表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/26

19 文久元年~

 万延二年、じゃなくて文久元年三月。

 イギリス・幕府・帆立屋・越後屋からの投資で、薩摩・肥前藩において複数の『楠農園』が開園した。

 樹齢五年にもなれば枝葉の剪定の必要が出始め。その枝葉から樟脳が得られるようになる楠は、人口爆発による衣類需要の急増によって『五〇年後になっても確実に稼げる樹木』として注目されている。

 そんな楠を、薩摩・肥前藩の領内にあるハゲ山に植えて管理する、という一大事業。治山治水に外貨獲得、安定的な雇用の増加等々様々な組織の思惑が重なり、おどろおどろしく血なまぐさい駆け引きが行われているこの事業。

 本当は資金も手も口も出したくなかった。けれど駆け引きが長期化の様相を見せ始めて。イギリス大使サー・ラザフォード・オールコックと将軍徳川家茂の機嫌が悪くなっている、という噂が流れても駆け引きが終わらず現場が動けなかった。

 流石にこの状況は不味いだろ、と呉服屋の越後屋も巻き込んで。資金を出して楠農園の整備を先行させたのだ。

 駆け引きに熱を上げていた幕臣・薩摩藩藩士・イギリス商人は『抜け駆け』した帆立屋と越後屋を恨んだ。が、帆立屋がイギリス政府と持つ伝手でイギリス商人を抑え込み。越後屋の商人ネットワークで薩摩藩と幕臣を抑えることで、報復は起こらなかった。

 特に薩摩藩は工業化のための借金がかさんでおり。幕臣も江戸時代の間に溜まった借金がある。徳政令を出して借金を帳消しにしようにも、欧米の視線があるため出せない。なので多くの武士大名は、商人に頭が上がらないのだ。


 そんな訳で、予定外にも九州に複数の楠農園を手にしてしまった。

 ただでさえ蝦夷地ソウヤの開拓に人手を取られ。また久保田藩(秋田藩)で桐農園を作ろうと動いていたこともあって、帆立屋の人手不足は深刻になっている。古参の従業員を積極的に昇進させ、新規の従業員を雇ってはいるけれど、教育が全く間に合っていないのだ。

 一〇〇人単位の入植者を蝦夷各地に送り込んでいるだけでこんな大惨事になるなんて。流石にひとつの商家だけで開拓は、やっぱり無謀なのだろうか?

 でも、史実みたく万単位で入植するには、上下水道・農業用水・治水ダム・地盤強化等々のインフラ工事をしないと開拓村が全滅しかねない。だから現地アイヌを取り込みつつ、一〇〇人単位の入植者を送り込んでゆっくりインフラを整えていく手法を取っている訳で。

 文久三年の春には、順調に開拓が進んでいたマシュケに四〇〇人、トマオマイに六〇〇人の追加の入植者を送り込む予定。それが可能なだけのインフラ整備に五年以上かかっていることからも、開拓の難しさは理解してもらえると思う。

 当然、開拓を支える後方、事務方と資材調達、資金稼ぎも大変な訳で。特に、信用出来る事務方の教育・育成は時間もお金もかかる。

 資材調達はOJT染みたやり方でなんとかしているし、資金稼ぎのうち営業は帆立屋と伝手を持ちたい中小の商家や工房の経験者を雇い取り込んでなんとかしている。

 事務方だけはどうしようもなく、人手不足が続いている。

 弘前藩や近江彦根藩の武家から、武家の部屋住みを男女問わず雇い始めてはいる。これでなんとかなると良いなあ。




 なんとかなった。

 元武家な彼ら彼女らは教育がしっかりしている上に忠誠心と向上心に溢れていることもあって、大量に雇うことを決めた。

 その『英断』のお陰で、文久二年の年始には激務から解放され、久保田藩に家具向け桐の農園を造るための話し合いも進み始めた。

 だが久保田藩は桐農園の話を恰好だけ渋り、苧麻カラムシ産業への協力も求めてきた。

 苧麻から作る麻は『青苧あおそ』として知られているが、開港に伴い入ってきた、世界の市場に流れる麻布の品質と値段に、青苧で儲けていた東北各藩は戦慄している。麻布の高い品質の癖にかなり安いのだ。

 東北各藩は、独自に欧米と渡り合える絹布を、水車動力で織れる帆立屋の助けを得ることで苧麻産業の生き残りを図ろうとしていた。

 当然、東北の雄藩たる弘前藩とズブズブな帆立屋は、その事情を知っているし、水車動力で高品質な麻布を織る技術の研究もしていて、後はどこに工場を建てるか決めて工事するだけだった。

 久保田藩はそんな帆立屋に、ホイホイ苧麻産業を差し出してきた訳で。

「では、苧麻農家との交渉、河川整備・工場建設等の工事への協力、よろしくお願いしますね?」

 当然、私達帆立屋で久保田藩の苧麻利権を抑えることに成功した。足りなくなるであろう人手の問題も、既存の苧麻関連業者を吸収する形で解決した。

 大規模な青苧工場の稼働は、水車を安定的に稼働させるためのため池・ダム・河川整備が終わってからになるので、四から五年後になりそうだ。

 それまでは小規模な水車動力の工場で青苧を作り、資金を稼ぐ。

 なお、大規模青苧工場が稼働すれば、今の久保田藩内での苧麻生産量では全く不足するので、苧麻の栽培量を増やしてもらえるよう各地の村と交渉を始めている。

 苧麻は雑草みたいなものなので、植え付けと収穫以外手間がかからない。農家の副業として中々良い産業なのだ。

和暦難しい

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 幕府の借金ってのがよくわからない 幕府は日本の通貨発行権を持っているのだから、通貨を発行して流通量を増やしていけばなんとかなるでしょう。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