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その⑤「金儲けのために生まれたんじゃないコト」

こんにちは。前回更新からあまり日を空けず投稿できましたが、それだけに短めです。作中で誰も言わないので私がここで言っておきますが、公営以外での私的な賭博行為は犯罪です。小説はフィクションですので、マネしないようにしましょう。

                      1


姫月と頓智来な勝負をすることになった夜、10万円をもって意気揚々と去っていく彼女を見送り同じく街を後にする3人。星畑も凛も一先ず自宅に帰ることになったが、お互いアメニティをもって改めて黒川のアパートに集合する手はずになった。星畑は別に黒川の家で寝泊まりする必要はないのだが、凛と二人きりになることを極度に恐れた黒川の必死の頼みで、黒川の家に来ることになった。3人が黒川の家に集まった時には既に日を跨ぎかねない時間帯だったこともあり、さして盛り上がることもなく、すぐに寝床に就く準備をする。自宅で風呂も歯磨きも済ませてきた凛は「すっぴんだからあんまり見ないでください」と早々に布団に潜り込んだ。ちなみに布団はもともとアパートに据え置きだったもので、実家からベッドを引っ張って来た黒川は未使用のものである。といっても3日ほど前、星畑が使っていたのだが……。黒川もそれに習い急いで歯を磨いてベッドに横になる。実はお酒やジュース、お菓子を用意していたのは内緒である。星畑が風呂に入っている間、2人は奇妙な沈黙の中、気まずい時間を過ごす。


「…………ホントに3日間、ここにいるつもり?」


「すいません……やっぱり迷惑ですよね……?」


「いや、俺は別に全然いいんだけど…?女子的にそれは大丈夫なものなのかな~って思って…」


「私は、大丈夫です。全然、女の子らしくないガサツ女子なので!!えへへへ」


すっぴんを恥ずかしがる先程の様子も、恥ずかしがる必要が全く感じられない愛らしい素顔からも女子らしさしか感じない黒川の童貞臭い不安は尚も拭えないが、あまり気にしすぎるのも楽しくないので考えないようにすることにした。楽しい!!現に黒川はどうしようもないほど現状に浮かれている。


「しっかし……10万円を増やす方法って何があるんだろうな?3日間なんてせいぜい賭博くらいしかできないぜ」


「そうですよね………ここらあたりでギャンブルなんてパチンコくらいしかないんじゃないですか?」


「電車で一時間くらいんとこにでっかい競馬場があるけど…それ以外だと、せいぜい団地の爺さんどもと賭け将棋するくらいだな」


「それ面白そうじゃん。 明日やりに行こうや」


気が付けば風呂から上がっていた星畑が黒川のベッドにダイブしながら会話に混ざる。


「私、大昔おばあちゃんとやってましたけど、滅茶苦茶弱いんですよね………飛車角落ちでも勝てたことないんです」


「俺も一時期、じいちゃんと狂ったようにやってたなあ……途中で回り将棋にハマっちゃってから碌にやってこなかったけど」


「回り将棋って何ですか?」


「知らない? 将棋でする双六みたいなの。 歩から初めて端のマスに沿って移動して、四隅にぴったり止まれたら成っていくの。そんで歩、香、桂、銀、角、飛、王と上がってって王で四隅に止まったやつが優勝。ゴール」


「将棋要素どこにもねえんだな」


「あれ? 金将はいないんですか?」


「金はサイコロみたいな役割なんだよ。4枚、盤の上に放り投げて表向いてる数に従ってコマを進むの。一つでも盤から落ちたりコマが重なっちゃったら、ドボン。その回は移動できない」


「最大で4つしか移動できないんじゃ、時間かかりそうですね」


「いや、4つ全部揃ってたら成金っつってどこに居ようが四隅にワープして成ることができるんだよ」


「なるほど!!思ったよりルールがしっかりしてるんですね」


「ちなみに全部裏だったら5マス移動出来たりもするんだぜ」


「裏金だな」


黒川的には真面目に今後の計画を立てるつもりだったのだが、気が付けば何の関係もない回り将棋の話をする流れになっていた。そのまま徐々に口数が減り、誰先と知れず眠りについた。




                    2


さて一日目である。0時越えを早寝と解釈するのは非常に不健康な考えだが、事実、黒川にとっては宵の口だったこともあり、それに比例するように目覚めもスムーズだった。同じベッドで眠っていた星畑も釣られて起きる。髪が乾ききっていない状態で眠りについたからか星畑の頭は素晴らしいことになっていた。金髪も相まってそのままZ戦士のメンバー入りが出来そうな寝ぐせの付きようである。


星畑の寝ぐせを指摘し、軽口を交わしながらベッドから這い出ると横の布団から不自然な光が漏れている。覗き込むと目を真っ赤にした凛と目が合った。枕もとには『ぼくらの』全11巻が重ねられている。


「あ、お、おはようございます」


「……………おはよう。 ずっと読んでたの?」


「へ、えへへへへへへへへへ」


「まあ、ぜんぜん読んでくれるぶんにはいいんだけど………」


「すいませんすいません。止まんなくなっちゃって……」


「いや、別にいいけど……朝ごはん何食べる?」


キッチンでは星畑が勝手にトーストを焼き、勝手にチョコソースを取り出して塗たくっている。口には昨日買ったチョコモナカジャンボが突っ込まれている。あれで何でスリムのままで居られるのだろう。


「あ、私、朝はこれだけって決めてて…………」


と言いながら噂のでかすぎるリュックからこんにゃくゼリーを取り出し、口に入れてみせた。


()めます?」


「いや、俺はいいや、牛乳だけで」


各々朝食を終え、パジャマから着替え、凛はすぐにしてるのかどうかよくわからないナチュラルメイクとやらを自身に施し、星畑は寝癖を直し、黒川は布団を畳んでようやく一息ついた。


