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その①「キスして欲しいキスして欲しいキスして欲しいコト」

・登場人物紹介

黒川響くろかわ ひびき 性別:男 年齢:20歳 誕生日:6/25 職業:大学生

本作の主人公。抜群の歌唱力を持つが、機械を通した瞬間に不協和音に早変わりする不幸な歌い手。歌手としての道はすっかり諦めているものの、集ったメンバーたちとの心躍る日々を守る為、宇宙人のカメラ役をこなす。本人にいまいち自覚はないが、一応リーダー。

☆ホテルのビュッフェで絶対に食べるのは麻婆豆腐


星畑恒輝ほしはた こうき 性別:男 年齢:21歳 誕生日:4/4 職業:お笑い芸人

黒川の高校からの友達。高卒でお笑い芸人の道を選びめでたく地下芸人へ。見る人が見れば割と悲惨な生活を送っているが、本人は至って楽しげ。ルックスがよく、よく気が利く上に、根明のためよくモテそうなものだが、とにかく絡みにくい本人の性格が仇になり全くモテない。

☆ホテルのビュッフェで絶対に食べるのはサイコロ状のガトーショコラ。


須田凛すだ りん 性別:女 年齢:19歳 誕生日:5/25 職業:大学生

男受けしそうな見た目と性格を併せ持った少女。黒川の歌(動画越し)に感動し、星畑のライブを出待ちし、姫月に憧れながら、天知に焦がれるちょっと変わった趣向を持つ。派手なファッションとは裏腹に人見知りで気が弱いが、推しの事となると見境が無くなり暴走気味になる。

☆ホテルのビュッフェで絶対に食べるのはポテトサラダ。


姫月恵美子ひめづき えみこ 性別:女 年齢:20歳 誕生日:10/3 職業:無職

スラリとしてスレンダーな見た目に長い足、艶の良い黒髪とまさに絶世の美女。性格は非常に難があるが、悪いというより思ったことをすぐ口に出すタイプ。一言で言うなら唯我独尊。自信たっぷりで自分大好き人間だが、イケメンも好き。ただしどんなイケメンよりも自分の方が好き。

☆ホテルのビュッフェで絶対に食べるのはシェフが焼いてくれるタイプのステーキ。


天知九あまち きゅう 性別:男 年齢:42歳 誕生日:3/3 職業:無職

元、スーツアクター兼スタントマン。家を追い出され新たな仲間たちに重宝されながらスローライフを送るおっさん。高身長で、物腰柔らかく、頼りになり、清潔感も教養も併せ持つまさに理想の紳士。黒川への恩義だけで入ったが、正直42歳がやっていけるのか不安でしょうがない。

☆ホテルのビュッフェで絶対に食べるのはオムレツ。


岩下陽菜いわした ひな 性別:女 年齢:9歳 誕生日:3/20 職業:小学生

女優一家の次女で子役。年齢を感じさせない演技とその可愛らしさから天才子役と称されていたが、家族や友人と遊ぶことを優先する為、子役業から一時手を引いている。年齢の割に落ち着きがあって肝も据わっているが、子どもらしい無邪気さも併せ持つ。怪談やオカルトが好き。

☆ホテルのビュッフェで絶対に食べるのはカレーライス。


こんにちは。当初はもっとえぐい下ネタやハラスメントじみた展開を入れる予定だったのですが、いざ始めるとまったくその気になれない不能な自分がいます。それ考えると官能小説書いてる人って凄いですね。尊敬します。冗談でなしに。

家は生活の宝石箱でなくてはいけない。

                ール・コルビュジェ



                     1



 4月も中ごろに入り、桜の中にもちらほら新緑の色が顔を出し始めている。そんな中、散歩中の老人はいつも散歩する公園の風景にどことなく違和感を感じていたが、結局それが何なのか気づかないまま、公園を通り過ぎていった。毎日の光景とは言え、公園の外れにそびえる古びた洋館の外壁が少し明るくなっていること等、そう簡単には気づかない。


 その洋館の前には大型のトラックが停められていて、中から業者に交じって数人の若者が忙しなく家具を持って出入りしている。大量のレコードが入った段ボールをを慎重そうに運んでいる黒髪の男とその横で紙袋いっぱいに詰められたCDを両手に持って真っ赤になりながら、運んでいる派手な髪色の小柄な少女。途中、紙袋の持ち手が千切れ、中のCDが激しい音を立てて床に散らばってしまう。「ああ~!」と叫んだ拍子に隣の黒髪もダンボールを傾け、中のお宝を大いにこぼしてしまう。二人の絶叫がまだ朝早い春の公園に響く。


「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!ぎゃあああああ!!に、ニルヴァーナが!割れてるぅ~!」


「いや俺のレコードは無事だからいいけどさ。あ~……だから一個ずつにしといたらって言ったのに」


「ううう………私荷物多いので………早く終わらせたくて………」


「姫月と星畑………もう荷造り終えたらしいもんな。何?あいつら身一つで過ごしてんのか?」


「星君は分かりませんけど………エミ様はほとんど身一つらしいです。めんどくさいからって……お洋服もほとんど、ATMさんにあげたらしいですよ?」


「…………手切れ金の現物支給だ………」


「失礼ね。私の残り香を嗅がせてあげてるのよ」


 洋館の横にある小さなベンチに腰をかけて足をブラブラ放っている女性が2人の会話に割り込む。無地の黒Tシャツに白デニムのショートパンツというシンプルな服装だが、それだけで信じられない程絵になる抜群の美女である。


「田山花袋の『布団』みたいな話だな………」


「? 誰の布団が固いって?」


「いや……………何でもない」


「ああ!じゅ、ジューダス・プリースト!! わ、割れてるぅ!」


「お!『殺人機械』!! めっちゃいいよな!俺も大好き!!」


「『皆殺しの挽歌』………『地獄の軍団』って………な~んか不吉なタイトルばっかだな須田の持ってるCD………」


「あ!……ほ、星君! ありがとうございます! す、すいません。お手を煩わせてしまって……」


 星君と呼ばれた青年が隣でダンボールに手を取られている青年に変わり、少女のCDを拾うのを手伝う。そうしていると洋館から一人の長身の男が出てくる。肉体も顔も若々しいが、明らかに周囲のメンバーと比べ、年齢が違う。


