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ライゴールの翼獅子

政略結婚のお相手は氷雪の翼獅子様!〜お家のために絶対に落としてみせます

作者: 雲丹屋

「よいな! 何がなんでも気に入られろ。絶対にこの縁談を離すな!!」

我が父上は、暴れ馬の手綱をがっしり握りしめるジェスチャーで、私を鼓舞した。

……縁談って、振りほどかれたら落ちて命を失う類のなにかなんでしょうか。

「むしろ相手を落とせ。この際、色仕掛……は、無理か。なんでもいい。手段を選ぶな。最善を尽くせ」

無茶ぶりである。泣けるわ。




とんでもない婚約話が来てしまった。

田舎貴族の三女には正直荷が重い。


いやいや、わかってます。家格の釣り合いはそこそこ。ここで縁を繋いでおくと我が家にとっても先方にとっても政治的に大変便利な政略結婚。

先方のレオニード様は、特にワケアリでもなく、適齢の健康な嫡男。悪癖にしても女癖にしても悪い噂はかけらもない。現在は王宮の行政府勤務で有能な出世頭らしい。

辺境の国境守備役の我が家にとって、中央の上級官僚の名家であるライゴール家に縁故ができるというのはものすごくありがたい話なのだ。

まさに良縁!


でもさぁ。良縁も過ぎると引くというか、なんというか。

親族全員に激励されて、ド田舎から王都に出てきてみれば、中央というのはきらびやかすぎる世界で……はぁ。外出するときには、絹の手袋をはめる生活に慣れねば。田舎者は手荒れがひどいのよ。



あまり使っていないうちのタウンハウスを私一人のために開けても無駄が多いので、つてのある高位貴族のお屋敷で行儀見習いをさせていただくことになった。

父上、ナイスな手配ありがとう。ここのお屋敷、超快適です。

私はお世話になった家で、そこのお子達の相手をしつつ、王立学院なるところにも通うことになった。


しかし、これがもう、会う人会う人全員小綺麗な良家の子女というすごいところだった。そして私の婚約者殿も、去年、この学院を優秀な成績でご卒業あそばされたそうなのだが、完全に伝説の君扱いだった。

なにせ、顔よし成績よし人あたりよしの三拍子で、家柄も手の届く上限付近ということで、ものすごくモテたらしい。ところが彼は結局、在学中はどなたとも親密にはお付き合いせず、皆と等距離の節度ある社交関係を貫き、それに焦れて突撃したアホ令嬢は冷ややかに礼儀正しく徹底的に突き放したのだという。

迂闊に手を出すと氷結させられるという風評とともに、ついたあだ名が“氷雪の翼獅子”。彼が見事な銀髪で、ライゴール家の家紋が紺青に白銀の翼獅子であることからつけられたそうだが、完全に魔獣である。マジか。


そもそも、彼の家系というのが、もう怖い噂と伝説バリバリの文官系武闘派で、彼の父である現当主も、今でこそ大人しく副宰相の一人などという職に収まっているが、かなりアレな人だったらしい。うちの怖い物知らずで繊細さのかけらもない無神経な父上が、思い出したくないって青い顔をしていた。どんなだ!?そしてそんな怪物のうちにせいぜい兎レベルの娘を嫁がすな!




と言っても決まった縁談は決まった縁談で、現在、目の前にその氷雪の翼獅子様がいらっしゃいます。


もちろん初対面ではない。王都に入る前日に、朝、わざわざ近隣の宿場にまで出向いてくださった。でも、その時は長旅の旅装で見苦しい姿だからと、簡単な挨拶を交わしただけだった。

それでも王都まで馬車を先導してくださったので、後ろからこっそり騎乗姿は拝見したが、文官とは思えないほど、乗れていた。鎧を着たらどうなるかはわからないが、辺境の騎馬隊の騎士と遜色ないかもしれないというぐらいに乗馬姿勢が良かった。乗っている馬も、足は細いが歩みにクセがなく毛並みの良い、よく調教された馬で「さすが王宮勤めは違う!」と思ったものだ。

その後も、私の逗留先のお屋敷を訪問してはくださったが、お仕事が忙しいらしく、やはり簡単な挨拶程度でゆっくりと話をする機会はなかったのだ。


そして今、ようやく仕事が一日空けられたからとやってきてくださって、初めて落ち着いた状態で対面できたわけだ。さて“氷雪の翼獅子様”とやらはどんなお方か? 私は怖いもの見たさ気分で臨んだ。