「さて、どうする? とりあえず将棋でもするか?」


「星畑はルール知ってんの?」


「知らん。だから横で解説しとくわ。お前らやれよ」


「ルール知らん奴が解説できるわけねえだろ………まあ、将棋盤はあるから、やる?凛ちゃん」


「はい!えっと…………お手合わせお願いします!!」


「………じゃあBGMかけとくわ」


将棋の準備をしている間に、星畑が黒川のCDをいじくる。ほどなくして電子音が鳴り響く。


「クラフトワークって………一番将棋に合わねえ音楽チョイスしたなあいつ」


「ウフフフ……では、お願いします」


パチパチッと心地よい音が響く。二人は黙って将棋を打ち合う。やるからには真剣勝負である。


「……………………………………………………」 (2分経過)


「……………………………………………………」 (5分経過)


「……あれ?いいんですか?角、いただきますよ?」  (8分経過)

「それ取ったら、飛車で王取られちゃうよ?」

「ああ!しまったぁ!!」


「あの………そこに指したら二歩だよ?」     (10分経過)

「ああ!すいません!!」


「…………………………あれ~、どうしよう……あれぇ~?」  (15分経過)


「…………………………どうしよう………ホントに手が浮かばない……」 (20分経過)

「あのさ……ルールよく知らねえ俺が口挟んでいいのか分かんねえけど…詰んでんじゃない、もう」

「へ…………そうなんですか?」

「うん………残念ながら、俺の勝ちです」

「あ……………あ、あ、ありがとうございました…………」

「はい、ありがとうございました」


真剣勝負どころか、とんだ接待プレイの末、結局接待していたが側が勝利してしまった。


「かけ将棋は止めといた方がいいんじゃない?」


「だ、だから私弱いって言ったじゃないですかぁ!」


「でも、黒川は何かできそうじゃん。やろうぜ、面白そうだし」


「いや、言っちゃあなんだけど凛ちゃん基準でみりゃ誰でも竜王だよ。始めて見たよ、自分から金将を差し出す人」


「さ、差し出したわけじゃないですぅ!」


「それでも、いいからさ! じいさんと賭け将棋するっていう図がまず面白いんじゃねえかよ」


「あのなあ…」


                       3


何だかんだ言いながらも公園にやって来た3人。春の陽気の中では、始業式前の小学生たちが子どもにしかわからない謎の用語を叫びながら走り回っている。そしてそんな中、隅に置かれた休憩所で相も変わらず老人たちが将棋を指したり、スポーツ新聞を広げながら談笑をしている。尻込みする人見知り二人を置いて星畑が群れの中に声をかける。


「何や?己ら、勝負って……将棋でかぁ!若い者が随分暇なことすんねんなあ」


「いや、こいつらが2人ですんの飽きたって言ってからさ……。ちょっとくらいいいじゃん。どうせそっちも知った仲同士でしかやってないんだろ?互いにいい刺激になると思うけど?」


「やんのはええけど……ホンマにこんな爺どもとでええんかいな?」


怪訝な顔をする老人たちだったが、奥からひょこっと顔を出した凛を見た途端に顔色を変える。


「えらい可愛い娘がいるやないか!嬢ちゃんがやるんか?」


「へ?私ですか? い、いえ!駄目です。私はへたっぴなので!」


慌てて否定する凛だが、周りの老人どもはかまへんわしらが教えたると言ってきかない。しかしこれも星畑の考えのうちである。


「いいんだよ。まだ金は賭けてねえんだから。まずこの人らの機嫌とらにゃきゃだろ?」


「はい………じゃあ、よろしくお願いします」


というわけで初戦が始まった。先鋒須田マイナス八段に対して対戦相手は仲間内からスゲさんと呼ばれている初老の男だった。


パチっパチっ「須田、だからそこじゃ二歩だって」「落ち着いて、桂馬そんな動き方しないから」


パチっパチっ「出たよ、十八番の金将差出」「『仕送り』って名づけようか」


パチっパチっ「あっ!馬鹿馬鹿、今の絶対だめだよな!?」「これで相手は飛車角4つ持ちか……」


パチっパチっ「いつでも王将とれるだろこれ」「ひでえやスゲさん…凛ちゃんの陣地は丸裸だ」


パチっパチっ「あ~ついに玉以外誰もいなくなったよ…」「まさしく四面楚歌だな」


パチっ「王手!」 「ンフフ、今更~!」「スゲさん真性のサドだな」


「うう……投了します」  「あ、王が命乞いした」「その言葉知ってんならもっと早く使いなよ…」


結果、須田惨敗。消え入りそうな声で投降した瞬間、スゲさんの背後からドッと爆笑が起こる。


「アッハッハッハ!! 嬢ちゃんめっちゃ弱いなあ!」


「コマの並べ方知ってるだけやないかい!!」


「うううう………すいません。無惨にも敗北してしまいました」


「うん………人はそれを惨敗って言うんだよ………」


「まあ、俺らの本番はここからだ」


がっくりと肩を落とす凛をからかったり、労ったり、老人たちは大いに盛り上がっている。試合は散々だったが、場を温めるという星畑の当初の目的は叶った。続いて賭け将棋の提案をするべく、星畑が黒川をけしかける。