「須田さん! 本棚、どこに置けばいいか分からなかったから……適当に置いたし、変えたかったらまた呼んでくれ!」


「あ!! ありがとうございます!」


 誰がどう見ても引っ越しを行っているであろう団体は今日から、このリフォームされた洋館もといシェアハウスにて共同生活を行うチームである。さっさとレコードを部屋までもっていけばいいのに、いつまでもCDを拾う2人をボケッと見つめている黒髪の青年が黒川響。その視線の先でCDを拾うハンサムボーイが星畑恒輝。星畑がてんで聞いていないのを知ってか知らずか熱心にCDの解説をしている小柄な少女が須田凛。荷物が少ないのをいいことに自分の荷造りまで他人にやらせ、暇そうにベンチであくびをしている美女が姫月恵美子。そしてその横で業者並みの仕事を一人淡々とこなしているのが、天知九。このシェアハウスの名義上の管理人である。


 このメンバーは信じられないことにあと一週間もしないうちに、宇宙を股に掛ける仕事を任される。おまけに地球人誰一人にも知られずに、である。それだというのにここまでリラックスした状態でいられるのは、呑気というより、もう出たとこ勝負でやるしかないとすら思っていることが大きいだろう。軍資金という名目で渡された10億円も、洋館とその周囲の土地代、そしてリフォームで大幅に削られてしまっているが、文字通り天文学的レベルな出来事には、もうまともに対処できると踏むことすら無謀だとこの場にいるほとんどが考えている。中には規模云々以前に、シンプルな呑気さで何も考えていない人間もいるようで、丁度そのトップバッターが口を開いた。


「…………今日夕方から来るヒナってがきんちょ………どんな奴?」


ヒナというのは数日前、メンバー入りした小学4年生の少女である。スカウト成功時、唯一その場にいなかった姫月とはまだ、面識がない。


「…………なんだよ。天下のエミ様が小学生相手に人見知りか?」


 煽るように星畑が返す。


「違うわよ。私そいつのことしょーもないドラマでしか見た事ないもん。まだ小学生でしょ?騒がしい感じじゃないでしょうね?」


「しょ、しょーもなくなんかないです!」


「アンタは会話に混ざってこないで。で? どんな奴よ」


「騒がしいタイプではねえよ。かといって雰囲気よりも人懐っこい感じだけど……お前よかずっとまともな子なんだから、変ないちゃもんつけんなよ?」


(言うほどまともか?)


「まあ、人見知りだし…………あんまりいきなりガツガツ行っちゃ駄目かもね」


 天知が会話に参入する。いつまでもCDを拾ったり拾わなかったりしている横で、さっさと黒川と凛の荷造りも終えてしまったのである。若者どもは情けないことこの上ない。


「言われなくても……子供なんかに構う私じゃないわよ。基本的に年下ってガキ臭くて嫌いだし」


「たのむから当たり強くすんなよ………ガキ臭くて当然なんだから」


「エ、エミ様!! わ、わ、私の事も……子ども臭いって思ってたんですか?」


「アンタはガキ臭い云々以前に、どんくさいし、貧乏くさいし、あほくさいのよ」


「そんなぁ~…………」


「でも、嫌いではないらしいよ? 良かったね須田さん」


「あ!そ、そうですね!! え、えへへへ」


「…………余計な注釈つけないでよ………」


 洋館と言っても、元はただの小金持ちの別荘というだけあってそこまで広いわけではない。天知が共同スペースとしている一階部は玄関とトイレ、バスルームを除いて全てが繋がっている広々と開放的な空間である。玄関から出て手前側に巨大なカーペットと大木の切り株のように優しい円の木製ちゃぶ台が置かれていて、その先には60インチのテレビがある。そしてちゃぶ台から1メートルほど離れた場所に緑色の革に覆われた2人掛けのソファがある。カーペットに合わせた目に優しい配色のソファをはじめとするこれら家具たちは全て天知が選んだものである。テレビルームから会食用の巨大テーブルを経て最奥にあるキッチンには流石に何も用意されていない。キッチンには庭へと通ずる所謂裏口があるが、近くに公園があるからか、そこまで広い敷地ではない。


 打って変わって二階は細かく部屋が分かれているものの、広さはまちまちである。音楽をかけるからという理由で黒川と凛を両極端の角部屋に追い込み、そこから星畑、姫月、天知となる。向かいにある比較的狭い部屋2つは倉庫と陽菜の部屋という事でまとまった。


「……………トイレと風呂と手洗い場が部屋に付いてないなんて聞いてないんだけど………」


「俺も良く知らんけどさ、ホテルではないんだしこんなもんなんじゃないの?」


「わ!でも、見てください。鍵が付いてますよ!!」


「そりゃついてなきゃ困るわよ。変態が3人もいるんだから……」


「黒川さんと星君はともかく………天知さんはそんなエッチじゃないですよ?」


「…………3人目はアンタのつもりだったんだけど……」


「色々言いたいことはあるだろうが、まずは何より1階のインテリアを何とかしなくちゃあな。あれじゃ少し寂しいだろう。せっかくある程度の広さがあるんだから、各々自由にセッティングしてみたらどうかな?」


「俺は冷蔵庫がすっからかんなのも気になりますよ。食器とかはまあ、持ち寄ったのでいいですけど」


「全員がてんで自炊してねえからな。じゃあ、星畑は食材買ってきてくれよ。料理できるのお前と天知さんくらいだろ?」


「じゃ、じゃあ!私がインテリア揃えておきますね!」


「僕は契約してる駐車場を解約して、車を持ってくるから、家具は任せるよ。今置いてあるのは全部僕のだから気に入らなかったらとっかえてくれ」


そう言って星畑と共に家を出る天知。


「はい!任せてください!!」


「……………任せられるわけないでしょうが、アンタに任せたらお化け屋敷が出来上がるわよ」


(同感)


