その②「お命ちょうだいしますと言われて差し出す命じゃないコト」
・登場人物紹介
①黒川響 性別:男 年齢:20歳 誕生日:6/25 職業:大学生
本作の主人公。抜群の歌唱力を持つが、機械を通した瞬間に不協和音に早変わりする不幸な歌い手。歌手としての道はすっかり諦めているものの、集ったメンバーたちとの心躍る日々を守る為、宇宙人のカメラ役をこなす。本人にいまいち自覚はないが、一応リーダー。
☆使ってみたい必殺技は螺旋丸。何かしら自分なりの改良を加えたりしてみたい。
②星畑恒輝 性別:男 年齢:21歳 誕生日:4/4 職業:お笑い芸人
黒川の高校からの友達。高卒でお笑い芸人の道を選びめでたく地下芸人へ。見る人が見れば割と悲惨な生活を送っているが、本人は至って楽しげ。ルックスがよく、よく気が利く上に、根明のためよくモテそうなものだが、とにかく絡みにくい本人の性格が仇になり全くモテない。
☆使ってみたい必殺技はウソップ呪文。ただ単にあるあるネタをしたいだけ
③須田凛 性別:女 年齢:19歳 誕生日:5/25 職業:大学生
男受けしそうな見た目と性格を併せ持った少女。黒川の歌(動画越し)に感動し、星畑のライブを出待ちし、姫月に憧れながら、天知に焦がれるちょっと変わった趣向を持つ。派手なファッションとは裏腹に人見知りで気が弱いが、推しの事となると見境が無くなり暴走気味になる。
☆使ってみたい必殺技は絶対時間。未だ念を理解できてはいないがよろしいか?
④姫月恵美子 性別:女 年齢:20歳 誕生日:10/3 職業:無職
スラリとしてスレンダーな見た目に長い足、艶の良い黒髪とまさに絶世の美女。性格は非常に難があるが、悪いというより思ったことをすぐ口に出すタイプ。一言で言うなら唯我独尊。自信たっぷりで自分大好き人間だが、イケメンも好き。ただしどんなイケメンよりも自分の方が好き。
☆使ってみたい必殺技はシコルスキーのカービングナックル。リアル刃物でなら覚えがある。
⑤天知九 性別:男 年齢:42歳 誕生日:3/3 職業:無職
元、スーツアクター兼スタントマン。家を追い出され新たな仲間たちに重宝されながらスローライフを送るおっさん。高身長で、物腰柔らかく、頼りになり、清潔感も教養も併せ持つまさに理想の紳士。黒川への恩義だけで入ったが、正直42歳がやっていけるのか不安でしょうがない。
☆使ってみたい必殺技は竜巻旋風脚。「108,1900」と言いながら出してみたい。
⑥岩下陽菜 性別:女 年齢:9歳 誕生日:3/20 職業:小学生
女優一家の次女で子役。年齢を感じさせない演技とその可愛らしさから天才子役と称されていたが、家族や友人と遊ぶことを優先する為、子役業から一時手を引いている。年齢の割に落ち着きがあって肝も据わっているが、子どもらしい無邪気さも併せ持つ。怪談やオカルトが好き。
☆使ってみたい必殺技は指鉄砲。霊丸ではない指鉄砲。
1
六月の雨は冷蔵庫に閉め忘れて一晩明けた牛乳のような奇妙な肌心地の悪さを持っている。その不快感がジメジメとした空気を作り出し、ある屋敷の倉庫の中にまで蔓延っている。そんな空間の中で女が音もたてずに倒れた。女の手から一匹のミドリガメが、衝撃に驚きながらよちよちと這い出したものの、新たに伸びてきた手に再び掴まれてしまう。毛むくじゃらの男のもう片方の手には木の棒が握られている。その先端は折れていて、竹ぼうきのようにツンツンと尖っている。つい先ほど、目の前の女をこの男がこの木の棒で殴ったのである。その証拠に、美しい女の美しい黒髪には点々と木屑が絡まっている。そしてその一部を真っ赤な血が洗い流す。美しい女の顔は瞬く間に血で汚れ、続けざまにその白い素足も泥に汚れてしまった。男が、女もとい6人もいるこの屋敷の住人のうちの1人、姫月の腕だけ引っ張り、引きずりながらその場を後にしようとしているのだ。
2
ところ変わって屋敷の一室でも、雨が作り出したものとはまた違った嫌な空気が広がっていた。6人もいる屋敷の住人のうちの2人、黒川と凛はその空気の元を前に腰を抜かしたくなるほどの恐怖に包まれていた。何者かがこの屋敷に侵入して、少なくとも一泊以上、使用していなかった物置部屋に居座っていたことが明らかになったのだ。内側からかけられていたであろう鍵を開けて入った先には侵入者こそいなかったが、ここで生活していたであろう痕跡だけはイヤになるほど残っていて、猛烈な生活臭を出していた。それこそ臭いだけでここにいた人間が異常者であることが分かるほどの、凄まじい悪臭である。
「と、取り合えず………姫月と合流して、警察呼ぶから……凛ちゃんは…そうだな……うん!一刻も早くこの家から出た方がいいよ」
「え!?……そ、そんな……お二人にお任せするなんて……私も警察が来るまで一緒に居ますよ!」
一人ではなく、一緒に怖がってくれる人がいるからか、それとも単に非現実的な出来事過ぎて異臭廻って冷静になってしまったのか。黒川と凛はお互いに口を震わせながらも、冷静に言葉を交わし合っていた。
「……正直、そっちの方がいいような気もするけど……でも、いくら何でもこんな気持ちの悪い状態の家に病人を置いとけないよ。警察呼んだら次にタクシー呼んで…病院かどっか横になって安静になれるとこ行った方がいいよ」
そう言いながらも、目は常に右往左往して異常な部屋の光景を見渡している。そして開放された窓の前で、溜息を吐きながら二階から庭を眺望する。鍵が占められていたことから、侵入者はここから飛び出て行ったことが分かる。危険なことは危険だが、できないこともなさそうな微妙な高さである。
「こ……ここから飛び降りたってことだよな……ようやるわ」
「私たちが部屋に入ろうとしたからでしょうか?……で、でも物音一つもしなかったのに……」
「……物音ねえ………あ!いや……したじゃん!!物音!!俺、それで二階に上がったんだもん!凛ちゃんがベッドから落ちたと思って」
「ああ!!あ、あ、あの音って……ああ、そうか……て…何で飛び降りたんでしょう?」
「…………天知さんくらい身体能力あれば……ここを玄関口にするくらい余裕なんじゃない?」
「ええ!?……て、ことは……また帰ってくるってことですかぁ!?」
「いや……仮だよ?仮の話だけど……取り合えず…姫月と警察にはよ知らせねえと……」
「は、はい!……あの……やっぱり私も残ります!……なんか熱どころじゃないからか…体調良くなってきました!えへへ」
「……この状況でよく笑えるね……やっぱ凛ちゃんってすごいよ……あ!しまったスマホ俺の部屋だ!ごめん…凛ちゃんがかけてくれない?」
「あ、はい!……分かりました?えっと……何て言えばいいんでしょう?」
「部屋に入られたとか?……家宅侵入罪と窃盗罪でしょ……あれ?姫月いねえ……どこ行ったんだ?」
「あのう……警察の電話番号ってなんでしたっけ?……555?」
「それファイズでしょ……110番だけど……最寄りの交番にかけたほうが速いんじゃない?分かんないけどさ……」
どこか緊張感の欠けたやり取りをしながら一階に降りるも姫月が見当たらない。キッチンにはシェイカーが取り外されたジューサーだけが放置されている。いつもどれだけ不精でも自分の身銭で買ったものだけは丁寧に取り扱う姫月がほったらかしにするとは思えない。それに……
「………裏口の鍵が開いてる」
