第三話 「セラフィア・ロトリアルス」
『白銀の騎士』とも『氷姫』とも呼ばれて名高いネイト・カーミュ団長が、セラフィアの肩の上ですやすやと寝息を立てていた。
軽い発言だった。いつもの団長なら絶対に断る。だから言ったのに──
「……本当に寝ちゃった」
白銀色の髪の毛からは、戦場から帰還したとは思いがたいほどに艶といい匂いが発せられている。
セラフィアも気遣ってはいるが、ここまで完璧ではない。
「西陽、眩しくないですか?」
団長の目元を照らす夕焼け。戦場を駆け回り、貴族と渡り合い、団長は疲れているのだ。ゆっくり寝せてあげたいに決まっていた。
セラフィアは起こしてしまわないようゆっくりと身体を捻り、束ねられた遮光カーテンへと手を伸ばす。
……あと少し──あっ!!!
トサッ。
肩が動き、寝ている団長を支えるものがなくなった。
そして今、その小さな頭がセラフィアの太ももへと降ってきたのだ。
驚いた勢いそのままにカーテンは閉めれた。
「だ、団長〜大丈夫ですか?」
セラフィアの目線の下には、今なお上下の白銀色のまつ毛が交差している。
近衛騎士団に入団した時から今まで、ネイト・カーミュ公爵令嬢という美少女と3年は一緒に生活をしてきた。
何せ騎士団に女性は数人。それも同期となればセラフィアにはネイト以外いない。
なのにこれまで彼女の寝顔なんて見たことがなかったのだ。キャンプ地で団長と一緒のテントになっても、団長はセラフィアより遅くまで起きていてセラフィアより早く起きていた。
『実はカラクリなのではないか』と騎士の誰かが言っていたのを思い出す。セラフィアもそれに頷いたこともあった。
でも──セラフィアの目の前には確かに団長が無防備に眠っている。
言われなければ10歳そこそこにしか見えない。でも──戦場に立てば、誰もがその小さな背に従う。
「ネイト団長、いつもお疲れ様です」
白銀の髪に初めて触れた。
頭を撫でていると、くすぐったいのか少し首をすぼめる。娘ができたような、不思議な感覚。
「団長が私を庇ってくれたのとっても嬉しかったですよ。これはその、ほんの少しの恩返しです……お菓子、作ったら喜んでくれますかね」
返事がなくても、満足だった。
いつかちゃんと伝えられればいい。
「ネイト団長──」
いくら団長が寝ているとしても、最後まで声が出てこなかった。
セラフィアは視線をあげて、月明かりと街の光に照らされた薄暗い空を見上げていた。
*
真剣どうしのぶつかる鋭い音が練習場に響く。
騎士たちに取り囲まれた中心で、小柄な少女に向かって身体ごと剣を振り下ろす小隊長、エイクウェル。
赤い炎が縦に伸び、地面へと突き刺さった。
「小隊長、大振りになりすぎているよ」
その後ろから、団長ネイト・カーミュの声が優しくかけられる。
エイクウェルの首筋を汗が滴る。
──決着だ。
「くっ……降参です」
声を聞いて、団長は彼の首元から氷を纏ったロングソードを退いた。
「脇が開くと剣の精度も防御力も下がる。いくら炎が強くても、懐を突かれれば反撃する間もなく負けるよ」
淡々とした声で弱い点を突かれ、小隊長は複雑な表情を浮かべている。
「お手合わせ、ありがとうございました」
「次」
小隊長の言葉に反応することなく、次の相手を呼びつける団長。「さすがは氷姫」と上がる声は、以前にも増して多かった。
急いで出てきたのは、セラフィアとそう歳の差の無さそうな新兵レイオフ。彼の身長より長い槍を持ち、団長の前で構える。
ドッ!
セラフィアでも見失いそうになるほどの高速の突進が、レイオフから繰り出された。
しかし──
叩きつけられる槍を、団長は氷の壁で受け止めていた。
「全力でかかってこないと一撃で終わるよ」
団長の浮かべた煽るような笑みに、レイオフの額に血管が浮き上がる。
「女ごときに、俺が負けるはずがない!!」
『スピア・バレット』
穂先が暗紫色に輝き、氷の壁を貫き崩す。
しかし貫き通すごとに、氷は即座に再生していた。氷の破片が周囲を舞い、今日は日差しが強いのに空気が冷える。
団長は涼しげな表情で、攻撃をすべてかわしていた。
「くっそ! な、なぜ通らない?! いや、まだだっ」
暗紫色の槍が氷を貫いて団長の足元へ深く突き刺さる。
「やるね」
その一瞬はあまりに早かった。
ふたりの間を隔てていたはずの氷の壁。レイオフは力を込めるために、壁に近づきすぎていたのだ。
壁が霧散したその瞬間、団長のロングソードが彼の腹部を叩いた。
「うがっ?!」
「槍を詰めすぎてる。まるで剣士の立ち回りだよ、それじゃ」
すでにロングソードを鞘に納めた団長は、あっけなく倒れ込んだレイオフに目線を合わせて話しかける。
「あ、ありがとうございます。それと……すみません。団長の強さ、信じきれていませんでした」
立ち上がって鎧を取る団長に、後からレイオフはそう言っていた。
「いいんだよ。近衛騎士に槍使いは少ないから。頑張って」
頭を下げるレイオフ。セラフィアは、団長にタオルを渡しに走った。
「団長! お疲れ様です!」
「ふ、副団長、お疲れ様……」
団長がセラフィアから顔を背ける。その耳は薄く紅潮していて、馬車での一件を引きずっているのは明白だった。
「あの! 今から私とも──」
「ごめん。今日は父からケー……荷物が届く予定なんだ。また次の練習でね」
タオルを受け取った団長は、逃げるように離れていく。
いじらしい姿も素敵なのだが、こうも距離を取られると、セラフィアとしては少し悲しい。
「団長と副団長、喧嘩してんのかなぁ」
どこかから聞こえてきた言葉に、セラフィアはキッ! っと睨みつける。
「練習を続けてくださいっ!」
遠ざかる団長の後ろ姿を見送り、セラフィアも方を落として宿舎へと戻った。