ジェード
久し振りの王都に、やっとここまで来れたと周囲を見渡す。感慨深さよりもこれからに向かう意気込みの方が強い。
砦に落ち着いて四年、幾度となく異動願いを出したが許可は下りず、国王主催の御前試合にも参加の許しは出なかった。
それでも諦めきれず前だけを向いて生きてきた。その甲斐があったのだろうか。今年になってやっと御前試合参加の許可が下り、俺は砦の騎士代表として王都の土を踏んだ。
過去三年の砦代表はかなりいい線まで行ったらしいが、入賞し近衛騎士代表と剣を交えた時点でことごとく敗北した。平民出身が多い砦の騎士達は爵位持ちの近衛らに負け続けた事実が余程悔しかったようで、俺が選ばれるに至った原因はこちらかもしれない。
そんな訳で今回は砦の威信もかかっており、試合の結果は俺自身の問題だけでは済まなくなった。試合の目的が己の欲だけでは終わらなくなっている事にも時の流れを感じる。
国中に散らばる団や砦の代表が会する国王主催の御前試合。初参戦から十年以上が過ぎ再びその舞台に立つ。当時は決勝で敗れるも王より言葉を賜り、そのお陰で何よりも大切でかけがえのない存在となる二人に出会えた。辛い思いをしたが出会えた奇跡に後悔はない。
騎士は槍や武術も使いこなすが、王主催の試合は剣術大会となる。俺にとっては他の二つに比べると得意分野で有利ともいえるが、王の御前で剣を揮う入賞者四名となった所で、剣の道においては精鋭ぞろいの近衛騎士団より選りすぐりの騎士が四人加わり合計八人が優勝を目指して戦う事になるのだ。
初参戦時の俺は現在は近衛騎士副師団長となっているカイエラ=ダグラスという男に敗れたが、この日の為に鍛練を積んだ俺は相手が誰であっても負けるつもりはなかった。
順調に勝ち進んだ俺は入賞者四名の中に入り込む。入賞者が出揃った時点からが王の観覧となり、王の入場と共に会場が沸いたがその歓声は耳に届かず、視線は王の側に立つ少年へと釘付けにされた。
別れた時は六歳の子供だった。けれど目に飛び込んできたのはすらりと背が伸び成長したベリルの姿。庇護欲をそそる可愛らしい幼児から脱却した十歳の少年。その少年の目が俺に重なると大きく見開かれ喜びに輝く。随分大きくなったと時の流れを感じたが輝く瞳はあの日のままで、すこやかなベリルの成長に感慨深さで涙が出そうになった。
贔屓目に見ずとも王の隣に立つ姿は少年とはいえ立派だ。大勢の大人達に囲まれても堂々としたその姿にベリルの生きる場所がそこなのだと改めて納得する。そして俺はその場所に近付く為にここに立っているのだ。
王とベリルの後方には王女とそのご生母である側室が並ぶが、その中に追い求める人の姿は見当たらない。
マリアベル様亡き後ベリルの母親代わりとなったアウイラを、王は誰の目にも触れさせぬ程に寵愛していると耳にしたが、ここに姿を見せていない辺りその噂はどうやら事実らしい。
ベリルの側で彼女が幸せにしているのならそれでも良いと、今は目の前の現実に集中する。あと三試合全てに勝利しなければ道は開かれないのだ。前回は昇れなかった頂点を貪欲に目指す。
一戦目は近衛を、二戦目は他の砦に席を置く騎士が相手となった。
一戦目の近衛は貴族出身だけあって基本に忠実で正当な剣儀で隙を狙ってきた。形はこちらも体で覚えているが貴族であっても流石近衛騎士。動きの速さは今まで相手にして来た者達とは比較にならず、苦戦しながらも何とか一勝を収める。
二戦目の相手は命の遣り取りの経験が豊富だと一目で分かる、いわゆる何でもありな戦い方で俺と同類の騎士だ。当然卑怯な手も使って来るがこちらも遠慮なく使わせてもらい二戦した所で決勝となる。対戦相手として姿を現した男には見覚えがあった。
チェイス=クローレン。男爵家の次男で十三年前に史上最年少の十六歳で優勝した男だ。体の出来あがっていない状態の十代では上位入賞するのすら初めての出来事だったのに、この男は優勝までなして見事王の近衛に抜擢された。
そしてこの男は四年前のあの日、俺に任務終了を告げ、一戦交えた折には容易く腕を取り戦闘不能に陥らせてくれた男でもある。
御前試合で優勝経験のある者は出場できないのが暗黙の了解となっており、その慣例が破られるのは恐らくこれが初めてだろう。この男がここに出て来たという事は、やはり俺は歓迎されないようだ。
俺を砦の代表にするために尽力してくれた上官の苦労を思うと、どういう訳だか苦いものが込み上げてくると同時に、外された肩が痛むような錯覚に陥った。
剣を手に向かい合うと人を食ったような笑みを口の端に浮かべている。開始の合図が上がったが両者動かずしばらくの間を置いた。
出方を窺っても埒が明かない。相手の動きが鋭いのは前の件で承知しているので最初の一手から本気でぶつかった。
ガン……と鈍い音をたて剣が交わり、潰された刃が欠ける。受け流すと思ったが受け止められ間合いを詰められた。
「見た目より重いな、結構苦戦しそう」
奴は余裕の笑みを浮かべ剣を受けた感想を述べて来る。押し離し再度切り込む前に相手の剣が伸びてきたので受け流しそのまま切り込むと、それも受けて再び間合いを詰めて来て口を開いた。どうあっても話がしたいらしい。
「そんなに二人の側にいたいのか? なんなら負けてやってもいいけど?」
「貴様っ!」
国王主催の御前試合で何たる不敬と怒気を強めると、相手は冗談だと笑って俺を押しのけた。
「勝たなきゃ団長から俺が締められる。悪いね、夢を邪魔して」
夢?