「エミ様……ここから出ていかれたのでしょうか?」
「……モヒロ―でも探してるのか?………ちょっと俺見てくるわ」
「あ!ああ!!……私も行きます!!一人にしないでぇ!!」
かくして庭への第一歩を踏みしめた黒川だが、その瞬間に「ヒュッ」と喉を鳴らして、立ち尽くす。その横で勢い余って裸足のまま飛び出してしまった凛が、どんな野鳥よりも甲高い声で絶叫する。黒川と同じものを見てしまったのだ。身なりのみすぼらしい毛むくじゃらの男が、血まみれの姫月を引きずりながらこちらに向かっているのである。
「え、え、え、ええええええ……エミ様?エミ様ぁ!?…え、うそ……嘘や……エミ様ぁぁぁぁ!!」
「ひ……姫月」
絶叫する凛とは対照的に、普段本人に呼びかけるよりも小さい声で彼女の名を呼ぶことしかできない黒川。しかし、姫月にはどちらの声も聞こえていないようで、黒い髪に隠れた顔色は変わらず引きずられる振動に揺れるだけだった。代わりに、まず間違いなく今回の全ての騒動の元凶であろう男が黒川らを見て、口を開く。
「………お前ら、部屋戻れ」
「!?………え、い、いや……」
「聞こえんかったんか?……戻れ。この女が……」
その先の言葉を聞く前に、凛が縋り付くように裏口の戸にダイブした。その足はカタカタと震えて、少ない動作の間で、何度も縁側のへりに足をぶつけている。凛が自分以上に慌てふためいたことで幾分か冷静になれた黒川もすぐに命令に従いながら、姫月にはまだ人質になれる元気があるという事実に安堵した。
「よし………お前ら……」
黒川に次いで、裏口からまたも屋敷の敷居を跨ごうとする男。泥まみれの素足でキッチンを汚しながら、次の命令をしようとした瞬間、男が「ギャッ」と叫んで姫月の手を離した。片手一本でつないでいた姫月という名の狂犬が、いつの間にか手にしていた石で噛みついたのだ。
「うおお……お、お、お……」
男が手を抑えて後退するのと同時に、姫月が血を周囲に振りまきながら黒川と凛の元に跳ねるようにやってくる。凛が「エミ様!!」と叫んで迎えようとするが、その手を乱暴に振り払って尚も男と相対する。
「……ころす………」
「い、いや!!逃げろって!!……警察!凛ちゃん!早く警察!!」
「凛!!余計なことしないでアンタは寝てなさい!!」
「あ……ええ……ああう」
「お前なあ……お前……そんな石っころで何する言うねんな……落ち着けよ」
「人の頭を背後からぶん殴っておきながら……よくもまあ、ほざけるわね」
「あ~………ほらこれ……お前らのカメ殺すで?」
今度はモヒロ―をカメ質にしようとする男だが、血も涙もないお姫様には一切効果がなく、腹部に投石をお見舞いされる。しかし、先程の指ほどのダメージはなく、少しひるんだ後に素手になった姫月に突進する。それを遮ろうと黒川が前に出るが、タイミングが合わず逆に姫月の蹴りと男の押し出しのサンドイッチを食らい、素っ頓狂なポーズで退場する。結果、お互いにバランスを崩した双竜それぞれが不本意に絡み合い、わちゃわちゃと泥試合の果てに姫月がヘッドロックのような姿勢で抑えられる。
「おい!そこのチビ女!!警察には連絡してへんか!?」
「ヒィ……すすっす、すてないまず」
「はあ!?」
「………し、してないれす!!お願い、お願いします!エミ様に手を出さないでくださいぃ!」
「り、りん……アンダ…なに…勝手な……わたしが……こん……ざこ…に」
首を絞められて尚も強気な姫月だが、加減を知らない男に再び意識を落とされてしまった。締めている間、凛が男の背中をポカポカ叩いていたが、何の効果もなかった。一方の黒川は、男の目が「下手な動きを見せたらこいつらを殺す」と物語っていたので、近づくことすらできなかった。
「全く……野獣のような女やな……お前もいい加減離れろウザったい」
「ひゃあ!!」
男に突き飛ばされ、凛が尻もちをつく。そしてそのまま小さな彼女を睨みつけながら、姫月を椅子に縛り付けるよう命じる。凛は泣きながら、庭にあったロープで姫月をグルグル巻きにする。黒川ははらわたが煮えくり返る思いでその一部始終を見ていた。悲しいかな、本当に見ている事しかできなかった。
縛り付けたついでに、どさくさで顔の血を拭って手当てをしようとする凛を男が諫めていると、姫月が目を覚ます。諦めてしまったのか、それとも寝起きだからか、姫月は先程とは打って変わって静かだった。怪我も合わさり、本当に弱っているように見えて、黒川はやるせない気持ちに包まれる。
「…………何よこれ……アンタが縛ったの?」
「俺やない……俺やったらもっと丁寧に縛ってる。抜け目ないな……これやったら暴れたらすぐ解けるやんけこのアマ」
(多分、そんなつもりはなかったんだろうけど……)
「すいません……エミ様………うう、すいま……すいまぜん……ずいまぜん……」
謝りながら泣きじゃくる下僕を一瞥し、再び力なく男を見据える。
「この縄、湿ってて汚い……別のに変えて」
「アホ抜かせ」
「…………これ庭にあったやつよね……これも凛が取って来たの」
「ごえんなさい!!」
「………外、雨降ってるのよ……この娘、熱出してんのよ?……ただでさえ、雑魚なのに……これ以上弱らせたら……死ぬわよ」
しゃべっている最中に、再び姫月の顔を血が流れる。意外にも凛を心配するような言葉を弱々しいながらに絞り出す彼女の姿に、こんな状況ながら胸が熱くなる黒川。凛はその言葉を受けた瞬間に力が抜けたように座り込み、押し殺すような泣き声を上げる。
「黒川………頭、痛い……何とかして」
「!!………だ、大丈夫!こんなこといつまでも上手くいくわけないし!!絶対、何とかなるから!」
「えらい強気なこと言うやんけ」
「た、ただ事実を述べただけだ!!……お前、分かってんのか?フツーに犯罪だからなこれ!?」
もはややけくそで黒川が男に叫ぶ。男はどうでもよさそうに指で耳掃除をしながら、黒川を無視し、凛に目をやる。
「自分……熱あんの?」
「………うるせえしね」
体育座りでうずくまりながら、今までに聞いた事のないほど冷たい言葉を男に向ける凛。どうやらこちらも相当やけくそなようである。男は大笑いをして立ち上がり、凛の手に力なく握られたスマホを取り上げる。
「うずくまってるふりしてなんか連絡取ってるのかと思ったけど……何もしてへんかったな。お前は?お前もスマホ出せや」
「スマホ無い………二階」
「………ホンマか?………じゃあ、そうやな。全裸になれや。ボディチェックや」
「……………マジで持ってねえよ」
「…………ハハハ、こんな女の前で全裸なるんわイヤか?」
「……強制わいせつ罪まで追加するつもりか?簡単にはムショ出れねえぞ?」
男がいつまでも余裕ぶっているのが鼻につき始めた黒川が、本格的にケンカ腰になってくる。半ば自暴自棄になっている黒川だが、相手の男はその倍、もう捨てるものなどないのだろうか。尚も平気そうな顔で、にらみつける黒川をじっと見据える。この時、初めて黒川はこの男が髭のわりに年を食っていないことを知った。天知と同じか、それより下の年齢だろう。もっとも、まっ黄色な歯と言い、ねばついた髪の毛と言い、見目が若々しいのは天知の方だが。
「…フフフ………それもええかもな……どうせ家何ぞないんやから」
