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あなたを想う  作者: momo
夫婦となるまで
2/16

アウイラ その2




 事件の後、間もなくわたし達は再び東を目指した。

 あの日までは居心地も良く生活の糧も学べた場所だったけれど、わたしを襲った男が未遂だったのを理由に釈放されたからだ。

 あの男を半殺し状態にまで痛めつけたジェードに過剰防衛の疑いもあったが、妻が襲われる現場を目撃したので仕方がないとお咎めは受けなかった。

 けれどあの男からの報復があるかもしれない。面倒事は避けたかったので、引き止めてくれた農家の主人と奥方に感謝しつつも旅立つ。


 いくつかの町や村を通過しながら辿り着いたのは東の国境近く、貿易で栄えるケランという大きな街だった。わたし達はその中心地から少し離れた場所に小さな家を借り、家族としての生活を始めた。


 この頃のベリルは母乳以外からも栄養が摂れるようになっており、すくすくと元気に成長していた。何時かマリアベル様に、王宮に返すべき大事な預かりものだと分かっていたけれど、生まれて間もないベリルを育てて行くうちにそれ以上の感情が湧き上がっていたのも事実。

 わたしたちはベリルを二人の本当の子供として、世間一般の親がそうするような愛とごく平凡な生活を与えて行こうと決めた。


 剣の腕が立つジェードは街の組織の一つである警備隊に仕事の場を得て、わたしはベリルの面倒を見ながら家で夫の帰りを待つ主婦の立場をこなした。それにも慣れた頃、近所で小間物屋を営む奥さんの紹介で週に三日ほど、孤児院に読み書きを教える仕事を紹介され通うようになった。


 孤児院での仕事は短時間ゆえに生活の足しになる程の給金も出ない。そのせいで辞めてしまった教師の後任がなかなか見つからず、孤児院の経営者も忙しさから毎日子供たちに勉強を教える時間を持てていないらしい。わたし自身はベリルに多くの友達を与えてやりたくて手を上げたようなものだったが、孤児院の経営者からはとても感謝されその日のうちに教師の役目を頼まれた。


 勉強を教えるのは昼下がりだ。ベリルはお昼寝の時間で借りたベットですやすやと眠っている事が多く、そうでない日は背負って子供らに読み書きや計算の仕方を教えていたそんなある日。一人の青年がふらりと孤児院の敷地内に入り込んで来た。


「あれ、新しい先生?」


 人懐っこい笑みを浮かべ気さくに話しかけてきた青年は警備隊の制服を纏っており、年の頃もジェードと同じ程で警戒心が緩む。子供たちが彼を見知った様子だったせいもあるのかもしれない。


「アウイラと申します」


 自己紹介をして頭を下げると青年の目が瞬いた。


「あ、えっと……警備隊のネイト、です。宜しく」


 自己紹介しながら頭に手をやる彼が更に口を開くよりも先に授業を再開すると、彼は後ろに立って様子を窺うようにこちらへ視線を送り続けた。

 嫌だな、顔に何か付いているのだろうかと恥ずかしく思いながら授業を続けたが、間もなく子供たちの気が逸れネイトに付き纏うようになってしまった。どうやら彼は子供たちにとても懐かれているようで、しょうがないので今回だけは早々に授業を切り上げ、後は彼に任せてわたしはお昼寝中のベリルを抱いて帰宅した。



「警備隊のネイトと言う人に会ったわ」


 帰宅したジェードと夕食を摂りながら今日の出来事を話すと、ジェードは食事の手を止め「ネイト?」と呟いてわたしをじっと見つめた。

 その後「君の事か」と一人納得するように呟いて食事を再開する。どうしたのかと問えば彼は少し迷ってから話し始めた。


「そいつは警邏に出て直ぐに戻って来たかと思うと、天使に会ったとか馬鹿げた事を呟いて仕事をさぼっていたネイトという男だろう」


 どうやらジェードは彼を知っているようだ。それにしてもーー


「天使?」

「どうやらネイトは君に一目惚れしたらしい」


 首を傾げて聞き返したわたしに彼は素っ気なく答えた。

 惚れたって。わたしに?