が、しかし。改めて見る我が婚約者殿の印象は、いたって“普通”だった。

清潔感のある銀髪はきちんと束ねられているし、服装も上品な仕立ての落ち着いた色味のもので好感が持てる。色の薄い水色の目はやや光に弱いのか、時折、まぶしげに目を細めることがあるが、それも笑みのようで、硬い印象を和らげることはあっても嫌味はない。

学院で大げさな伝説や尾鰭のついた風評を聴きすぎて身構えすぎていたらしい。よく考えたら王宮勤めの若い新人文官さんがそんなにエキセントリックな訳が無い。

初対面の印象も、シュッとした上品な人だなぁという程度だったわけだが、結局ある程度、言葉を交わしてみても、まあ、そんな感じだった。


元々、私自身が人の美醜に関心がないというか、どこがどうだと美男なのか尺度がわからないという残念な感性なので、傷や病気の跡や不快感のある歪みはないなという程度にしかご尊顔の判定はできない。なので、モテたらしいという彼が、カッコいいのか美形なのかはさっぱりわからなかったが、辺境のむくつけき野郎どもと比べたら、スッキリした顔だなとは思った。……辺境の男どもは異臭レベルで汗臭いむさ苦しい奴らばかりなので比べるのは失礼過ぎかもしれないが。

レオニード様は女顔だとは思わなかったし、学院によくいる日陰のヒコバエ男子のように、なよなよしているようにも見えなかったので、王都基準だと男らしい部類に入るのかもしれないなとは思った。


でも“氷雪の翼獅子”は、二つ名盛りすぎだろう。

私は心の中でこっそり苦笑した。

彼は物腰も柔らかく、親切で礼儀正しい紳士で、いたって真っ当な感性の常識人だった。

一緒に中央聖堂の礼拝に参加し、王都内の名所旧跡を数カ所巡った。

そのあまりに無難でそつのないエスコートに、こちらの田舎臭いアラが気になったほどだが、そうやって緊張する私のフォローまでさり気なくしてくれるというよくできた都男子っぷりだった。


「うちは代々王宮の文官職の家で、そちらのご実家ほど社交行事は大変ではないので、それほど気負うことはありませんよ」


そう言って、まずは王都での生活に慣れてくださいと、気遣ってくれた。王都での自分の交友関係は、学院に通っているうちに、つながりを作っておくと良いなどともアドバイスしてくれ、実に良い方だった。なんと学院に通う私のために、学院の事情を熟知した自分の使用人を一人つけてくれさえしたのだ。この従者は本当によく気の付く人で、課題の準備や学院生活の細々とした雑事を万事心得ていてものすごく助かった。


彼が冷たいだの、魔獣のようだだのの評は、変なアプローチをして振られた女側が逆恨みで撒いた噂に違いない。レオニード様に魔物や獣じみた雰囲気は全然ない。あえて動物に例えるのなら、王子様が乗っているような、しつけの行き届いた毛並みの良い芦毛の馬かグレイハウンドという感じのお方だ。王都のお嬢様方ってお屋敷の愛玩犬程度しか間近で触ったことがないから、この程度の普通の人を、危険な魔獣呼ばわりしちゃうのかもしれない、というのが正直な感想だった。



良い縁談だなぁ。

父上、これは大丈夫ですよ。こういう真面目で常識のある方は、一度家同士の契約で決まった縁談を個人のわがままで蹴ったりしません。

むりやり色仕掛でなにかしようとしたり、愛せと強引に要求したりしなければ円満に結婚できて、子供もなるようになるやつです。厩舎のブリーダーなら、こいつは手間がかからないって言って喜ぶでしょう。いや、こういうたとえは流石に失礼か。

とにかく、習った通りの良いご令嬢の皮を被って、ひたすら無難な笑顔と、淑やかな態度と、ボロを出さない会話を心がければなんとかなるという感触を得た。よし。地元では野兎だの野良兎だの言われた私だが、色仕掛なしならなんとかやり通せる。任せておけ。


ライゴール家のご両親にも挨拶したが、こちらも噂ほどの怪物ではなかった。父上の話は思い出補正が激しかったらしい。普通に良識の範囲内の節度ある貴族家当主とその貞淑な妻だった。