(………分かっちゃいたけど、こいつやっぱりホームレスか…しかも、ヤバいな。いわゆる無敵の人じゃん。刑務所だ犯罪だと脅してみたけど、何も捨てるもんがねえんだから意味ねえのかも)
「あ~………頭痛い……うう~………頭~……痛い~……」
男のすぐ横で姫月が呻く。凛がカバっと顔を上げ、何らかのアクションを起こそうとするが、即座に男に睨まれる。
「エ、エミ様の……手当くらいいいでしょ?……お金でも、食べ物でも……欲しいものがあるなら勝手に好きなだけ持っていけばいいですから」
「…凛ちゃん」
「………様って……さっきから気になってたんやけど、お前はこの女の何なんや?あ~…あとお前も」
ついでに指を指された黒川の代わりに、噛みつかんばかりの勢いで凛が吠える。
「どうだっていいでしょう!!そんなこと!!お二人とも私の大切な人です!!……もし万が一なんてことが合ったら……その時は刺し違えてでも……」
(……おいおい)
「ほなやってみろや」
「へ?」
「ほら、そこのキッチンで包丁でも何でも持ってきて俺を刺せや。何も抵抗しいひんから」
「………エ、エミ様が大事になったらの話です!そんな下らない揚げ足取りはやめてください!そんなことより、お手当を」
「いや、せやから………大事なるねんで?」
「え?……何言って?」
「お前らには何もせんつもりやけど……この女は…キミの言うこのエミさまだけは……殺すから言うとんねん」
「は?」
「…………何で?姫月に……何のうらみが……」
と、言葉にならない動揺を見せる凛の横でバッチリ自分もうろたえる黒川だったが、正直この女に殺意を抱いてしまう人間もいるという点ではそこまで動揺してはいなかった。最も、黒川はこの段階でも男は単に虚勢を張っているだけで姫月を殺す意志など本当はないとタカをくくっているのだが。
「どうだってええやろ?そんなこと?」
「ッ……!!」
「…………こ、殺すなんて冗談でも言わないでください!……それ以上エミ様に危害を加えたら、ほ、本当に刺しますから!!」
「凛」
カタカタと震えながらも必死に男に噛みつき続ける凛に、姫月がまたも力ない声を出す。この時、初めて黒川は彼女の意識がおぼろげであることに気付いた。脳のショックか、はたまた首を絞められたショックか、原因は分からないが、かなりの大けがなのかもしれない。
「は、はい!?……どうしました!エミ様!!」
「………れいとうこに………ジュース冷やしてるから……いっぱい……はっせんえん……」
「ジュース?」
凛の代わりに男が冷凍庫を確認しに行く。確かにそこには姫月が作ったであろうシェイクのような飲み物が入っていた。
「あ、わ、わ……私の付箋」
「……こ、これ?姫月が用意したのか?凛ちゃん用に!?」
「………ヒナの……カメ……モヒロ―見つかったから」
「うん。うん。お前が見つけたんだよな!すぐに陽菜ちゃんに知らせに行こうな!」
「ははは……介護やなまるで」
「黙ってろ!!キ〇ガイ野郎が!!」
「こわ……フフフ……このドリンコ……俺が代わりに飲んだら怒る?」
「当たり前じゃないですか!!………ていうか……それ以前にあなたのことは憎くて仕方がないですけど」
「……お前……何で名前も知らない女を殺そうとしてるんだよ?ATMと違って、姫月も面識なさそうだったし」
「ん~?……そりゃあ、今のお嬢ちゃんと一緒やがな」
「はあ?……わ、わ、わ、私と一緒って……私はあなたにさっさとどっか行って欲しいだけで…殺したいわけじゃ………」
「でも、俺がホンマにこのエミさま殺したら、殺すやろ?少なくとも殺したくなるほど恨むやろ?まあ、それと一緒って言う事や」
(………姫月に何かしらの恨みでもあるのか?今の口ぶり的に何か大切なものを……殺しなんていくらアイツでもやってねえだろうし……何か奪ったとか、壊したとか?)
あれこれ考えながら、気が付けばうわごとすら言わなくなった姫月を見る。男がきつく縛りなおした縄で椅子に括りつけられた彼女はぐったりとしていたが、それでも美しかった。
「………ああ、そうや……お前ら、何人暮らしや?昨日のでっかい男と、子どもとその母親は住んでへんのか?」
「!!……ヒ、ヒナちゃんにだけは近づかないでください……」
「………心配すんな。用があんのはこの女と、あと一人だけや……お前らにも本来は何もせんつもりやったんや」
「………あと一人?」
「おお。そやな……教えたるわ。お前らがさっきから聞きたがってる。俺の動機を」
男がどっかりと床に腰を下ろす。何か物々しい雰囲気を感じた黒川は生唾を呑んで男の目を見るが、話はどさりという音で遮られた。無茶続きの凛がとうとう倒れてしまったのである。
「凛ちゃん!!」
「ありゃ。ホンマにビョーキしとったんか」
「お、おい!俺らに危害加えるつもりはねえんだろ!?……凛ちゃんだけでも病院に連れていかせてくれよ!」
「それは無理やが……まあ、看病くらいやったらさせたるわ。そこに立派なソファがあるやんけ。そこに寝かしとけ」
不本意だったが、何もないよりはマシだと凛をソファに運び、新しい冷えピタと昨日取り込んだバスタオルをかける。男に命令され、黒川が凛の元を離れようとしたとき、凛が泣きながら「行かないでください」と手をつかんできた。どうも凛の意識もかなり靄がかったものになっているようである。
「………ソファごとこっち持ってこい。どうせ見張らなあかんにゃし」
言われた通り、凛ごとソファを引っ張り男たちのいるリビングに持ってくる。女子2人がこんなにも苦しんでいるのにみすみす従ってしかいない自分を腹立たしく感じながらも、凛の汗などを拭いてやる。服を脱がしてこそいなかったが、かなり際どい部分にまで手を伸ばす。しかし、流石の黒川も状況が状況だけに何も邪なことは考えなかった。大昔、妹を看病した時のような真剣で、とにかく必死に凛の看病をした。
「………姫月のケガも診ていいだろ?……ていうか診せろ」
「あかん……けどそやな……いつまでもこんなぐったりされたら張り合いがないし、聞くことも聞けんし……俺が看病したるわ」
「お、おい!……滅多なことすんなよ!?」
黒川の願い虚しく、男の看病はやはりロクなものでは無かった。「血を流してやる」などと言いながら、先程姫月が用意した桃のシェイクを彼女の頭にぶっかける。おおよそ人の心があるとは思えない蛮行に凛の代わりに声を荒げる黒川だったが、それ以上にキレたのが姫月だった。幸か不幸か、頭を乱暴に冷やされ、意識がはっきりしたのである。
「アンタ!!…………クソ!!これ解きなさいよ!!こんな美女縛るなんて何考えてんのよ!?」
「ひ、姫月……気持ちは分かるけど大人しくしろって…傷開くぞ?」
「黒川!アンタ、根性見せて刺し違えるくらいのことして見せなさいよ!三週間くらいはアンタの勇姿覚えててやるから!」
「アホ!下手なことしたらお前が殺されかねんのだぞ!」
「……下手なことせんでもこの女は殺すけどな」
「………そう言えば、まだ聞いてなかったけど……な、何で姫月の命を狙ってるんだよ?」
聞いてみたものの、やはり黒川はこの男が本当に姫月を殺すつもりがあるとは思えなかった。もしその気があるなら既に姫月はあの世に行って、凛もこの男と刺し違えるつもりが殺されてしまっていただろうと考えているからである。
「そうやな……お前らの家に来たのは運命みたいなもんなんやが」
「運命だぁ?……お前何言って」
「ねえ、凛がソファで息も絶え絶えだけど?……強姦でもしたの?」