 そのままジェードは変わった様子もなく食事を続け、それを見ていたわたしは胸の中心がチクリと痛むのもを感じて少し悲しくなった。


「あなたはどうなの、ジェード?」


 何が? と緑色の瞳が問うようにわたしを見据える。


「あなたは妻としてのわたしを愛してくれてる?」


 ジェードの瞳が驚きで見開かれ、それを見たわたしは「冗談よ」と笑って席を立つと、ベリルを抱き上げ寝かしつける為に二階の寝室に向かった。


 聞かなければ良かったと後悔しながら。








 *****


「ふぇっ、んま、んま……」

「いい子ねベリル。おねんねよ、ねんね」


 寝ぐずるベリルを抱いて揺すりながら暗く狭い部屋をうろつく。上手く眠れないようで時折「うえっ」と嗚咽を漏らしながら指をしゃぶるベリルを根気よくあやしてやると、やがて指を可愛らしい小さな口に含んだまま眠りに落ちて行った。


 二つ並んだ寝台の一つにそっと下ろすと「んま……」と声を漏らして寝息を立てる。その隣に添い寝をして目尻に滲んだ涙を拭ってやると、今度はわたしの目尻に涙が滲んだ。


 可愛い子。マリアベル様から託された愛しい、わたしの息子。

 何よりもベリルの事を一番に思わなければならない筈なのに、わたしの心には時折寂しさが込み上げてくる。


 君に一目惚れしたらしいと、さして興味もないように零した彼の言葉が胸を衝く。前の男の時はわたしが気付きもしていなかったのに気を付けていてくれた。なのに今回はーーネイトさんはあの男と違って安全だから気にしないという事なのだろうか。


 ぽろぽろと涙が零れ敷布に染みを作る。眠るベリルにそっと腕を回して縋った。

 どうしてこんなに悲しいの? いつもは流れない涙が今日に限って止まってくれない。


 暫くそうしていると寝室の扉が開いてジェードがこちらに歩み寄ってくるのが分かった。知らぬ振りして動かないでいると、ジェードはベリルとわたしを囲い込むようにして手をつき、彼の重みで寝台が軋んだ。


「もうすぐ一年だな」


 わたしの体を越えて身を乗り出しベリルの頭を大きな手で撫でつけたジェードは、その手をそのままわたしの頬にずらして仰向けにさせた。


「君は、いつの間にか十七になっていたのか」


 あの日のわたしは十六で、突然の出来事に着の身着のままジェードの後ろを付いて来くるしかなかった。けれどあの時は何も知らなかったわたしも、今では子育てをしながら一人で家事もこなせるようにもなっていた。


 長いようで短かった時間を共に生きた人。ただ時間を過ごすだけじゃなく、秘密を背負って彼と一緒に生きてきたのだ。

 わたしは仰向けの状態で流れた時間を思い出しながら、黙ってわたしを見下ろすジェードの瞳を見つめていた。 


「君が――思いを寄せてくれていると自惚れてもいいのか?」

「あなたは違うの?」


 肯定の意味を込めて質問を質問で返すと、ジェードは一度目を閉じて思案するように首を振った。


「年頃の娘が側にいる異性に興味を持ってしまうのは良くある事だ」

「一過性の思いだと?」


 確かにそうなのかもしれない。けれど、違うかもしれない。


「君はハヴェス子爵家のご令嬢で、俺は何の身分もない男だと分かっているのか?」


 普通に過ごしていたら接点すら持たなかっただろう。結婚相手を見つける為に城に上がりながら興味が持てずに投げ出していたわたしには、嫁ぎ遅れになる十八までには父が決めた相応の相手と結婚させられたに違いない。

