赤頭菌(あかずきん)ちゃん
「ランとアラシで神隠し」第27話を書いているとき、息抜きで思いつきを短編にしてみました。ご笑味いただければ幸いです。
狼は躊躇していた。
「これ、食べても大丈夫なんだろうか?」
目の前には熱のある赤ら顔で早く浅い呼吸を繰り返す少女。
「ハア、ハア、ハア、ハア、ハア・・」
狼は、いかにも危険なものに触るかのようにニュッと伸びた鋭い爪先で少女の頬を突っついた。
「なんか不安。悪い病原菌に侵されているような・・」
狼は、食べたら感染するのではないかと不安になっていた。
「そうか・・火を通せば菌が死滅するって言ってたな。煮るか焼くかするか」
その時、少女の口からうわ言が漏れた。
「ハア、ハア・・おばあちゃん・・ハア、ハア・・わたしにもおばあちゃんの病気が伝染ったみたいよ・・ハア、ハア」
それを聞いて狼は青ざめた。
「げっ! おばあちゃんって、あの婆さんのことか? 生のまま食っちまったじゃないか!」
その時、ギュルルルッと狼の腹から音がしてシクシク痛み出した。
「うわっ! 来やがったぜ。こいつは堪らん」
狼は、慌ててトイレに駆け込んだ。
「ふう。いやはやピーゴロゴロだ。参ったぜ」
狼が出てきたときには1時間近く経っていた。なんだか憔悴して痩せている様子だ。
相変わらず少女は苦しげに息をしている。それを見下ろしながら狼は思案に暮れていた。
「熱で菌は死滅するけれど、菌が生産した毒素は消えないとも言ってたな。いずれにしろ今の腹具合ではとても食えそうもない。少し様子を見るか・・」
それから1週間。
「さあ、食いな。熱々のうちが旨いぜ」
「ハア、ハア・・いい。要らない。食べたくないもん」
「そんなこと言うな。俺様が折角作ってやったんだから」
狼は、少女を看病していた。大分回復はしていたが、まだ体中に気持ち悪い発疹があり、朝晩の微熱も続いているので病気が完治してはいないことを窺わせた。
「あんなボチボチが体中にあるんじゃとても食う気にならん。それにしてもなんか変な展開になっちまったな。あの時はコッチの腹具合が悪かったもんで食えるまでとっておこうとだけ思ったんだが、いっそ病気を治して安心して食えるようにした方がいいと思い直したんだよな。でも1週間たっても治りゃしねえ。ならば今食うか?・・いや、婆さんを食ったばかりに被ったあのひでえ腹痛は真っ平だぜ。治るまでは仕方ない、か」
「ううううう・・・ゼエゼエ、ぐええ」
「おい? どうした? 大丈夫か? また、吐いてるぜ。やっぱ自然治癒ってわけにはいかんのかなあ・・医者に見せるか」
狼は、医者に往診してもらうことにした。
「はい、口を開けて。あ~ん、と。ふうむ、扁桃腺がひどく腫れてますな。節々のリンパ腺も腫れているし、ともかく抗生物質と解熱剤を処方するから、絶対安静にしてくださいよ。はい、これ請求書」
「げっ! 高い・・すまんが支払いは明日まで待ってくれないか。金は診療所に届けるから」
「いつもニコニコ現金払いがモットーなんですがな。仕方ないでしょう、じゃあ必ず明日届けてくださいよ!」
そういうと医者は鞄に道具を詰め直して帰って行った。
「さあて、どうしたもんか。肉食系野獣としては、少しなら絶食OKなもんで、コイツを食えるまで我慢すればいいとばかり思って有り物で済ませていたが・・金がいるんじゃ仕方ない。稼ぎに出るか」
狼は、薬を少女に飲ませ、気持ちよく休めるようベッドを整えると外出することにした。
「おい! そこの旅人」
「うわ! 狼だ。あれ? な、なんでいきなり襲ってこないんです?」
「ちと金が要るのだ。食われたくなかったら財布を置いていけ!」
「狼が財布?」
「悪いか? 悪けりゃ命ごといただくぜ!」
「あ、いやいやいやいや決して不服があったのじゃありません。さあ、どうぞ」
「遠慮なくいただくぜ、悪いな。むん?お前のリュックに付いている赤いものはなんだ?」
「え?あ、これ? これはマスコット人形ですよ。可愛いもんでしょう」
「それも置いていけ」
狼は、医者の支払いを済ませると、ねぐらに戻ることにした。帰り道に農家の直売所があったので、残りの金で新鮮な果物を買った。
「ハア、ハア・・甘くておいしいわ」
「これなら食えるか。薬も効いてきたみたいだな」
「ハア、ハア・・それからこのお人形とっても可愛いわ」
「気にいったか? 多分お前の好みなんじゃないかと思ったんだ」
「ご親切にしてくださってありがとう、狼さん」
「いやいや。早く元気になれよ」
狼は、少女を看病する意味をだんだん見失っていった。それから数日たったある朝のこと、
「狼さん。食事はまだ? お腹へっちゃったわ」
「すまんすまん。なんだか身体がだるくてよ。ちょっと待ってろ・・うわあ!」
「あ、あぶない!」
狼は、少女の寝ているベッドのそばでひっくり返ってしまった。少女に支えられてようやく立ち上がった狼は、
「あれ? お前起き上がれるようになったのか?」
「ええ。お陰さまでもうすっかり元気。お腹はへってるけどね」
「そうか、そいつあよかった。えっと、こいつが元気になったら何かしようと思っていたんだ。何だったかな・・・それにしてもこのだるさはなんだ!」
「あれえ? 狼さん身体中にボチボチが出ているよ?」
「え? うわあ! こっちが罹っちまったじゃないか!ううっ気持ち悪い・・・吐き気が」
「ベッドも空いたし、そこに寝みなよ」
狼は、少女の肩を借りてどうにか横になることができたが、積み重なる看病疲れもあってそのまま意識を失ってしまった。少女はしばらく荒い息を吸ったり吐いたりする狼を心配そうに見ていたが、つっ突いても意識が戻らないので次第に興味を失っていった。その内「グーッ」とお腹が鳴った。
「あ~あ、それにしてもお腹へっちゃったわ」
すっかり回復していた少女は、台所の棚や鍋の中を物色してみたが何も食べれそうなものが見つからないのでイライラしてきた。
「まったくアッタマきちゃう。シケてるんだから!」
その時、狼がうめき声を出した。
「狼かあ・・・狸なら狸汁、鹿なら鹿鍋ね。熊だって熊鍋になるんだわ。狼だって食べれば美味しいかも」
少女は、食べられるかよく見ようと、もう一度狼のそばに寄って見下ろした。その瞬間、狼が
「うげえええええええええ!!ぐわっはゴボゴボゴボゴボ」
「きゃあああ! きったなあい。靴にかかっちゃったじゃないの! なにすんのよ! アンタなんか大ッきらい!」
少女は、プンプン怒りながら狼のねぐらを出て行き、無事村人たちに保護されたのであった。
こうしてこの物語の犠牲者は、おばあちゃん一人で済んだ。それにしても、栴檀は双葉より芳し、女性は怖いです。おしまい。