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あなたを想う  作者: momo
夫婦となるまで
3/16

ジェード その1



 アウイラを抱きながら、俺は彼女を初めて垣間見た日を思い出していた。

 あの時からずっと想い続けた彼女。まさか自分が名前も知らなかった彼女の、白く柔らかな肌にこうして触れる日がくるなどとは夢にも思いはしなかったというのに。






 俺が生まれ育ったのはごく平凡な一般庶民の家庭だ。

 父は鍛冶屋で母は商家の下働きに出ていたが、上の兄二人が成人して父の仕事を手伝いだしたのを機に母は家庭に篭った。俺は兄二人が鍛治屋を継いだ事だしと自由を与えられ、子供の頃から憧れだった騎士の職業を手に入れた。


 貴族の子弟ではない俺は全国各地に赴任させられた。そのお陰で実力者を相手に剣の腕を上げ、世界を見て見聞を広めるに至り多くを学んでいたある日、国王主催の剣術大会が開かれ、その出場者として選出された俺は赴任地より王都に帰郷した。その大会で準優勝した俺は王より言葉を頂き、平民でありながら城で開かれた宴に出席する栄誉を頂いたのだ。

 しかし正直、貴族らが笑顔を浮かべて牽制し合う宴は庶民出身の俺には苦痛でしかなかった。その場を離れた俺は暗い庭園に身を隠す場所を探し、人気のない暗闇で一人の少女に出会ったのだ。


 潤んだ切れ長の瞳が驚きに見開かれこちらを見上げていた。はっとするほどの美少女に一瞬見惚れ、慌てて踵を返す。


「失礼」


 邪魔を詫びその場を立ち去ろうとすると「お待ち下さい」と少し低めだが耳に心地よく響く声が俺を引き止めた。


「あなたも逃げていらしたのでしょう? わたくしはもう参りますので遠慮なさらず」


 小さく微笑んだ彼女は少女の割に大人びた雰囲気を醸し出していて、擦れ違い様に頭を下げると明かりの灯る方へ歩んで行く。俺はその様を言葉もなくただ静かに見送っただけだった。


 その時から少女の面影が俺の頭から離れなくなった。相手は随分年下の、しかも貴族の令嬢。身分違いだと自分に言い聞かせ忘れようとしても無駄だった。

 やがて時が過ぎ、ある重要な極秘任務を言い渡され今度こそ忘れようと心に決めた矢先。

 俺は王の側室マリアベル様の寝所で恋い焦がれたあの少女に再会したのだ。







 *****


 前もって命令されていた俺と異なり、出立の直前に任務――それも王子を我が子として育てるという重圧のかかる任務を押し付けられたアウイラは、真っ青で今にも倒れそうだった。とてもじゃないが連れて行ける状態でないと判断したが、彼女は気丈にも赤子をしっかりと胸に抱きマリアベル様に決意を告げる。その後は泣き言も言わずに黙って俺に付いて来た。


 何の因果だろう。恋い焦がれた娘が側にいたが、状況を考えるととてもそんな風には思えなかった。

 兎に角俺は任務を遂行するべく前に進む。一年後か十年後か、もしくは一生か。いつまで続くか知れないこの状況に彼女だけではなく俺自身も恐れを感じていた。


 落ち着く場所を見つけるまではなるべく人との接触は避けたかった。しかしベリルと名付けた王子には母乳が必要だとアウイラから訴えられ、確かにそうだと納得するしかなかった俺は、宿屋の女将が紹介してくれた裕福な農家の家でしばらく世話になる事にした。そんな簡単に見知らぬ輩を招き入れてもいいのかと頼るこちらが心配になる程だったが、乳飲み子を抱えていると周囲の警戒が解かれる事実を今更ながら思い知った。


 ここで俺は麦の刈り入れや農地の整備に明け暮れ、アウイラは文句ひとつ言わずに家畜の世話や下働きに精を出す。いつ音を上げるかと心配していた俺だったが、懸命に働く彼女には正直驚かされた。

 

 弱り気味だったベリルも母乳を得て元気になり順調の様に思えたが、俺にはここに来てから一つ気がかりがあった。

 それはアウイラの容姿が際立って目立つ事だ。化粧を落とし埃に塗れてもその美しさは衰えを知らない。臨時で雇われた大男がアウイラを舐めるような視線で見ている様を何度も目撃し、嫌な予感がしてならなかった。だから麦の刈り入れが済んで大男の出入りがなくなると知った時は心底ほっとしたのだ。


 そんなある時、農家に用事のなくなったあの男が厩に入る姿を目撃し、俺は手にした鋤を投げ捨て一目散に駆け出していた。


 かなり遠目だったが間違いない。気を抜いて離れ過ぎた己の不手際を呪った。全速で走り辿り着いた厩を潜ると飼い葉の上で組み敷かれるアウイラの姿が目に飛び込んで来る。アウイラの剥き出しにされた白く細い足の間に入り込んだ男に殺意が湧き起こり、首根っこを掴んで引き離すと同時に渾身の力を込めて殴り飛ばした。


 目立つのを避けていた筈なのに、騒ぎを聞き付けた農家の主人に止められるまで俺は怒りに我を忘れ男を殴り続けた。気付いた時には男はピクリとも動かず半殺し状態だった。


 ベリルを抱いた女将に奥さんを隠してやれと怒鳴られ、そこでやっと我に返る。四肢を投げ出し意識を失っているアウイラの衣服は無残にも破られ、本来見せるべきでない場所が公然と曝け出されていた。騒ぎに集まってくる男達の足音が耳に入り、俺は慌てて上着を脱いでアウイラを包むと借りた客室に飛び込んだ。


 どれ程の抵抗を見せたのか。殴られた頬は腫れ上がり白い肌には数多の傷が出来ていた。彼女の泣いた所を見た事がなかったが目尻は濡れ、絶望の涙を流した跡に俺は酷く動揺して、濡れ布や着替えを女将が準備して持ってきてくれるまで、俺はアウイラを抱き締め涙をこらえる事しか出来ずにいた。


「未遂だったのかい? それなら大丈夫、ちゃんと立ち直れる。今すぐには無理でも愛する男に抱かれりゃ女は幸せなんだ」


 そう俺を慰める女将の言葉に更に自分を責めた。

 俺は彼女の夫じゃない、愛する男でもない。どうすれば癒してやれるだろうかと、襤褸と化した服を脱がせ、体を清めて傷の手当てをし清潔な服を着せる。


 本当は俺がここにいたら彼女を恐れさせるだけだろう。そう分かっていても彼女が心配で、偽りの夫婦を理由に彼女の側に留まり続けた。


 目覚めた彼女は取り乱すどころか涙すら見せなかった。それどころか気丈に振る舞い、俺の心中を察して慰めの言葉を口にする。あんな事が起きたばかりだというのに俺に触れ、俺を呼んだと、ありがとうと感謝を述べる彼女に、申し訳なさに言葉を無くし俺の方が縋り付いてしまった。守ってやりたいと、頼って欲しいと腕を伸ばせば、彼女は大丈夫だと俺を慰め優しく包み込んでくる。


 まだ成人して間もない少女ともいえる年頃の彼女に、俺は大人げなくも縋って許しを請うた。









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