 だけど。


「いくらご令嬢でも駆け落ちした娘に齎される縁談は後妻がいいとこよ。その申し出も無ければ子爵家にとってわたしは面汚で邪魔な存在にしかならない」


 いつか王都に帰る日が来たとしよう。王の子を守る役目を担い男と姿を消したわたしに、たとえ王の口添えがあっても醜聞は消えない。マリアベル様はそれを理解していたからこそわたしに人生を奪う許しを請うたのだ。


「それに身分なんてどうでもいい。今のわたしが子爵家の令嬢に見えて?」


 自分の身の回りどころか、料理や洗濯もできる。子供を背負って買い物に出て仕事までしているのだ。これが貴族社会に知れれば醜聞どころでは済まされない。 


 わたし自身はとっくに身分を捨てている。お願い、それに気付いてと込み上げる涙を必死に留めた。


 わたしを挟むように腕を突いて見下ろしていたジェードは無言で寝台から退く。その動作に拒否されたのだと悟ったわたしは、またも込み上げてきた涙を隠すように身を捩ってベリルに擦り寄った。


 だけどそんなわたしの体と寝台の間に二本の腕が挿し込まれ、浮遊感を感じた瞬間にはもう一つの寝台に仰向けで寝かされていて、直ぐ近くでジェードの瞳がわたしを覗き込んでいた。


「君は覚えていないだろうが、俺達は君が城に上がって間もない頃に一度だけ会っている。俺はその時からずっと君に惹かれていたんだ」


 彼の思わぬ告白に頭の中が疑問に満ちる。けれどそれもわたしを覗き込む彼の瞳に囚われ言葉に表す事が出来なかった。


「途中で止めないからな」


 ジェードはそう呟くとわたしが答える前に唇を重ねた。







 *****


 重い瞼を持ちあげると微笑みを湛えたジェードがわたしを見下ろしていた。その手にはベリルを抱いていて、わたしはめったに見ない彼の笑みにしばし見惚れた。


 窓から差し込む柔らかな光。それは夜明けの色ではなくて、寝過したのだと気付いたわたしは勢い良く起き上がる。体が軋んだが構わず詫びを述べて、その時初めて自分が何も身に付けていない裸の状態であると把握し、驚きで顔を熱くしながら再び寝台に戻りずり落ちた上掛けを掴んで引き揚げた。


 忘れていた訳ではないけれど、昨夜わたしは彼に抱いてもらったんだ。そしてそのまま何も身につけずにいつの間にか眠ってしまったのだろう。

 昨夜の出来事を思い出すと酷い羞恥に襲われた。けれどベリルが腕を伸ばして抱っこを強請るので、前だけでもジェードに見られないよう隠しながら起き上がり彼からベリルを受け取る。

 

 あんな事をしておいて隠すなんて今更だと思いはするが、恥ずかしい気持ちはどうしようもない。視線すら合わせられそうになくてベリルで彼の直視を遮った。


「ごめんなさい、寝過してしまって……」

「気にしなくていい。辛いだろうと思って起こさなかったんだ。体の調子はどうだ?」

「えっ、あのっ……そのっ……大丈夫」


 身体の調子ってこの、とんでもなく軋む体のことだろうか。それとも痛みが走る下半身――どうしてそんな事が彼に分かるのだろうと不思議に思いながらやっとの思いで大丈夫と答えた。

 恥ずかしすぎてベリルで顔を隠し続けていると、ジェードがベリルを奪い取ってしまう。抗議の声を上げるベリルを取り戻そうとして手を伸ばすと、「愛している」と彼が口走った。


「――え?」


 思わず聞き返してしまったわたしは呆気にとられていただろう。暴れるベリルを上手く抱き抱えながらジェードはわたしを見つめ続ける。


「昨夜の答え。俺は妻として君を、アウイラを愛している」


 妻として愛してくれてるのかと漏らしてしまった本音。彼の同僚がわたしに一目惚れをしたのだと何でもない風に語られ、悲しくてつい漏らしてしまったわたしの想いにジェードは応えてくれたのか。