「………私も行くわよ。………言っとくけどね、『気に入らなかったら~』とかしれっと言ってたけどあのソファ、モルテーニよ? 生半可な物じゃ釣り合い取れないわよ」


「へ?………あ、あの?エミ様がついてきてくださるんですか?」


「………そうだけど、あとアンタも荷物持ちでついてきなさい」


(良かった………一瞬余りものになりそうな空気出てて怖かったぜ)


「え、えへへっへへへへ………ま、まさかエミ様と家具を探しに行ける日が来るなんて……!」


「あ、でも………この後、陽菜ちゃん来るんだろ? 家に一人にはできないだろ」


「いいじゃない別に、待たしとけば。そいつの家でもあるんでしょ?」


「で、でも……………何かあった時大変ですよ?」


「何もないわよ別に。私、5歳から鍵っ子だったわよ?」


「………………預かってるわけだからなぁ………小学校って何時に終わるんだろ?」


「6時間目までならまだ終わってないんじゃないでしょうか?3時くらいに終わってたような…」


「…………まあ、あと30分もしたらくるでしょ?どうせなら一緒に家具選んでもらいましょうや」


「………30分で来るなら…別に待ってやってもいいけど……ついでに服も見ようと思ってたのに……」


「洋服は経費じゃ落ちないからな?」


 その後、幸いなことに10分も待たずにチャイムが鳴った。扉を開けるとそこそこ大きなキャリーバックを重そうに引っ張る陽菜が立っていた。


「…………お、お邪魔します」


「お邪魔じゃないよ、ここの一員なんだから。それ重かったでしょ?入って入って」


「わ~!! ヒナちゃ~ん!!」


「わ! 凛ちゃん。久しぶり。今日からよろしくね」


 入るや否や、凛から欧米スタイルの歓迎を受ける陽菜。どっちが年下か分からないなと苦笑しながらキャリーバックを預かる黒川。意外とずっしりとした手ごたえを感じ、中には何が入っているのだろうかと面食らう黒川。陽菜にとって部屋は形だけで、家から通う程度の施設にすぎないはずだが、姫月よりも随分な用意をしてきているようである。その姫月はその場から立とうともせずに無表情で新参を眺めている。


「あ………紹介しますね!ヒナちゃん。あそこで座ってるのがエミ様……姫月エミ様です。世界一カッコイイお方です」


「そして世界一横暴だから……あんまり近づいたら駄目だよ」


「アンタ消されたいの?」


「怖っ!! 消すなんて脅し文句使うかね普通」


「………………よ、よろしく、お願いします」


「…………………ん」


 緊張した面持ちで陽菜がコンタクトをとる。素っ気なく返す姫月だが心なしか彼女も緊張しているような雰囲気を感じる。挨拶を終えても、陽菜はジッと綺麗な目で姫月を見つめる。


「……………何よ? 絶世すぎて見とれてるの?」


(中々絶世の美女をそうは区切らんだろ)


「うん。すごいキレイ」


「ありがと……………アンタも将来まあまあの顔になりそうね」


「そうかな? お母さんもおんなじこと言ってたけど………」


「お互い勝ち組ね」


(お二人とも仲良くできそうですね!)


(………………うん)


 二人の絡みを見ながら嬉しそうに黒川に耳打ちする凛。思ったより相性がいい二人なのかもしれない。髪型が同じ黒髪ロングなのも相まって超美人姉妹に見えなくもない。




                      2


 4人で電車に乗って近くのモールにまで出かける。今更場違いだとは思わない黒川だが、大中小の美少女たちと並んで中肉猫背男子が歩いているのはやはり違和感が凄いのか。時折、好奇の視線が寄せられる。


「め、滅茶苦茶見られてる気がします……………こ、これが…エミ様の力」


「…………まあ~………私が歩けばこんなもんよ」


 ドヤ顔で返す姫月。黒川も注目の視線が自分が加わった云々というよりも、単にこれが姫月のデフォルトだということが分かり、安堵する。


「お姉ちゃんは一人で歩いてるとよくナンパされるって言ってたけど……エミ様は大丈夫?」


(陽菜ちゃんもエミ様って呼ぶのか……正直その呼び名が一番視線を集める原因の気もするけど)


「私クラスになるとね……声をかけるのもおこがましいって考えるようになるのよ」


「そうなんだ。すごい」


「そうよ。マリリンモンローをナンパする男なんていないでしょ?まあ、私マリリンより美人だけど」


「じゃあ、凛ちゃんは? ナンパされる?」


「アンタ軽々持ち帰られそうね」


「陽菜ちゃんの前でそういうこと言うな」


「わ、私は……時々………で、でも………テンパってると向こうから手を引いてくださるんです」


(ヤバい奴だと思われちゃうんだろうな)


「ヤバい奴だと思われてんのよ」


「そ、それなら……もっとやばい感じにすれば………ナンパされなくなる!?」


「良いじゃない。全身に刺青ピアス包帯入れてみたら?」


「そうでしょうか!?実は……前々からタトゥーとか興味あったんです………おへそ空けてみようかな」


「私、今の凛ちゃんの方がいい」


「え! そ、そうですか? え、えへへへへへへ」


(……………ありがとう……陽菜ちゃん…………ていうか)


 やっぱり凛ちゃんもナンパとかされるんだ。と、ジェラシーに似たもやもや感を抱く黒川。何がどうしてどうなって、道端の縁もゆかりもない相手と良いことしようと思えるのか。同じ男であるものの黒川には到底理解できず、むしろ一種の嫌悪感さえ抱く。


