実家にて
真夜中。
セミが鳴くような夜だった。
「――A班。待機完了」
「B班よし」
平均的なアパートのちょうど暗闇になっている廊下部分。
トランシーバーが発するザザ――というノイズに紛れ、ぼそぼそと低い男達の声が交錯する。
闇に紛れるようなアーミースーツ。
手に握られるいかついライフル。
明らかにプロフェッショナルとわかる人たちだった。
「これよりA突入班。目標を確保する――通信終了」
念入りに手に持ったライフルの感触を確かめ、その集団は互いに目配せする。
「逸脱発現者――皆木拓夢の確保ミッションを開始する」
ぼそり、と集団の統率者のような人間が一言つぶやく。
刹那にそのプロフェッショナルたちは影に溶けるように闇の中へ消えた。
平凡なフローリング。
ワンルームマンションの一室で、居心地悪そうに身体を丸め、眼鏡をちょいちょいいじりながら拓夢は首を振った。
「あーヤバい。これはヤバい」
信じたくない光景が目の前で広がっていて。
それをみたくない気持ちでいっぱいだった。
でも、見ちゃう。
「ちょっとテメーふざけんな!!!!! いやマジこれなんなんだよ! ドッキリ? これドッキリテレビ?」
そこには――氷漬けにされた、まったく知らない中年の男の人。
そう。氷漬け。
なんか漫画でしかみたことないような馬鹿でっかい氷塊の中にすっぽりと人が入り込んでいるのだ。
そしてどうやら――その氷漬けは――。
(俺がやったらしいなこれ……)
拓夢はため息を一つつく。
どうやらとびっきりの厄介ごとが持ち上がってきたらしい。
「まあともかく。あなた泥棒ですよね? 鍵かけてたこの家になんでかいるし。窓ガラス切り取るナイフ下げてるし。モノいれるのに便利なザック背負ってるし」
「まあそうだけど、泥棒にも人権在るんだぞ! 冷たっ。ヤバいよこれなんかお腹痛くなってきた。出して! ここから出してプリーズ!」
なんだか憎めない泥棒だった。無駄に愛嬌のあるずんぐりむっくりとした身体に、丸い目をしている。
ばたばたともがきながら、氷から出ている顔をうんうん言わせて――泥棒は言葉を続けた。
「これ、お前の『アウター能力』で作ってるんだろ! 助けてくれ。能力者の家だなんて知らなかったんだ!」
「正当防衛も権利です。それに俺――その氷の消し方知らないんです」
ぐしゃぐしゃとクセッ毛を掻きながら、拓夢は額に手を当てた。
「今日のつい1分くらい前まで、俺は一般人だったんですよ」
「でええええっ。なに。じゃあ君は一般人から覚醒したの!? ってことは1千万分の1しかいない後天的逸脱者なのかっ」
――カンドー! 手が動かせたら拍手喝采だぜ! とぶんぶん首を振る泥棒を見て、なんでこの人こんなにテンション高いんだろう――と拓夢は頭をかかえる。
逸脱者――。それは十年前より突如として世界に現れた。
それは物理法則を超えた現象を意図的に起こせる人間のことを言う。
「しっかしよく知ってますねアウターのこと」
ふと気になって拓夢はつぶやく。危機感がないのを自覚しながらも好奇心が鎌首をもたげたのだ。
だって、世間的にアウターはそこまで浸透していないのだ。
これまで築いてきた常識。そしてそれによって構築された社会は、逸脱を溶けこませるほどに柔軟ではない。
さらに数がとんでもなく少ない。その結果として――どこか宙に浮くように。
アウターはテレビのニュースでみる事件の当事者のような、実体のないものとして認識されている。
「ああ、あたりまえだよ。だって」
そうアウターは少ない。そのはずなのだが――。
泥棒はにこりと笑い。
そして――
「俺もアウターだし」
「~~~~~っ!?」
バキンという音。
まるで発泡スチロールが裂けるように、檻のように鎮座していた氷がまっぷたつに割れた。
