初恋の妹
僕の家族から人殺しが出た。
「おにぃ。私、人を殺しちゃった」
なんて、仕事から帰ってきた僕を迎えたのは、ブレザータイプの制服に身を包んだままの僕の妹だった。
殺し。殺人。人殺し。そんな告白に一介の会社勤めにどうしろと言うのだろうか。
「どうしよぅ。私、捕まっちゃうのかな」
そんな風に泣きじゃくる妹。
妹は、可愛い。容姿、だとか性格だとか。その他もろもろも、可愛いと思える。どうやら妹の通う高校でも可愛いと評判で、何度も告白されているらしい。その全てを一切合財切り捨てて、その様を僕に報告するのだが、彼女いない歴イコール年齢の僕に何を求めているのかは謎だった。
そんな妹が、僕はあまり好きではなかったりする。何かにつけて親は妹を猫かわいがりしたし、優先した。だから僕は嫉妬していた。何においても僕より上に位置していた、年下の妹に、年上の兄である僕は嫉妬していたのだ。しかし、頭の方は僕の方が上で、その点のみで兄の僕はなけなしのプライドを保っていた。
だからか、僕の目の前で泣いている妹を見て、どうにかしてやろうとは思わなかった。冷たいやつ、と思われるかもしれないが、全く何とかしようとは、思わなかった。
その可愛い顔を崩して泣くその様を見て、不謹慎ながらざまあみろ、とまでは思ってはいないが、それに近しい思いは抱いていた。
それに、この大事な時期になんてことをしでかしたのだと、怒りを覚えてしまった。
家族だから、恋人だから。よく、殺人犯をかばう理由たり得るとして、ドラマなんかで見るけれども。
やっぱり僕は庇わないだろう。
「助けてよ。おにぃ」
そんなことを言われて、僕はさらにいらつく。
助けろだって、そんなバカげたことを言いのけるその精神のずぶとさは僕も見習うべきなんだろうか。
助けてほしいのは、殺された方だろうに。
殺人を犯して、自分は助かろうだって、そんな意見を持つだなんて信じられないほど理不尽だ。
僕は殺人を、許せない。他人を踏みにじる最上級の行為を嫌悪している。
人を殺す。それだけで、とんでもなく重い罪だ。
たまに自分が死んだところで、殺された所で世界は変わらない、なんて言う奴が居るけれども。僕はそう思わない。
人の死は、世界を変える。
親が死ぬ。子が死ぬ。友が死ぬ。見知らぬ誰かが死ぬ。
死と言う事実が、僕の世界を彩って、汚す。
死が、僕の世界を動かす。
誰かの思考が反転する。
誰かの人生が台無しになる。
誰かが誰かに想いを向ける。
これでも世界が変わっていないと言えるだろうか。
少なくとも、僕から見た世界は激変する。彼女が見た世界は一変する。誰かが見た世界は改変された。
その変化が、世界が変化したと言う事でなければ、この世はどれだけ理不尽だと言うのか。
人の死を僕は悲しむ。誰かが死ぬのを、僕は悲しむ。
だから僕は人殺しを許せない。
「妹、お前、誰を殺したんだ」
「みゆちゃん」
ああ、その名を知っている。家にも、何度か遊びに来ていた子だ。友達だったろうに。僕から見て、すごく仲がよさそうだった。だというのに、殺してしまうなんて。
「友達だったんだろう」
「友達だったからだよ」
悲しそうに目を伏せて言う。
その声は震えていた。
「死体はどこだ」
「捨てた」
捨てたって。どういう、心境で殺したのだろうか。
「どこに捨てたんだ」
「焼却炉、学校の」
焼却炉。そんなところに捨てて、いったいどうすると言うのだ。確かに焼いて、証拠隠滅と言うことを理解出来るが。出来なくは無いが。果たして、学校に存在する焼却炉で火葬場クラスの火力が調達できるか、と言えばどうだろうか。
これで、証拠隠滅できていたらなんて運の良い奴なんだろうか。
「悪い事を、したと思っているのか」
聞いた。罪悪感はあるのかと。自分が取り返しのつかないことをしたのかと、そう聞いた。だから、妹がもし罪悪感があって、罪を償うつもりがあるのならば。兄として、家族として最大限庇うつもりで居たのだけれども。
その信頼は容易く打壊された。
「なんで? 私悪くないよ」
そんな言葉が、僕に吐き気を齎した。邪悪だ。
「あ、でも。殺すことは無かったんだよね。やりすぎだよね。これって犯罪なんだよね」
本当に、救えない。
この妹は、どうしようもない。
本当に。とんでもない事をしてくれた。してくれやがった。
僕は、今更ながらであるが。僕は、僕の務める会社でそれなりの将来性を期待されている。控えめに言ったが、僕は次期の部長候補だったりする。
そうなれば、給料だって、今の倍だし。それにつられて女の子が僕の周りにやってきて可愛い彼女が出来るかもしれない。僕の未来は明るい。順風満帆だったのに。
その未来はこの邪悪な妹のおかげで、おじゃんになろうとしている。
そういえば、この妹は可愛がられるだけ可愛がられて育ってきたためか、悪いことをしても怒られるなんて事がほとんど無かったっけ。
でもそんなのは周りを見ていれば、なんとは無く理解できるはずだ。教えられなくても、みんながやらないことはしない筈だ。人は孤独を恐れて、奇異の目で見られることを嫌悪するから。だから観察する。何が正常で、何が異常かを。
だから、その狂気を誰も解らなかった。
「はじめはね。そんな気は無かったの。殺す、何て考えてなかった。だから、ブレザーのポケットに入れた石は、別になんでもなかったの。これで頭を打ち据えて殺してやろうなんて微塵も思っていなかったの。でも――」