「凛ちゃん!次、わしとやろう!!わしと!!」

「何じゃ、お前スゲさんより強いだろうが!!凛ちゃんわし弱いよ~。この前二歩で負けたの」

「わし10枚落ち(王将と歩兵のみ)でやってあげるよ~」


「爺さん。次はこいつとやってくれ。俺らの真打!!黒川八段!」


「何や兄ちゃん、プロか!?」


「いや、プロではないっス………そんな上手くもないし」


「どっちにしろ。わしらは凛ちゃんとやりたいんや。キミは見といてくれたらええ!」


「………爺ちゃん。そんな孫ぐらいの娘っ子イジメるよりもっとスリリングなことしようぜ?」


「スリリング?」


「ほれこれ。10万円!これでこいつと賭け将棋しようぜ!」


「10万てお前、子どもの癖にそんな大金粗末にしたらバチあたんで!!」

「そもそもわしらそんな金持ってへんわ!この園崎さんもついさっきパチで5000円溶かしたとこや!」


「俺もいきなり10万も賭けようとは思ってねえよ。一戦一万円。爺ちゃんたちは丁度10人なんだから一人1000円出せば簡単に勝負できるぜ」


「………でもそいつ強いんちゃうの?」

「それこそ凛ちゃんとやりたいわ!!」(ドッと笑いが起こる)

「まあ、いいんちゃうの?一戦くらい。みんな博打は好きやろ?」


ということで無事2戦目が行われることになった。黒川素人と対戦するのは凛に10枚落ちを提案していた園崎さんである。


(結局、これって番組資金使って遊んでるだけなんじゃねえのか?)という疑念がよぎる黒川だったがとりあえず対極についた。負けられない戦いが幕を開ける。


お金がかかっているので最初こそ盛り上がったが、そこはやはり素人将棋。凛の様に目立ったミスもなかったが、特にざわめくような展開にもならず、攻めては守り、策を弄しては看破され、ただ二人だけが集中する時間が過ぎた。結局、星畑は残りの9人に紛れて談笑するし、熱心に観戦していた凛も寝不足からウトウトし始め、遂にはベンチに深く座り込み、舟をこぎ始めてしまった。のどかな陽だまりの中駒を指す乾いた音だけが響き黙々と試合が続いた。で、最終的に黒川が負けた。


「ウギャー!! 負けた~!!」


「お兄ちゃん、思ったより強かったな」


「そ、そっすか?」


「いや、でも1万円賭けた事考えたら弱いわ」


「あ、終わった?しかも負けたの?」


「しゃ!! でかしたで園崎さん!」


「あ~……一万円が~………」


「おっと、ここでやめるとは言わさへんでぇ!次は区民中で一番強いタナちゃんや!」


「うええ!俺もう頭回らないっスよ!?」


「ほな、凛ちゃんにやらせたらええがな!」


「う、ええ………………何ですかぁ?れ、星君?勝負はどうなったんですか?」


「フツーに負けた」


「どうすんだよ星畑!俺正直、園崎さんより強い人とできる気がしねえぞ!」


「落ち着け……まだ一人残ってんだろうがよ………真打星君がな」


「え……でもお前、ルール………………」


「問題ない……ルールは…………覚えた」


「え………………カッコイイ………星君、承太郎みたい」


突如、謎の強キャラ感を出して星畑がどっかりと盤の前に腰掛けた。本当に大丈夫かと心配する黒川をよそに星畑はスムーズにコマを並べる。どうやらルールを見て覚えたのは本当らしい。そして対局が始まった。そして普通に負けた。


「思ったよりムズイわ将棋」


「アホ!! どうすんだよ2万円!!」


しかし賭け将棋の被害は2万で済まず、そのままズルズル押されるままに黒川の三戦目が始まってしまい、またも黒星を上げてしまう。熱くなった星畑が再度参戦しようとするのを制止し、同じく熱くなった黒川が今度はスゲさんと対戦するも実は園崎さんよりも強かったらしく、4度目の敗北。


「あ、あの~……エミ様から中途報告の催促が来たんですけど………ありのまま伝えてしまっていいんでしょうか?」


「……………ごめん、ちょっと待ってね…………今、どうしようか考えてるから」


「………俺もう、王将で飯食うだけで胃液が込み上げる体になっちまったかも………」


憔悴しきっている二人を心配そうに眺める凛の背後から、若者から4万をせしめて上機嫌の老人たちのヤジが飛ぶ。


「おいおい、兄ちゃんたち!10万あるんやろうがい!男みせんかい!!」

「大方、凛ちゃんの前でいいとこ見せたかったんやろうが、そうは問屋が卸さんでぇ!」

「凛ちゃんも、こんな無謀なアホの相手してたらいつか大損すんでぇ!!」


「…………………………………………………アホ?」


野次の中に含まれていた星畑と黒川への暴言にピクリと反応する凛。実際、2人は無謀なアホに相違ないが、少なくとも、彼女には聞き捨てならない吐き文句だったようである。ジト目で老人たちを一瞥し、そのままつかつかと星畑が力なく握っていた6万円から一枚万札を抜き取り、将棋盤の前に勢いよく腰を沈めた。ンフーッ!!と力強い鼻息を吹かし、ポケットから封筒を取り出す。いつぞや星畑が返した9999円である。そこから9万円を取り出し、賭け金の万札に重ね、力強く将棋盤に押し付ける。


「? な、なんや?どうした凛ちゃん!」


「これで、私と勝負してください!!お金は10万円です!!」


「正気か!!凛ちゃん!!」

「アホや!!ホンマモンの!!」

「やめとき!マジで、なんやったらお金返すさかい!!」


あまりの勢いに動揺する老人たちだが、無論その衝撃は決してムキになっている凛に慄いているのではなく、金をどぶに捨てようとしている彼女の無謀な賭けに慌てているのである。当然、動揺は黒川らにも伝播している。


