出会い
俺があの人に出会ったのは確かさびれたバーだった。
俺はそのとき失業中。俺が務めていた銀行の頭取が横領しやがったんだ。それで信用を失った銀行は倒産。
社会への怒りを俺は酒と煙草で発散した。そんなクズ男が家族にいたらあんたはどうする?多分家から追い出すだろうな。そう。俺の妻と子供たちもそうしたさ。
俺は一人。有り金はたいてボロアパートを借りる。
そして安酒を求めてバー通い。
その日も俺はべろんべろんに酔っぱらいながらカウンターに座って店の醜女に絡んでいた。その女は調子に乗って俺に酒を出しやがるから俺は大した思い入れもないのにその女をホテルに連れて行こうとしたもんだ。
そのときだった。透き通るような、冷たいような不思議な声がカウンターの奥から響いたのは。「お嬢さん、およしなさい。その男性は酔っぱらっているではありませんか。」俺はその男のほうを振り向いた。「なんだあんたは!?あんたには関係ね・・・うわっ!」俺は思わず絶句した。その男の美貌に。男は恐らくなんの加工もしていない黒髪を首元まで伸ばしていた。その黒髪をかき上げながらこちらを見る青い目の視線は温かい。そしてその目の下には綺麗な線を描く鼻。さらに異様だったのは彼の格好だ。ダークブルーのスーツに紺色のネクタイ、そして首に掛けた金メッキコーティングの高級時計。こんな安酒を出すちんけなバーに通う客層には含まれていなさそうだ。
「どうされました?」その男は笑顔を消さずに私を見ていた。そして意外な一言を言う。「今、お仕事をお持ちでしょうか。うちの職場の、人が足りなくてね。よければどうです?」そのとき彼の後ろから澄んでいながらもけだるげな声がした。「ねえスロン、要件切り出すの早いわね。雑談の技術を鍛えなさいと言った筈よね。」
そしてあの人が現れたんだ。男をしのぐ美貌を持つ若い女性だ。栗色の髪を肩の下あたりまで垂らしている。額は広めに開けてあり、薄いながらも綺麗に整えられた眉毛とその下のピンク色の切れ目が見えた。細い鼻はわずかにピンクがかっている。白い肌と調和するように口紅を薄い色に抑えた唇は細かった。そんな彼女を包むのはこれまた高級そうな紫色のドレスだ。
「あ、ああ・・・」俺はあまりの非現実感に酒でやられた頭がついていけず気絶した。意識を失う寸前、「あなたが変なこと言いだすから驚いて倒れてしまったわよ。」「申し訳ありません、お嬢様。ですが私たちのここへの訪問目的は人材を探すことでは?」という澄んだ男女の会話が聞こえた。
俺が目を覚ましたとき、知らない天井が随分高く見えた。「う、うう・・・」俺は身を起こした。
俺がいたところは白い壁に囲まれたお洒落な寝室だった。部屋の中には俺が寝ている高級ホテルにあるようなベッドの他にベッドわきにある年代物のキャビネット、花瓶の中にある一輪の花が置かれた小さな丸いテーブル。部屋の右手にある窓の向こうはひたすら遠くまで野原が広がっている。そしてその窓脇にある椅子の上にふっくらとした体形の優しそうな婆さんが座っていた。
「あら、起きましたか。具合はどうですか?」「え、その・・・大丈夫です。ありがとう?あんたが助けてくれたのか?」「まあそうですね。美術館の方々が運び込んでくれましたがね。」「美術館?」「ええ。美術館というものはね、私もよく存じ上げないのですけれどね、向こうの世界の方々ですよ。」「??」俺は婆さんの言っていることがよく分からなかった。だが婆さんは俺の混乱に気づかないように笑いながら言った。「では、お知らせしてきますね。」
次の瞬間起こったことに俺は理解が追い付かなかった。婆さんはゆっくりと立ち上がると何もない正面の壁に近づき(俺はそのときこの寝室には窓以外に出入口がないことに気が付いた。)、二階叩いた。その瞬間、壁の表面が避けて先ほどバーで出会った男が入って来た。「ありがとうございます。窓辺の老婦人。」そう言うと男は混乱する私を冷静な目で見やる。「先ほどは申し訳ありませんでしたね。起きて早速で申し訳ないのですが来ていただけますか?」「あ、ああ・・・さっきはすみません。俺がいるようなバーにあまりにもあんたたちが似つかわしくなかったんで・・・」「ふふふ・・・そうですか。こちらも色々と説明しますので。」そう言うと男はいきなり腕を差し出してきた。「つかまっていてください。この世界から出るには少々コツがありますので。」そういうなり男は何と壁に突っ込んだ。
「!!」声も出ない。こいつは頭がおかしいのか?だが俺がそう思っている間にいつのまにか俺は全く別の場所に出ていた。謎の男の腕をつかみながら。
そこは美術館のような様相を呈している廊下だ。ベージュ色の壁が高くまで続き、その壁面には絵画が飾られている。壁の上部には何やら細い通路が設けてあるようで作業員らしき人達が歩き回っていた。
「驚かれたようですね。すみません。ではご案内します。ああ、腕はもう離して頂いて大丈夫ですよ。」「え、すみません。」「いえいえ、では参りましょう。」
