ジェード
王都に戻りベリルを本来あるべきお方にお返しするのは、事に変化が起きた時だ。その変化が認められないまま、俺達がセザール侯爵領ケランに居を構え続け5年の時が過ぎていた。
そんな折、ケランから西にあるトトスという比較的大きな街に国王が立ち寄るという話が齎された。トトス近郊にある山から金が採掘されたらしく、その視察と称して国王自らが赴くのだそうだ。
隠された子はいるが、表向き世継ぎを迎えておられない王が自ら危険な旅に出られるのはどう言う訳か。
ネイトの話だと、最近の王は都を出て視察に赴く回数が増えているらしい。これは何かのサインなのだろうか。アウイラに話すと動揺したが直ぐに持ち直し、ベリルを連れてトトスに行ってみたいと言いだした。
母親としてベリルを想っての事だろう。もしかしたら王の尊顔を拝する事が出来るかもしれない。真実は話せなくても、ベリルに実の父親である王の姿を一目、叶うなら王自身にもベリルの姿をそれと気付かずとも垣間見て欲しいと彼女は願っていた。
それが本心かどうかは別として、俺自身も王がベリルを求め自ら動いているのだとしたらそうすべきだと苦い思いを抱える。
しかしベリルを行かせるのはとても危険な行為でもあった。ネイトから話を聞いた時点で俺自身は様子を見に、必要なら接触を試みるつもりでいたが、アウイラとベリルの二人をトトスへ行かせる判断を下すのはやはり難しい。
だが結局はアウイラの言葉に押される形で俺も頷いた。王の訪問でトトスは賑わい祭りの騒ぎとなる。ケランからも物見遊山でトトスへ向かう人間も多いだろう。ただ俺が離れた時が不安だ。そこで俺はネイトに話を持ちかけた。
「お前はトトスへ行かないのか?」
「俺は興味ないし、親父らが行くみたいなんで鉢合わせでもしたら面倒だから行かないよ」
眉間に皺を刻んで爪を研ぎながら面倒そうに吐き捨てる。いい歳して未だに父親から逃げ回っているのはどうしたものか。
事情があるにしろいいかげん大人になれと思うが言葉にはしない。結婚でもして所帯を持てばマシにもなるのだろうが、この男は未練がましく未だにアウイラを想い続けている。それなのに女遊びを止めない馬鹿者だ。まぁ俺がどうこう言えるものでもないので見て見ぬ振りをしていた。
「お前は行くんだろ?」
馴染みの騎士が国王一行に加わっているかもしれないとの理由で俺は休みを申請していた。
「アウイラとベリルも興味を持って一緒に行く事になったんだが、俺が離れた時が心配でどうしようかと」
「なんだよ水癖いな。俺も行ってやるからお前は馴染みとゆっくりして来いよ」
ネイトは爪を研いでいた鑢を放り投げ目を爛々と輝かせる。何処の子供だこいつはと思いながらも、俺は一番の危険人物に白羽の矢を立てた気分だった。
頼みもしないのにネイトは満杯になる前にとトトスの宿を押さえ、乗合馬車の予約まで入れて来た。アウイラとの旅がそうとう楽しみらしい。複雑な気持ちを抱きながらも、俺はベリルの父親から王命を受けた騎士へと気持ちを切り替える。
トトス入りして早々にアウイラ達と別れた俺は、街の様子を窺った後で遠くから王一行を監視した。
驚くほどゆっくりとした速さで進む馬車と揺れ動く王と近衛騎士らの頭を見て、間違いなくベリルを捜しているのだと確信する。
ネイトに肩車されていたベリルは俺からも良く見て取れたが、最前列に陣取った今は影になり全く見えない。だが王からは丸見えだったのだろう。馬車がベリルの側に停車した途端に胸が疼いた。
驚いた事に王が馬車を降り子供を抱き上げる。それはベリルではなかったが金の髪をした子供で、それが王の意思表示だと理解した途端、現実を突きつけられ心に冷たい風が吹き込んで来た。