夢だと?
俺は剣を受けながらチェイスの言葉を頭の中で復唱する。
夢なんてそんなものじゃない、俺は居場所に戻りたいだけだ。ベリルとアウイラ。二人との穏やかな時間が夢だったのだと、簡単に諦められるほど俺の気持ちは生温いものじゃない。
怒気を孕んだせいで乱れた剣筋を軽々躱され、伸びた剣先が服を掠める。刃は潰してあるので実害はないが、気を抜き隙が出来れば必ず仕留められるとチェイスの実力に感嘆した。
この男、最年少で優勝したが最も得意とするのは体術なのだという。苦手だという槍ですら国内では上位三位以内に入るというのだから天才の名は伊達ではない。気を抜けばやられると感じていたが、調子よく話しかけられ狂わされてしまったようだ。
だがそれも言い訳、どうあっても全てが俺自身の実力だ。最初で最後の好機を逃す訳にはいかない。
剣を受けながら調子を取り戻して行くにしたがい分かって来た事がある。長い手足は柔軟性があり細かな動きも得意だが、早さに至っては俺の方が僅かに上で、相手も持久力は凡人の比ではないだろうが俺だってそうだ。必要最低限の動きしか見せないのは体力温存の為と、こちらの体力を削ぐ目的もあるだろう。話しかけて動揺を誘うのも戦略だが、俺がそれにはまらなければ無駄口に終わる。
そして何よりも大きな差は、近衛騎士という環境におかれたチェイスと、国中を回ってあらゆる特徴を持ち合わせる多数を相手にして来た俺との経験の違いだ。基本が貴族特有の形に由来する限りは初めて剣を交える相手であっても時間がたてば流れが読めて来る。
押され気味だった俺の方が優勢に回ると相手の眼差しが真剣さを増し、動きが更に素早くなった。だが俺もそれに難なく対応できるだけの努力を積んで来たのだ。繰り出され続ける剣を受け返しながら流れに任せる。チェイスはその流れが気取られる前に打ち方を変化させるが、俺はそうやって変化させる瞬間に出来る僅かな間を狙っていた。
金属が触れ剣が弾き飛ぶ。俺は驚きに目を見張ったチェイスの喉元へ剣先をつき付け、同時に大歓声が上がった。
見開いた眼のまま幾度か瞬きをしたチェイスだったが、一つ大きな溜息を落とし両手を軽く上げ「降参」と掴み所のない笑みを口元に戻した。
真剣勝負だったというのにまるで遊びか馴染みある相手との訓練の一環の様な態度を不快に感じたが、これがこの男の性格なのだろう。他人に心の内を覗かせない、人を食った笑い方は防御壁のようでもあるなと思いながら剣を下げる。
沸き上がる歓声に勝利を自覚しながらも俺自身に大きな歓喜はない。剣を引き鞘に納めながらベリルの方へ視線を向けると、立ち上がって両手に拳を作り今にも泣きそうな顔をしていた。
やっと、やっとここまでこれたという思いだけが俺を支配する。勝利が宣言され王の御前へ侍る許しがでると、俺は自分でも不思議なくらい落ち着いた気持ちで歩み寄り膝をついた。
「流石は余が見込んだ男だ、見事であった」
最初に見込まれたのは十年前。そして今日は執拗に追い求め舞い戻って来た。短い返事の後に首を垂れ言葉を待つ。国王主催の御前試合に勝利した騎士へ贈られる名誉は、ほぼ決まりで王族の護衛である近衛騎士団への入団だ。これまで幾度となく門前払いを受けた異動願い、俺に残された策は御前試合での優勝、それしかなかった。
「そなたには勝者の名誉が与えられるが、特に望むものがあれば余の権限で出来る限りの褒美を与える。何なりと申してみよ」
「はっ、私の望みはただ一つ。近衛騎士団への入隊で御座います」
許されるならとの言葉は付け加えなかった。それが不満だったのか、王は「うむ」と顎に指を這わせ考えるような仕草をとる。
やはりベリルの側に侍る事は許されないのか。それでも諦められない俺は「何卒」と膝をついたまま乗り出すように意を表すと、王は側に控えていた近衛騎士団長の名を呼んだ。