そのとき、俺は一番近くにある絵画が目に入り思わず声を上げた。その絵画に描かれているのは俺が先ほどまで寝ていた寝室そのもの。調度品の位置、婆さんが座っていた位置がそのままだ。婆さんは窓を向いて座っていたがその後ろ姿さえもそっくりだ。
どうやら俺はまだ寝ているようだ。全ての状況を理解できないでいた。だが頬をつねると痛い。随分リアルな夢だ。
そんなことを考えている間に男と俺は大広間に出ていた。どうやらそこが美術館の入り口であるようだ。立派なステンドグラスの扉の脇には受付らしい長いカウンターがある。
大広間は四階の高さまで吹き抜けのようになっており、かなり高い天井にはどこの文化圏のものかわからない謎の文字列が彫られている。その中心からはシャンデリアが垂れ下がっている。
「こちらです。」男がそう言って案内した先は部屋の隅だ。丸い円の中に☆のようなマークが描かれている赤い絨毯が敷かれている。どうやら俺の学生時代の趣味が夢に反映されているようだ。俺はファンタジーゲームを親に怒られるほどプレイしてきた。
「この円の中に私と共に入ってください。」男の指示で俺は男と同時に円の中に入った。
今度は驚かなかった。円の中に入った途端俺は別の部屋に飛ばされたのだが、もう夢の中だと分かっているので気にならない。
その部屋は会社の執行部役員の執務室のような様相を呈していた。部屋の両サイドには本の入った本棚。奥には観葉植物。その向こう側の薄手のカーテンから丁度良い両の光が差し込み、目の前の椅子に座る人物を照らし出した。バーで会った絶世の美女だ。彼女は「混乱しているでしょう。まあかけて下さいな。」と彼女と向かい側に配置されているソファを差し出す。
「ではお茶を用意してまいりますので。」と言うと男は扉の前にある絨毯の上に立ち、またワープして消えた。
「失礼します。」俺はこの夢を楽しもうと思った。「うちの秘書が申し訳ないわね。」そう言うと彼女は私に微笑む。
最高だぜ。こんな美女と一緒の空間にいられるなんて最高の夢だな。そんなことを考えていると彼女はいきなり自己紹介を始めた。「この美術館の主、グラニーよ。」「あ、俺はジャクソンです。あんた、美術館を経営されていたんですか。」「そうね。もう見て分かったと思うけど、普通の美術館ではないのよ。」「え、ええ・・・それは感じました。なんというか・・・魔法の世界ですね。」「そう!魔法よ。まさしくあなたの言うとおりのね。」とグラニー。「ですよね。もしかしてマダム・グラニー、あんたは魔女だったり。」「ふふふ・・・飲み込みが早くて助かるわ。私は魔女よ。まあ物語に出てくるような魔女じゃありませんけどね。私はほら、帽子も箒も持っていないし使い魔もいませんからね。」
ここで俺はあれっと思った。俺が好きなファンタジー設定の魔女とはかけ離れている。これは夢なのか?あまりにもリアルすぎる気がした。
「さてと、でいきなり相談で申し訳ありませんね。あなた、うちの美術館で働きませんか?」「え?」「いきなりのお誘いで申し訳ありませんね。うちの警備員の人手が足りないんですよ今。」「は、はい・・・是非。ですがその契約書を見ない限りは何とも・・・」
その瞬間、背後にあの男が現れた。「お待たせいたしましたお嬢様。粗茶をどうぞ。」そう言って男は甘く桃の匂いが香るお茶を差し出してきた。
「ああスロン、契約書はありましたか?」「契約書・・・ああ、これですね。」スロンと呼ばれた男は胸元のポケットから一枚の紙を出して俺の前に置いた。「じっくりとお読みになって。」とグラニー。
俺は契約書を読んだ。そしてみるみる驚きで目が見開かれていくのが自分でも分かった。「これは・・・住居をタダで⁉」「ええ。この美術館の裏手に職員用の住居を用意しておりますよ。こちらが全て費用を持ちます。」とグラニー嬢。「そ、そんな・・・好待遇ですね。」「ただし、原則この敷地内で暮らしていただくのが条件となります。給料は毎月7000ドルお支払いしますが、敷地外に出て買い物をしたい場合やご実家に帰られたい場合はいくつか申請書類を書いていただかなければなりませんね。」とスロン。「は、はあ・・・でこれをみると美術品の警備となっていますが・・・」「はい。ここにある美術品の大半は異常性質を持っています。先ほども言いましたが、私は魔女ですのでね。お客様も少し変わっておりましてね。私どもで審査をして通った会員様のみに限定しているんですよ。」「ほ、ほう・・・」「それであなたがもし雇用された場合やって頂きたいのは、取り扱い要注意の美術品の警備です。お客様が接触されるだけでも異常性が発露するものがありましてね。その美術品にお客様が近づいたり変な連中に狙われないようにしていただきたいのです。会員制とはいえ、美術品の異常性については公表しておりませんので。」とスロン。
その時グラニーが言った。「スロン、5番の絵の中に入るブレスレット金庫に戻して下さった?」「ええ、ただいま戻しておきました。カイジュさまが保管されているかと。」「分かった。ありがとう。どうですか?働いてみませんか?」
こうして俺は奇妙な美術館の作業員になった。