アウイラはどう思っただろう。今すぐにでもベリルの側に行きたかったが、王の意思を確認した俺がそれをする訳にはいかなかった。
心に開いた風穴を無視し任務を遂行する。冷静にならなければ思わぬ失態を犯しかねない。このままベリルに会えなくなる事だけは避けたくて、動揺する心を必死に押し込めた。
日が暮れ王がセザール侯爵の城へ向かった後も残った近衛を確認する。誰もが見知った顔ばかりで俺からの接触を待つかに街をうろついていた。望み通りそのうちの一人の背後を取り路地裏に引き込むと、そいつは大人しく両手を上げ容易く引きずられてくれた。
「任務終了だ、後はこちらで引き受ける。お前は本来の配属先に戻れとのご命令だ」
「誰からの命令だ?」
「近衛騎士団長。全権を陛下より賜られておいでだ」
「証拠は?」
「お前、正気か?」
喉の急所を取られた男が首を回し呆れたように答えた。それも当然だろう、このような任務に命令書がある訳もない。しかしおいそれと男の言葉を信用する訳にはいかなかった。こっちはベリルの命がかかっているのだ。たとえ相手が陛下をお守りする近衛騎士であっても簡単に信用するべきではない。
「証拠の提示が出来ないなら殿下を危ぶめる敵とみなす」
懐から短剣を抜き男の喉元に沿わせると相手の纏う空気が変わった。
こちらの本気を見せたつもりが相手の方が上手だったようだ。
脅しと捉えた男は振り向きざまに腰を屈め足払いを仕掛けて来る。それを躱したせいで男との間に距離が出来た。もともと相手が懐に飛び込んでくれたようなもの、流石は王の近衛といった所か。
それを合図とばかりに隠れていた者等が姿を現し取り囲む。敵ではないとの意思表示か、誰一人として剣は抜いて来なかった。相手の出方を見ながら短剣を懐にしまう。
「一度戻らせてもらいたい」
「気持ちは酌むが無理と分かっているだろう」
聞き入れられないのは百も承知だ、こうなった時点で任務終了。長い時を共に過ごした親代わりは邪魔な存在となる。アウイラはともかく、軍に所属する平民上がりの騎士とあっては、今後の影響を考え引き離されるのが当然だった。
だからといって諦めきれるものではない。別れの一言も、ましてこれから出生の秘密を聞かされる幼いベリルを思うと側にいてやりたい感情しか湧き上がって来ないのだ。
聞き分けのいい子だが心が傷つかない訳じゃない。押し込めて辛さを溜めこんでしまうのは目に見えていた。
周りを取り囲む精鋭を突破しようと試みる。隙間を掻い潜ろうとすると腕が伸び、それを取って次の相手へと投げ飛ばした。更に飛びかかる相手の背後を取って裏膝を蹴り、更なる相手に手刀を繰り出す。腕を払われ飛んで来た拳を避けて腹に蹴りを加えると、次の男の腹には拳を捻じ込む。
数人の男が苦痛を訴え膝をつき、出来た道に駆け込むが腕を取られ阻まれた。その腕を後ろに捩じ上げたのは、俺が最初に後ろを取り短剣をつき付けた男。
「悪いな」
その言葉と共に力を加えられ肩を外された。
*****
肩関節を外されたまま粗末な馬車に押し込まれ長い事揺られた。馬車に同乗した見張りは二人、足は自由なので脱出の機会がない訳ではなかったが、手慣れた近衛が相手では無駄だろう。
それに反抗した俺に対してこの好待遇、足を折られても文句は言えない状況だったし刃物も使われなかった。関節の外し方も上手く、はめ込めば直ぐに元通りに動かせるだろう。このまま本来の異動先である国境沿いの砦に連れて行かれるようだ。
しかし俺の予想に反し馬車はそれほど長く走らなかった。夜の闇に浮かんだのは巨大な屋敷、セザール侯爵の館だと知って俺は驚いた。王が俺に会うというのか?