「凛ちゃん!!凛ちゃん!!マジ凛ちゃん!!ダメだって一回頭冷やして!!」


「リアルな金まで差し出してどうすんだよ!!」


「大丈夫!!です!!」


「ホンマかいな……………(関西弁が伝染)」


「ていうか、ポケットマネー使っていいのかよ………」


「これは、私が上乗せしてるだけでチームとしては一万円の勝負です!だから問題ありません!」


老人たちは顔を見合わせる。止めようとするものと向こうが言ってるんだから構やしないと乗ろうとする者と半々で分かれているらしいが、最終的には10万の大勝負をする気になったらしい。しかし彼らに10万を失うリスクなど到底持ち合わせていなかった。今までの凛の醜態を見ていたら当然の事だろう。

それでも10万円という大勝負に出たという緊張感はやはりあるようで、最強カードであるタナちゃんを対戦相手に指名した。いよいよをもって凛に勝ち目はない。


「よっしゃ、やろか凛ちゃん。悪いが10万円は社会勉強代かなんかやと思ってもらうでぇ」


「あ~……もう駄目だ。止められねえよ。須田は本気だぜ」


「いや、何諦めてんだよ星畑!凛ちゃんの金遣いの荒さは今まで通りだろうが!俺らがしっかり止めないと!」


「じゃあ、お前、あの熱気を治めて来いよ。俺には無理だ」


「…………………………………………………」


将棋盤周辺の熱気はもう留まるところを知らない。老人たちも一人一万ずつ金を出し合い準備万端である。「いざ!」と叫んで歩兵を配置する凛。しかしその場所は本来なら香車を置くべきマスである。


「おいおい凛ちゃん。ついに始め方も分からんくなったんかい!」


「………誰が将棋で勝負するって言いましたか……」


「「「なにぃ!」」」と、その場にいるほぼ全ての人間の声がハモる。近くを走っていた小学生が慌てて振り返るほどの声量が穏やかな公園でこだまする。


「ま、まさか凛ちゃん……」


「回り将棋で勝負です!!」


「ま、回り将棋ぃ?」「何やそれは?」「知っとるか?」「将棋のお手玉かいな?」


「え……あ、あれ?ご存じ……ないですか? こう、将棋ゴマでここをクルクル~って廻るんですけど………」


「ああ、なんやふっちょこまわりかいな」


「ふ?……何ですか?」


「凛ちゃん!多分、回り将棋の別な呼び方だよ!!」


「あ、ああ!そうです!それです!ふっ……まわり…です。それで勝負!です!」


「何やそれ?聞いてへんでえ!」「思ったよりしたたかな娘やでぇ」「女は怖いのぉ」


唐突なルール変更にざわめく老人たち。実力勝負の将棋ならともかくこんな運任せのものに10万円もかけていいのだろうかと、再度議論が繰り広げられる。


「ワシ、ふっちょこまわりなんざ孫と遊びでやったくらいやでぇ」と園崎さん。


「ワシも将棋なら自信あるんやけど」とタナちゃん。


「止めといた方がええでワシただでさえキミちゃんに借金しとるんや」と端の方にいたじいさん。


「よしな己ら!!」


鶴の一声。今まで奥の方でニコニコと観戦していた顎髭豊かな老人が仲間たちを一喝する。


「し、重本さん」


「そもそも博打っちゅうんは運や神頼みやの世界や!こんな若い娘が自分らのメンツの為に9万も身銭切っとんのに、たった一万損するだけの爺連中が尻込みしてどうすんねん!!どうせ宵越しの銭は持たん身やろがい!己ら、ちょっとは凛ちゃん見習って漢見せい!!」


凄まじい勢いでまくし立てる重本さん。途中口から大粒の痰が零れ顎髭に不時着していたが、誰も笑わなかったあたりを見るにそれだけカリスマ的な存在なのだろう。老人たちも「そうじゃ」「そうじゃ」「やったるど」と意気込みを新たに将棋盤に向かう。


「おい、なんかやる気みたいだぜ……」


「爺さん相手じゃなかったら通じてなかっただろうな。あんな提案」


「でも、回し将棋だからって勝てる見込みは薄いだろうがよ。アイツ昨日ルール聞いただけでやったことはねえんだろ?」


「まあ、将棋よりはいいだろ……こうなりゃあとは野となれ山となれだ」


というわけで、ふっちょこまわりもとい回し将棋が始まった。将棋盤が身近にない場合は非常に分かりづらいが要するに同じところをグルグル回って四隅に13回止まった者の勝利である。4枚ある金将を盤の上に投げ、文字のある面が上に向いた数、マスを移動する。普通将棋の駒には裏面にも文字が書いてあり、「歩兵」から「と」という具合に敵陣に入って成るものなのだが、回し将棋では四隅に止まって成るのである。金将には裏面がないのでサイコロ代わりに使用するのだ。駒の出方は以下の通りである。


金〇〇〇……1マス進む

金金○○……2マス進む

金金金〇……3マス進む

金金金金……「成金」どこにいてもその列の四隅にジャンプできる。

○○○○……5マス進む



                    4



かくして大勝負が始まった。将棋と違い、いくらでも口出しできるうえに展開が分かりやすいので大いに盛り上がっている、ある意味賭け事という点では将棋よりもむいているかもしれない。だが、ここまでの盛り上がりを見せているのはやはり10万という金額の事もあるだろう。なおかつ凛が初手で成金を出すというファインプレーを見せたこともでかかった。


