25 素公留塾のイギリス紳士
素公留塾の教官として招かれたイギリス人のうち、紳士達は毎晩集まって『宴会』を開いている。
……というのは表向きの情報で、宴会の場は情報交換と作戦会議の場だ。
「帆立屋の取り込みは順調ですね」
「だな。まさかあちらから我々と提携しようと言い出すとは思わなかったが」
サラワク王国はイギリス人の探検家『ジェームズ・ブルック』がブルネイから領土を簒奪して成立した国であり、実質的なイギリスの保護国だ。
ただ、ジェームズ国王が若い頃道楽者だったため、その成立は本国の資産家から『正当なものなのか』疑われ。1847年の原住民との海戦で相手方に多数の死者を出したことを『虐殺』と疑われ。
ジェームズ国王のイメージは悪化し、そのストレスと天然痘感染によって彼の健康は損なわれていた。
そんな中に帆立屋は商談を持ち込んだのだが。
『戦争で手加減するのは無理だ』
『自分の手で不名誉を解消出来ないなら、後継者が解消すれば良い』
『その下準備程度なら、今からでも出来る』
と、帆立屋栄子はジェームズ国王を励まし。幾つかの政策と『アブラヤシ農園への出資』を成功させた。
イギリスの勢力圏で、イギリスの商社(厳密にはサラワク王国の商社)へと出資した訳だから、帆立屋がその線から取り込まれるのは自然なことだ。
だから、素公留塾にて帆立屋栄子とよく顔を合わせる紳士達は安心したのだ。
「いやー、栄子は全く隙を見せませんでしたからね」
「やっと見せた隙だ。突かなければ失礼というものだろう」
「問題は、それを狙ってやっている点ですな」
鋭い指摘に、紳士達は黙り込む。
帆立屋、というよりも日本は『異常な国』だ。
開国後に乗り込んでみれば、水車動力の旋盤は既にあったし、紡績も一部水車動力化されていた。製鉄に水車動力が使われるのは『当たり前』のことであったし、江戸の街等では上水道が整備され、糞尿は肥溜めで丁寧に処理される。おまけに下痢で死ぬ人はほとんどいなかった。
支配者階級でふんぞり返るのが自然なはずの武士は、文官仕事に励みつつも今すぐヨーロッパの精鋭部隊で働ける程の軍事教練を受けている。勤勉なのは武士だけではなく、貧農ですらヨーロッパの数学者が解くような問題を解いて楽しんでいる。
そして、ヨーロッパの技術力を見せつけるつもりで持ち込んだ銃や蒸気機関車は、花火屋やら提灯屋やらといった町の職人の手によってコピーされていた。
大量生産だけはまだ出来ないようだが、それは原料不足の影響が大きい。ヨーロッパ諸国で秘密条約を結び、色々輸出を制限していなければ、今頃日本は軍事大国としてアジアで存在感を示していただろう。
「ゴムの木の話は、明らかに牽制だったな」
「ああ。条約のことが漏れたのだろう」
この時代、ゴムは戦略物資だ。工場機械は言うに及ばず。銃や砲の射程・命中精度の向上にもゴムが使えそうだと、報告が上がっている。
そのためイギリスも資金を出して、南米からゴムノキを持ち出そうと試みているが、その試みは数多の妨害のせいで『まだ』成功していない。
そんなゴムノキを『ブルネイに植える』と栄子が言い出した時紳士は焦った。戦略物資を日本が自給出来るのは『よろしくない』し、そもそもイギリスでも成功していないことだったからだ。なので嘘をついて煙に巻いたが、効果はいかほどだったのだろうか?
「いや、いつもの『勘』かもしれぬ」
「厄介な……」
帆立屋の事業は、どれもが帆立屋栄子の『勘』で始まっている。それこそ、帆立の養殖から全てが。
勘頼りの経営とは恐ろしいものだが、栄子のあれは『勘』ではなく『計算』だ。その途中式を説明することを面倒臭がって『勘』のひと言で済ませているだけの。
それを理解しているからこそ、帆立屋の面々は男も女も老いも若いも、彼女に着いていくのだ。
「で、サゴヤシについては何か分かったのか?」
「ああ。サゴヤシは熱帯雨林の湿地に生えるヤシで、その幹からスターチ(澱粉)が得られるらしい」
「……それだけ聞くと投資する理由が分からんな」
「私が話を聞いた植物学者によると、熱帯雨林の湿地で育つ作物は酷く限られるらしい。そしてボルネオ島北部はそんな湿地がありふれている」
「では、サゴヤシを使えば、ボルネオ島がスターチの供給源になる、と?」
「その通りだ。だが、サゴヤシは育つのに七年以上かかるらしい。ならば治水工事をして米を育てる方が遥かに良い」
「フーム。投資代をケチるならサゴヤシ、大々的に投資するなら米、ですなあ」
「だがサラワク王国はアブラヤシ農園で手一杯でブルネイ王国は土地が足りない。暫くは投資対象になり得ないぞ」
「そう考えると、帆立屋は上手くやりましたなあ」
「だな」
帆立屋との商売は恐ろしく、それでいて面白い。九州に楠の農園を造り樟脳を得る商売では、イギリス商人も大変稼がせて貰っている。それでいて九州の人々に利益が還元されているのだから、素晴らしい。
素公留塾のイギリス紳士達は、帆立屋に手の内を読まれるスリルと、帆立屋と共に稼ぐ快感に囚われた、哀れなギャンブラーなのだ。
その胴元で欺くべきは世界。
「全く。たまりませんな」
「だな」
「ですねえ」
これほど興味深い商売は、他にない。




