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 ブルネイ王国に帆立屋支社が創立した文久三年五月。

 アメリカ内戦は、前線は停滞しつつも激しい戦闘が繰り広げられている。合衆国と連合国双方合わせて、現時点の軍人に限定してと一五万人もの死者を出している。民間人の死者は二〇万人以上と推定されている。

 と言えば戦争小説みたいで聞こえは良いけれど、合衆国・連合国の戦術は『前装式ライフル銃を使った戦列歩兵、相手の白目が見えたら発砲!』というあまりにも、あまりにも、あまりにも馬鹿げたものだし。

 この戦争が始まってすぐの複数の戦場に、合衆国の暇な富裕層がまるで演劇でも見るかのように戦場に遊びに来ていて。敗走する合衆国兵士に巻き込まれて多くが死んだ。

 なので、そりゃあそんなに死ぬよね、というオチだったりする。

 でも、クリミア戦争以来大規模な戦争のなかった欧州諸国にとっては、この戦訓はかなり有用なものらしい。実際、素公留塾のオランダ人教官が『教本を更新しないとな!』と騒いでいた。


 アメリカ内戦によって引き起こされた『世界的な油価格の高騰』は、日本の捕鯨産業を活性化させている。

 けれど、目敏い商人や豪農の中にはこう考える人も増えている。

「わざわざ死ぬ危険性の高い捕鯨をしないでも、油の得られる作物を育てればそれで良くないか?」

 ただしそのために山を切り開くことは出来ない。なにせ山は材木林と桑畑で手一杯なのだ。だから多くの人々は諦めた。

 しかし一部の、資本力のある商人や藩・幕府に伝手のある豪農は違った。

「湿田を乾田にして、裏作で菜種を育てよう!」

 治水・利水設備が未成熟なこの時代。湿地みたいな田んぼ『湿田』は山盛りあるのだ。


 藩と幕府が治水・利水工事の計画を立てる中、一歩も二歩も前進していたのは、我らが弘前藩だ。

 帆立屋が大量に設置した水車を安定的に動かすため、(小さな)ダムや用水路の整備等を積極的に行ってきた上に、蝦夷開拓地のダム・用水路建設にも人を出してきた。

 元凶な帆立屋もかなりの土木技術を持っており。水車は当然のように胸掛式で、一部ではフランシス式も使われている。そして土木も水車の技術も帆立屋が独自に開発・発展させたものであり、欧米の影響がない点も見過ごせない。欧米から技師を呼ぶ必要がないからだ。

 弘前藩は帆立屋その他弘前藩内の商家と協力して、津軽平野中程の湿田地帯を乾田とする『津軽再開拓事業』のため、ダム・用水路・堤防・排水用の風車や水車等々といった複合的な設備の工事を始めたのは、文久三年四月からのことだ。この事業が成功すれば、五〇〇〇町の湿田が乾田に変わると試算されている。

 既に建設してしまっているダムは仕方ないとして、堤防や一部のため池については取り壊しが決まっているほど。総工事期間は三〇年とされており、その間の年貢減少も計算の内というから、弘前藩の覚悟の据わり様は凄まじい。

 帆立屋としては、土木技術の提供以外に剣先スコップや鶴嘴等の土木工具を安価に提供する程度に抑えている。蝦夷地の治水利水工事で手一杯だからだ。

 津軽平野を成した岩木川とその支流はいずれも暴れ川。水車のために幾つかダムが建設され、ハゲ山がなくなったとはいえ、まだまだ足りていない。『津軽再開拓事業』は、津軽平野に住む人々の『悲願』でもあるため、この事業に参加する人々は、賦役も雇われも皆強い熱意を持って工事にあたっている。


 開拓と言えば。

 帆立屋が購入した、因幡国の湖山砂丘の開拓も順調だ。

 今はまだ浜栲(ハマゴウ)程度しか産物がないし、黒松の防砂林もまだまだだけれど。(シキミ)木蓮(モクレン)は無事根付いたようだ。

 現地の地形を鑑みて、砂丘の一部を竹林にしたことも、開拓を加速させている。竹の防砂柵で黒松の幼木を囲むことで、生地前に砂に埋もれてしまう事態を防いだからだ。

 防砂柵を置く前に結構な黒松の幼木が駄目になったことは反省して。クラゲの干物を根元に埋める等、改善に取り組んだ結果、黒松はスクスクと育つようになった。この調子で大丈夫だろう。


 一方の蝦夷開拓地。

 河川工事が忙し過ぎて、あと数年農地を拡大することは出来ないだろう。けれど工事の成果は出つつあり、増水や旱魃の被害が減って収穫高は増えてきている。

 焦らずじっくりと取り組んでいきたい。




 そうそう、幕府も蝦夷開拓に乗り出すことが正式に決められた。函館港周辺から手を付けていく予定だそうだ。

 将来的に工業都市になるであろう函館近くに食料生産拠点を置くことは利に叶っている。いきなり一〇〇〇も二〇〇〇も送り込むのではなく、一〇〇人単位の村を四つ程造るところから始めるという計画も、慎重で良い。

 渡島半島のアイヌは、ほとんど帆立屋開拓地に移住したみたい。だから、その跡に江戸で溢れている人々を送り込むというのも、先住民との争いを避けられて良い。

 ただ、函館近郊にいたアイヌがいないことで、この地域の危険な場所や独自の毒草等が分からないことは、明確な不安材料だ。

 日本でも人口爆発は起こっている訳だから、生産能力の向上と居住地の増加、仕事の手配は必須だ。それを幕府(公的組織)がやるというのだから、応援したい。

 まだまだ帆立屋の手は小さいからね。お客様になるかもしれない人を取りこぼしたくない欲はあっても、全員をすくえると思う程傲慢でも夢想家でもないのだ。







~~蛇足~~

・『前装式ライフル銃を使った戦列歩兵、白目見えたら発砲!』は、史実アメリカ南北戦争の序盤~中盤で実際に行われた

・極一部では後装式ライフル銃も戦列歩兵として使われたらしいが、ソースが怪しい。一部騎兵が後装式ライフル銃を使った例はあるので、それと混同されたか?

・当時はライフル銃の性能がよく分かっていなかった

・アメリカ南北戦争の戦訓もあってライフル銃の使い方は洗練されるので、この戦争は戦史上とても重要なもの

・南北戦争序盤の『第一次ブルランの戦い』では、北軍の勝利を確信していた富裕層が戦場近くにピクニックに来て。北軍がほぼ負けてから避難を開始。壊走する北軍と追撃する南軍に巻き込まれた。

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― 新着の感想 ―
改訂前の幕末女商人も好きでした。途中で終わってしまって 残念でしたが、歴史改変後の複雑な情勢を描くのは確かに難しいでしょうから安易に続きが読みたいとはいえません。しかし再び拝見できるからには前作より先…
[気になる点] 摩耶布を西洋に売りつけて定期的に入る利権を確保してほしい。 日本製紅茶や真珠養殖も挑戦してほしい 真珠は海洋型と淡水型があります
[一言] 戦争見にピクニックって...アホかよ。しかし白目見えるまで近づくということは余程至近距離の銃撃戦になったんでしょうね。
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