タイトル未定2025/11/04 00:49
目覚めた神は傍で眠る女に兎の面影を見る。そして優しげに笑うと彼女を抱き上げ腕の中で眠らせた。
兎もまた目を覚まし、神の腕の中にいることに気付き、その優しい眼差しに微笑むと静かに口付けを交わした。
愛し合う二人の時間は朝と夜を溶かす。二人きりの時間はお互いが全てを差し出しても足りないほどだった。
けれど幸せな時間は長くは続かない。兎の時間はとうに過ぎている。
体の中から蝕まれ、次第に衰弱していく女の姿に神は悲しみ泣き暮らした。神もまたよからぬ思いを持った。神の力をもたない兎に持たせるためには生贄を。
その夜から神は海を荒らした。人が死に神の元へ流されてくる。魂の話を聞き、犠牲にするには悲しすぎると魂を半分に割り半分を女の口へ滑り込ませた。魂の欠片は女の頬を上気させる、しかし一つでは数秒と持たぬ。
神は幾度、幾千とそれを繰り返した。
繰り返される悲しき行為に女の体は解け兎に戻った。神は絶望し小さな箱にそれをいれ、それからも繰り返し魂の半分を入れ続けた。
穢れは神を襲っていた。美しい顔だったのに黒い痣がでて、美しい両手は獣のように毛むくじゃら。いつしか耳は長くなり、神が鏡を見る頃には大きな兎の姿に変化していた。
何万の時を経て神の傍で小さな暗闇が産まれた。神は喜び消えてしまわないようにと蓮の葉を持たせた。小さな目印だ。
暗闇は海の向こうばかりを気にしている。ここにいては退屈だろうと神は約束を交わして暗闇を送り出した。
「月が半分こになったら戻っておいで」
その頃になればきっと、そう信じて疑わなかった。
暗闇の二つの目から涙が零れた。昔の記憶、神様の記憶。
振り返ると兎守が悲しげな顔をしてそこにいた。
「知る必要などなかったのに」
「トカミ様」
兎守がしゃがみこみ暗闇の二つの目を見つめる。
「お前は……いつまでもこのままであるのは望まないからだろう?私がこんな風に変わってしまったからだろう?お前のためにしていることも今は神の名に恥ずべきこと。私は穢れてしまった。お前がどのような姿でもいいと願ったのに……目玉だけのお前でもいいはずなのに、何故触れたいと願うのだろうな?私は浅ましい。お前に触れたいのだ」
両手で顔を覆い兎守は泣いた。
暗闇の中、核に流れ込んでくる記憶の数々は悲しみに溢れている。
「トカミ様、聞いてもいいですか?」
「うん」
「私の中の人たちはどうしたら幸せになれるのでしょうか?今も悲しみに暮れています。トカミ様のように泣き悲しいと」
「そうか……お前はそうしたいか?」
暗闇は小さく頷くと兎守の顔を見た。その顔が優しく微笑み昔の面影が見えた。
兎守はそうか、と笑うと立ち上がり両手の爪で自分の胸を貫いた。白い毛皮が赤く染まり倒れこむ。すると暗闇の核が暴れだし、小さな穴を作り出すとそこから魂が大きく噴出した。暗闇は気を失いそうになりながらも兎守の傍によると両手で兎守の背を撫でた。
輪廻の輪が繋がり、また人々は愛する人の元へ戻り始める。暗闇が目を覚ますとあの日女神に願った人の姿になっていた。すぐ傍には兎守が横たわっている。女はそっと兎を抱きしめると呪詛を呟いた。
神殺しは禁忌。ならば私は永遠にこの記憶を持ち続けよう。幸せの中にいても兎であったことを胸に刻もう。
遠く空が曇っていく。雨雲が雷雨を連れて来る。祖母はそう言った。
私は祖母がぽつぽつと話すトカミ様の話を聞きながら、胸の奥に湧いてくる記憶の波に溺れそうだった。
幾千の、幾万の悲しいほどに愛する感情。祖母が?それとももっと前の?
私ではない誰かの血の中に刻んだ呪いが、今もここにある。
そしてまた私も祖母と同じように受け継いでいくのか。
海の向こうにある赤茶けた鳥居、そこにある愛する人の記憶を。
ふと私の手を引く娘の姿に笑みを零す。
「お母さんどうかしたの?」
「ううん、なんでもない」
小さな娘の瞳に映る鳥居を見て私は視線を逸らす。
「さあ、帰ろう」




