第二話 『光と影の王都』
ルカシア王国の王都へ帰還した近衛騎士たちを待っていたのは、老若男女様々な民衆からの大歓声であった。
普段なら馬車が何台もすれ違うことができる中央通りには、溢れんばかりの民衆。王国の伝統である赤い花々が投げ入れられ、その真ん中を、近衛騎士が通過する。
「我らが近衛騎士団!」
「この調子で敵を蹴散らしてください!」
大観衆がさらに声を張り上げる。
親に肩車された小さな子どもすら近衛騎士と同じ白のマントを羽織って、満面の笑みで手を振ってきた。
せいぜい戦線を繋ぎとめただけなのに──
子どもに応え、ネイト含めて近衛騎士たちが手をふり返す。
誇らしい気持ちもあった。
だが、ネイトの後ろで傷を隠し、仲間の死を感じさせない勇ましい姿を演じる騎士たち。
表しようのないぐちゃっとした感情に、ネイトは手綱を強く握りしめた。
*
「損害が多いように感じるが、団長殿はどのようにお考えかな?」
荘厳な王城の中、宰相様の後ろをついて行く。
「申し訳ありません。見通しが甘かったです」
「見通しが甘いじゃ済まんよ、本当はね? だが君は女王陛下のお気に入りなのだから。しっかり頼むよ」
「誠心誠意、努力致します」
宰相様は白髪を何度も掻きむしって、とある部屋の前で足を止めた。
コンコンコンコン
ノックを合図に、深い紫がかった茶色の扉がゆっくりと開く。
室内から目線を逸らした宰相様が、ネイトの前から退いて中へと彼女を進める。
「あら、カーミュ団長。遅かったわね」
「女王陛下。お久しぶりでございます」
先王の妃様である現女王ガイナ・ガエリア妃。金色の髪は美しく結われ、碧眼の瞳が冷たくネイトを見定める。そして座っている女王様の膝には、皇太子のロイズ様が寝息を立てて眠っていた。
「こんな状態でごめんなさいね。でも、この子は将来の王なの。主人のように危ない橋を渡らせたくはないから、私の手元に置いておきたいのよ」
陛下はロイズ様のさらさらとした黄金の短髪をゆっくりと撫でている。
「承知致しま──」
「それで、貴女はいつになったら戦争を終わらせられるのかしら」
ネイトの言葉も、視線も、すべてを無視して遮られた。
「申し訳ございません。目処はまだ付かず」
たった2ヶ月間。それだけで、あれだけ多くの名を失った。戦争の終結など──口にするだけ無駄なのだ。
しかし唯一希望があるならば、それは騎士団の増強だろう。
「イスリシカ帝国との戦闘は激しさを増すばかりです。早期決着のためには、ぜひ近衛騎士の戦力増強を──」
熱くなって半歩踏み出した足。
「ただ数で押せば倒せる相手ではないのでしょう?」
「そうですが、しかし──」
「それにね……国王ひとり守れない近衛騎士を増やすのは大嫌いなの。この子の安全のためにもね。今の戦力で最善に努力なさい?」
また、話を遮られる。今度はネイトの目を蔑むように見返して。あまりの気迫に、ネイトは後退った。
「し、しかしっ……承知いたしました」
これ以上の議論は無駄だと言わんばかりに、ガイナ妃は視線をロイズ様へと落とす。
ネイトが拳を握りしめても、陛下はちらりともこちらを見てくれない。
すると、見計らったかのように扉が開いた。
「……失礼致します」
部屋を出て扉がパタンと閉じるその瞬間まで、ネイトは戦場と同じくらいに背筋が張り詰めていた。
「団長殿も大変ですな」
肩を落とすネイトに、宰相様が話しかける。
「き、聞いておられたのですか。宰相様」
「とんでもない、顔に”疲れた“と書いていたのでね」
言われてネイトは自らの頬を両手で覆った。
「はっはっは──はぁ……それで、女王陛下はどうでしたかな」
顔の熱さを打ち消す隙もなく、宰相様が来た通路を折り返す。
「息災のように見えましたが、何かあったのですか?」
白髪を掻きむしる宰相様の後ろ姿。
「いえいえ政治の話です。陛下の騎士団嫌いには、お互い苦労しますな」
……やっぱり聞いていたのではないか。
「しかしまあ、近衛騎士団が帰還してくれて何より。最近は王都でも匪賊が出る。陛下があの調子で、治安は悪化するばかりでしたから」
宰相様の声色からも疲れが読み取れた。
「それより、近衛騎士が迎えにあがっておりましたよ。確か、副団長殿だったような」
「本当ですか? 宰相様、本日はありがとうございました。逆賊の件、父にもお伝えしておきます」
「え、あ、ええ。公爵閣下によろしくお願いします」
宰相様に一瞥して追い越し、何故だか早足になる。
──なんでだろう。
その理由を考えるより先に、足は止まることなく歩み続けていた。
「団長! お疲れ様です!」
「副団長、待たせてすまない。……その、ありがとう」
白亜の宮殿から出てすぐ、馬車留めでセラフィアは誇らしげに胸を張っている。
「いえいえ。さ、帰りましょう?」
そう言いながら先に馬車のステップを登り、ネイトに手を差し伸ばすセラフィア。
馬鹿にしているのか──
そう言おうとして、ネイトは開きかかった口を閉じた。閉じて、セラフィアの少し堅い、ネイトのそれより大きな手を掴む。
「あ、ありがとう」
乗り込んだ馬車には、向かい合うように座席が2つ。
なのに?
「ねえ、どうして隣同士なの」
肩を並べて座るふたり。しかも座席の横幅はギリギリで、互いの肩と肩、正確には肩と二の腕が密着していた。
セラフィアが呼吸をするたびにネイトは肩を揺すられる。嫌でも体温を感じてしまう。
「えへへ〜〜! 弟と馬車に乗る時、絶対隣に座ってたので癖で」
「せ、狭いんだけど」
「私は平気です!」
「わ、私は──」
また、言葉を飲み込んだ。あまりにも眩しい笑顔をセラフィアが浮かべていたから。
馬車が走り出し、西陽が容赦なく差し込んでくる。
窓の外には忙しなく働く町人とその上ではためく王国旗。まだ日も落ちていないのに、道端で寝ている人もしばしば。
そして衛士に連れて行かれる粗末な格好の者。
「なんだかお疲れですか? 団長」
「うん……久々に貴族の方々とお話ししたから」
セラフィアの心配そうな声。団長として、心配されるなどあってはいけないことなのに──セラフィアに心配されるのは、悪い気がしない。
「団長? お疲れなら私の肩をお貸ししますよ?」
「からかっているの? でも……少しだけ、少しだけ借りていい?」
「え、あ! は、はい? 当然!」
首を傾け肩に頭をくっつける。
肩飾りが当たって少し痛い。でも、それで構わなかった。眠気が、久しく思い出せなかった安堵を連れてくる。
「だ、団長? 痛くないですか?」
セラフィアの声が、遠のいていく。
花畑のような優しい、包み込む匂いの中で、ネイトは眠りについた。