言葉を止める。と言うか、ポケットに石って。凶器を最初から用意していたのか。
妹は黙っている。僕の意見を、言葉を、質問を待っているのだろうか。
殺すつもりが無いと言う言葉が本当ならば、この妹は殺人がいけない事だと、理解していたのだろう。だったら。どうして我慢できなかったのか。何か回避策は無かったんだろうか。
「なあ。なんでだ。なんで我慢できなかった」
どうして正常に保てなかった。
異常へシフトしてしまったんだ。
それに対する回答に。
「おにぃがいけないんだよ」
僕はやはり嫌悪した。
僕のせい、だって。笑わせてくれる。殺人は、それを行った人間の罪だ。たとえ誰かが庇おうとも、殺人を行った事実は誰も消せないし、誰かが代わりに背負うなんてもってのほかだろう。結局、行った罪はなすりつけるなんてできない。
それがたとえ常人ではない狂人だったとしても。
「なに、人のせいにしてくれてるわけ?」
冷たく、言った。
「お前が、殺したんだろうに。お前の意思を持ってな」
「だって、みゆちゃんがおにぃの事が好きだって、――言ったんだから」
妹が言って、へたり込む。頭を抱えて、髪を振り乱しながら、叫びだす。
「いやだったの。渡したくなかったの。おにぃは私のなんだから。誰にも上げたくなかったの。どうして。どうして。みゆちゃんはどうして。わたしがおにぃのことがすきだってしってたのに。なんでなんでなんでなんで。なんでわたしに。わたしに。おにぃにこくはくするなんていうから。いうからいうから。しょうがないの。ころすしかなかったもん。しらないしらないしらない。わるくない。わたしわるくないよね。ねえねえねえ。だってだって。みゆちゃんがいけないんだよ。おにぃをうばおうとして。わたしのわたしのおにぃをとろうとして。だからわたしわるくないよ。わるくないわるくないわるくないわるくない。ぜったいわたしはわるくない―――ねえ。おにぃ」
叫んで、叫びきって。僕をじっと見つめていった。
そうか、まともな考察なんていらなかったんだ。
なんで殺したとか、そう言う話じゃ無かったのか。気付くはずがない。
だって常人の思考が狂人の思想を理解できるはずが無いのだから。
狂っている。苦しんでいる。苦しませた。僕が、彼女の狂気を育てていた。
そうか。気が付かなかったが、そういう事だったのか。
この目の前の、狂気を孕んだ妹は。僕に好意を寄せていたのだ。
だから。妹が、壊れた。僕を好きすぎるが故に。本来抱いてはいけない感情を抱いてしまったから。親愛、ならまだ良かった。でも行き過ぎてしまって。恋してしまって。もう後戻りできなくなってしまって。自分がこんなにも恋しているのに、相手は振り向いてくれなくて。その恋が禁忌の恋なものだから、誰にも相談できずにいて。好きでもない相手から好意を寄せられて。緊張しきった糸みたいな心境であって。
そんな時に、最も信頼していた友人が裏切ったから。
その友人が、妹の想いを知っていたか、定かではないし確かめようもないけれど。
そこで、妹の糸が切れてしまったのだ。
たぶん、石はいつも持ち歩いていたのかもしれない。何の為にと聞かれるといささか返事に困るのだけれど、それは護身用だって言うことにしておけばいいんじゃないかと、僕は思う。何せ告白された数知れず、だ。襲われそうになったことだってあるだろうし。
そうか、僕に告白された経緯を語ってくるのは自慢ではなくて、気を引くためだったのかもしれない。だとしたらなんて愛い奴だろうか。
でも。僕にとってはもうただの殺人者でしかなかった。
「おにぃ。わたし、おにぃのこと好きなんだ。愛してる」
そんな告白を聞いて僕は悲しくなった。なんて、ひどい初恋だ。
決して実らない。実るはずがない。もしかしたら。僕が重度のシスコンだったりすれば叶ったかも知れないが、悲しいかな。それは実らず終わった。
「みたいだな。でもさ。それが人を殺して良い理由になるわけ」
僕が言い放つ。
妹はほほ笑んだ。先ほどまでの狂乱ぶりとは打って変わって、優しくほほ笑んだ。
でも尋常ならざる気配を、醸し出している妹を、恐れた。変わらず据わった眼をした妹を。
「おにぃは何時だってかっこいいね」
そう言ってポケットから石を取り出した。
「だから、しょうがないよね」
なんて言って、僕の頭に石が振り下ろされた。身長差を考えれば、届くはずなかったけど、僕がその石を認識して、避けるためにしゃがんでしまった。
なんて、悪手だろうか。
上からの振り下ろしなのだから、左右どちらかに避けるか後ろに下がれば回避できたのに、臆してしゃがんでしまった。
「がっ――――っ」
倒れる。俯せに倒れる。視界が、歪んでいる。
「おにぃ。愛してる。好き。大好き、超好き。凄い愛してるから」
馬乗りになられて、優しく、耳元でささやかれて。
気が付けば、歪む視界に包丁が入った。
「おにぃ。見える? これでおにぃを殺すね」
宣告された。死の宣告だ。
もう、妹は壊れてしまっていた。
僕は、必死に声を絞り出した。
「僕は、お前なんか大嫌いだ」
言って、背中に何かが突き立った。
包丁が、突き立てられた。
僕が悲鳴を上げる事は無かった。そんな暇もなく、意識を失ったから。
おにぃのバカ。なんて、薄れる意識の中で聞こえた気がして、お前の方がバカだろうにと思って、それまでだった。
初恋は、実らずじまい。




