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あなたを想う  作者: momo
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アウイラ その1

 



 セザール侯爵が領主を務めるケランに来て五年、わたしとジェードはベリルを中心に穏やかな家庭を築いていた。


 ベリルは六歳になり、とても利発な子供に成長した。

 生後間もなく満足な乳を与えてあげられなかったので心配だったけれど、今では風邪ひとつひかない健康な体をしている。

 子供にしては少し表情に乏しい面があるのは、わたしやジェードに似たのだと思う。これでも昔に比べて喜怒哀楽を表現するようになったと思うけれど、ベリルを連れて逃げているという使命が心のどこかに暗い影を落としているのかもしれない。


 それと同時にベリルは我儘を言わない、年齢の割にという以上に聞き分けの良過ぎる子供に成長していた。

 もう少し我儘を言ってもいいというのに、『いやだ』との答えを聞くのはとても稀で心配になる。

 仕事で孤児院に連れて行き孤児たちと一緒に勉強させている時でさえ大人びた表情を見せる。

 子供たちが他に興味を見つけ余所見をしても、ベリルは特に何かを思う風でもなく、静かに周囲の様子を窺うだけ。まるで子供の姿をした大人のようだった。


 だけどそれ以外には至って普通で、わたしやジェードに甘える姿は普通に子供で愛おしくてならない。

 いつまでもこの関係を続けて行けると思ってはいけないと理解しているけれど、このまま何事もなく何時までもわたし達の子供でいて欲しいと願う気持ちが大きく育ってしまったのも事実。

 ベリルが大事な預かりものなのだと忘れている時間がとても長くなったある日。

 ケランと同じセザール領にある街へ王が視察に訪れるとの知らせが齎された。


「ケランの西にあるトトスから金が採掘されたらしい。そこへ陛下自らが視察に参られるのだそうだ」


 ジェードから同僚のネイトさんの情報だから間違いないと聞かされ、わたしは酷く動揺した。

 ベリルを奪われる、引き離されると感じて一気に血の気が引き体の震えが止まらなくなる。

 ジェードがわたしを抱き寄せてくれた。それが息が詰まる程強くて。王より直接命令を受け今の状況にある彼は使命感の強い騎士だ。けれどその彼がわたしと同じ想いでいてくれるのだと分かり、幾分ほっとして彼の背に腕を回した。


「近頃の陛下は視察と銘を打って国中を巡っておられるそうだ。何かが起こったのは間違いない。それが俺達にどんな結果を招くかは分からないが、俺はそれを確かめなければならない」

「わたしも行くわ」

「駄目だ、君はベリルとここで待っていてくれ。もしも――」

「やめてジェード」


 彼が続けようとした言葉を遮り、彼の胸を押して顔を上げた。

 もしも自分が帰ってこなければ二人で逃げろといわれるのは絶対に嫌だった。だってそれは追手を意味する言葉だから。

 彼が世界から消える――今のわたしは家族の内の誰一人欠けてもやっていけない。ジェードもベリルも、家族三人でなければ嫌だと、彼だけには我儘を言えた。


「そうとは限らない。ただの視察でしょう?」

「だが安全とは限らない」

「もしも敵にベリルの存在が知られているならここに落ち着いている方が危険よ。一緒にトトスへ行っている方が安全かもしれない。陛下の視察に合わせて沢山の観光客がトトスに押し寄せるに決まっているもの。それに……それに陛下はベリルの元気な姿を一目見たいと思って国中を回っておいでになるのかもしれないわ」


 ベリルを奪われたくない。だけど話しているうちに我が子を求める親の気持ちは国王でも変わらないのではないかと思い至った。

 隠していい訳がない、王がそれを求めておいでなら尚更だ。


「アウイラ」


 ジェードが拘束を解いてその大きな掌でわたしの頬を包み込む。自分で言っておきながら苦しくて知らぬ間に涙が零れ落ちていたのだ。


「ベリルは俺達の子だ、何があろうとな」


 彼の言葉に幾度となく頷く。

 嗚咽が上がって言葉にはできなかった。





 *****


 トトスへ向かう日はネイトさんも同行してくれた。王の意志を知る為にジェードが離れている間、わたしとベリルを二人にするのが心配だからと彼に頼んでくれたらしい。

 念には念をというジェードには従っておいた方が安全だ。王に接触をはかるのに危険を犯すのはジェードなので、わたしには彼がこちらを心配しないようにするしか出来る事がない。