「確かこの者には異動が命じられていたと思うが、どうだったかな?」
「陛下の仰られます通りに御座います」
異動……そんな話は聞いていない。いったい何処に飛ばされるんだと下を向き眉を顰めると、騎士団長から名を呼ばれ再び面を上げた。
「お前の異動願いは昨日付で受理され、明日より近衛騎士団への異動が決定している。砦へ戻れば正式の宣旨を受けよう」
近衛騎士団長の言葉に驚き王を仰ぎ見ると、王は笑みを浮かべ頷く。
王の見せた穏やかさに俺は混乱した。
王は俺を仕える駒として転がしただけではなく、ちゃんと一人の人間として向き合ってくれているのか。許すという事は王の大切なものに手を伸ばす位置を獲得するということ。俺は、それを本当に許されたのだろうか?
「誠心誠意、私の全てをかけお仕えさせて頂きます」
「期待しておるぞ。それでは改めてそなたの願いを聞こうではないか」
何なりと申してみよと目を細める王に戸惑い、俺は恐れ多いと首を振った。
「とんでも御座いません。私の願いは近衛騎士、他に望むものなど」
「何か他に一つくらいはあるであろう?」
何もないと答える俺の言葉を阻み遠慮するなと見据える王に、俺は疑問を抱きながらも漠然としながら首を振る。
「いいえ私は……」
どういう事なのか。何か言えと期待に満ちた眼差しを向けられる王に尻込みしてしまうが、それならと更なる願いを言葉に表す。
「では、恐れながらエジワルド殿下付きの栄誉を」
「それは警備上最善とされる持ち場がある故、全て近衛騎士団長の采配となる。余は口出ししないと決めておるので他にはないか?」
やはりそれは許されないのか。当然だろう、父親としてベリルが物心つく前から一緒にいた男が側に立つのを、王とて穏やかな気持ちで見られる筈がない。
「私のような者には勿体なき事ばかり。これで十分に御座います」
「あるであろうに?」
何故言わぬと呟きながらつまらなさそうに息を吐く王の隣で、明らかに怒っていると分かるベリルが俺を睨んでいた。それから王の袖を引くと「父上約束ですよ」と口の動きから言葉が読め、王が「わかっている」と答え不意に立ち上がった。
「何と欲のない男だ。ならば褒美として余の側妃の中から一人そなたに下げ渡すといたそう」
「恐れながら陛下、それはっ!」
王の妾など欲しいなどとは思ってもいない。とんでもないと拒否しかけた所で俺ははっとした。
王が示す側妃は間違いなくアウイラだ。勿体なくも王が執拗に褒美をとせかしたのはそれを望めといっていたのだ。だからこそ先手を打っての近衛騎士団異動という事だったのだろう。
思わぬ展開に言葉を失いながらもふつふつと喜びが湧き上がり、しかしそれを悟られまいと押し留める。
アウイラが下げ渡される?
しかし一瞬の喜びの後襲ったのは不安だった。
そもそもアウイラがベリルから離れる事を望んでいる訳がない。そして俺がベリルからアウイラを引き離していい筈もなく。
やはり駄目だと断りを口に乗せかけた所で先に王が「ただし」と言葉を続ける。
「下げ渡すのはただの妾ではない。この王子が良く懐いており失うには惜しい存在故に、下げ渡した後も城への出仕が条件となるが。勿論そなたは呑んでくれような?」
こんな都合の良い展開があっていいのか。
今までの苦労を思い俺は何が起こっているのかと眉を顰めた。真意を確かめようと王に見入ると、その隣に立ったベリルが「早く頷いてよ!」と競技場と席を隔てる壁を乗り越え駆け寄って来たではないか。
驚いた俺は跪いたまま、大きく成長したベリルを感慨深く見上げ言葉も出ない。ベリルがそんな俺の肩を掴んで大きく揺さぶった。
「お母さんの事、もういらないのっ!?」
そんな訳がある筈がない!
