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遊々楼閣  作者: 虹雪
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前編

 この道をまっすぐ行って、突き当りを左に曲がると、右手に扉があります。そこが遊々楼閣(ゆうゆうろうかく)です。


 そんな看板がさびれた街の一角にあった。行き交う人々は、そんな看板があることなど気づきもしないのか、皆足早だった。

 ダブグレイ、紫がかったグレイの様な髪に、色素の薄い茶色の瞳をした呉は、暇をもてあましていたので時間つぶしにそこに行くことにした。

 家と家の間にある道は、人一人が通るしか使われていないのかと思ったほど、狭かった。肩がぶつかる分けでもないが、窮屈な感じは受けた。

 道は、看板に書かれていたものしかなく迷いようがなかった。

 呉の目の前にある扉は木が半腐りかけで、木臭さが鼻についた。老朽化したコンクリートの三階建ての家の不必要な位置にある扉をノックし、丁寧に訪ねた。


「どなたかいらっしゃいますか」


 声はない。もう一度同じように問いかける。手はノブの上に置いていると、ひねりもしないのに勝手にノブは回され、(くれ)を引っ張るように開いた。


「ようこそ、遊々楼閣へ。お入りになって下さいまし」


 目鼻立ちのはっきりした女が呉に言う。女は着物を着、肩を出し白塗りに赤い口紅を塗っていた。


「おじゃまします」


 丁寧に、おぼつかないながらもお辞儀までした呉に、女は気を良くした。


「番台さん。この方私が案内します。初めての方ですし、私の方がいいと思います」


 女が、番台と呼ばれる場所に話しかけると、木の台から赤に金の刺繍をあしらえた布をたらし、白い百合を飾った、ホテルで言うところのカウンターのようだった。

 そこから、八の字のヒゲに黒いスーツの男が顔を出す。


「はい。美音様。そちらの殿方はお名前とご住所をこちらにお書き下さいな」


 男は人差し指で長方形を作ると、そこから透明で厚さ二センチほどのボードのようなものが出てきた。透明の中で光を浴びているためにそこにあることが分かった。

 ボードには、あいうえお順で打て、長細い画面があった。呉は番台に従い、名前と住所を打ち込んでいった。


「こちらは、お金はどのくらいいるんですか」


「呉様のお気持ち次第です。楽しんでいただけただけお支払い下さい」


 番台はそう言うと、美音に目配せして立ち去った。


「さあ。行きましょう」


 美音に案内され、木張りの空間の真ん中にある、大きな赤い扉の横にある四角の中に納められた数字をいくつも押す。そして、最後に確定を押すと、扉は二つに分かれて開いた。

 中は別世界のようだった。立方体の中は吹き抜けの空間に人々が宙を漂っている。気持ちよさそうな顔をして。


「何ですか。ここ」


「遊々楼閣ですわ」


「いや、そうではなくて、何故人が宙に浮いているんですか」


「遊々楼閣ですから」


 呉にとっては答えにはなっていなかったが、美音はにこりと微笑むと、ここの遊び方を説明し始めた。


「ここには、何百通りの遊びがあるのですが、どうなさいます。それこそ宙を漂ったり、体感ゲームをしたり、冒険したり出来ますわ」


「はあ……。よく分からないんですが、リラックス出来たりするのはありませんか」


 呉の問に笑みで答えて美音はエレベーターに乗り、呉も後に続いた。

 美音はエレベーターの中、右端にある二十という数字を押したが、呉は首を傾げる。ここは二十階も高さのある建物だっただろうか。せいぜい五、六階だった気がすると呉は思っていた。

 外から見たので間違いはない。だが、エレベーターは高く上がって行く感覚がある。五、六回をゆうに越えている。


「呉様大丈夫ですか。顔が青くなっていますよ」


「大丈夫です」


 少し、震える声で呉は言ったが説得力はあまりなかった。 エレベーターは静止し、音もなく開かれる。

 そこには生きた金魚が宙を泳ぎ、人々も泳ぎながら移動していた。

 美音は付いて来るように言いながら、泳いで行く。エレベーターから出ると体は水中に入った時と同じ風に浮かぶ。  呉も後を追うが、息を止めていたためもがいていると、呉とは反対側へと泳いでいた婦人にくすりと笑われた。