夜の闇を縫って非公式に執り行われた謁見、その寸前に外された肩を外した本人に入れられ動きを確かめた。大人しく従ったお陰か入室は俺だけで。扉の向こうには王と一人の近衛騎士の姿。他には誰もおらず手薄ではないかと思えるほどだ。
数年振りの王は少しやつれた様子だったが殊の外上機嫌だった。俺が膝を突き深く首を垂れると椅子を立って俺の前に片膝を突かれる。あまりの驚きに更に深く首を垂れると王自らが労う様に俺の腕に触れた。
「これまでの働き、礼を申すぞ」
成程、このような王の姿を他の奴らに見せられるわけがない。そして俺も、俺を見出し取りたてた王に忠誠を誓う騎士として、絶対に逆らえない烙印を押されたのだ。
臣下に頭を下げる王は一人の父親として、我が子を守った俺に礼を述べたのだ。本来の父親がここにいて、子を想う気持ちを身を以て知った俺がこれ以上ベリルの側を独占し続ける訳にはいかなかった。
それでも一目と、最後の主張を試みる。王の子を我が子のように思っているなど、絶対に許されない主張だ。しかし王は咎めはしなかった。ただ瞼を固く閉じ、首を横に振って「堪えてくれぬか?」と零された。
俺は王の子をかどわかした犯罪者ではない。王子を危険から守った騎士として多額の報奨金と、一代限りだが爵位を賜るのだと王の側にいた近衛より説明を受けた。
既に王は退出しており部屋には俺とこの男だけで、彼が王より全権を任された近衛騎士団長らしい。俺がそんなものはいらないと拒絶すれば、何れ願いを叶えるのに必要になると諭される。
ああそうか。学のない俺では気付かなかったが、これから王子として城に上がるベリルに近付くにはなくてはならないものだ。ベリルを守りたいと願っても俺の生まれでは資格がない。
しかし素直には喜べなかった。懐に入り込むべくの助言には対価を求められる。どの道俺はベリルと引き離され遠い国境へ送られるのだ、任期すらいつまでと知らされていない。不穏分子を全て掃除しきれていない状況だと言われれば、ベリルを守る為に二人の居場所を吐かない訳にはいかなくなってしまった。
近衛がベリルに接触するのは一月後、王が城に戻り迎える準備が整ってからになるらしい。その間ベリルとは接触せずに見守るのだと知らされる。その日のアウイラとベリルを想うと胸が張り裂ける思いだが、本来の親に返すのが当然だと分かっていたし、今はもうどうしようもなかった。
俺が二人に会う事は当然禁じられた。その代わり何があっても二人を必ず守ると約束させる。何も言えずに行くのは辛く、己の無力を呪った。
アウイラはどれ程心配するだろうか。ベリルがアウイラの心の支えになってくれるだろうかと、幼い我が子に期待を寄せる。
翌朝俺は二人を見送る許しを得た。王のご配慮で、一晩明けての許しに王の葛藤を感じた。
声も届かない距離からだったが、ネイトに伴われ宿を出る二人を目に留める。不安そうに辺りを見回すアウイラと、少女の衣服を纏ったベリルに眉を顰めた。
俺のもとには王の命を受けた近衛が来たが、アウイラのもとにはそうでない者たちがやって来たのだろう。今後が不安になり見張りとして立つ男を睨めば、肩を竦め意地の悪い笑みを浮かべる。
「お前の接触が遅すぎたからだろ?」
確かにそうだな。
俺がベリルに親子の感情など抱かず一線を引いて忠実に任務を遂行していたなら、王の意思表示に即反応し昨日中にベリルを引き渡していただろう。こいつの言うように俺の落ち度だ。
「次はないな?」
「掃除は今日中に済ませるさ」
男は昨夜外してくれた俺の肩に気易く手を乗せる。俺はそれを振り解きもせず、これで最後となるやも知れないアウイラとベリルの姿を目に焼き付けていた。