俺は唖然としながらもベリルに後押しされ深く首を垂れた。
「有り難きお言葉、謹んでお受けいたします」
*****
全てが信じられなかった。目の前に差し出された何もかもが幻ではないのか、目を覚ませば夢と消えてしまうのではと不安で眠れず、夜が明けるとすぐに砦への帰路についた。
昨日の出来事が夢でも幻でもないなら近衛への異動命令が出ている筈だ。僅かな荷を背負い宿を出た所で後ろから肩を掴まれる。気配を感じなかったのは俺が動揺しているからなのか相手のせいなのか、振り向くと、なにやってるんだとばかりにチェイスが眉を顰めていた。
「彼女が欲しかったんじゃないのか?」
俺が向き直るとチェイスの眉間に更なる溝が刻まれた。
「お前……昨日と同一人物だよな?」
後で聞くとこの時の俺は剣を持ち一戦交えた時とはかけ離れ、随分と滑稽な表情をしていたらしい。チェイスは俺が進もうとしていた方向とは逆を示し、ついて来るように指示した。
連れて行かれたのは城で、旅装束の俺に取り合えずと渡されたのは近衛の制服。俺は砦に戻らずこのまま任務に就く事になるのだという。着替えろといわれ従うとその後もチェイスが俺を案内した。帯剣も許され、本当に近衛として居場所を得たのだと実感する。
このまま新たな上司の下に連れて行かれるのかと思っていたが、足を踏み入れたのは居住区となっている一角で、そこは季節の花が咲き乱れる美しい庭園だった。
チェイスが人さし指を口の前に立て気配を消す。俺がそれに従うと腕を伸ばして背中を押され、導かれるまま足を前に出せば、黒髪を結い上げた女性がこちらに背を向け花を摘んでいるのが視界に入った。
白く細い首筋、華奢な肩から下にはなだらかな曲線。花を摘むのに伸ばされた腕の運びはしなやかで、垣間見た横顔は穏やかだった。
側妃を下げ渡す――王の言葉とベリルの態度からその側妃がアウイラであるのは確実だったが、アウイラをこの目にしても信じられない思いでいっぱいだった。
本気なのか、冗談だったと目の前から取り上げられてしまうのではないかとの不安から声をかけるのを戸惑い、花を摘むアウイラを背後からただただ無言で見守り続けた。
アウイラを含む光景は終始穏やかで、ここでの生活が幸せなものだと窺い知れた。違和感なく馴染む彼女の姿に離れた時間の長さを感じ、ここから連れ出してよいものかと後ろ向きな考えが浮かんだ。
離れた時間の分、彼女にも築きあげた大事な物があるに違いないのだ。城への出仕は許されるが、下げ渡されるという事は四六時中ベリルの側にいられなくなるという事でもある。血の繋がりがなくとも母親というのは特別な存在で、アウイラのベリルに抱く思いも実の我が子以上のものがあるのは語られずとも知っていた。
目の前にぶら下げられたものに喜び、両者を望む俺は間違っているのではないだろうか。
花を摘むアウイラを黙って見つめながら考えていると、ふいに振り返ったアウイラが俺を目に止める。と同時に息を呑んだ。まるで幽霊でも見たかのように驚き青い瞳を見開いてそのままの姿勢で固まってしまう。
「アウイラ……」
随分と時間がたってから名を呼んだ。掠れた声が花の香に紛れ込む。
「う、嘘……」
唖然と呟いたアウイラに一歩近寄ると、アウイラは逃げるように一歩退いた。その態度にやはり来てはいけなかったのかと大きな不安が過る。
「アウイラ……」
「駄目よ、大変な事になるわ!」
今にも泣き出しそうなアウイラの表情に、彼女が何も知らないのだと気付かされた。
恐らくアウイラは近衛の制服を着てこの場に立つ俺を、ベリルに会う為に罪を犯してやって来たのだと勘違いしたのだ。花束を片腕に抱いて空いた腕を伸ばすと、俺の袖の端を引いて隠れる場所を探し始める。
「アウイラ俺は――」
俺だって混乱している。だが何の事情も知らないらしいアウイラの混乱は俺の比ではないだろう。
とにかく誤解を解かねばと彼女に腕を伸ばせば、俺の背後に視線を向け見る間に真っ青になった。
吊られて振り返ると、ベリルを伴った王がこちらへ向かって足を進めてくるのが目に入る。
アウイラは酷く戸惑いながらも花を抱いたまま膝を折る。その膝をついた位置からして、少なからず王から俺を隠そうとする感情が読み取れた。
俺の為に必死になって言い訳を探しているのが表情に表れる。可哀想だが真実を語る時間がない分、少しでも早く王がアウイラにお話し下さるのを待つしかないと、俺は黙って首を垂れて王が前に立つのを待った。