「………頭の中、煩悩まみれの野獣まみれだな………男なんて」


「お兄ちゃんも野獣なの?」


「そいつはムッツリ野獣よ。朝起きたら下着とかなくなってないか確認しときなさい」


「しねえよ!! そんなこと!!」


「………私、朝起きたら下着取られてたことありますけどね………エミ様に……」


 やいのやいの喋っているうちに目的地のモールに到着する。平日であることを踏まえても利用者は少なく、特に家具のコーナーは閑古鳥が鳴いていた。


「今って新生活シーズンじゃないのかね?」


「大学だって……明明後日くらいには始まりますし………今から準備する人は少ないんじゃないでしょうか?」


「そういえばアンタら……大学通いながら撮影する気なの?」


「えへへへ………大学なんてサボっちですよ………」


「…………俺もほとんど出席するふりだな。コメント出せばセーフの奴狙ってやってるし」


「ちゃんと通わなくていいの?」


「大学まで行ったら全部自己責任なんだよ。どっかで採算取れる奴はさぼりゃあいいの」


「お兄ちゃんは大学いつ始まるの?」


「俺んとこ厳密にはもう始まってるんだよ。さっきも一つ適当にコメント書いて提出………あ!」


「うぇあ!? ど、どうしたんですか?」


「こっぱずかしいからでかい声出さないでよ」


「予備履修登録しかしてない………本登録忘れてた…………」


 大学には予め取りたい講義に目星をつけて予約する予備履修登録とその後、漏れて埋まらなかった穴や端から予約を行わなかった場所を埋めるための本登録がある。のだが、黒川は適当に楽な単位を予約だけして、本登録を忘れてしまっていた。慌ててスマホを確認すると、大学から猛烈な量のメールが届いている。


「ひぃ~………やべえ……4つしかねえよ。俺の前期の講義……」


「い、今ならまだ間に合うんじゃないですか?」


「追加で募集してるやつあるし………それに賭けるかぁ………いやでも大学行ってちゃんと穴埋めした方がいいかな?」


「アンタ全く採算取れてないじゃない」


「トホホ………」


「…………お兄ちゃん元気出して? ほら、向こうにカワイイ椅子があるよ」


「…………そうだね。今日はインテリアを探しに来たんだし………大学の事は帰ってから考えよ」


「ヒナの言ってた椅子ってこれ? 結構いいセンスしてるじゃない。ちゃんと緑色だし……ノーブランド臭いけど。これならまあ………」


「でも椅子これ以上いらねえだろ?」


「予備に一つくらい必要よ。あとは……そうね…面倒だからもうばらけて好きな物探しましょ」


「ええ!好きな物買っていいんですか?」


「駄目な奴は駄目って言うからね?じゃ、1時間後集合ってことで」


(何か今日のこいつ優しいな………)


 姫月の号令で各々散らばり、何かしらのインテリアを探すことになった。どうせならセンスのいいものを持って行きたいところだが、今一つ何がよくて何が悪いのか分からないため、一先ず無難に木製の棚を探すことにした黒川。適当に物色していると、トテトテと陽菜がやってくる。


「お兄ちゃん。もう決めた?」


「ん? う~……ん………いまいち決めきれないというか……全部一緒に見えるというか」


「私…………ここじゃなくて…………上のところで探したい」


「え?上にもあんの?………あ、あったな無印〇品が………うん、いいんじゃない?俺も行くよ」


 ショッピングモールから出なければ別に問題はないだろうと、陽菜に連れられ上階に上がる黒川。ところが、彼女の行き先は大手専売小売店ではなく、名前も聞いたことが無いような不思議な雰囲気の店だった。入り口にはワニだとか蛙だとかの小物がコミカルなポージングでこちらを見ている。


「あ…………何かクラシックでいい感じじゃん。俺もこういうところスキスキ」


「お母さんと一緒に来たことがあるの。ここの………クッションカバーとか小物が可愛かった」


「ほへ~………お、レコード……インテリアとしてレコード飾るタイプの店か!」


「ホントだ……………これ、カワイイ」


「ビートルズの『リボルバー』か…………高いレコードをまあ………飾るくらいなら俺にくれ」


「…………お兄ちゃんはやっぱり………歌手だから……歌が好きなの?」


「ん? あ~………いや……歌手って言っても俺の場合は素人も同然というか、ただの動画投稿者だから。しかも無名。音楽は好きだけど、あくまで趣味だよ趣味!」


「趣味……………私……まだお兄ちゃんたちの事全然知らない……」


「俺もだよ。特に姫月と天知さんは謎のベールに包まれてんな」


「…………星ちゃんは何が好きなの?やっぱりお笑い?」


「お笑いは相当好きだけど……アイツが根っからのダウンタウン信者ってことくらいしか俺も知らんぜ。あんまりお笑いの話はしないんだよ。その分、俺も星畑に音楽の話はしないしな」


「私………千鳥が好き」


「俺もアイツも好きだよ。てゆーか今の若者で嫌いな奴いないでしょ?あとは……そうだな、アイツは甘党ってのと、『食の軍師』とか『メシバナ刑事タチバナ』とかのグルメ漫画が大好きで……その名残でやたら外食が好きなんだよ」


「…………星ちゃんは外食好き……凛ちゃんは何が好きなの?」


「凛ちゃんは滅茶苦茶。何ていうか好きなものの癖も量も見方も全部が何か、変わってるって言うか、独特で………言葉にしづらいな。………あ、でも…ホラーは相当好きだよ?部屋にホラー映画のポスター飾ってるくらいだし」


「うん。いっぱい怪談知ってた。怖がりだと思ってたからちょっと意外だった」


「怖がりなのは間違いないけどね………本人はすっごい穏やかなのに、血とか骨とかが好きなんだよな。まあ………時折、過激な面が見え隠れしてるけど」


「凛ちゃんは怖いものが好きで………星ちゃんは外食好き………」


「別にそんな熱心にリサーチしなくても大丈夫だよ。これからいろいろ一緒にやっていくうちに嫌でも個性なんか目につくんだから」


「…………お兄ちゃんは……もう見つけたの?」


「何を?」


「……私の個性」


 そういってジッと目を見つめてくる陽菜。大人びた雰囲気をまとっているとはいえ、わずか9歳に本気でドキリと胸をならせてしまう。


「…………どうだろ?」


「あ……はぐらかした」


「……………お、俺なんかの話よりさ……か、家具探そうよ」


 はぐらかしに次ぐはぐらかしを決める情けない黒川。結局、黒川は無難なアンティーク品の(ような)棚を選び、陽菜はクッションと蛙の小物を選んだ。少しでも大人ぶりたい黒川は小物に関しては自腹で購入すると提案したものの、「不公平なのはよくない」と至極まっとうな返しをされてしまう。