「するか!!……熱で参ってるんだよ!……ていうか、ようやく動機話してるんだからお前も聞けよ。もし間違いがあったら訂正しないと……お前、命狙われてるんだぞ?」
「別に聞く必要ないわよ。どうせ殺されないもの」
「フン……何を余裕ぶっとんねん。脅しやなくて本気で殺すんやからな?」
「バカね。頭ぶん殴られたのに、アンタに殺意がないなんて思うほど私はお人好しじゃないわよ。アンタみたいな雑魚にこの私が殺されるわけないって言ってんのよ?……分かる?サルには難しいかしら?」
「………このアマ」
煽られてようやく余裕のないリアクションを取る男。というより、こんな状況で尚も強気な姫月は流石である。
「それで?……何で姫月を……ていうか運命って……」
「………俺がここまで来たんは……ただ住んでた河原が大雨で流されて、しゃあないから前の住処に戻ったんや」
「……そう言えば、連日の豪雨でここら周辺の川が溢れそうになったって……ニュースで言ってたな」
「そうや。前の住処言うのが……空き家やったこの屋敷やったんやが、お前らがどうも買い取ってもうたみたいやな。そのまま帰ろうとも思ったが、洗濯物を取り込んでる最中で裏口ががっぱり開いてたからその隙に忍び込んだ。ここに居たんは今日合わせて2日くらいや」
(この時点で…色々信じられねえと言うかふざけんなだけど……)
「……分かったか?もとはと言えば、この大雨のせいなんや」
「アンタみたいなクズ見てるとむかむかしてくるわ。ただの聞き苦しい言い逃れじゃない」
「そうだよ……しかも逃れられてないし」
「………俺が何年間、その河原で過ごしてた思うねん。台風が来ても氾濫なんぞしなかった川があっという間に溢れかえって、必死こいて作ったダムも水路も全部流れてもうたわ」
「………水路って……もしかして樋津川か?」
樋津川と言えば、まだ記憶に新しいノンシュガーズのロケ地である。あそこでキングヌートリアと出会い、戦い、ついでにモヒロ―をひろったのだ。
「そうや。いいか?台風が来ても流れんかったんやぞ?それが分かるか?」
「分かるわけないでしょ。ゴミクズ語が人間様に通じると思わないことね」
「………テレビでも異常気象って騒がれてるじゃん。それだけの悪天候だったって事だろ?」
「せやから!!何でそんな異常気象が起きたかって話をしとんねん!!」
「いや、知らねえよ。俺、良純でもひまわりでもウェザーリポートでもないもん」
「私知ってるわよ。地球温暖化でしょ」
「そんな下らん理屈やない………川の土着神がいいひんくなってもうたからや」
「はい?」
「………黒川。私、結構本気でこいつの相手嫌になって来たんだけど?私が許すから庭に埋めてきてくれない?生ゴミみたいに」
「お前の生活感…えらい昭和だな………ていうか俺も怖えよ。何だよ…そっち系のヤバい人かよ」
「何こそこそな話とんねん!聞こえてるからな!!」
「聞こえてるだけで意味なんて分かんないでしょ?私もアンタの言ってるコト意味が分かんないもの」
「フン!……そうやろな!罰当たりな女と交わせる言葉なんぞないわ!」
「罰当たりって……も、もしかして」
今までの会話のピースがはまり始め、何となく事情というか男の言い分のようなものが分かりかけてきた黒川。最も分かったところで信じられないのが本音である。
「もしかして……あのヌートリア?アイツの事、言ってんのか?神様って……いやまあ、確かにアレは姫月が殺したけどさ」
「……あんな神々しいヌートリアがおるか!……俺は樋津川の神に出会ったんや。突如として俺の前に現れ、雄大なその御姿で……」
そこから長々と男が雄弁する。最初こそ楽しそうな男だったが、途中でキッと姫月を睨み、叫ぶ。
「その神を!卑劣にも寝床にいるところを矢なんぞで殺しおってからに!怒りを買ってしもうたがために、俺にしわ寄せが行ってしもうたんや!そんな折に偶然元の住処を買い取った一派の1人が、武勇伝のように神を殺したことを自慢しとった!これは俺が仇を取り、樋津川にお前らの死体をささげなあかんってことや!」
「……武勇伝にしてたのは私じゃなくてヒナの連れでしょ?」
「お前が殺したのは事実やろうが!」
「……お前の言う神様は元々は淀川にいた奴だぞ?ていうかただの突然変異した外来種だし」
「適当な御託を並べるな!………この女と!もう1人、あのお方の腹に槍を突き立てた奴だけはこの手で葬って、捧げな怒りを鎮められんのや!」
(槍って……あの天知さんが刺したハサミのことか)
「馬鹿馬鹿しすぎて怒る気にも反論する気にもなれないから……一先ずアンタの言い分は信じてあげるわよ。私がアンタの言う神様を殺しちゃったのもまあ、ホントよ」
「…………確かに神様って思わなくもないでかさだったけど。ただ単に縄張り意識の強い猛獣だぞ?川で遊んでたら急に出てきて襲ってきたから返り討ちにしただけで」
「………神聖な場所にズカズカ足を踏み入れたものを神が処罰すんのは当然のことやろうが!!」
「黒川!!反論すんなって言ったでしょ!こういう本物のバカには何言っても無駄なの!!大地とかATMとは根本から違うから!」
「お、おう……悪い」(そんなヤバいのにさっきから暴言吐きまくってるお前はいいのか?)
「端から理解されようとは思わん。ただ、死んで生贄になってくれたらそれでいい」
(死んだら生贄って言わないんじゃねえの?……って、だからまだ姫月を殺してないのか?)
「お前をまだ殺さずにこうして生意気な言い草も我慢してやってんのは……もう一人の生贄について話を聞きたいからや。致命傷を与えたのはお前やが、そもそも神がお前の下らん弓矢に当たってしもうた原因は腹に傷を負わせた奴にある!そやからそいつも処刑や!どこのどいつや!この二人でないことは分かってんねん!ここに住んでんのか?」
「知らないわよ。何?お腹に傷なんてつけられてたの?……でかいくせに弱っちいのね」
「………しらばっくれんなよ?黒川もや!ちゃんと答えんとこの女が痛い目にあうことになるぞ?」
姫月のペースによって抜けてきていた緊張感が再び黒川を襲う。しかしあわや拷問されそうな姫月は欠伸をしながらまたも男に忠告をする。
「言ってもいいけど……アンタ、多分知らない方が幸せよ?私にやったみたいにクソ卑怯でプライドも男らしさも微塵もない人生棒に振った棒振りしたところで、多分そいつビクともしないわよ?」
(そ、そうか!!天知さんにケンカ売るって、もはや単なる自殺行為かも……)
「ほざけ!こっちには人質がおんねん!脅してしまいや!」
(何てみっともない発言)
「無駄よ。私優しいから忠告しといてあげるけど。アンタのターゲットはこの私でもちょっと引くくらいの冷徹男よ。その頑丈さと言い、腕っぷしと言い、バカでかさと言い……裏ではサイボーグって呼ばれてるんだから」
「………そ、そうそう……マジで血も涙もねえぜ?人質なんて無駄無駄無駄」
姫月が流れるように嘘をつくので一先ずそれに合わせる黒川。心の中で天知に謝る。もし本当に人質作戦を取られれば天知の勝利は絶望的だろう。
「………嘘つけ。大方目星はついてんねん。あの喪服着て出てったいかにも人の好さそうな大男やろ?確かに体格はええが…お前らが言うようなタイプには見えん」
(……そこまで予想できてたのかよ!俺らに聞いた意味ないじゃん!)