「………タナちゃん!!落ち着けもう、3回も関所素通りしてるやんけ!!」


「そだらこと言うたかて中々一が出てくれへんのや」


「すげえ、凛ちゃん!もう桂馬の裏じゃん!まだタナちゃんは香車だってのに」


「えへへへ、えいっ!あ、また成金だ!やったぁ!」


事のほか回し将棋が上手かった凛がぐんぐんタナちゃんと差をつけていく。


「何だか……コツが掴めた気がします!、えいっ!わ、ほら!また成金ですよ!」


「こりゃマジで大勝ちできるんじゃねえか!!」


「もう俺踊っとくわ勝利のダンス。 あ、ヤッターヤッター……」


先程までの憔悴から一転浮かれっぱなしの二人。星畑に至ってはヤッターマンの勝利のポーズをエンドレスで繰り返している。


「えへへへへ…大金持ちです!とおっ!!やったあ成金だあ!これでもう角ですね!」


「ちょい待ち!確かに成金やけどよお見てみい!そこ!駒が重なっとんで!」


「あ!!」


回し将棋のルール。投げた金将が一枚でも盤の外に出たり、重なってしまうとどんな目が出ても無効になるのだ。


「そんな……せっかくの成金が…………」


「ざまあみてみい!!金のババや!」


「ま、まあでも成金くらいいくらでも出せるじゃんか!」


「リードは変わらんぜ!」


「ワシの番や!しゃあ!丁度2でぴったしや!これでこっちも桂馬やでぇ」


桂馬と銀裏では3つも離れているため、依然として凛のリードは変わらないのだが、メンタル弱者の凛にとって先程のババ金と爺の桂馬出世は堪えるものがあったようである。そこからは力加減が上手くいかずドボンが続いた。反対に成金こそ中々でないものの順調にコマを進めてタナちゃんは次々駒を成り上がらせていく。凛がようやく角になったと同時にタナちゃんも銀裏から上がり、2人は遂に並んでしまった。


「ああ………どうしようどうしよう……ぜ、ぜんぜん、思う通りになんない…ま、負けちゃう」


「これが勝負の世界やで凛ちゃん!これが、大人の、駒使いや!!」


勢いよく駒を放ってる割に盤から落ちていないのは確かに熟練のテクニックなのかもしれない。おまけに出目は成金である。ついに追い越されてしまった。


「ああ、抜かされちゃった…凛ちゃん早く勘取り戻して!」


「あうう……どんなふうにやってたっけ……どうしよう黒川さん思い出せません!!」


「須田とりあえず深呼吸しろ!手が震えてちゃ満足にコントロールもできねえぞ!」


言われた通り息を整えようとしても震えはおさまらない。やけくそ気味に放った駒は軽い音を立て…


「あれ?駒が立った…これどうなるんだ?表面扱いになるのか?」


「やったな凛ちゃん!駒が縦に立ったら10マスも移動できんねんで!!合わせて12マス移動や!」


回し将棋のルール。駒が縦に立ったら10マス移動できる。ちなみに横に立ったら5マス移動である。しかしこのゲームに関しては大移動できるから得をするってものでもない。結局凛は無駄に回っただけで別になんてことない場所に止まっただけだった。


「…………………………………………………もう、駄目だ…」


「きえええ!くたばれぇえ!」

「か、勝てる!勝てるで!タナちゃん!!」

「10万!!」


爺連中のノリノリの後押しもあってかタナちゃんは次々いい振りを見せる。気が付けば既に王将である。こりゃ負けた。3人ともがそう思わざるを得ない状況だが、それでもみすみす10万を渡すわけにはいかない。


「ちょっとタイムタイム!選手のメンタルケアを行います!!」


「ほら須田!大好物の歌い河チャンネル様の動画だぜ!!」


「あ……あ、く、くろかわ、さん……」


泣きそうな顔でスマホの中の黒川に縋り付く凛。画面の向こうではギターを持った黒川が聞き苦しいにもほどがある矢野顕子の「ひとつだけ」を歌っていた。ちなみにギターは黒川なりのアレンジである。久しぶりに聞いた自分の歌声に思わず顔をしかめる黒川だが、凛は画面に釘付けである。


「何やこのけったいな歌は……」


「おたくら変な宗教とか入ってへんよな……」


「別に………ただ電波なだけっスよ…………」


「電波?」


「お、落ち着きました!や、やります。やらせてください」


何かを充電したらしい凛が改めて将棋盤に向き合う。


「いきます!!黒川さん星君!!Uさん!!そしてエミ様!!見ていてください!!」


(エミ様は勝ってほしくねえと思うだろうけど)「おう!いけえ凛ちゃん!!」


「かませぇ!!」


「てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!!!!!」


金金金〇


「………だ、駄目だあ!やっぱりぃ!!ま、負けるゥ!!」


「かませとは言ったが噛ませ犬になれとは言ってねえぞ」


「馬鹿!星畑。余計なこと言うな!!」


「はははははははは!電波やなんや知らんけど、結局運命は変わらんみたいやな!!」


「ほれ見ろ!でかしたでタナちゃん!!ええとこ行けたわ。後2マスでチェックメイトや!!」


回し将棋は金2が一番出やすい目なのである。


「あ、あははははは……もう駄目だ。絶対だめだ………す、すいません、その…お金……」


「いや、俺らが今更賭け金であーだこうだ言うつもりはないけど…いいのかよ。その…9万」


「う、フフフフ、も、もう、いいんです……こんなバカ女には……無一文がお似合いです…何だったら私の残りのお金……10万円を……勝負の足しに……」


「それやったら死刑ってエミ様が言ってたけど……」


「まあ、とりあえず最後までやろうや……」


投げたというよりは手から零れた金将が互いにぶつかり合いながら情けない音を立て、盤に着地する。その中の一つがまたピシャッと起立するが今更どうなることでもない。だが、不思議な立ち方である。縦でも、横でもない、斜めと言おうか…。駒の頭の鋭角になっている部分。あそこの右側が地に足をつけているのである。さながら片手で逆立ちをしているような珍しい立ち方だった。