集合時刻


「あ!……陽菜ちゃん!黒川さんも……どこに行ってたんですか?」


「陽菜ちゃんお勧めの家具屋に連れて行ってもらってたんだよ」


「ええ!……こ、このお店縛りじゃなかったんですね………」


「凛ちゃんは何買ったの? 俺は棚にしたけど」


「と、取り合えず………これを………………うふふふ……きっと皆さん取り合いですよ!」


「? おっきなバスタオル?……じゃない………テント?」


「ヒナちゃん惜しい!………………これは………ハンモックです!!」


 ババ―ンという効果音でもつきそうな程、ダイナミックに布を広げる凛。ダイナミックすぎて広げた拍子に、家具屋に絶対置いてある果物のレプリカを跳ね飛ばしてしまう。慌てて拾いに行く凛の後姿を呆れた目で見ながら黒川が言う。


「……………まぁ………確かに芸能人の部屋とかに置いてあるイメージあるけどさ」


 ところが、黒川の冷ややかな反応とは正反対に、横にいる小学生は目を輝かせる。


「何それ!? すごい!! 私も乗ってもいいの?」


「勿論です! これでテレビとかゲームとかしたらきっと楽しいですよ!!」


「わあぁ…………すごい………夢みたい」


 黒川では引き出せなかった子どもらしい反応をポンポン引き出す凛。しかし陽菜ちゃん(子ども)は良くてもお姫様は何というだろうか。と、勝手に身構えていた黒川だが、意外にも,

15分遅れてきた姫月の反応は渋くなかった。


「フーン………足元が若干安っぽいけど………まあ、いいんじゃない?どーせ私が一階にいることなんか無いんだし……………このクッションは………やっぱアンタよね。いい目してるじゃない」


「そうかな? フフフ」


「凄いですねヒナちゃん……………もう既に私よりエミ様にお褒めの言葉をいただいてるんじゃ……」


「あの~………黒川くんの棚はどうでしょうか?」


 おずおずとスマホを見せる黒川。配送してもらう為、予め撮った写真をで品定めしてもらう。


「悪かないけど………別に、普通ね」


「えへへへ……じゃあ、このハンモック買いでいいですよね? エミ様は何を?」


「私はとりあえず、自分用のソファーと、自分用のベッド………あと、ドライヤー」


「お前自分の買い物してたのかよ!!」


「ちゃんと、一階に置くインテリアも買ったわよ。はいこれ。領収書」


「…………高!一つ一つべらぼうに高ぇ!!…………お前これ、資金すっからかんになるんじゃねえか?」


「いいじゃない………一番の目的にはもう使い終わったんでしょ?」


「お前の頭には貯金という言葉が無いのか?」


「私は……ホラあれよ………え~っと……淀川の水は汚い?」


「………宵越しの銭は持たないって言いたいのか……ひょっとして」


「百万円くらいあった残金をわずか一時間で使い切るなんて………流石エミ様」


「返金してこい!返金! ベッドはもう目つぶるから!せめてソファとドライヤーは返してこい!」


「嫌よ!一度買ったものを返金なんてできるわけないでしょ?」


「お前のプライベートな買い物に予算が下りるわけないだろ?」


「エミ様……………ドライヤーは私の使っていいですよ?」


「…………………分かったわよ…………ケチ………まだ10億が余ってるの知ってるんだから……」


「それは向こう一年間の生活費にあてるって決まってんの……。まあ、姫月に家具がないのも無一文なのも知ってるし………家具買うのはいいけどさ……もう少し安いのにしてくれよ……」


「…………そもそも不公平よ……ヒナの部屋にはもうベッドもあるし、デスクだって……」


「あれは、岩下家のお古だから金銭動いてないんだよ」


「天知さんも、お母さんも好きな時に泊っていいって………こっからの方が小学校近いし……」


「あれ? 陽菜ちゃんてっきり満寿小学校だと思ってたけど……」


「ううん。私は東風小学校だよ?」


「へ~……」(あそこってアホのデパートって呼ばれてたような………大丈夫か陽菜ちゃん)


「泊まるって何よ。ホテルじゃないのよ?」


「………………私、泊まっちゃダメ?」


「あれはシェアハウスであの部屋はアンタのなんだから、勝手に入って勝手に寝ればいいじゃない」


「……………おお、良いこと言うな………姫月」


「エミ様……………なんて頼もしいお言葉…………姉御肌………」


「変なこと言わないでよ!? 私はいつまでもゲスト面してんなって言ってんの!!」


「フフ………分かった。勝手に入るし、勝手に会いに来る」


「こっちは連絡なしでいいけど………お母さんとかにはちゃんと一言言ってから来るんだよ?」


「うん」


「…………ハァ……じゃ、私はこれを返品してくるから………アンタら晩ご飯でも食べてたら?」


「い、イエ、エミ様も一緒に食べましょうよ」


「私もう食べた」


「自由人だなぁ…………ゲ!それの領収書まであるじゃん!! 野郎、寿司を!!」


「エミ様はやろうじゃないよお兄ちゃん」



                       3


 姫月に促されたから、という以前にここにいる陽菜以外が昼食をとっていなかったという事もあり、何かお腹に入れることにした3人。学校で給食を食べているはずの陽菜だが、そんな素振りを全く見せることなく、うどん出汁に浸ったエビの天ぷらを頬張っている。鴨南蛮そばを啜りながら、その豪快な食べっぷりに惚れ惚れする黒川。


「………………よく食べるね~…………給食も食べたんでしょ?」


「…………も、もう5時だから……いつも晩御飯食べるのもこのくらいの時間だし………」


「黒川さん!悪気がなくても女の子によく食べるなんて言っちゃダメですよ!」


 気まずそうにうどんを箸でクルクル回しながら、これはあくまで夕食だと弁解する陽菜。デリカシーのなさをカレーどんぶりと稲荷ずしを食べる凛に注意されてしまった黒川。その炭水化物と茶色の多さも気になるところだが、流石に触れないことにする。