「違うわよ。それ天知でしょ?アイツはここの管理人よ。優男日本代表みたいな奴よ。そこで寝込んでる凛にすら劣る見掛け倒し男よ。その脆さから10周目ジェンガと呼ばれてるくらいなんだから」
(出まかせが流暢すぎて胡散臭くなってきてるな……上手く騙せるだろうか)
「………ほな誰やねん犯人は。その冷徹男言うんは?」
「昔、凛の彼氏だった奴よ。自分勝手なDV野郎で……川遊びの時も勝手についてきてウザかったわ。ま、結果的に良いボディガードになってくれてたけど……ここには住んでないわよ?凛とも今はもう絶縁らしいけど…ちょっと凛のスマホ貸してみなさいよ。ひょっとしたらまだ連絡先残ってるかも……」
「ボケ!!そんな手に踊らされるか!!スマホは渡さんぞ!」
「チッ……でもじゃあ、どうすんのよ。そいつが来なかったらアンタの生贄計画は水の泡じゃない」
(おお~……話がややこしくなってきた。こりゃ俺は何も喋らないに限るぜ)
「おい……黒川とか言うたか?……お前、何かピンと来てない顔してるやんけ。ホンマにそんな冷徹男存在しとるんかいな。………ちょっと名前言うてみろや……おっとまだ言うなよ?テストしてやる」
地蔵を決め込もうとしたタイミングで最悪の勘繰りをされてしまう。姫月が「分かっているな?」という顔でじろりと睨んでくる。正直、男よりも姫月が怖い黒川。男の言うテストとは大方、姫月がでっち上げた彼氏の名前を黒川と姫月交互に聞いて、名前が合っているかを確認することだろう。それを察した姫月が敢えて男の望まないタイミングで名前を曝け出そうとする
「テストって何よ?彼氏の名前h」
「喋んないうたやろ!!」
しかし強烈なグーパンチで制止される。姫月の頬は赤くはれ、口から一筋の血が流れる。姫月は拳が目にもあたった故の生理現象で涙ぐんでいるものの、噛みつきそうな勢いで男にメンチを切る。むしろこの恫喝でひるんでしまったのは黒川の方である。
(や、やばい………かなり切れてる。これで姫月のウソがばれたらマジでカッとなった勢いで殺されちまうんじゃ……それに…正直、テストを乗り越えれる気がしねえ。ここまで脅されてるのにシレっと俺が名前を言ったら、逆に嘘だとバレるだろうし」
「それじゃあ……まずはお前からや。名前を言え。その冷徹野郎のな…」
男が姫月に耳を近づける。黒川は唇を読むことがないように背後を向かされいよいよ後がなくなる。
(考えろ考えろ考えろ!!姫月は冴えてる!だから俺のことも考えてDV男をでっち上げてくれてるはずだ!つまり俺も姫月も知ってる男子!……だとすると星畑か?………よ、よし!星畑だ!他に名前知ってる奴なんていないし……)
そして姫月に背を向ける黒川の肩に鬼畜男の魔の手が置かれる。
「さぁ……言え。心配すんなや。お前はあの女の嘘に巻き込まれただけや。何もせん」
「……………あ、油田……とか言う奴だろ?……下の名は知らねえよ」
黒川が絞り出した名前は大昔凛が告白されたとか言うトランプ服男である土壇場で星畑から名前を変更した黒川だが、それを聞いて男よりも先に姫月の顔がパアッと明るくなる。男が悔しそうに呻く。
「チッ………でっちあげたわけではないんか……じゃあ、ホンマにそんな冷徹男がいるんやな?…どうしたもんか」
(………そっか。そうだよな。冷静に考えたら、星畑の名前は昨日何回も出してるし……こいつに聞かれてる可能性があるんだった。姫月がそこんとこ考えないわけがないわ。危なかった~……それにしても姫月も姫月でよく名前覚えてたな……流石の無駄な記憶力の良さ)
『まったく、間一髪だったな』
脳内でUの声がする。そう、今回の危機を脱したのは決して黒川が有能だからではない。姫月は気づいていないし、黒川も脳内で正解を教えてもらうまでその存在を忘れていたが、Uはどんな小声も漏らさない超高性能なマイクでこちらの音をキャッチしていて、黒川の脳内にテレパシーを送れるのである。
「とにかく………できれば油田とお前は同時に捧げたい。せやから…まずは何とかして油田をここに呼ばせなあかんのやが……ホンマにもう連絡手段ないのか?」
言いながら男は凛から奪ったスマホを手に取る。そして眠っている凛の指紋で勝手に開けて、連絡先を確認する。心の中で連絡先を残していないことを祈る黒川だったが、事態は最悪な展開を迎えてしまう。男が今までに見たことがないほど、ハイライトの消えた恐ろしい目で姫月と黒川を交互に見つめる。
「………油田……確かえらい、ごついんやったっけ?こんな冴えへんメガネ面の男が腕っぷしの強い冷徹男?……笑わせるわ」
男が掲げるスマホには油田幸助(aburadako)というSNS上のアイコンで熊本城をバックに謎の武将と映るメガネ面の男がいた。一応サイクリングをしているようなスポーツマンっぽい恰好をしているが、ヒョロヒョロとしていて頼りがいのない感じである。身長に関しても横にいる武将コスプレをしているスタッフよりも数段低い。姫月よりも低身長なのではあるまいか。
「…………見た目で人を決めたら痛い目見るわよ!アンt」
冷や汗を垂らしながらも何か弁明しようと試みる姫月をまたまたぶん殴る。止めに入った黒川だが、先程の「何もせん」とは何だったのかというほど、しこたま殴られ床に捨てられる。姫月が何か喚いたので、男が今度は腹部を殴る。
「どこの世界に自分よりもタッパの無い男を頼る女がいんねん。アホらしい」
「もうええわ。己の罪を認めんどころか、関係のない他人に罪をかぶせようとする……大罪や。同じ人間として恥ずかしく思うわ。ホンマ」
「………もうええわ。お前の顔はもう見たくもない。ここで殺す。いつまでも俺をコケにするな。こんな屋敷にガキの分際で住んでると、こういう腐った性格になるんやな。それがよく分かったわ」
男が薪を担ぐ二宮金次郎の要領で姫月を担ぎ、風呂場に向かう。再度黒川が止めようとするが再び殴られ、床に頭をぶつけてしまう。再度立ち上がろうとすると、近づくなと言って姫月の喉に脱衣所にあった両刃剃刀を向ける。
「や、やめろ……お前、おかしいだろ……お前……」
「ずっと思ってたけどな……俺、はっきりとは覚えてへんけど、確か30年以上は生きてんねん。何で敬語を使わへん」
「………や、やめてください……頼みます……あ、あの……俺も……ていうか俺がナイフで傷をつけました。俺です。だから、その」
「黒川」
涙を一筋流しながら、ほとんど土下座に近い体勢で罪をかぶろうとする黒川。ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる男よりも先に姫月が声をかける。
「アンタ……今回は結構頑張ってたわよ。よく私の言った名前が分かったわね」
「おい、喋んな」
「ひ、姫月」
「フフフ………何でこんなクズ男にすら勝てない奴があのデカブツに傷つけられるのよ。もう少しましな嘘つきなさい」
「………う、嘘じゃねえよ……あ、嘘じゃないですから……」
「お望み通り殺したろか?……ていうかやっぱあの場にいた全員同罪やな。殺すわ」
「………アンタが酔っぱらった女に童貞奪われそうになった時が300か400万だっけ?だったら…フフフフ……きっともっと凄いお金がもらえるわね」
「……………………………………」
