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 幕末。

 黒船来航がトドメとなり、このままでは日本が欧米の植民地と化す、と幕府と藩は大慌て。幕府も藩も慌てたまま西洋化だ工業化だと目に見えて分かりやすいがカネにするにはノウハウが必要な事業にノウハウ無しでつっ走ったので、幕府も藩も揃って借金まみれになり。

 そのうち政権を取る長州藩と薩摩藩も借金まみれであり、その借金をどうにかするために幕府の領地を欲しがって。それが拒否されれば戊辰戦争なんぞ起こして更に借金を重ねて。

 最終的には、借金のほとんどを無効とすることで多くの商家を潰し。商家にそっぽを向かれたことで殖産興業は大失敗。米と生糸だけで軍艦を建造してもらう、なーんて果てしなく苦しい道のりを歩むのだ。

 そうして行き着く先は焼け野原。全く救えない話である。

 そうなることを知っていても、祖国を見捨てられぬのがこの時代の日本人。アジア人なんて欧米人の奴隷扱いなのが世界情勢なのだから。


 時代に足掻くには、稼ぐしかない。稼ぐ拠点が幕末の争乱から外れるならば良。稼げるのが外貨であればなお良。

 ただ、幕府も藩も簡単に稼げるような産業には手を出している。そんな簡単に稼げる訳がない。




「本っ当、儲からないなあ……」

 背中が煤けていそうなのは、私、帆立屋の栄子である。

「栄子さーん! 貝殻の塩抜き終わりましたー!」

「確認に行きますねー!」

 返事をして、作業場へ移動する。


 やったことは言うだけなら簡単。帆立の養殖だ。

 嘉永二年の四歳の初春、親代わりであった漁師達を扇動して(「えー? 出来ないのー?」「やってやらぁ!」)。弘前藩と黒石藩に許可だけ取って。

 試行錯誤する暇もなかったので、推定前世記憶にあった垂下式養殖を初っ端からやったところ、三年目の嘉永五年には成功。

 で、これは知らなかったんだけど、帆立の貝柱を茹でて干した物は俵物のひとつ『干貝』として清向けの交易品として扱われるので、幕府が漁獲を制限していたのだ。


 干物を日本国内で売って飢餓対策、貝殻は石灰肥料に! なーんて呑気に考えていた私は、弘前藩主津軽順承(ゆきつぐ)と共に江戸城に呼び出しを食らい。

 なんか良く分からないうちに弘前藩の御用商人、『帆立屋』の主人となっていたのだ。どういうこと?

 なお、この年の干貝は幕府に没収された代わりに五〇〇石級の弁才船に変わった。干貝四〇斤で貿易銀で二六匁分、両に直すと二六両分しか作れなかったのに、五〇〇両する弁才船が渡されたのは、期待の現れなのかな?


 まあともかく。

 黒船が浦賀に来た! とかいう騒ぎがここ平内でも聞かれるようになった嘉永六年六月末。

 今が旬なホタテを必死に水揚げして貝柱は片っ端から干貝に。ヒモも干物に。内臓は腐らせて肥料に。

 干貝は七月末に青森港を出て出島を目指す、幕府から貰った弁才船を転用した北前船に何としても間に合わせないといけないので、それはもう必死だ。

 ヒモは、弘前藩中の子供達のオヤツに低価格で、余ればお隣久保田藩に売る予定なので、丁寧に作られている。

 貝殻は塩抜き第一段階のために雨ざらしにして、第二段階として湯がいて。塩抜きが完了したら砕いて。細かく砕けたら肥料として弘前藩中の農村が買ってくれることになっている。

 この貝殻肥料は、海岸沿いの農村では知ったり知られていなかったりしたもので、昨年正月開けに弘前藩に提案したところ、試しに内陸部の農村にも撒いてみよう、ということになり。『少し(五分から一割)収穫量が増えて質が良くなり、病気が圧倒的に減った』ということで公認されたのだ。予定が早くなって助かる。


 干貝、ヒモ、貝殻肥料の三点セットの生産は中々忙しない。そりゃあ作る製品が多くて急ぎとなればそうなる。

 でも、ホタテの中身一トン(推定)から得られる、清に売れる品質の干貝はたったの四〇斤。ホタテの重量の八から九割は水な上にヒモ部分を取ってしまうので、この量になるのは仕方ない。

 これだけ苦労して得られる清の外貨が貿易銀で五二匁分、両換算で五二両と思うと、納得いかない。江戸の越後屋が一日に上げる売上の半額以下なんて、納得いかない。けれど、垂下式養殖のホタテは貝柱が締まらず干貝に向かないので、仕方ないと言えば仕方ない。

 完全な蛇足として、奉公人一人に年間で払う賃金が二両だったりする。やっぱり納得いかない。


 なお。

 貝殻肥料は一六〇〇〇斤を一斤一文で売る予定なので、全て売れれば一六〇〇〇文。

 ヒモは八〇斤を一両一文で売る予定なので、全て売れれば一二八〇文。

 内臓肥料は自分達で使う。

 なのでホタテ剥き身二トンから得られる売上は五六両一二八〇文、となる。……肥料とヒモは正直もっと高くしたいけれど、そうすると買い手がつかないので、これ以上上げられない。

 何故値上げしたいのかというと。五六両一二八〇文の価値が、かけそば換算で一四〇八〇杯。もしくは質の良い日本刀二本。といったところで、そんなに高くないからだ。なので年間でそれっぽっちの利益で御用商人とか舐めてるのか、と商人仲間にからかわれるほどだ。

 通年で働いている従業員が一〇人。年四分の一の繁盛期に雇うのが二〇人。その人件費に加えて、ホタテ養殖場や加工工場の維持費がかかり、冥加金として売上の二割は弘前藩に取られる。

 すると手元に残るのは一〇両程度。やっていることの衝撃の割に全く儲かっていないのが、帆立屋なのだ。

 北前船の維持費は、って? あれはほぼ弘前藩に貸し出してその貸出料と維持費整備費でトントンなので換算していない。


 繁盛期に雇う人数が二〇人は増えるけれど、来年にはホタテ養殖量が剥き身で倍の四トン(目安)になるはずなので、そうなれば余裕が出てくれる、はず。







~~蛇足~~

ホタテ一匹から

・貝殻800グラム

・剥き身150グラム

・干貝4グラム

また、

・水揚げしたうち規格外が一割出る

ものと仮定して計算


*得られる干貝少な過ぎない?

垂下式養殖のホタテは貝柱が締まらないらしいので、貝柱の9割を水分と仮定。剥き身中のヒモの重量を90グラム、食べられない部分を15~20グラムと仮定。

干貝の水分量を10~15%と仮定。

なお、干貝1個4グラムは高品質分類の干貝の中では低品質分類である。




・貨幣価値について

明治に整備されるまで、日本の貨幣は金貨どうし銀貨どうしで価値が異なっていた。

それをそのまま表現すると、貨幣の話だけで何話か潰れるしいちいち計算しないといけなくてややこしいので

貿易銀1枚→1両→銀60匁→銅4000文

で統一している。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 貝殻は収穫重量の半分では? [一言] 牡蠣なら兎も角ホタテは育てるハードルが高いですね。
[一言] 後のロイヤル・ダッチ・シェルである というかロイヤル要素とダッチ要素皆無だけど
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