「そう言えば、新しい小学校はどんな感じ? 新生活は慣れてきた?」


「……………女の子とは……仲良くできてるけど……男子が………騒がしくて苦手、怖い」


「………まあ~……その年代の男子はアホしかいないしなぁ」


「ヒナちゃんはスター性があるから大丈夫です!」


「アホ男子も内心はカワイイ転校生に浮かれてるぜ」


「………う…………そ、そんなことない…………」


「く、黒川さんは………すぐにカワイイって言うんですから……まあヒナちゃんはかわいいですけども………あんまり言いすぎると…………その………」


「今の発言はちょっと……キモかったでしょうか?」


「い、いえ! うう……そ、そういう意味じゃなかったんです……ごめんなさい……何でもないです」


「黒川お兄ちゃんはすぐにカワイイって言うの?」


「……………はい。男は全員くそったれ野獣です。馬鹿ばっかです」


「………へ、変なこと言ったのは謝りますから……拗ねないでくださいよぉ!」


 話を弾ませたり、こじれさせたりしながら食事を終え、新たな集合場所を姫月に伝えて待つ3人。しかし待てども新しい暮らしについて思いを馳せども姫月は来ない。最初は彼女の遅刻なんて今に始まった話ではないと気に留めなかった面々だが、時計の針が18時に傾き、星畑と天知から夕食に関する連絡が届いても一向に気配を見せない姫月に、徐々に心配が昂ってくる。


「返品するだけにしては時間かけすぎだろ………まさかまた妙なもん買ってんじゃねえだろうな」


「どうしましょう……星君もう晩御飯作りはじめてるって………どっちにしても私まだお腹いっぱいですけど………」


「エミ様………大丈夫かな?」


「既読もついてねえし………一回家電売り場に行ってみるか?」


 約束通り、ドライヤーを返品しているとするなら家電売り場にいるはずである。広いショッピングモールの中でもスーパーに次いで一番陣地を取っているであろう家電売り場に迎えに行く。道中、陽菜が「野獣に襲われてるかも」と深刻そうな顔でつぶやく。それを聞いて吹き出す黒川と凛。


「アハハ! 大丈夫ですよ!エミ様ならどんな野獣でも一撃でノックアウトですから!!」


「そもそもショッピングモールの家電量販店でナンパする奴なんぞいないって!」


「………そうかな? 私………病院の裏でおちんちん見せられたことあるけど」


「変質者なんて!それこそエミ様が八つ裂きですよ!!」


「こんな人まみれの場所で女にちょっかいかけようとする男なんていないいない!」


「……………………ねえ………あそこの人込みの中にいるの。エミ様?」


「いや? あれは………何か子ども向けのステージでもやってるんだろ?バルーンアートとか」


「こんな売り場の真ん中で人込み作っちゃ危ないですけどね。お店の人は迷惑じゃないんでしょうか?」


「…………なあ、凛ちゃん。近づけば近づくほど、群衆の中央に姫月がいる気がするんだけど」


「…………………ま、まさか………いくらエミ様のウルトラオーラでもここまで人を集めるなんて」


「…………やっぱりエミ様だ………? 隣の男の人………誰?」


「……………まさか誰か別の奴に買ってもらおうってんじゃねえだろうな。ていうかやっぱあれは姫月なのか………何をやっとるんだ」


「あの~…………何か今エミ様が思いっきり横の男性を殴打した気がするんですけど………」


「ハハ………幻覚でしょ………何かどよめきが起こってるけど………」


「!! え、エミ様が! つ、つ、つ、つ、う、う、腕に纏わりつかれてますよ!!」


「お、お兄ちゃん!!………エミ様が…………エミ様が襲われてるよぉ!た、食べられちゃう!」


「ちょっと………ちょっと待ってね………頭が追いついてないから………初めてねこぢる見たときみたく今、ぐるぐるだから…………頭が………グルグル映畫館………」


「うひえあ!! な、な、な、な! え、エミ様がぁ!エミ様の服が皴まみれにぃ!!」


「お兄ちゃん!変なこと言ってないで……早く助けに行かないと!!」


「………………うえ~………や、やっぱりいかなきゃダメ?滅茶苦茶怖いんだけど」


「……………わ、私も怖いよ………でも、エミ様はもっと怖いはずだよ」


「何かしきりに喚いてるな…………マジでどういう状況だよ…………」


 円を描くようにそろりそろりと人込みに近づいて改めて様子を窺っても、絡まれている女性はまぎれもなく姫月本人だった。横にいる男はピチピチの服に身を包んでいるからか、どことなく異様な雰囲気の変質者だった。見た目は別に悪くないが、奇声を上げながら姫月の腕だとか足だとかに纏わりついている。そのたびに容赦ない暴力で振り払う姫月。黒川らでなくても足を止めてしまうような目に見えての異常事態である。事実、10,11人ほどの人間は近すぎず遠すぎずの距離で2人の動向に目をやっている。


「……………ええ…………マジで喧嘩?乱闘?……してるじゃん。普通に警察案件だろこんなもん。店員は何をしとるんだ」


 止めに行こうにも事態を把握できなさ過ぎて出るに出れない黒川。何より自分もこの騒動に加わるのが嫌でしょうがない。しかしその横で見た事もない表情で震える凛が、遂に飛び出して行ってしまう。


「ヴヴヴォォォッォォォォォォォッッッ!!はなぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっぉ!!んんあなああああ!」


「ちょ!ちょっと!待ってって!頼むから落ち着いて!!凛ちゃんまで暴走しないでったら!!」


 もはや人語とも判別できない雄たけびを上げながら群衆に突撃する凛を抑える黒川。その奥では姫月が自分よりも一回りも大きな男にアイアンクローとボディブローの波状攻撃を仕掛けている。その顔は羞恥でもなければ怯えでもない、かといっていつものヒステリックな激昂でもない、氷のようなおっかない無の表情である。間違いなくまず離すべきは姫月であるが、凛にはそんな現状が見えるわけもない。そして黒川も凛を止めるに精一杯で男を守るも引きはがすもできない。何より頼りないのは群衆で「今度はこっちでもか」と言わんばかりに黒川と凛をまじまじと見つめてくる。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!ああああああああ!!」