「おい、黒川よ……これは何マス移動なんだ?20マスか?」


「さ、さあ?知らねえ……こんなの普通投げてもならんだろ?こうは……」


「へ、へへへへなんでもいいですよ……20でも100でもどんなに移動しても角から角裏になるだけなんですから……」


しかしこの事態に困惑する3人とは打って変わって、明らかに尋常ではない驚き方をしている者がいた。他でもないタナちゃんら老人軍団である。


「こ、こりゃあ!伝説の……逆立ち駒じゃねえか!!………こんなん初めて見たぜ……」

「こ、これ………どうなるんだ? おい!誰か知ってっか?」

「わ、わしゃあ知らん!! 見た事ねエもんこんな形!!」

「なんちゅう駒してくれたんじゃ…………なんちゅうもんを………!」

「重さん!?」


大抵の老人たちが黒川らと同じように「逆立ち駒」の効果を知らなかったようだが、ここでまた重本さんが重々しく口を開いた。


「逆立ち駒は知っての通り、100回やっても見られるもんじゃねえ稀有なもんだ!幻ってやつだ!!大抵のふっちょこまわり、回り将棋、出世将棋……多様な呼び名はあるが、そのどれでも!こいつが出ればそいつは上りって相場が決まってやがる!!例え相手が王将で、てめえが歩兵だろうがこいつさえ出せば勝ちってことだ!!」


「「「「「「な、なんだってー!」」」」」」


「へ、え、へ?ええ!?か、勝ったってことですか?私?え、え~!う、ウソォ!」


「うそぉ………いいんすかそれで………」


余りの事に呆気にとられる3人。「もってけどろぼー!」と凛ちゃんの手にバシッと10万円が渡されても、未だに実感がわかない。


「え………いいんすかホントに………それで」


「良いも何も………それがルールなんだからしょうがねえじゃろ!!」


「とにかく!!勝ったんだよな俺たち!!やったぜ須田!でかした!」


星畑が10万円を握った凛の手を高々と掲げて喜ぶ。つられて凛も飛び跳ねて喜ぶ。黒川もとりあえずジブリキャラのような喜び方をしている二人に混ざるべく駆け寄る。何故か爺さん連中も万歳三唱をし、公園内は異様な歓喜のムードに包まれる。その盛り上がりと言えば凄まじく、凛と爺数人に至っては感涙してしまったほどである。


凛の懐には本来9万円が戻る予定だったが、星畑の案で一万円はお礼とお詫びを兼ねて渡すことになった。当然凛は遠慮したが、黒川の後押しもあり、受け取った。勝負金は締めて15万円である。その後、撮影した写真と共に「5万円プラスです!そちらのお調子はいかがですか?」というメッセージを姫月に送り、3人は老人たちと別れ、公園を後にした。


「………………粋なことするなぁ重さんは……」


3人がもう見えなくなった後、ポツリとスゲさんが呟く。


「スゲさん、分かってたんか………スマン、何やったらみんなの一万円はわしが返す」


「いい、いい。野暮なことは言いっこないぜ重さん。きっとあいつらもそう言うさ」


視線の先には未だに涙が止まらない園崎さんと、その周りで談笑する老人連中である。無論、話題は先程までの3人組で持ちきりだ。


「大損したとはいえ、競馬だパチンコだ酒だとに金をつぎ込むのとは比べもんにならんほど楽しませてくれたじゃねえか。いい思い出くれた駄賃だとでも思っとこうや」


「スマン………そう言ってくれると助かるよスゲさん」


「しっかし!咄嗟によく思いついたよなあ!逆立ち駒は一発で上がりなんて、あんな大ぼら!」


「うん、実はな…孫が、婆さんとやってる時によおそう言うててな。孫がそんな上がりをやりとおてよくふっちょこを催促してきたもんやったんだ。ワシが、違うぞ、100マス移動するだけだと言ったら、水を差すなと婆さんに怒られてな」


成程なと、大笑いするスゲさんに、なんやなんの話やと群がる老人たち。彼らが数日後、競馬で。一万の負けを過去にするほどの大勝ちをするのはまた別の話である。



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「あ、エミ様から返信です! 『5万程度で喜んでどうすんのよ!雑魚すぎて張り合いないわ』……流石エミ様!一切ひるんでません!」