 トトスに到着早々ジェードはわたし達をネイトさんに預けると人混みに消えた。

 王の伴う騎士達の中に彼を知る人がいるかもしれない。ジェードと一緒にいるよりもネイトさんといる方が目に止まる事もないといわれると確かにそうだと納得してしまう。

 わたしは夜会への出席もほとんどなかったし、近衛騎士ならまだしも、他の騎士や貴族には顔を覚えられている可能性は極めて低い。


 王の訪問を前に街は観光客でごった返していた。ネイトさんの伝手で予約を入れておいた宿に寄って荷物を預ける。街の中心にある大通りは王の来訪を待ち侘びる場所取りの人々で既に満杯だった。迷子になると大変だからとベリルをネイトさんが肩車して通りを歩く。


「アウイラもはぐれるといけないから俺に摑まって」


 僅かに躊躇したけれど、ベリルを肩車しその足首を握るネイトさんの肘辺りへ手を添える。しばらくそのまま歩いていると「あっ!」とベリルが声を上げた。


「あっち。おじさんっ、あっちだと一番前があいてるよ!」

「でかしたベリル、上手い事誘導してくれ」


 ベリルが高い位置から指し示す方向へ人混みを掻き分け進むと、最前列に本当に僅かな隙間があった。

 こんな良い場所が空いているなんてと隣に目をやると、一目で孤児とわかる汚れた服を着た子供たちが野の花を手に陣取っている。身なりから毛嫌いされて周囲が距離を取ったのだろう。

 子供たちは汚れた服にぼさぼさな髪、穴だらけの靴を履いていたけれど体は綺麗に洗われ清潔そうだった。これでも彼らが持っている服の中では上等で、いつもは裸足で駆けまわっているに違いない。髪がぼさぼさなのは久し振りに石鹸を使って洗ったからだろう。粗悪な石鹸で洗髪すると髪が傷むのだ。


 そんな子供たちをベリルやネイトさんは気にせず、隣のよしみとばかりに笑顔で挨拶を交わす。

 ネイトさんは侯爵家の三男だというわりに差別意識のない御方で本当に子供好きだ。孤児の子供たちだけではなくベリルとも沢山遊んでくれるし、ベリルもそんなネイトさんを友達の様に思い大好きだった。


 しばらくその場所で待っていると遠くで歓声が上がった。王がおいでになったのだ。

 王は視察の後ネイトさんのご実家であるセザール侯爵家で一晩過ごすらしい。もしかしたらマリアベル様の情報も手に入るかもしれないと考えていると「お母さん、見えたよっ!」と何時になく興奮したベリルの声が上がった。


 先導の騎士がゆっくりと馬を進め、その後を王が乗った馬車が通過していく。その歩みはとても緩やかで、馬車の窓を開け手を振る王の姿が見て取れた。


 間違いない、陛下はベリルを捜しておいでになる。

 

 そう分かると胸の奥が酷く軋んだ。かなりの時間をかけゆっくりゆっくりと馬車が近付いて来る。緊張で心臓が破裂しそうなほど早鐘を打った。

 どうしよう。ベリルを連れて行かれたらどうしよう。


 こんな風に思うのは良くないことなのに気持ちは止められなかった。ネイトさんに名を呼ばれたが返事が出来ない。

 熱気と歓声に沸く群衆の中でベリルも興奮気味に両手を振っている。

 王が乗られる馬車が通過する瞬間、わたしが見知る王よりも少しお年を召したお方が目を見開き息を飲むのが見て取れ、同時に「止めよ!」との声が上がった。


 わたし達の前を僅かに通り過ぎて馬車が停止した。

 扉が開かれ王が民衆の前に降り立つとわたしは死刑宣告を受けたような気持になる。


 だけど王はちらりともこちらを見なかった。


 孤児たちの前に降り立った王は優しい笑顔で腰を屈め、しおれた野花をにこやかに受け取る。そして金色の髪の男の子に腕を伸ばして抱え上げると慈しむように抱き締め、その瞬間に大歓声が上がった。


 それが王の意思表示。

 わたしはベリルを抱き寄せ金の髪に鼻を寄せる。

 もう少し。それともまだまだ先?