おおう。家族の肖像画が様になる感じ。ここに参入するのか。お里が知れるような田舎者なマネは厳に慎もう。


私は礼儀作法や、王都の貴族夫人が行う家政と社交の基礎を学びつつ、彼と無難な交際を進めた。


二度目の訪問では、彼のご兄弟にも挨拶できた。ぱっと見、弟さんかと思ったら、妹だと紹介されて驚いた。乗馬の練習中だったとかで、男装の乗馬服姿だったのだ。都のご令嬢の乗馬なら横座りの女乗り一択だと思ったらそうでもないらしい。

「うちは代々、女の子が少ないから、どうも淑女教育というものに熱心でなくてね。それに妹は私の真似がしたいらしいのだ」

困ったものだと口では言っているが、たいして嫌がっている様子はない。妹に寛容な人なのかもしれない。

彼の少年時代にそっくりだという妹さんは、ちゃんとドレスを着たら美しい少女だった。兄が好きで兄の婚約者である私を疎むかと思ったら、「このように可愛らしい方がお義姉様になるとは素晴らしい!」と、ちょっと予想外の反応をされた。ドレスを着たら少女らしくみえるようにはなったが、微妙に中身は男前方向なままだった。なんとも微笑ましい。

意外なことと言えばその程度で、私の王都での花嫁修業の日々はつつがなく過ぎていった。




油断した!


順調すぎて、やらかしてしまった。

ひと気の遠い森の中で、ちょっとタチがよろしくなさそうな男ども対私一人です。

しまったなあ。


学院の知り合いに誘われた秋の狩猟会。日頃あまり付き合いのないグループの女子から声をかけてもらったので、交流を広げておくのもよいかと思ったのと、単に王都の郊外での行楽行事というのに興味があったので参加した。

その日は明け方に降った小雨も上がり、過ごしやすい良い天気だった。王都からさほど遠くない狩猟会場は、庭園みたいなこじんまりした森と湖(田舎感覚的には林と池)のあるところで、華やかな天幕が張られ、着飾った善男善女が談笑しているさまは、狩猟会場というよりも、ガーデンパーティのようで、実際に参加者の意識もそういうものらしい。もっとも、今回のはシーズン初期の小規模な腕慣らし的な会で、王家主催の会はこんなものではないそうだ。

おままごとな会とはいえ、ドレス姿で狩猟はできないと思ったら、狩りをするのは男性陣だけで、女性は本部の天幕でお茶会をしながら待機なのだという。なるほど。獲物を持って帰ってきた男を褒めそやす役か。

一緒に来た学院の女の子達はそれぞれお目当ての男子がいるようだが、私には婚約者がいるので、他の男を応援してもしようがない。思ったよりもつまらないところに来てしまったなと思いつつ、猟犬でも見せてもらおうかと会場を歩いていると、声をかけられた。


「そちらには犬がいて危ないですよ」


参加者だろうか。狩猟用の派手なジャケットを着た若い男だった。

私が、こういう会に参加するのは初めてなので、猟に使う犬というのはどういうものか興味があったのだというと、女性が一人では危ないので案内しましょうと相手は申し出た。田舎者の私は、都の男は親切だなあと思いつつ礼を言って、案内されるままに男について行ったわけで……。


アホでした。


どうやらその若い男は、獣ではなく女の子をハンティングする目的で狩猟会に来ていた参加者だったらしい。「こちらが近道だ」などと言って、私を木々の奥に誘い出した挙げ句、人目のないところに来た途端、態度を豹変させて強引に迫ってきた。


「こんなふうにノコノコついてきたってことは、そっちもその気なんだろう?」


やかましい!田舎者が王都暮らしで勘が鈍って油断しただけだ!誰がお前のようなヒョロ坊主に。


「おやめください」


私は相手を突き飛ばして、駆け出した。王都令嬢風のドレスは走るのには不向きだが、やってやれないことはない。兎は逃げ足が早いのだ。湿った腐葉土溜まりに尻餅をついて口汚く罵り声を上げているエセ優男から視線が通らなくなるように、木々の間を抜けて、人の気配のある方へと走る。

少し先に数人の人影が見えたので、狩りの参加者かと思い、助けを求めようと近づいた。

これがまた失敗だった。


ひと目見てわかる性根の悪さ。にじみ出る頭の悪さ。揃いも揃って品もない。そうか。王都に来てから、学院とお屋敷の往復で、それ以外はレオニード様のエスコートでしか出歩かなかったので知らなかったが、私が見ていたのは王都の上澄み中の上澄みだったらしい。