開いた口が塞がらない黒川。男が怒鳴りながら剃刀を首にあてがっても鬱陶しそうに睨むだけで全く気圧されない。美しいまま、目先の金に浮かれている。それは未だに自分が殺されるわけないと思っている無謀なまでのしたたかさなのだろうが、黒川はほんの少しだけ、必死に這いつくばろうとする自分を気遣って笑いかけてくれているような気がした。
「………ただでは殺さん。お前は……死の恐怖を存分に味わわせてからじわじわ死ねばいいわ」
そう言うと、男は縛られた姫月を椅子ごと広い浴槽に放り込む。そして栓をして、改めて姫月の縄がしっかり括られているかを確認して、蛇口を半分ほどひねる。冷たい水はあっという間にバスタブを水浸しにして、椅子ごと横たわっている姫月の髪や服を濡らす。「冷たい」と一言だけ姫月が呟く。
「時間は………あ~……あと3分間くらいか……ま、よく自分の罪をやな……考えて、な」
そう言ってふたを閉めようとする男。黒川が慌てて飛び込もうとするが、上手く足が動かない。黒川は気づいていないが、先程倒れたときに軽度な脳震盪を起こしているのだ。
「あ~……動くな。動くな」
そう言いながら、脱衣所でフラフラとしている黒川の頭上を跨いで部屋に戻る。そして今度はソファでうなされている凛に剃刀をあてがう。人質を変えたのだ。
「ククク、えらい苦しそうやな。そんなひどい熱なんか可哀そうに」
「………や、やめ……やめてください……凛ちゃんは……その子は本当に……何にもしてないから」
「あかん殺す。でもまあ、情状酌量の余地はくれてやるわ。ん~……そやな……そや!フフフ……ここにある醤油……この醤油さしに入ってる分、全部飲み切ったら許したるわ」
男がテーブルに置いてあった醤油さしを黒川に渡してサディスティックな笑みを浮かべる。
「は、はあ?………何でそんな…………!!……わ、分かった……やるから……約束は守れよ」
「敬語」
「あ……守ってくださいよ?」
「おうおう考えたる」
(絶対守らない奴じゃん)
内心で毒つきながら、醤油さしに唇をつける黒川。ごくごくっと音を立てて飲み、半分ほど減った段階でごぷっと吹き出して、ばったり倒れる。ショックで昏睡状態になったのだろうか。口から流れる醤油はまるで煮立ったように黒川の気泡が混じっている。それを見て大笑いする男。うんうんとうなりながら、苦しそうな咳をしてそのたびに剃刀で首を切ってしまいそうな凛。そして現在進行形で水が張られ続けている風呂場。地獄のような惨状が繰り広げられているが、突然、黒川から声がする。奇妙な言い回しだが、事実、音源であるはずの黒川は倒れたままである。しかも、その声色が先程のものとは全く違う。二回りほど年を重ねたような、そんな声色になっている。
『………聞こえるか?愚かな人間よ』
「な、何や?この声……おいガキふざけんなよ!?………腹話術か!?……」
『この男が発しているのではない。この男の身体を借りて、神である我が発しているのだ』
「神様!?………そ、そんなバカな……お、お前……不敬なことをするとただじゃ殺さんぞ!!」
『不敬なのは貴様だ!!この愚か者が!!勝手に我の築いた神聖な河川を汚らしい廃物で固めた上に、人間の分際で図々しく生活しておきながら……果てには我の使いを気ままに自称しこのような不徳に走るとは!無礼千万!!』
「………だ、黙れ!お前、あの黒川とか言うガキやろ!?せやろ?……神様は俺だけは許してくれたんや!他の奴らはビビって逃げたけど……俺だけは認められたから、襲われへんかったんや!』
『………確かにお前が見たというあの巨大な獣は今のこの青年のように私が依り代になったものだ。だが、貴様を認めた覚えは毛頭もない!』
「……ち、違う!これは……あのガキの腹話術や!!神様が俺にこんなこと言うはずがない!!こ、殺したる!二度と喋れんようにしてやる!」
『黙るのは貴様だ!!神の怒りを聞くがよい!!』
すると突然、けたたましい音量でこの世のモノとは思えない恐ろしい音が部屋中に響き渡る。
「うわあああああああああああああああ!!何やこれ!!何やこれぇ!!」
響き渡る怪音。慌てふためく男。さっきとはまったく別種の地獄のような雰囲気である。そしてそんな環境を打破すべく、男が喚きながら凛を抱きしめる。
「殺すぞ!!この気色悪い音止めろ!!止めろぉ!!この女殺すぞぉ!!ぎゃあ!!」
喚いている途中で男が短く叫んで転がる。
「…………黙ってくださいよ。黒川しゃんのお歌が聞こえないれしょ?」
ふら~っとした状態の凛が焦点の合っていない目で男を睨む。手には先程まで男が手にしていた剃刀が握られている。自分に纏わりついてくる男の指を凛がこれで切ったのである。もちろん切り落ちてこそいないが相当傷は深く、男は指を抑えて半狂乱で転がっている。
「ふひぇ~~い……えへへ……なんでくろかわしゃんのライブが……行われてるんですか~。ぐへへさいこ~………えへへ……どれ私も……」
熱で頭がどうにかなってしまったらしく、フラフラの凛が何か世迷言を言いながら今度は剃刀を自分の腕にあてがう。突然、醤油の海から慌てた黒川が飛び起きて止めに入る。
「ストップストップ!!パフォーマンスでリストカットって……江戸アケミか己は!!」
その瞬間だけ、ぴったりと奇怪な音が止まり男の絶叫だけがこだまする。黒川は「あ、やべ」と呟いて、小声で適当な歌を口ずさむ。そしてその歌声が部屋中のマイクを経由して、先程まで神様になりきっていたUの醤油スピーカーから爆音の怪音に代わり部屋に流される。音量はUが跳ねあげているのである。この天罰作戦を考え、幸運にも醤油さしを手にできた黒川に脳内で伝えたのもUである。
一瞬音が止んだことに気が付かない程パニックになっている男が、騒ぎながら裏口に逃げる。脱出するつもりなのである。大慌てで扉を開け、外に飛び出そうとした瞬間、「待ってました」とばかりに姫月が鉄製のスコップをフルスイングする。男は顔面にスコップをお見舞いされ、ふわりと滑空したのちにキッチンに不時着する。受け身も取れていない。男はブクブクと泡を吹いていた。ノンシュガーズ(ハーフ)の完全勝利である。
3
「しっかし………姫月は大丈夫だから何もするなってUに言われたから助けに行かなかったけどさ……お前、どうやってあの状況から脱出できたんだよ?庭先であの野郎ぶちのめしてた時はびっくりしたぜ」
「ん~?私が無敵だからよ」
「いや……それはマジで今回ホントのホントに痛感したけど……お前はすげえけど…マジで何で助かったんだよ?」
「………ヒナの友達いたでしょ?アレが来てたのよ」
「友達?」
そう、「根拠はないけどまあ土壇場で私は助かるだろう。一秒先の私に期待ね」なんて本気で思っていつまでも呑気していた姫月が本当の本当に助かってしまった背景には、まだ名も知らない少女の大いなる活躍があった。
というより、やはり姫月の強運というか、あのいかれた男ではないが本当に運命じゃないかというほど、幸運が重なったのである。まず、第一の幸運はモヒロ―の散策で凛同様に陽菜が熱にうなされていたことである。当然、学校を休んだ彼女にプリントを届ける係として、その姫月を助けた少女が抜擢されたのだ。第二の幸運は、近くの川がいよいよ溢れたことで学校が半ドンになったこと。第三の幸運は、少女が陽菜の第二の家しか知らなかったことである。
