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兎守  作者: 蒼開襟
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タイトル未定2025/11/04 00:48

 海の向こうに見える鳥居、少し赤茶けた門が陽を背に立っている。

 あの場所に何があるのか祖母に聞いたことがある。祖母は怪訝な顔をしてこちらを見た。

「何故知りたい?」

 祖母の声は静かに低くいつもの優しい声ではなかった。

「なんとなく……」そのような答えを飲み込んで黙り込むと祖母の目を見る。彼女は小さく溜息をつくと、遠くにある鳥居を見た。

「あれは……トカミ様だ」

「トカミ様?」

「ああ、トカミ様は兎に守と書く。兎の姿をした神様だよ」

「兎の神様」

「ああ、そうだ」

 祖母はすうっと目を細めて鳥居を見る。

「ワシはずっと後悔している」

「ばあちゃん?」

 祖母は小さな私の手をぎゅっと握り海を背に町へと戻る。手を引かれて顔を上げて見た祖母の目に涙が浮かんでいた。



 古の神。いつ神になったのか神自身も知らなかった。ただ独り海辺に居て鳴り続ける腹の虫はやかましく、両手の震えが止まらなかった。

 このままここで死ぬ?そう思って海を見る。目の前には食い物も水もあるというのに食いも飲めもしない。ここにたどり着いた時、ふらふらした足取りで水に顔をつけてみた。到底飲めるものじゃなかった。

 ここへはどうやって来たんだろう?もう頭も朦朧として思い出せもしない。真っ白な手足が砂塗れで黒く汚れている。べったりとしたものが砂の下にへばりついてごしごし擦っても取れやしなかった。

 もう疲れ果ててごろんと仰向けに寝転がった。空は曇り雲が立ち込めている。いずれ雨になるだろうか。そう思っているとポツポツ降りだして叩き付けるような雨になった。

 口をぽかんと開けて雨を飲む。海よりはましだろうとじっと雨に打たれている。そんな時、顔に当たる雨が消えて、ゆっくりと目を開けた。

 黒い影に何か二つの目が覗いている。じっとこちらを見下ろし傍に座ると額に触れた。

「何をしてるの?」

 綺麗な声が聞こえて耳を立てた。ゆっくりと起き上がり黒い影の中の二つの目をじっと見る。

「飲んでいる」

 答えてみたものの声は枯れて、じりっと喉が痛んだ。

 二つの目はいつか見た星の色に似て、柔らかく三日月に揺れた。

「そう」

 一筋の風が雨を連れてふわりと影の中のそれと濡れた体を吹き抜ける。

「いい風。トカミ様がいらすかしらね」

「トカミ?」

 星の色の瞳が遠くを見る。海の向こうに思いを馳せるように。

「そう、トカミ様」

 その瞳が水で滲んで揺れるのを見て美しいと思った。



 繰り返される輪は断ち切られることはない。永遠に続く。

 また独り海辺に討ち捨てられた男が寝転んでいる。

 襤褸を纏って片手には小さな刀が握られている。随分と痛めつけられたのか切り傷だらけで顔は青あざでぼこぼこと腫れていた。

 腹には矢が刺さりその先は半分に折れ曲がっている。男は開かない瞼を少し開いて空を見る。生憎の雨だ。曇り空からじきに雷雨になるだろうと見た。

 動けそうもない。背中には大きな刀傷があり、体を動かすたびに痛みが走った。このまま死ぬのだろうか?

 男は今年の春祝言を挙げたばかりだった。可愛い女房が仕方なしに送り出してくれた戦は酷いもので、始めから負け戦だった。

「早く帰るって約束したのにな」

 男はぽつりと吐き出した。頭に女房の顔が浮かんでじわりと涙が出た。

「すまねえ……俺は嘘つきだな」

 目を閉じると可愛い女房の笑顔ばかりが浮かぶ、鈴が鳴るような声に、愛らしいしぐさ、好きで好きでたまらなくて、夏の日に思いを打ち明けた。

 男は口下手で、それでも一所懸命に言葉を選んだ。すると嬉しそうに笑ったのだ。あの日のことは死ぬまで忘れられない。墓まで持っていくと決めていたけど今じゃない。それだけは分かる。

 男は脱力していく体をゆっくりと起こして海の向こうをじっと見た。

 遠く海と空の境界がきらきら光っては揺れている。そして耳に雷音が響き顔を上げると雨が降り出した。

 ぽつぽつした雨は次第に早足になり叩き付ける雨になった。

 男は肩で息をしながら愛しい女房の名前を呼ぶ。繰り返し、繰り返し。

 涙が頬を伝い雨が全てを流していく。

「お前に会いたい」

 ゆっくりと倒れこんだ男は砂を一掴みして目を閉じた。

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