「息出来ますよ」


「あ。本当だ。ありがとうございます」


 馬鹿丁寧な呉に、婦人はまた笑い、泳いで行った。吐いた息は泡となって上に行く。そして、近くの網目状の穴に入って行った。

 美音は人魚のようにすいすい泳ぎ、二十三と書かれた部屋へと入った。

 そこは、水中ではなかったためふわりと地上に降り立つ。部屋の中は、白いカプセル型のベッドが置かれていた。

 壁とベッドは真っ白い。けれど床に敷かれた畳が奇妙な雰囲気を作っている。


「ここに寝て下さいな」


 白いカプセル型のベッドは自動で開き、美音の言うとおり呉は従うとまた、自動で閉じられた。

 呉は白だけの世界に取り込まれた。美音の声が何かを通じて聞こえてきた。


「あなたは癒されたい。でしたら夢をみるのが一番です。あなたが癒されるまで徹底してお付き合いします」


 呉は美音の言葉を薄れる意識の中で、心地よさと共に聞いていた。


 体がふわふわの毛布の中にいるような気がした呉は、あたりを見渡すとそこは白い毛玉がふわふわと塊になって漂っていた。澄んだ青い空の上で。


「雲の上なのか」


 驚いた呉は勢いよく飛び起きて、雲から落下してしまう。声にならない悲鳴が、口から漏れる。

 ラクダ色の大地は落下とともに近くなる。涙目になり、恐怖を味わいながら念仏を唱え始めた。

 思えば呉は幼い頃に一度木から落下した以来、高いところが苦手で、二度と登るまいと誓っていたはずなのに、大人になって高いところから落下するとは思わなかった呉は、夢と言うことを忘れていた。

 そして地面に叩きつけられ、跳ね返る。


「はい」


 疑問に声が裏返る。見ると地面はトランポリンのように柔らかく、そしてよく跳ねた。止まることなく高く跳ねながら進んでいく呉の体。

 死ぬことはないと分かっても恐怖は拭えず、止めようと必死にもがいた。

 抵抗虚しく、ぐったりした時にはもう呉は夜の街の一角にいた。


「うっ……うえっ」


 胃液が逆流し、胃の中のものが吐き出された。

 街のネオンと冷えた空気は、呉の内蔵をいたわってくれていた。 虚ろな瞳をネオンに向ける。遠くから人のざわめき声が聞こえるが姿はどこにもなかった。ネオンの点滅するその文字を見ていたら、急に襲ってきた睡魔に瞼を閉じる。