そのため早い時間に屋敷に向かう少女だったが、いざついてびっくり。友人のヒナちゃんがことあるごとに名前を出し、つい昨日挨拶したばかりのお姉さんが妙な男に引きずられているではないか。大慌てで警察か近くの人に連絡しようと思うが、近くに誰もいない。どこに交番があるかもわからない。恐る恐る裏口に近づいて耳を澄ませると、「警察!」と叫ぶ男の声の直後に「余計なことするな!」という紛れもないお姉さんの声がする。状況が分からず、半べそをかきながら離れることもできないでジッとしていた少女だが、しばらくして今度は別の部屋で声がする。
どうも騒動の発生源はお風呂場らしく、窓が開いているため先程よりも鮮明に声が聴こえる。そしてお姉さんが殺されそうになっているという驚愕の事実に、がくがく震えながらも意を決する。換気の為常に開きっぱなしの風呂場の窓は小さいが、自分なら何とか潜り込める。私がお姉さんを助けなくちゃ!明日って今さ!!………というわけで、姫月は大いなる他人の力でのうのうと生き延びることができたのである。
「はへ~………感謝してもしたりねえな~…で?その子はどこに?」
「縄解かせた段階で窓から帰らせたに決まってるでしょ?」
「あれ?でもお前、何で庭にいたの?脱衣所は窓ないし……リビングにしか通じてないし…出れるところないと思うけど……」
「フツーにリビングからキッチン経由して裏口で庭に出たわよ。アンタら全く気付いてなかったけど」
「………い、いつの間に」
「何か頓智来なことしてるから私も乗っかってあげたのよ。こいつのトドメは私が刺したかったし」
言いながら先程まで自分を縛っていた縄でグルグル巻きにした男を踏みつける。
「それでどうすんだよ?言われた通り倉庫までこいつを運んで縛ったけど……さっさと警察に引き渡しちまおうぜ?」
「バカね。このまま何もしないでこいつを引き渡すっての?さっきこいつが寄生してた物置見たけど異常なほど荒らされてたじゃない。まだまだこいつには貸しがありすぎるわ」
「そりゃそうだけど………もしかして拷問でもするのかよ?」
「そうよ。アンタ執行人ね」
「やだよ!!………いやそりゃ縛る時わざと乱暴にしたし……俺もこいつにフラストレーション溜まってるけど……流石に私刑の片棒担ぎたくはないわ!」
「チッ……意気地なしね。そんなんだからエンエン泣きながら『僕と凛さんだけは見逃して欲しいっス』なんてみっともないセリフ吐くことになんのよ」
「俺……そんな薄情なこと言ってねえよ……まあ、みっともなかったのは確かだけど」
ノリノリで拷問に混ざりそうなほどこの男に怒ってる女も他に若干一名いるが、今は自分の部屋でくうくう眠っている。絶対安静である。
「そうね……私の頭をどついたのはさっきの一撃で許してあげるわ。あと、散々無礼なこと言ったのも、黒川のクソ雑音大音量で浴びせられたことだしそれでチャラにしてあげる。主人の私に許可をもらわずに凛をこき使ったのは……まあ、これはどうでもいっか。あとは私を二回も殴った分とこの私に何かドロドロした汚いものぶっかけた分ね~」
(………そのドロドロは姫様のお手製ジュースでございますよ)
ウキウキと報復の算段を立てている姫月。対する男は終始黙っているが、決してまだ意識が戻ってないわけではない。ガムテープで口を止められているのである。
「あ、そうだ。アンタ何か散々殴られてたわね。丁度いいわやり返しなさいよ」
「だからヤダって……司法に任せようぜ?」
「あのね……こいつ自身言ってたことだけど。元々家もなくてちょっと雨が降っただけで路頭に迷うほどの雑魚なのよ?そんな奴からしたら刑務所なんて上等なホテルじゃない。アルフォートとコーラ食べながら映画見れるのよ?」
「…………お前、『刑務所の中』好きだな。いいよ別に……刑務所行くことが幸せな人生なんて悲惨なだけで羨ましくもないし。むしろこいつに対する同情が増す一方よ。そりゃ神様なんてちんけなこと言いたくもなるぜ」
「フッ……アンタ、私が出会った中で凛に次いで雑魚の奴に滅茶苦茶好き勝手言われてるじゃない。まあ、事実……ワーストは凛からアンタに変わったけど。病床のアイツに剃刀で切られたんですって?ウフフ……カタツムリの角で怪我する奴なんているのね」
ウキウキと抵抗できない男相手に煽り散らかす姫月。いつもなら顔をしかめるサディスティックっぷりだが、彼女に対する評価がストップ高である黒川は、苦笑するだけで本気で苦言を呈しはしない。それはそれとして、まだ事態に対する緊張感というか恐怖は解けきっていない。
「なあ、お前もこんな下らないことやめて安静にしてた方がいいんじゃねえ?頭のケガ大丈夫かよ?」
「疲れてるのは確かだけど……その倍こいつにムカついてるのよ。いつ天知が帰ってくるかもわからないんだからやれるうちにやっちゃいましょ」
「………分かったよ。確かにこいつは許せねえしな……俺は手ぇ出さないけど……拷問は好きにしろよ。やりすぎるなよ?」
「………何よ。アンタは殴らないわけ?あんなにボコられてたのに?」
「……ひょっとしてさ。俺に殴らせたいのか?……というより流石の姫月も縛った相手をいたぶるのは趣味じゃないとか?」
「………違うわよ。マジで頭が痛いの。だから運動したくないのよ」
「だから休めってお前」
この会話の間、男はずっと待ちぼうけを食らっている。時折くぐもった呻き声を上げるだけで大人しくしている男の前であーだこーだ話し合い、遂にバツが執行される。
「……そうねぇ。めんどくさくなってきたわ」
「だろ?もう拷問なんてやめてさっさと……」
「違うわよ。私がめんどくさいのはこいつを警察に引き渡すこと!……起きた出来事一つ一つ説明できる?できないでしょ?」
「…………まあ、確かに」
「それに……ひょっとすると私たちの何かしらが罪になっちゃうかもしれないわ」
「あ~………そうかもな……ていうかアウトなこと結構してるかも……例えば今」
「ね?めんどくさいでしょ?」
「う、うん」
「だからもうこいつ……放しちゃいましょ」
「え!?……いいのかよ!?……ていうかよくねえよ!」
ここで今まで呆然としていた男がガバッと面を上げる。
「ええ……こいつの元の住処……聖なる樋津川に放してあげましょ。アンタ免許あるわよね?天知の車借りましょ。暴れたら困るから川に放る時も縄は解かないけど」
「………!!……モガー!!」
男がもがく。当然である。要するに濁流の川に手足縛った状態で放り込むと言っているのだ。もっと要すると殺すと言っているのだ。警察沙汰にせずに人を消す。普通ならこんなこと口先だけだと思うだろうが、この女は確かに手足を縛ったはずなのにいつのまにやら庭に居て、自分を一切の躊躇せずに鈍器で殴った女である。つい先ほど自分も同じことをしていただけに、男は本気で殺されると慌てふためく。姫月は不敵に微笑み、男のガムテープを取るよう黒川に命じる。
「………殺す気か!貴様!神だけじゃなくって俺までも!殺す気なんか!!」
「人聞き悪いこと言わないでよ?帰してあげるってのよ。まあ、確かに死んじゃうかもだけど、別にそれでもいいじゃない。大好きな神様に捧げてもらえるのよ?」
「ま、待て!!勘弁してくれ!!もうお前のことは狙わん!!謝る!謝るから!!」
「……謝って許してもらえるコトじゃねえだろ……人一人殺すつもりだったんだろうが」
「黒川!やめさないよ……私は最初っからこんなのに殺されるわけないって言ってたじゃない。アンタらだって何かチャンスをもらったんでしょ?だったら私たちもあげなきゃ不公平よ」
「………チャンスって……醤油マジでちょっと飲んじゃったせいで俺、気分悪いんだからな」