「凛ちゃん凛ちゃん!!マジで落ち着いて!少なくともエミ様は大丈夫そうだから!!」


 大丈夫というのは、黒川の楽観的な憶測に過ぎず、実際は姫月の暴行は過剰でも何でもない防衛に近いものであった。アイアンクローに見えて、今にも自分に飛びつこうとしてくる男を必死に食い止めているのである。体格差もあるのだろうが、何より姫月の華奢な攻撃じゃ、どれだけ遠慮がなくとも通じない。男は不気味なほど執拗に姫月に向かってきている。双方、激しい動きとは裏腹に、もう声も出していない。というより力を込めているため、息も吐けない。しかし突如、男の力が弱まり、一気に姫月の押し出しが打ち勝つ。男は尻もちをつき、呻き声を上げる。小さな小さな少女が男のズボンを引っ張ったのである。


「エミ様から離れて………あんなに嫌がってるのが分からないの?」


「ヒナ!?」


「ゲ! 陽菜ちゃん……!! いつの間にあっちに………やべえ……マジでやべえ!」


「ひ、ヒナちゃん!駄目です!!逃げてぇ!!」


 流石に冷静を取り戻した凛が黒川と共に駆けつけようとするが、間に合わない。男は血走った目で陽菜に手を伸ばす。


「こ、来ないで………悪いことしちゃダメだよ………」


 男の、まさに野獣のような目に捉えられ、後ずさりする陽菜。それでも震える口で男をなだめようとするが獣に通じる言葉などない。ぬぅっと男の太い手が陽菜を掴もうとした刹那、姫月が手にしたドライヤーで男の脳天を打ち抜き、野獣は地に落ちた。



                      4



 ドライヤーの衝撃は中々のようだったが、決して失神する程のものではない。だが、男は地面に突っ伏したまま、姫月を見つめていた。遅すぎる救援にやって来た黒川と凛はそれぞれ姫月と陽菜のもとに駆け寄る。


「ごめんなさい!ヒナちゃん!!お怪我はないですか?……うう……本当にごめんなさい………」


 凛の腕に抱かれた陽菜はフルフルと首を振るものの、目には涙が浮かんでいる。そして謝りながら涙を流す凛を見て、遂に嗚咽を漏らしながら彼女の胸に顔をうずめてしまう。姫月は放心しているようないつもの仏頂面のような、神妙な顔でそれを見つめている。群衆もようやく自分たちが悪名高き野次馬に相違ないことに気づき、気まずそうに散っていく。幸いなことにスマホで撮影までしている人間はいないようである。


「黒川」


「……………………はい」


「責任とれんの?アンタ?」


「ご、ごめんなさい………」


「ヒナが怪我したら、アンタごめんじゃすまないわよ?ちゃんと見ててあげなさいよ」


「……………本当に言う通り……情けねえ………」


「ま、私なら………ヒナが出しゃばっても無視するけど……」


「何言ってんだよ?助けてたじゃん」


「…………こいつを殺したかっただけよ」


「……………まだ意識あるんだから過激なこと言うなって!! でも、マジで何があったんだよ?」


「………………………別に………」


 訳を尋ねても、苦々しい顔で男を一瞥するだけで、何も言わない姫月。ここで今更、店員が駆けつけてくる。姫月は口調を荒げて、店側を責め、まんまと商品券をせしめたかと思うと、店員側の刑事介入の話をずっぱりと断った。後はこっちで済ませるから、今更アンタらが絡む必要はない。と、言い放つだけにとどまらず、いい加減起きろと、何と男まで立ち上がらせて引っ込んでいく。訳が分からない黒川だが、意味が分からないなりに、仲介を務めるべく、黒川も姫月についていく。だが、その前に凛と陽菜のフォローをしなくてはならない。


「陽菜ちゃん…………頼りない男でごめんな………ちょっと姫月らと話してくるから、ここで凛ちゃんと待っててくれな。姫月は全然ピンピンしてるから………凛ちゃんも……あんなの冷静に対処できる人間の方が圧倒的に少数なんだから……あんま気に病んじゃダメだよ?陽菜ちゃんを観といてね」


「………はい。分かりました…………ありがとうございます………………」


 人の少ないモールの端で姫月がベンチにドカッと腰を下ろす。彼女の目線の端にはうなだれたように椅子にもたれかかるピチピチの服を着た男が映っている。そしてその間で立ち尽くす黒川。


「…………なあ、賠償金でも踏んだくるつもりかよ? 素直に警察に任せた方が………」


「………………………………」


「………………………………これ以上、金を取られてたまるか」


 黙り込む姫月の代わりに、男が口を開く。


「はあ? おい……姫月…こいつ一体誰だよ?なんか被害者面してるけど……」


「……………………………………ATM…………」


「あ!ああ~………」


「だっれが………ATMだ………」


「……………………何とな~く……だけ………話が見えた気がする」


 姫月にATM呼ばわりされ、こめかみに青筋を浮かばせる男。まず間違いなく、凛の家に止まるまで姫月が居候していた家の男だろう。てっきり金持ちのおっさんにでも寄生していると思っていたが、ピチピチ男の見てくれは単なる一般男性である。ジムで育んだであろうガタイの良さも、随分しょぼくれて見える。