「いやあ俺の能力ってば『触れた物を綺麗に割る』だから、君が超強い能力者だったら死んじゃうかもしれないと思って遠慮してたんだけど」
ぶんぶんと腕を回し、泥棒はカカと笑う。
「奥の手を持ってそうでもないし。うん――ちょっとおとなしくしててもらおうかな」
ごくりと拓夢は息を飲み込んだ。
ヤバい――と脳裏に警鐘が鳴り響く。
何をひよっていたんだか。このめのまえの男は泥棒で、危険な奴なんだと今更ながらに思い出す。
「君の能力は俺には効かないわけだし。ちょっと眠っててもらうぜ殺しはしないから――」
泥棒はジリジリと間合いを詰めてくる。なんて不運なんだろう、と目をつぶったその時だった。
「オーヴァー。突入する」
バタン! という轟音と共にドアが蹴破られる。
同時にドカドカという無遠慮な大勢の人間の足音が響く。
「な、は――え? サツ? いやでも早くね?」
突然のことがさらに重なった衝撃に拓夢はフリーズ。泥棒もぽかんとその乱入者を眺めた。
「お前っ……!」
その集団から一人――マスクと黒尽くめの衣装に身を固めた人間がつかつかと歩み寄ってくる。
「私の義弟に何をしているっっっ!!!」
開口一番そう言って「少女」はマスクを脱ぎ放ち、右手を一筆いれるように振った。
その瞬間のことである。
巨人が羽ぼうきで掃除を開始したような突風が吹き荒れた。
――ふわり、とマスクに押し込められていた長い黒髪がまう。
マスクの下から出てきたのは、精悍な顔立ちをした和風が似合うような美少女である。
「ちょっ。うおおおおおおおおおおおおっ!?」
泥棒はその攻撃になすすべなく吹っ飛んだ。そのまま大して広くない部屋の壁にすごい勢いでぶち当たって一気に白目をむく。
「あ……ああ……」
そのとんでもない光景に拓夢は怯えた声を上げた。
「…………タク」
しばらくその泥棒を見て、起き上がってくる気配のないことを確認した少女は拓夢の方へ――静かに歩き出した。
「う、うああああっ。光希姉っっっっ」
その光希の歩みに呼応するように――拓夢はおもいっきり後ずさった。
逃げるように。
あの頃から何も変わってない。
「……ねえタク。なんで逃げるのかな」
それに気づいた光希はぴたりと動きを止め、顎をつきだすように威圧のポーズを撮った
目の輝きが、完全に手心無い感じになっている。
「い、いえ逃げているわけではなくちょっと心の準備をしているだけでございますよおねえさま」
「光希隊長。どうやらこの男――T級の野良逸脱者で、指名手配リストに載っていた常習犯らしく。能力は――」
平身低頭する拓夢の横で――姉のツレである黒ずくめの人間がひとり姉の耳元でひそひそと呟いた。
「報告は後で聞く!」
だがそんな重要そうなことをおもいっきり光希はぶん投げた。
「今の私は義弟の身体が大事なのだ。」
(愛が重いーーーーっ!)
そう結局のところ――これが怖かったのだ。
知っていた。
姉が逸脱者であるということも――
そのせいで彼女とその母。そして自分の父の間に生まれた溝をまた認識してしまいそうで。
「姉ちゃんかわんねえなあ」
でもそんなつまらないこだわりを背負っていた拓夢に対して光希はただ信頼を投げかけた。
それが――なんだか怖かったのだ。
「ああっ。拓夢! お前もこれで逸脱者だ! また一緒の学校に通えるな!」
「え?」
「とりあえず今の学校は全部捨ててこい。逸脱者条例第13条」
まったく光希は頭がいい。難しい話をし始める。
えんえんと繰り返されるのはこの市における「逸脱者」の「義務」のおはなし。
「つまり、逸脱者はその力を悪用されたり、暴走させたりしないように専用のスクールできちんと学ばなきゃならないんだ」
今日から新しい生活が始まる。