仮にも貴族の坊っちゃん嬢ちゃんが参加する狩猟会の会場に、こんなカスが紛れ込む余地があるとは。……王都も辺境とたいして変わりないか、人が多い分、治安は悪そうだな。


警戒して足を止めた私の方に、猟犬を連れた男達は、ニヤニヤしながら近づいてきた。


「なんだ。獲物の方から飛び込んできたぞ」

「楽な狩りだな」

「ボンボンはいねぇな。しくったか。話が違うが、これはこれでおいしい方に転がったみてぇだ」


なんだろう。頭と根性が悪い方向に裏があるようだ。「どういうことですの」とかなんとか、か弱く怯えつつ、適当に喋らせて聞き出してみると、どうやらハナから私ははめられていたらしい。たとえ私が大人しくお茶会会場にいたとしても、さっきのヒョロ男が連れ出してくる手はずだったようだ。

今回誘ってくれた学院の女の子の手配かな?そこの実家かな?と、見せかけて今日は来ていない誰かかな?怖~い。

嫉妬なのか利権争いなのか知らないけれど、やり口が汚い。初心で素直な田舎娘は傷つくぞ。いや、これでこのゴロツキ共に乱暴されて傷物にされて、縁談が破談になったら、傷つくどころの騒ぎではない。そんなことになったら、父上に顔向けができないではないか。冗談ではない!


私は周囲を再確認した。

地形は不案内。木々の下生えはまばらだが、棘のある茂みも点在。足元は石や濡れ落ち葉だらけで悪い。服装はドレス。目の前には男達三人と猟犬。やや遠いが木々の向こうにもう一人……やだなぁ。


舌なめずりしそうな顔でこちらにやってくる男から顔を背けて、数歩下がりかけたところで、よろめいてしゃがみ、地面に片手をついた。

「痛っ」

小さく悲鳴を上げて、ついた手の方の肘にもう一方の手を添える。白い絹の長手袋が汚れる。つらいがそんなことは気にしていられない。

男は私を鼻で笑って近づいてきた。


「おら、大人しくし……」


私は手元の石を握り込み、長手袋を一気に引き下ろした。

身をひねりながら、立ち上がり様に足を蹴り上げ、ドレスの裾をひるがえして枯れ葉を巻き上げる。とっさに目をかばって仰け反った目の前の男の鳩尾に、続く脚で回し蹴りを叩き込み、斜め後ろにいたもう一人にぶつけて、まとめて転倒させる。そこは棘の多い枝が絡む低木の茂みだ。服が引っかかって、すぐには起き上がれまい。

スカートを踏まないようにさばきながら、三歩で三人目に肉薄する。犬を連れた男は焦ってリードを離したが、その男が犬になにか命じる前に、脱いだ長手袋の端を持って振り回し、先端に入った石を相手の顎めがけてカチ上げる。目算が狂って喉笛にもろに入った。男の口から濁った音が短く漏れ、相手は喉を押さえてよろめいた。

私はもう二周、重し入り長手袋を回して勢いをつけてから、相手のこめかみを打ち据えた。こういうことは思い切りが必要だ。

リードを離された犬は、こちらに吠えかかろうとしたので、『待て』の命令を鋭く下す。番犬は躾けた主人の命令が絶対で、初対面の人間の言う事など聞かないが、こういう大人数が参加する狩猟会につれてこられる猟犬は、人間の制止命令には従うように躾けられていることが多い。彼らは凶暴な野獣ではなく、人に忠実な良き相棒なのだ。


いつもの猟では起こらない特殊な状況に混乱していた犬は、明らかに犬の主人であることに慣れた格上の相手からの明確な命令に反射的に従った。伏せて待機状態になった彼に、続いて出された命令は『緊急事態。群れに知らせよ』。たいへん納得できるわかりやすい良い命令だ。この主人は威厳のある強くて賢いリーダーだ。彼は言われたとおりにワンワン吠えて、他の人々が大勢いる場所に戻っていった。


「じきに人が来ます。手っ取り早い苦痛と、人生に致命的な罪過を、もっとその身に負いたいなら、どうぞ。続けることはそちらの責任による選択です」


私はすっかりダメになった長手袋をクルクル回しながら、ゴロツキ共を見据えた。……引いてくれないかな。最近やっと剣ダコが消えてきたんだから、ここから刃物沙汰は嫌なんだけど。切ったはったまでやると返り血で汚れるし。なぁ、引かない?