「まあ、確かに、ほぼ一日費やして5万ってのも少ねえかもな」


「でもさ、ぶっちゃけ他にやる事ねえだろ? そういう姫月はどうだったのか聞いてみてよ」


「それはさっき聞いてみたんですけど…………スルーされてしまいました。でも、エミ様の性格的に、お金を得るようなことがあったら私たちに自慢すると思うんです……」


「てことは、何だかんだ言ってるけど、俺らが5万リードってことか」


「いや、むしろ向こうはもう坊主で、この時点で俺らが完勝ってのもあるぜ?」


「それならさっさと報告してくれねーかなー。 早いとこ5人目探さねえといけんのに…」


「エミ様なら、イケメンのお友達がいるかもしれませんね!」


「明日はどうする? もう賭け事はごめんだけど……」


「あ………でも、星君は明日、ライブですよね………」


「あ、そうだっけ?………あ、マジだ。ラヴ・フールさんの前座任されてたんだった」


「何でファンの方がスケジュール把握してんだよ。もっとしっかりしろよ……」


「知ってる須田の方が異常なんだよ。俺SNSもやってねえのに」


「へ、えへへへへ。あ、でも、私今回は観に行けませんね………黒川さんの傍にいないと…」


「別に守る必要ないんじゃないそんな約束。俺別にズルする気もないし」


口ではこういう黒川だが、内心傍にいて欲しいのは言うまでもないことである。


「でも、証拠写真も撮らなきゃですし、やっぱり、離れるわけには……あ、迷惑ですか?」


「いや!そんなことはないって!……あー、じゃあ俺も一緒に行こうか?星畑のネタ一回見てみたかったし」


「え!いいんですか!? その……電車賃とか入場料とか……結構かかりますけど……」


「いい!いい!……気にしないで」


「お前、最近全然バイト行ってねえけど……もうやめたのか?」


「あーやめたよ。月締めまで貯めてた有給使ってるからもう働くこともねえな」


「あ……なら、へへへ……一緒に………行きましょうか!」


「う、うん(上擦った声)」


「んじゃあ、今日はとにかく祝賀会だな……5万勝ったってことで!……何故か宴会セットが用意されてるし」


冷蔵庫から取り出したビール(オールフリー)2つとコーラを抱えて星畑がキッチンからやってくる。3人では2度目となる飲み会が開かれ、3人は姫月の事や各々の高校時代の話題で大いに盛り上がった。



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「ショートコント!!B・S・S!(僕が・先に・好きだったのに)」

「はい!というわけで!須田!!ステージに上がってください!!」


「は~い!!星君!!」


「見てるか!黒川!お前の愛しの凛ちゃんは既に俺が手籠めにしたぜ!!」


「手籠めにされましたぁ!!」


「ついでに……姫月も手籠めにしたぜ!!」


「ついでに手籠めにされたわ!!」


「ウフフ……お揃いですね!エミ様!!」


「ズダボロの八つ裂きにされちゃったわ!!(てへぺろ)」


「悪いな黒川!! お前もゴム付きで良ければヤラセてやってもいいぜ!!」


「まあ、当然の結果だな。何故自分がカメラ役なのか考えてみるといい」


「凄まじいNTR劇や……こんなん初めて見たわ……」


「黒川さん…もうお客様帰られましたけど、俺から店長に報告しとくんで今日はもう帰ったらどうすか?」


「さりげないよなあ」「さりげないよなあ」


「!! ダ、ダウンタウン!! 遂に……遂に、会えたぜ!芸人やってて良かった……!!」


「やりましたね!星君!! あ、黒川さんもう帰っていいですよ!これ、手切れ金の10万です!」


「大御所漫才師にトップモデルに超天才イケメンホスト芸人……相応しくないことくらい言われなくても分かるわよね?」


「番組メンバーは5人に変更しておこう。それじゃあカメラは…そうだな星畑にでもつけておくか」


「おいおい!!オ〇ニーどうすればいいんだよ!!」


「///……私がお手伝いしますよ………」


「というわけだ!あばよ黒川!ダウンタウンとも会えたしお前との王将デートも終わりだ!!」


…………………………………………そろそろ、覚めてくんねえかな。


この上ないほど馬鹿馬鹿しくて、この上ないほど不快な劇がようやく終わった。勿論、星畑のネタでもなければ、Uが見せた精神世界でもない。純度100%の天然物の悪夢である。仮にも自分の脳内が今の激寒劇場を作ったと思うと無意識とはいえ、死にたくなってくる黒川。須田に好意を寄せている事実も、星畑に男の魅力で圧倒的劣勢に立たされていることも認めるが、それにしたって友人二人(姫月その他は黙殺)をあんなアホに仕立て上げるとは、恥知らずも良いところである。


(あんな夢を見ちまうほど…俺は凛ちゃんにホの字(死語)なんだろうか……)


時計を見れば、既に時計の針は11時を指していた。何故か香ばしい匂いがしてのっそりと起き上がる。


「あ、お目覚めですか?………」


キッチンでは凛が菜箸とフライ返しを握っていた。夢の中と同じ屈託のない笑顔で見つめられ、勝手に気まずさに襲われる黒川。


「え、料理作ってくれてるの!?」


「はい………星君が……黒川さん外食かインスタントしか食べないって言ってたので……お世話になってる分何か出来たら……と。 お料理あんまりうまくないんですけど……」


「そんな、気ぃ使ってくれなくてもいいのに……ありがとう……そういや、その星畑は?」


「星君は、もう準備に出かけられました。私たちも13時までには出るようにしましょう!」


「あ、料理、俺も手伝うよ。…………の前に、歯磨かないと……」


流し台に向かう途中、布団の上に『庭先案内』全6巻が積まれているのが目に入った。さては昨晩もあんまり寝てないなと苦笑する。


歯を磨いているうちに出来上がってしまった特大の卵焼きとインスタントの味噌汁。味噌汁がインスタントなのは黒川が家に味噌を置いていないせいの為、決して凛がズボラを働いたわけではない。黒川の偏見で凛は何となく料理が出来なさそうなイメージがあったのだが、イメージに反して料理は普通に美味しかった。本人が顔を真っ赤にして反省している通り、形はかなり悪かったが、味が濃くて黒川好みだった。ご飯に合っていいと、パクパク食べると凛が喜び、それが嬉しくて黒川も大いに米を食べた。




                     7



遠いと聞いていただけあって、会場は県をまたいだ場所にあった。駅近なわりにこじんまりとした会場は凛に「ここです」と言われても、すぐにはどこを指しているのか分からなかったほどである。地下にあった劇場は黒川が夢で見たものよりも随分小さく、客もまばらだった。


「くう……やっぱり多いですね………流石星君!」


(あ、これで多いんだ………)