 夢の中での睡魔に疑問に思ったが、考える余地なく意識は途絶えていった。


 目を覚ました呉が見たのは、白い壁と美音の姿だった。


「おはようございます。良い夢は見られましたか」


「いえ、全然。どちらかと言えば悪い夢しか見てないです。どこが癒されるようになるんですか」


「じゃあ、こちらに来て下さいな。答えが分かりますわ」


 美音と外に出て、泳いでエレベーターに乗ると屋上と書かれたボタンを押した。そして動き出し、軽く重圧がかかる。

 扉が開き、出てみるとそこにはコンクリートでできた地面に夜空に星が広がっていた。


「え、屋上ですか」


「えぇ。こちらに行らして下さい」


 美音は呉の手を引き、夜景が見える場所までたどり着く。


「上ってみて下さい」


「えっ。嫌です。僕は高い所が苦手でして」


「分かっています。でも少し勇気を持って上ってみて下さい。私の手をつかんで下さい」


 一段上にいる美音は切れ長の目をさらに細ませて笑った。その顔に引き寄せられるように呉は、美音の手をつかむ。乳白色のふわりと弾力がある手に、呉は少し耳を赤らめた。

 少しの勇気を出してみる。瞼を閉じる。

 両足を一段高い場所にと移すと、体の重心が定まらず、風にさらわれそうになった。

 そして、ゆっくり瞼を開けると色鮮やかな世界が呉の瞳に入る。

 ひんやりと背筋を伝う信号に怖じ気づきそうになったが、鮮やかな世界は心の内から凝り固まっていたものを休ませてくれた。


「綺麗ですね」


「えぇ。綺麗ですね。こんな綺麗な世界を今まで見られないなんて損してましたよ」


 呉は心から思った。確かにそうだと。今まで、勇気も出さずに避けた世界を恐怖も感じずに眺められる幸せを噛みしめた。


「人は行き急ぐ生き物だから、鮮やかな世界を知らずにいる。それはとても損なこと。私達はそんな人達に少しでも、癒やしや安心、居場所を創れればと思っています」


 美音の言葉に心温まった呉は、礼を言い家に一度帰ると告げた。


「え。もうお帰りになるの。もっとゆっくりしていって下さい。泊まることも出来ますわ」


「そうしたいんですが、家には弟がいるんです。まだ十五でして、帰らないと」


「そんな。今途中で辞めてしまえばあなたが望んでいることを実現出来ないわ」


「すみません。また来ますので。弟が寂しがるんです」


 エレベーターに乗る呉に美音は一緒に駆け寄って乗り込む。


「本当にお帰りになるんですの」


「はい。また来ます」


「……弟さんをこちらに呼んではいかがですか。そうすれば問題はないのでわ」


「いえ。学校もありますし。俺も仕事がありますので。今は何時ですか」


「えっ。えぇっと、ちょっと待って下さいね」


 そういうと美音は懐から、手の中に収まるくらいの大きさの乳白色をした四角いものを取り出す。ペンでなぞると、乳白色から色が溢れる。それは青の字らしきもので子供が塗りたくったような字だった。


「今は夜のジュウジ?頃です」


「十時ですか。急いで帰らなきゃ」


「何故ですか、何故そんなにも時間に縛られるのです。家族にも縛られて。あなたは癒されたいのでしょう。だからここにこられたのに、何故帰るの。ここには永遠に約束されたあなたの望みを叶える所なのに」


 静かに降りたエレベーターの前に、立ちふさがる美音をかいくぐり出ると番台は神経を揺さぶられるような満面の笑みで出迎えた。


「お帰りの際には、今まで楽しんだ分の金額をご請求させて頂きます」


「はい。でおいくらですか。確か自分で決めて良いんですよね」

 番台はその言葉に黒目をちらりと横に流し、決まり悪そうな演技をしながら話た。


「お客様。申し訳ございませんが、当店はお客様の望みを全て叶えた方のみ、お客様のおっしゃる金額を払って頂いて良いのですが、途中でお止めになる際は当店が出した金額を請求させて頂きます」


「はい。仕方ないです。おいくらですか」


 番台は呉の顔をちらりと見やり、人差し指で長方形を描く。すると入って来た時に見た透明のボードが現れる。

 それを操作し、番台は呉に見せる。


「……え。あの。この金額はあっているんですか。こんな馬鹿高い金額、払えません」


 見る間に呉は自分の全身から血がひいている感覚がした。

 手に力が入らなく、脱力感を感じる。


「一億四千万だなんて、そんな不当な金額」


「不当ですか。確かに。ではこうしましょう。お客様はここ、遊々楼閣のことは他言無用に。でなければ、この提示した金額をお支払い頂きます」


「……はい。分かりました」


 どういう意図で隠しているのか、考えられなくもないが呉は言うとおりにした。もし他人に話と莫大な借金をしてしまうし、弟を路頭に迷わしてしまう。それを思えば楽だと思えた。

 呉は承諾し、店を出た。


「もう少しここにいて下さりたかったわ。くれぐれも他人に話すことだけはおやめ下さいね」


 美音の言葉は呉の脳に軽く奇妙な違和感とともに響いた。

 夜の暗さと冷たさに気を引き締め呉は家路を急いだ。


「お帰りなさい」


「ただいま」


 コンクリートの古いアパート。

呉の住む部屋は四階にあり、鉄の軋む階段を上って行かなければならなかった。呉はいつも壁側を上っていた。手すりは下が見えて恐怖を覚えるからだ。でも今日は、怖いという感情を抱かずにすらすらと上っていけたことを呉は、妙な気持ちとちょっとした幸せを噛みしめていた。そして、四十二号室の扉を開き弟が呉を迎えた。