引いてくれた!


良かった。最近、ガンを飛ばすなんて全然やっていなかったから、ちゃんとできているか心配だったんだよね。いやぁ~、小さいうちから揉まれて身につけた技術は、半年やそこいらじゃ忘れないもんなんだね。ありがとう。辺境のロクデナシ騎士どもよ。仮にも主家の娘を、辺境に生息する凶暴な赤晶兎(カーバンクル)呼ばわりするアホウ共だが、お陰で助かった。


感謝と安堵の思いで、逃げる三下三人組の背を見送った私は、背後から近づいてくる最後のもう一人の方にゆっくりと振り向いた。




「てへ。道に迷ったうえに転んでしまいました」

「お嬢様……この件は旦那様にご相談ください」


我が婚約者のレオニード様が私につけてくれた優秀な従者は、ものすごく渋い顔をしてそう言った。「てへ」は流石にまずかったようだ。


一人でフラフラ出かけた私の後を追ってきた彼は、あちらでヒョロ男を無力化してから急いでこちらに来てくれたそうだが、割って入るタイミングを見つける前に、あれよあれよという間に事が進んでしまったらしい。

ごめんなさい。引き伸ばし工作をもう少し頑張るべきでした。途中で腹が立ってやっちまいました。


外聞が悪くないように、人が来る前にその場から離れ、乱れた服装と髪を直してもらう。とはいえスカートは汚れているし手袋も使い物にならない。

そこで、荷物に入れてきた乗馬服と革手袋とブーツを持ってきてもらった。


「なんでドレスの下に乗馬ズボンを履いていらっしゃったんですか」

「こっちに来たらすぐに着替えられるようにと思って」

「どういう段取りを想定したら、そういう発想になるんです!?乗馬ズボンを履いていても、裾をスネまで捲って、女物の半革靴さえ履いていれば、バレないという自信はどこから来たんですか」

「過去の実績……」

「は?」

「いいじゃないの。お陰で動けたわけだし。はい、上着をちょうだい」


従者は、渋々ながら丁寧に私の身支度をしてくれた。


「こんな格好をしても、王都では女性は狩りには参加できませんよ」

「そうらしいから、合わせておくわ」


乗馬服の上からゆったりしたラッフルのエレガントなラインのケープを羽織って会場に戻る。紳士方の集まりを避けて女性のお茶会会場へ。居合わせた本日の主催家の若い令嬢に挨拶する。馬に乗るのかと驚かれたので、「いえ、殿方の装いが華やかで素敵なので真似てみただけですの」と、余興のようなものだと笑い話に落としておく。

「馬に乗っていらっしゃるお姿を拝見したいですわ」などと周囲からはやされるのを、「どういたしましょう。ほんの軽い余興のつもりだったのに」とオロオロしてみせる。そして、次の機会にはお見せできるよう練習しておくと無理やり約束させられた形で、ほうほうの体で退散する体裁をとって、その日は無事、早々に退席した。




「申し訳ありません。レオニード様」


私は婚約者殿の前で神妙に謝罪した。

流石に今回はやらかしすぎた。しかも従者経由で全部筒抜けである。まいった。


「それは、どの部分に関する謝罪だろうか」


失点が多すぎて、答えられないです。

すみません。お恥ずかしい。


レオニード様は困ったように眉根を寄せて、小さくため息をついた。

おお、改めて見るとこの方の眉毛ってモジャモジャしていなくて、シュッとしているな。顔が賢そうでスッキリした印象なのはそのせいか。


王都(ここ)は、あなたのご実家とはまた違った意味で危険が多いところなのです。よく気を付けていただかないと」

「ハイ……」


迂闊で粗暴な女は婚約者失格でしょうか?