「ね?チャンス欲しいでしょ?アンタも」
「!!……ほ、欲しい!やる!やらせてくれ!!」
「敬語」
「欲しいですやらせてください!!」
狙い通りのリアクションを取る男に気を良くした姫月が二ィ~っと笑う。
「じゃあ、アンタがくれたチャンスと一緒よ。私が用意したスペシャルドリンクを一滴残らず飲み干したら許してあげる。警察には引き渡すけど……単なる不法侵入ってことで終わらしてあげるわ」
「ス、スペシャルドリンクってなんや……ですか?」
「黒川!さっき言ったやつ!用意して!」
「何で俺だよ……クソ……俺、一番損してるんじゃねえの」
ぶつくさ言いながら黒川が用意したモノを見て、男が悲鳴を上げる。それは散々姫月が探していたグングン〇ルトの1.5Lペットボトルである。ただし、中身は全く別なものに代わっている。他でもない、今から罰を受ける男が空にして、また新たに埋めたものである。
「うう~……くっせええ…軍手越しでも嫌だ……ホラ、さっさと飲ませろよ」
「お、お前ら頭おかしいんか!?こんな……小便なんて飲めるわけないやろうが!」
「大丈夫だって!飲尿健康法だってあるんだし!……ケンゾーじいさんとか飲んでるんだから!」
「こいつの言ってることはよく分かんないけど大丈夫ですって。良かったわね。ホライッキイッキ!」
ムンムンと湿気の嫌なにおいが立ち籠る倉庫の中はまったく別種の悪臭に包み込まれた。姫月は大笑いしたりむせたり、吐きそうになったりしながら男のチャレンジを見届けている。自称潔癖の黒川は早々にリタイアし、倉庫を出た。
4
男の拷問も中々に大変だったが、騒動の後始末もかなり難儀というか姫月が危惧した通り面倒だった。ペットボトルの半分ほどの尿を呑んだことで真っ青になっていた男は結局、警察に引き渡され、黒川らも散々取り調べを受けさせられた。騒動が陽菜を除く他のメンバーの耳に入り、飛ぶような勢いで帰って来た天知が色々と手をこまねいてくれたおかげで黒川らが何か刑を受けたり、警察から注意されることは無かったが、代わりに天知には「無茶はするな」と怒られてしまった。しかし、すぐにその説教も謝罪に代わり、天知は3人の無事を喜び、また果敢な犯罪者との攻防を労ってくれた。姫月の念押しで、彼女が男から二度も意識を奪われている事や本当に命を狙われ、その行為を実行までしていたことは天知他メンバーには伝えなかった。
そのため表向きは黒川が女子2人を守る為、ボコボコにされながらも男を成敗したというものに変わった。唯一黒川が、傍目から見てはっきりと分かるほどの外傷を負っていたが故のでっち上げだったが、それでも黒川は何となくモヤモヤした。それを少しでも晴らすため、全ての騒動が終わり、部屋の汚れも綺麗になった後で、こっそり姫月に感謝を伝える。
姫月の部屋に実に引っ越しの時以来初めて入った黒川は若干緊張しながら、ソファでボケっとしている彼女に声をかける。
「………凛ちゃんの熱も収まったし、いよいよをもって一件落着だな。お前も頭大丈夫か?」
「痛いわよ………ジュクジュクしてくるし最悪」
「おいおい………マジで病院行かなくっていいのかよ?」
「いいのよ……傷口縫うとかなったら嫌だもの………」
「……いやいや……お前髪の毛長いんだし…膿んで悪化したら大変だぞ」
そう言って姫月の患部を覗き込む。しかし、傷口と思しき箇所にはガーゼがぴったり貼り付けてあった。おまけにガーゼを固定しておくために髪の毛を編み込んで器用に処置してある。
「……何か治療してある……これお前がやったの?……すげえな……朝田龍太郎かよ」
「で?………言いたいことはそれだけ?」
「あ……まあ、言いたいことって言うか……ホラ、みんなの前では言えないからさ…改めて今日のこと、お礼言っとこうかと思って」
若干照れながら、「ありがとう」と深々頭を下げる。顔を上げると、きょとんとした顔の姫月が目に入る。珍しいものでも見るようにジロジロと見てくる。
「………な、何?」
「ん~?……アンタこそ……結構顔面デコボコになってるじゃない」
「………うん……今更だな」
「そりゃそうよ。アンタの顔なんてわざわざじっくり見ないもの」
「まあ、そうか……いや、俺の顔なんていいんだよ」
「まあそうね。私も殴られたし」
「……お前の方は何にも跡とかなってなくて良かったよ……………お前、何て言うか……今回冷静だな…いつももっと怒ってるのに」
「ケンカ売ってんの?」
「い、いや……そう言うつもりじゃないけど……今回のお前、何かいつもよりクールさが増してるって言うか……正直、今回はマジでカッコいいというか」
「………失礼な奴ね。私はいつもカッコよくてクールよ………まあ、そうね。アンタにも忠告しとくけど……話したり痛めつけたら分かる奴と、何してもどうにもならない奴との区別はつけといた方がいいわよ?……やられっぱなしは癪だからやり返しはしたけど……本来ああいうタイプには何も関わらないようにするのが正解なんだから」
「う、うん……肝に銘じとく」
「………ま、人間なんて簡単には量れないもんだけどね。あの浮浪者もいざとなったら命乞いしたり、まともじゃないこと信じなかったりしてたし……何よ腹話術ってバカじゃないの?」
(……お前も最初はそう言ってたけどな)
「……それに……アンタも思ったより………」
「え?……俺?……俺がどうかしたの?」
「別に……アンタ顔よく冷やしときなさいよ。今度ヒナにあった時そのまんまじゃめんどくさいことになるわよ」
「あ、うん……分かったありがとう……お前って意外と人の心配とかするんだな。凛ちゃんの熱も凄い気遣ってたし」
「私が?……アイツは今回ただのお荷物だったじゃない。気遣って何かないわよ」
「いやいや……風邪ひいてるのに無茶させるなってさ……あん時俺泣きそうになっちゃったよ」
「………そんなこと言ってないわよ。寝ぼけてたんじゃないの?」
「まあ、確かにあん時はお前気絶から覚めてばっかりだったけど……あ、でもさ…凛ちゃんの為に何かスムージー作ってたじゃん!」
「………作ってない。アレは私が飲むようよ」
「またまた~……凛ちゃんの付箋貼ってあったぜ?」
「………間違えたのよ。アイツのピンク色だから私の赤とテレコになったの」
「お前はそんなミスするわけないんだろ?」
「うっさい!!」
平和が戻ったノンシュガーズの本拠地で、姫月を茶化す黒川。嬉しかったのである。3人が無事なことも、「自分たちのミスが発端だと分かっていればもっと早くに対応した本当にすまない」とUがしっかり謝ってくれことも嬉しいには間違いないが、何より姫月が自分の努力を認めて、笑いかけてくれた。ただそれだけが途轍もないほど嬉しくて、顔の痛みなんて吹き飛んでしまうのである。
シリアスな雰囲気に乗じて前回の後が気と今回の前書きをさぼってすいません。決してシリアスなものが書きたいわけではなかったのですが、何か流れで書いてたら深刻なことになっていました。ただ、だから何だという話ですが、姫月の意識がない間は深刻に、はっきりしている時はコミカルにちょっと意識してみました。当初はこんな頼もしいキャラクターじゃなくってもっとガチでどうしようもないほど性格の悪い女にしたかったんですけどね。まあ、今の彼女も好きですが……。好きなので次回もエミ様が主体の回になってしまいます。もうじき全く出てこない回を長々と書く予定なのでその前に華を持たせてやっています。