「3列目かあ……もっと早く出ればよかったですね………」


悔しそうに呻く凛だが、開演まではまだ30分以上ある。


「星畑ってあの裏にいんの?」


舞台袖を指さしながら、黒川が聞く。


「いえ、まだ楽屋だと思いますよ?」


「へ~、挨拶とかしに行っていいもんなのかな?」


「が、楽屋挨拶!! それは考えたことなかったですね!!」


「行っとく?」


「い、行けないですよ! ラヴ・フールさんもいるのに…」


すると、まだ開演20分以上前だというのに、舞台袖から演者と思しき二人組が現れた。星畑か?とカメの様に首を伸ばす黒川だが、そこにいたのはやけに面長の男と、やたらとほくろの多い男の二人組で、星畑の面影はどこにもない。あまりにも急なことだったため、観客の誰一人として拍手だとか歓声だとかを上げることができなかった。


「………あの二人は誰?」


「脳汁だんごってコンビの佐藤ムネアツさんと霧島檸檬好きさんです」


「へ、へえ~」


今世紀最大に知られていない二人組が「こんちは~!」「来てくれてあんがと~!」と声を張り上げる。そこでようやくまばらな客席から、まばらな拍手が起きる。


「いや~すんませんね皆さん!! 星ちゃんは今、霞ヶ浦までうんこしに行ってますから、もうちょっと待っててくださいねえ…本番までには帰ってくると思いますから……」


星畑が本当にそう言っていたのかどうかは分からないが、とりあえずその言葉を受けて客席から笑いが起こる。凛も笑っているのでとりあえず合わせて笑う黒川。というか観客全員が心待ちにしているほど奴には人気があるのだろうか。黒川には何よりそこが気にかかった。


「いや~、後20分足らずで帰ってくるには彼、アラレちゃんにでもどつかれなあかんのとちゃいますか?」


言いたいことは分かるが、ここで正論ツッコミは蛇足だぜムネアツ君。と一丁前に分析まがいの事をする黒川。少なくとも会場はウケているので、蛇足ではなかったようである。


「いや、みなさん!!ホンマそんな肩肘張って見るもんではないんですけど…携帯電話だけお願いしますねぇ!ホンマ、霧島君とかちょっと雑音入るだけでネタ飛んでまいますから……」


黒川がムネアツだと勝手に思っていた人物はどうやら檸檬好きだったようである。顔と名前のイメージが合わず、人知れずもやもやする黒川。


「ツア~~~~~!遅れてすんません!!」


慣れた様子で繰り広げられる漫談風注意喚起が一段落着きそうなタイミングで叫び声と共に慌ただしく男が滑り込んできた。星畑である。会場からワッと歓声が上がる。


「遅いでキミ!先輩にこんな前座みたいなんやらせてほんま!」


くどいようだが、まだ開演の20分前である。


「すんません!すんません!……あの、これ、お土産っす。霞ヶ浦の……」


「ホンマに行ってきたんかい!……なんやこれぇ?……ンフフフ霞ヶ浦サブレーて…ホンマどこに売っとんねんこれ」


「? 霞ヶ浦っスけど?それね、中に蓮根練りこんでありますから……」


「アッハッハッハ!アホやこいつ!」


「こんなギリギリまで何しててん?クソが出エヘンかったんか?」


「いや、それは快便なんですけど………途中ストリートピアノやってまして……あ、これ、お土産です」


星畑の手からはらりと何かが落ちる。遠くからではよく分からない。


「何やこのけったいな………髪か? うわ、金髪や!!気持ち悪!!」


「お前、ハラミちゃんに何しとんねん!!」


念のため言っておくが、この間会場はドッカンドッカンウケている。呆気に取られてリアクションが取れない黒川だが、星畑のネタが思った通りのもので何となく安心する。面白いかどうかはともかく…。


トークなのかコントなのかよく分からないものは続き、開演まで残り5分くらいのタイミングでようやく3人は掃けた。横では目に涙をためた凛が満足そうな顔をしている。


「ハーッ!! 開演前から大サービスですね!!」


「うん……あいつ、マジで人気あったんだな……ネタもこんな感じなのかな?」


「さあ? 時々ちょっと怖いネタもやったりしますから……どうなるかは分かりません。でも、多分新ネタですよ!」


「あいつ、そんな鳥居みゆきみたいなことしてんのかよ」


「あっ!そうだ……スマホマナーモードにしなくちゃ……忘れてた」


「しっかし……あいつ楽しそうだったな………売れなくてもいいから芸人は続けたいって言ってる理由なんか分かる気がするわ……俺も、バンドとか組んでみればよかったな……ホントにライブしかしない生専門のバンドとか………逆に注目浴びれるかも……凛ちゃん?始まるよ?はやくスマホ切らないと」


「く、黒川さん!大変です!!見て下さい!!」


「ん……何?どうしたの?………………………何、だ……これ?」


サーッと血の気が引く音が聞こえた気がした。それが黒川の物なのか横にいる凛の物なのかは分からないが、目を合わせる2人の顔は明らかに青ざめていた。


スマホの画面には満面の笑みの姫月。そしてその手には100万はゆうに超えるであろう札束が握られていた。


































作中でやたらめったら将棋が出てきますが、私は別に将棋好きというわけではありません。むしろアホなので頭を使う遊びは苦手です。それでもボードゲームはやっぱり面白い、というか粋な存在だと思います。純粋なゲーム性とかよりも何というかやってる間流れる独特の空気間みたいなのが好きです。今回のお話も、文化祭中、友人たちとふっちょこまわりをしていたのを思い出しながら書きました。私があの時感じていた空気感を小説を通して感じていただけたら幸いです。…………といったものの賭け事になっている以上、けっして思い出の中にある美しいものではない気もします。それはそれとして楽しんでいただけたら幸いです。

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