思わずうつむいてしまった。

レオニード様は、席を立ち、机を回り込んできて、私が座る椅子の前に立った。私はこちらを見下ろしているレオニード様をちらりと見上げた。


うっゎ。目が怖っわ。


口元は微笑みさえ浮かべているけれど、目が完全に怒っている。

一瞬、怯みかけたが、ここで怯えたら負けだと、顔を上げた。


「本当にわかっていますか。ちょっとした不注意や慢心で、この婚姻が失われることは大変な損失なのですよ」


穏やかで静かなままの声。


「意味のない見栄や、ちょっと恥ずかしいからなどというつまらない理由で、不毛な隠し事をして、窮地に陥るような真似は、くれぐれもよしてください」


うっかりするとむしろ無関心なのかと思ってしまいそうなほどの素っ気なさ。そしてその底にある鋭いトゲのような苛立ち。

うひゃぁ。こりゃ、すごい。

私はレオニード様から目が離せなくなった。だって、こんなの……見惚れてしまう。


そんな私のマヌケ面に、カチンと来たのかもしれない。私を見下ろしていたレオニード様のアイスブルーの目がスッと細められて、瞬間的に鋭い貫手が私の喉元に撃ち込まれた。

とっさに利き手ではない方で首を庇い、椅子に座ったまま半身をずらして致命傷を躱す。

レオニード様の手は、私に触れる直前で見事に止まり、それから、なんとも不自然に、なんでもないようなゆったりした動きに戻って、ドレスの肩の端についたヒダ飾りを軽く整えた。

私は上げた手を、少しあくびが出そうになって口元を隠したかっただけ、とでもいうようにさり気なく下ろして、カウンターを狙いに行きかけていた利き手の拳をごまかした。

でも、バレてるかな。バレてたな。

カマの掛け方がズルいや。


「とにかく。不手際だった従者は外します」

「そんな。あの者に落ち度はありません。すべて私が悪かったのです。責は私が負いますので、どうか精一杯勤めてくれたものにお咎めは……」


無表情だったレオニード様は、わかりやすく不機嫌な顔をした。


「なぜ庇うのです。情でも移りましたか」

「主人が使用人を大切にするのは当たり前でしょう」

「あれは私の配下です」

「私のために努めてくれました。故のない咎は看過できません」


レオニード様は部屋の隅に控えていた従者を一瞥した。従者はなぜかニコニコしていた。お前、それは……。

レオニード様から強烈な殺気が一瞬だけ放たれた。私は思わず立ち上って、彼の利き手の肘を掴んだ。

レオニード様、待て!

屋敷で殺生はいかんぞ。その殺気は戦場で使うやつだ。使用人を威嚇してどうする。


レオニード様は私を見て、自分の肘に添えられている私の手を見て、もう一度、私の顔を見た。


「大丈夫ですよ。あなたがご心配なさっているようなことはしません」

「それはよろしゅうございました」

「お座りください」

「では、あの者の処分はありませんね」

「わかりました。減俸などの罰則は一切科しません。ただし、配置換えは行います」

「なぜ?」

「守るべき主人より鈍くて弱い護衛は役に立ちません。あなたにはもっと腕利きをつけます」


なるほど。

納得できたので、私は承知した。

レオニード様は「あの呑気なバカはどこかで少し修行をさせてきます」とこめかみを抑えつつおっしゃったので、うちの実家の騎士団を勧めておいた。手っ取り早く強くなるなら、習ったことがすぐ実践できる辺境は良いぞ。実戦形式で修行できる。




「正直言いますと、もう少し楽な婚約だと思っていたのですが、思ったよりも本腰をいれる必要がありそうです」

「そうですね。私も真剣に取り組む意欲が湧いてきました」


まさかレオニード様がこういう方だとは思わなかった。人がましい薄皮一枚下に、いい感じにヤバイところをお持ちだ。今のあの感じは大変によろしかった。実家の裏手の大森林でちょいちょい見かける雪狼なんかが近いだろうか。雪狼は捕まえて根気よく仕込むと戦のいい相棒になるんだよね。

人間の数が少ない辺境では、馬も犬も狼も重要な戦力だ。だから現場での戦力の足しにならない女子供はそれらの飼育や調教を行う機会が多い。私も小さい頃から、自分よりも圧倒的に強い大きな生き物が大好きだった。

ふふふふふ。俄然楽しくなってきたぞ。


「さしあたって、我々の結婚を邪魔して、あなたに危害を与えようとする輩がいるというのは問題ですので、なんとかできないか考えてみたいと思います。ご協力いただけますか」

「はい。喜んで全面的に協力いたしますわ。ですから、そちらも必要なことはきちんとあらかじめ説明しておいてくださいまし。意味のない見栄や、ちょっと恥ずかしいからなどというつまらない理由で、不毛な隠し事をしてはいけませんよ。味方同士の連携ミスでポカをするようなバカな真似は、くれぐれも避けねばなりませんから」