「今日すごく遅かったね。何していたの」


「それはなあっ……」


 弟の一言につい口に出そうになるのを止めた。普段、口の軽い方ではない呉だが、ふとした拍子に漏れてしまうのではないかと。


「いや。何でもない。潤、寝るか」


「うん」


 呉は風呂も食事もせず床についた。思った以上に身心が疲れているようだった。

 それから、楼閣にいる時の延長線上にいるかのような夢を見た。

 だが、悪夢のように酷く、呉はうなされた。そして起きると何も覚えてはいない。その繰り返しの日々が何週間も続いる。それと同時に、呉は楼閣の話を誰かにしたい衝動にいつもかられ続けていた。

 会社の同僚が最近、世間を賑わせている、大人が神隠しに遭ったかのように突然姿を消してしまうなどといったニュースの報道をそのまま呉に伝えてきても、呉は始終上の空で、まともに話を聞いていることはなかった。

 呉の大半は、楼閣のことを話したい衝動に駆られているためにそれを抑えるためにお経を唱えるように、ぶつぶつと呟いていた。

 ある日、同僚は呉の行動にたまりかねてなのか、ぼそりと一言もらした。


「なんかさー。神隠しに遭った奴もナゼか独り言をいう奴ばっかいたんだってさ」


 呉は一瞬疑問に思い首を傾げたが、また何ごともなかったかのように、パソコンに向かいながらぶつぶつと言い始めた。

 同僚は、年のせいか、働きすぎだろうと思い直してため息をひとつ吐いた。デスクには茶封筒に東薬会社と書かれていた。それを指でなぞって遊ぶ。

 そして疲労を全身に抱えたまま呉は仕事と楼閣を探し続けている。


「兄さん、ここの所おかしいよ。仕事休んで、今日は家にいて。ハブ医者に見てもらって」


 弟の優しい言葉に今はただイライラとしていた。


「仕事に行かなきゃ誰がここの家賃払うんだ。父さんの借金もまだ残っているしそれに……、それに休んでいられないんだ。行ってくるよ。それから、あれはヤブ医者だろ」


「違うよ。変なものばっかり診て、皆から煙たがられているからハブ医者だよ。無理してるとハブに見てもらうよ」


 呉は弟に手を振って家を出、足を進めた場所は楼閣があったと思われる道。前に見た看板はどこにも見あたらない。小道にも入ってみるが、直線だけで行き止まりだった。


「今日もか……」


 あの日から二日後にここに来た呉は、楼閣がないことに気づいた。それから毎日来ているが、どうしても楼閣に辿り着けずにいた。

 疲労が身体を蝕み、近くのレトロなカフェに入り程よい弾力の椅子に腰を落ちつかせ、一杯の珈琲を頼む。


「誰かに言いたい」


 衝動と悪夢。この二つが呉を悩ませた。楼閣のことを誰かに話したい。毎晩見る悪夢は、いつも不気味で暗くて高いビルから飛び降りる。そして地面に叩きつけられる直前で目が覚める。

 楼閣で見た夢とは違う。確実に前よりも高所恐怖症が酷くなっていた。

 会社は幸い六階建ての一階なので普段、困りはしないが、セール業をしている呉は二階に行くことはなかった。

 一番困るのは、自分の住む場所だった。四階建ての古い造りなのでエレベーターはなく、錆びた鉄の階段は上がる度に今にも外れそうな音をたてていた。


「お待たせしました」


 定員の明るい声に、呉ははっとし持ってきた珈琲を一気に飲もうとして火傷をした。


「アツッ、すみません。お手洗いはどこですか」


「あ、はい。あちらの方になります」


 呉はトイレに駆け込む。広々として清潔感のあるトイレだった。鏡での前で腫れた口と舌を確かめ、水を口に含みはき出す。それを何度か繰り返した。ひりひりと痛むのを押さえ、呉はトイレに入ろうと戸を開いた。

 すると、見たことのある風景が広がっていた。


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