 一方的な感情だと思っていた。諦めていた答えに目頭が熱くなる。わたしに惹かれていたというのは本当なのだと――夢ではないと受け止めていいのだろうか。


 嬉しくて零れ落ちる涙に驚いたのか呆れたのか、ジェードが小さな笑みを浮かべた。

 疑っている訳じゃない。思いを知れて、応えてくれて嬉しかったのだ。


「違うの、あなたの心を疑った訳じゃないの。ただその言葉をもらえるとは思ってもいなかったから嬉しくて」


 偽りではない家族。妻として彼の側でベリルを愛し育てて行ける。何時まで続くか分からないけれど、わたし達は偽りの家族ではない。これからはジェードの本当の妻として有れる事がこれ程に嬉しいなんて自分でも気付いていなかった。


 そのまま抱きしめられ、わたしもベリルとジェードの背に腕を回す。

 この幸せがいつまでも続きますようにと切実に願いながら。







 *****


 一夜の出来事が世界を変えた。

 同じ屋根の下で暮らしていても見えない距離があったのはどうしようもなかった。わたし達は家族でありながら互いに遠慮と必要以上の気遣いをし、何処となく緊張して生活していたのだ。けれど昨夜、互いの気持ちが分かったおかげか、いつも感じていた距離が詰められ違った温かな空気が流れる。


 ジェードの用意してくれた朝食を二人でとってから彼の出勤を見送った。それから本来持たせる筈だったお弁当の準備に取り掛かる。一緒に昼食をとりたいから届けてくれと言った彼に従ったのは、少しでも彼と同じ時間を共有したかったから。パンに焼いたお肉と野菜を挟んだお弁当は彼が作り方を教えてくれたもので、同じものをわたしとベリルにも用意し、ジェードのお弁当を下げて彼がいる警備隊の詰所へ向かった。


 詰所は街の中心にある。わたしはベリルを抱いて歩きながら、あまり見慣れない景色を楽しむ。場所は知っていたけれど少し迷ってしまい焦りを覚えたが、早目に家を出てきたのでお昼には十分間に合った。


「アウイラ?」


 声を掛けられて振り返ると、昨日孤児院で会ったネイトさんが驚いたような表情で立っていた。


「どうしてここに――って、あれ、その子?」


 眉間に皺を寄せ差し出される指先がベリルを捉える。挨拶をしなくてはと口を開きかけた時、後ろから腰を捉えられ引き寄せられた。

 首を捻ると緑色の瞳がわたしを見下ろしていて、ベリルが嬉しそうに声を上げる。


「ジェード」

「予定より早かったな」


 ジェードは腕に力を込めさらに自分の方へわたしを寄せると、ちゅっと音を立て頭にキスを落とした。

 こんな風に人前で接近したのも初めてなら、まるで恋人同士にも思える態度を取られたのも初めてで。少々面食らったわたしはすぐ側にネイトさんがいるのを思い出し、恥ずかしさに頬が染まるのが自分でも分かった。


「え、なに? どう言う事!?」

「妻のアウイラと息子のベリルだ。よろしく頼むよ」


 目を瞬かせるネイトさんにジェードがわたし達を紹介する。


「あの……主人がお世話になっております。これからもどうぞ宜しくお願いいたします」


 慌てて頭を下げたわたしにネイトさんは「あ、いや……」と口籠った。わたしは肩に下げた鞄から包みを取り出しジェードに渡す。そのまま来た道を戻ろうとした所でネイトさんに引き止められ中でお茶でもと勧められたが、午後からは孤児院に行かなければならなかったので丁重に断りを入れた。帰り際、今度はこめかみにジェードの唇が押し当てられて恥ずかしかったけれど、嬉しくもあった。


 その日の午後、孤児院で子供たちに読み書きを教えている所へネイトさんが現れる。それからも彼とはよく孤児院で会うようになり、何時しか彼とは我が家で食事を振る舞うまでに仲良くなった。










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