「……なかなかいいお心がけですね。ご実家の教育の賜物ですか」

「いいえ。わたくし、良縁に恵まれまして、大変に素晴らしい婚約者がおりますの。これはその方の受け売りですわ」


私はお世話になっている公爵夫人から直々に習った貴婦人スマイルで微笑んだあとで、可笑しくて、ちょっぴり素で笑ってしまった。

レオニード様は片手を額にあてて、一声だけ小さく呻いた。




その後、レオニード様は私に必要なことはきちんと説明し、私が知る必要のないことは完璧に隠匿して、大きなトラブルもなく綺麗に敵を排除した……らしい。

いや、手際が良すぎて、醜聞が表沙汰にならなさすぎて、どこでどういうカラクリがあって悪が成敗されたのか、ぜんぜんわからなかったんだよ。

「例の三人組、やはりロクデナシだったようで、さる貴族の屋敷に強盗に入って捕まったそうです」とは教えてくれた。押し入って金品を盗もうとし、そこの家の子息を殺めたので、法に則って、当主によってその場で死刑となったそうだ。

うん。なんとなくその御子息、もしお会いしたらお顔に見覚えあるんじゃないかなぁ、私。え?気にしないで良い?そうですか。

あとはご令嬢が数名、学院をお辞めになったけれど、あまり親しくない間柄の子達だったので、どういう事情なのかは耳に入らなかった。

なるほど。学生から宮仕えの大人になると、仕事の手際が良くなるのだな。流石に優秀な男は違う、と感心した。




爽やかな秋晴れの吉日。私はレオニード様と王家主催の狩猟大会に参加した。しかも、今回は最初からドレスではなく乗馬服着用である。

と言っても男装ではない。

実は、先だっての会での私の格好が面白かったらしく、あのあと王都の一部の若い令嬢の間で、乗馬服が話題になったのだ。そこで学院の女友達同士で乗馬体験会を開いてみたりして、ちまちまと流行を煽っていたら、乗馬ではなく乗馬服風の仕立ての婦人服が流行った。婦人用なので上着の裾が長くて、腰や脚のラインがあらわにならないようになっているし、乗馬ズボンの腿の部分も男性のものよりゆったりした仕立てだ。


「王都は酔狂な方が多いのですね」

「皆、暇なのだ」

「平和なのは良いことです」


でも、女でも馬に乗れると、戦時に有用ですよと申し上げたら、レオニード様に、王都の令嬢が馬に乗って戦う事態になったら国の政治の負けですと言われた。それはそうだ。


「この調子で乗馬服風の装いや乗馬が女性の間で流行すれば、妹さんも奇異の目で見られずに馬に乗って遠がけに出かけられますね」

「……最初からそういう意図で?」


私はレオニード様のお顔を見て、くすりと笑った。こういう時のこの方のお顔は可愛らしくて好きだ。

まぁ、最近、どんな時の顔もいいなと思っているふしがあるのでいい加減な話だが。


「馬に乗るなら屋敷の馬場だけでは面白くないでしょう。そのうち遠乗りにお誘いしたいわ」

「妹を誘う前に、私と一緒にというのはいかがでしょう。あなたを満足させられるほどの草原が王都近郊にはないのが残念ですが」

「レオニード様が草原の早駆けに興味があるのでしたら、いつか辺境伯領にご招待しますわ」

「今日のところは、私の前に座るだけでご容赦ください」

「ええ。承知しております。スタイルだけのエキシビションのようなものですもの。余興は余興らしくしないと」


荒っぽいので有名な辺境伯のところのお転婆な田舎娘が、王都の狩猟大会の華やかな装いに有頂天になり、寛容な婚約者にせがんで、馬に乗せてもらって喜んでいるところ……を微笑ましくアピールすればよいのですよね。ほぼ事実なので楽勝です。馬も今日のために実家から取り寄せた、足の太い丈夫な辺境産の馬なので二人乗りでもバッチリです。


私は、狩りの合間の休憩時間に、子供のように彼の前に乗せてもらって、他の客にひやかされる余興役をきちんとこなした。

レオニード様と揃いの意匠の飾り紐付きのケープジャケットを着て、二人でピッタリ寄り添って仲良く馬に乗るのは、思ったよりも気恥ずかしかったが、楽しかった。




「レオニード様がこれまでにされて嫌だった色仕掛って何がありますか?」

「なぜ突然そんな質問を?」


レオニード様のご自宅の客間でお茶を頂いているときに、ふと尋ねてみると怪訝な顔をされた。それはそうか。


「昨日、馬に乗せていただいたときに、通常の”適切な距離”よりもかなり、こうなんといいますか、()()()が多かったのを思い出しましたの。もしレオニード様が女性を煩わしくお思いだったら、あれは嫌だったかもしれないと思いまして……私、うっかり嫌な思いをレオニード様にさせたくはないんです」

