「仕事終わりにしては、眉間に皺が寄っていますね? 怒っていますか?」
「ああ、どうやらお前のニヤケ顔は俺を激しく苛立たせるようだ」
ネクタイを取り払い目の前に立っている灯馬に嫌味をぶつけるが、それも虚しいだけであった。灯馬はそう言われる事をわかっていた様に、頷き。一言、すみませんと言うだけであった。その表情が更に龍介を苛立たせる。
「用があったんじゃないのか? ないんだったら今すぐに出ていけ!」
龍介が声を張り上げると、灯馬は真面目な顔をする。
「だから、お前は俺に勝てないんだよ」
「なんだと!?」
灯馬の一言に龍介は椅子から立ち上がり今にでも飛び掛かりそうな剣幕で灯馬を睨む。ただ、灯馬はそんな事は気にせず、話を続ける。
「用件はそのリストの中で不正に手を出している会社を洗い出しておいてくれ」
「不正だと?」
何故そんな事を言うのか? 今の時代大抵の有名企業は不正に手を出している。見えていないだけで、今の不景気に会社を成り立たせる為には仕方ない事だ。
「それでは、頼みましたよ」
灯馬はそれだけ言うと普段の締まりのない顔にもどり、部屋を後にした。
竣夜は畳が広がる部屋で、正座して待っていた。出されたお茶は既に冷え切っているほど、時間が経っていたがそれでも未だに、竣夜が待つ相手は現れない。
「すまないね、待たせてしまって」
そう言って入ってきたのは、部屋の雰囲気に良くあった和服を着た初老の男性。
「いえ、急に押しかけたのは私ですので、こちらこそお時間をとっていただき、ありがとうございます」
竣夜は深々と頭を下げて、上座に座った男性へ敬意を示す。
「それで、話は?」
ただ、初老の男性の表情は入って来た時とは少し変わり、厳しい表情をしていた。
そんな事も知りながら、竣夜は顔を上げ、不敵に笑う。
「ええ、ちょっと。逆転の一手を打とうと思いましてね……」