 わたしには答えを測りかねた。





 *****


 王はベリルを捜していた。

 時がいつかは知れない、けれど確実にその日がやって来るのだと知ったわたしは無理に笑顔を作りながら宿屋に戻った。

 明らかに様子のおかしなわたしを察してかベリルはネイトさんの肩車を降りて手を強く握ってくれている。ネイトさんは不審に思いながらも何も聞かないでいてくれた。


 宿に戻るとネイトさんから自分の部屋に来るように言われたけれど、いくら仲良くしている人でも異性の部屋へ入室するのは憚られた。ネイトさんも貴族社会で育ったのだからわたしの戸惑いを理解したらしい。それでもベリルと一緒だし、何よりもジェードから離れないように頼まれているからと少し困った顔をされ素直に従う事にした。

 

 しばらくそこで時間を潰し、ベリルがお腹を空かせたので夕食を摂りに出かける。暗くなって宿に戻ってもジェードは帰って来ていなかった。


 不安に感じながら再度ネイトさんの部屋にお邪魔する。一人用の狭い部屋だ、眠気を覚えるベリルとそろそろ御暇しようかと考えていた所に慌ただしい声が耳に届いた。


 何だと警戒したネイトさんが壁に立てかけておいた剣に手を伸ばす。わたしは眠い目をこするベリルを揺すり目を覚まさせると寝台の下に押し込んだ。驚くベリルに声を落として言い聞かせる。


「お母さんっ!?」

「ここに隠れているのよ、何があっても声を出しては駄目!」

「アウイラ、いったいどうしたんだ!?」


 わたしの行動に声を上げるネイトさんと異なり、ベリルは驚きながらも頷いて口を掌できつく覆って言いつけを守る意思を見せた。ベリルに再度忠告して一番奥まで押し込むと、シーツの上掛けを引き剥がし寝台の隙間を隠すように垂らす。


「アウイラ?」


 慌ただしく扉が開く音と苦情を述べる宿屋の主人の声が大きくなる。焦るわたしは驚くネイトさんを寝台の脇に引っ張ってそのまま肩を強く押して仰向けに倒した。


「ちょっ、アウイラっ?!」

「ごめんなさい、何も言わず黙っていてっ」


 わたしはネイトさんに馬乗りになり、後ろに一纏めに結いあげていた髪をほどいて乱暴に緩めると、上着を脱いで床に投げ落とし、急いでブラウスのボタンを外す。


「ちょっと待てアウイラっ、こんなのジェードが知ったらっ」

「黙ってお願いっ!」


 ベリルさえ守れるのにどうしてこの人は黙っていてくれないの?!

 怖くて震えながらネイトさんの上着をくつろがせると、片方の手でスカートを撒くしあげ彼の手を取って太股に触れさせた。

 

「アウイラ?」


 触れた手からわたしの震えを感じたのか、ネイトさんの目が驚きから疑問に変わる。わたしは彼の頬に手を添え顔を寄せた。


「駄目だ……」


 彼の空いた方の手がわたしの髪を掻き上げ後頭部に回される。それとほぼ同時に扉が勢いよく大きな音を立て開かれた。


 乱れた髪の隙間から横目で見やると、腰に剣を携えた騎士風の二人組。

「ちっ」と舌打ちされ、二人は扉を開け放ったまま姿を消す。その後で宿の主人が顔を赤くしながら頭を下げ平謝りすると扉を閉めた。


 彼らが消えた後もわたしはネイトさんの上に跨ったまま、開き閉じられる扉の音に聞き耳を立てながら、いつ彼らが戻って来るか知れない恐怖に震えていた。

 迎えか、それともベリルの命を狙う者たちなのか。


「まったく、君達は何を抱えているんだ?」


 小声で呟いたネイトさんがそのままの体勢で、震えるわたしを胸に引き寄せると、そのまま抱え込んで頭を撫でつけた。

 

 結局その後、いくら待ってもジェードは戻って来てはくれなかった。

 

 

 


 














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