「そうですか」


レオニード様は涼やかなお顔で微笑まれた。


「強引な色仕掛は色々とうけたことがありますが、どうにも嫌だったのは大きくわけて3種類ですね」


曰く……。

同意なき関係には過ぎたもの。

本人が厭々やらされているもの。

本人の個性にあっていないもの。


「ですから、あなたがご自分の気持ちに沿ってなにかなされているときに、うっかりとってしまった程度の行動で私が不快に思うことはありませんよ」

「でも、そのう……支えていただかなくても大丈夫なのに、ついもたれて寄りかかってしまったのはご迷惑だったのでは?」


レオニード様は私の座る長椅子のところにやってきて隣に腰掛けた。


「私達は夫婦になるのですから、寄り添って支え合うことを嫌だとは思いません」


彼は馬に乗っていたときのように、私を後ろから抱えるように両手をまわした。


「寄りかかってもいいですよ」


お言葉に甘えておずおずと寄りかかってみると、レオニード様の笑みが僅かに深くなった。


「心配なら少し検証してみますか?」

「何をですか?」

「そうですね。私が過去に嫌だと思った色仕掛をいくつかやってみていただいて、それで相手があなたの場合に、私が不快に思うかどうか確認するとか」


彼の目が楽しげにすうっと細められる。

あ、この人。狼や犬や馬じゃない。捉えた獲物をなぶって楽しむ猫系だ。……そういえば翼獅子だったっけ。

どうしよう。大型猫科獣は扱ったことがないから自信が無いぞ。でも……。


「やってみましょうか」


なんとしても手に入れたくなった。

私はレオニード様にいただいた美しいレースの白手袋に指をかけ、ゆっくりと外した。


よおし、落としてやろうじゃん。

家も政治も無関係に、絶対手懐けてやるから覚悟しろ。




その後、獅子は兎を狩るにも全力を尽くすものなのだと思い知らされた。

うわーん。



ーーー

このレオニード様は、拙作『「お前を愛することはできない」と婚約者殿に断言されました。早期のご通達に感謝します』の主人公のお兄様です。

スーパーなお兄様の恋愛話を書いてみたくなって(リアルがクソ忙しい年度末にもかかわらず)書きました。

それなのに、何故かこんな結果に……またハイスペックポンコツキャラが増えただけではないか(涙)



お読みいただきありがとうございました。感想、評価☆、いいねなどいただけますと大変励みになります。


よろしくお願いします。






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オマケ(足りなかった甘味増量)


「ところで、あなたが不快だったことって、何をして差し上げればよいのかしら」

レオニード様は私の手をとった。

素手で触れられるなんて恥ずかしい。

「では、私の名前を呼んでください」

「レオニード様」

「敬称略で」

「レオニード?」

レオニード様は私の爪先を親指の腹で撫でた。

「もっと甘い口調で」

「レオニード」

「もっと想いを込めて」

「……レオニード」

私は軽く触れている彼の指を追いかけて指先で捕まえた。

「命じられて無理にやらされているのはお嫌いなのでは?」

「命じているのが私で、やっていただけるのがあなたなら、なかなか楽しいということがわかりました」

「では、これはもうよろしいですね」

「いいえ、もっとちゃんと甘やかにお願いします」

親指の付け根に強く爪を立ててやると、彼のきれいな笑顔が引っ込んだ。

「要求が難しいですわ。お手本を見せてください」

「よろしいのですか?」

「ええ」

「では、失礼します」

大きな手が、私の手を包み込むように握り返し、彼は恭しくそこに唇を寄せた。古風な騎士の淑女への礼。

でも、それはこの距離で、腰に手を回したまま行うものではない。

私は体の奥が震えるのを感じながら、彼の目を正面から見つめた。

色の薄い青く澄んだ目が、一瞬ギラリと光った後、甘く甘く、それはもう甘やかにトロリととろけて、私を絡めとった。私は今、同じ目をしているのだろうか。視線が溶け合う。


そして彼はこの上もなく愛おしそうに私の名前を呼び、彼の声が私の唇を震せた。


え?私?

同じように返せるに決まってるでしょ……声が出せるようになったらね。

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