「………………ATMとしての自覚がなかったわけじゃないさ………だがな!今まで散々貢がせてきた男にたったこれだけの文章で別れを切り出せると思っているのか!?」


「………え~っと………『歯ぎしりがうるさいからもう出ます。今までありがとう。服とか諸々はあげる』…………う~………ん……むごい。胸が痛くなるぜ」


「しょうがないじゃない。別に嘘はついてないし、お金のことだってホラ!お礼も言ってるじゃない」


「……………黙れ!……糞! そもそもお前らは誰だ?人様の問題に手出ししてきやがって!!」


「別に誰でもいいだろ。目の前で知り合いが襲われてたから助けようとしただけ」


「襲われてない。絡まれてたのよ」


「そっちこそ……せっかく楽しい気分だったのに水差しやがって……トラウマになったらどうしてくれんだよ」


「………………あんな小さい子に手出しするわけないだろうが!お前らが勝手に…………!」


「ホントかよ……。明らかにヤバい奴感出てたけど………」


 けっして男をフォローするつもりがあるわけではないが、確かに、先程までの尋常じゃない変質者のオーラは感じなくなっている黒川。ただしその見た目を除いて。


「……………大体、話があるってんならそう言いなさいよ!いきなり私の服着たキモ男が腕掴んできたら誰だってぶん殴るに決まってるじゃない!!」


「え! その服、サイズあってないとは思ってたけど……姫月の奴だったのかよ」


「この格好は俺なりの抗議の証だ!!そもそもこの服だって俺の金で買ったんだろうが!」


「…………うへぇ……2年前のゾロみたいなことしてんじゃん」


「で? 話ってなに? 言っとくけどお金も家も困ってないから、もうアンタの出る幕ないわよ?」


「…………さっきは興奮状態になっていたんだ………話、というよりせめて会って直接言って欲しかった。それだけなんだ」


「アンタ…………さっきからさも付き合ってたみたいな言い方してくるけど………そもそも何の関係でもなかったじゃない」


「な!?……い、言っている意味が分からない。あれだけ…………やらせておいて」


「ど、どういう出会いで同棲してたんだよ?」


「べっつに~………お酒飲んで……今日泊まるとこないって言ったらなんか、甲斐甲斐しく世話やいてくれるから……私はそれにノッてあげてただけ……」


「……………う、嘘つけ!そんなウソをつくまでに俺の事が嫌いなのか!? だってあの時………」


「何よ?」


「…………………ベロキスまで……したのに……ディープキス………」


「……………………………………………………………………」


「…………………………したの?え、姫月さん?」


「す、するわけないでしょうが!凛や陽菜じゃないんだから、別にディープキスどころかセッ〇スくらいやってきてるけどぉ!何でこんな何のとりえもなさげな男と……」


「………………お、憶えてないのか!? そ、そんなことがあるのか?ファーストキスを奪っておいて」


(ファーストキスが姫月とベロチューってすごいな)


「う、馬乗りになっておいて!」


(ファーストキスが姫月に馬乗りでベロチュ-ってすごいな)


「…………あんなに嬉しそうに笑っておいて!!」


(ファーストキスが笑顔の姫月に馬乗りでベロチューってすごいな)


「ぎゃああ!!キモいキモいキモい!! あ、アンタ幾ら妄想でも限度ってもんがあるわよ!? やっぱ冷たいパッサパッサの麦ごはんを食べてもらうしかなさそうね………」


(こいつ……刑務所のイメージが花輪和一で止まってる?………)


「嘘じゃない!嘘じゃないんだ!? 何の証拠もないが、俺の唇はあの日の感触を………」


「黙れ!!死ね!! アンタの来世はフォアグラのガチョウで決まりよ!!」


「なあ…………姫月は、その………家に初めて泊まった時の事覚えてんのか?」


「はあ? アンタまで何言ってんのよ?…………………………………………」


「無さそうだな」


「何が言いたいというんだ…………」


「姫月……………お前に自覚があんのか知らねえけど………お前、酒飲むと……その、アプローチが激しくなるきらいがあるぞ………誰彼構わず」


「………………………………………………………………………………」


「……………水飲まそうとしても、口移しが良いって言うくらいだし………………」


「口移しだと…………まさかお前まで………!」


「いや…………してねえよ!? あん時介抱してたの女子だし………」


「バカやろう!今時、恋愛に性別何ぞ関係あるか!糞、その女、泣かしてやろうか!!」


(すでに大泣きさせてんだよな………)


「………………だ、だが、俺の気持ちはあれで完璧に火がついちまったんだ。確かにあれから全くその素振りを見せなかったが……だからといってそんな理由で引き下がるわけにはいかん!」


「……………………んなこと言ったってなあ、流石に同情しにくいというか、正直様子が違うことくらい分かれというか」


「だ、黙れぃ!お前、自分が今どれだけ残酷なことを言っているかわk………」


「ええ!!」


 顔を真っ赤にして喚き散らす男にさっきまで呆然としていたはずの姫月が、頬に軽いキスをする。男はまるで乙女のようなピュアに潤んだ瞳で、姫月を見つめる。動揺しっぱなしなのは黒川も同じだったが、流石にこの事態は押し黙るしかない。


「こ、これは!まさか復縁ということべらっ!!!」


 目を輝かせる男に間髪入れず全力のビンタをキスした箇所と同じところにお見舞いする。男はベンチから転げ落ち、驚愕の表情で姫月を見る。


「いい歳こいた男がキスの一つでいつまでも女々しいこと言ってんじゃないわよ!!よ、よ、酔った弾みだか何だか知らないけど、アンタみたいなカスに舌まで入れた私が、何で詰め寄られなきゃいけないわけ!? 慰謝料と迷惑料払わせた上に、舌を抜かれても文句は言えないわよ!!本・来・は!!」


「め、滅茶苦茶だ…………」


「あの~………姫月さん。何でキスを………」


「うるさい!アンタは黙ってなさい!フツーこの場で私が不利になりそうな発言するかしら!?」


「イヤ……な、なんかイタチごっこになりそうだったから」


「ホラ!行くわよ!!」


「ま、待ってくれ!恵美子ぉ!!」


「何しれっと下の名前で呼んでんのよ!!いい?金輪際!私たちに近寄らないことね!もしまた、キモオーラ全力で近づいたら今度はツルハシ頭に叩きつけてやるから!!」


「天草財宝伝説殺人事件の犯人かお前は………」


「糞ったれぇ!! お前の衣服全部俺が死ぬまで着まわしてやるぅ!!」


「………………行っちゃった。すごい……あの、大変だったな」


「ハア…………美人は大変ね」


「うん……………お前、すごいな」


「…………大体、勝手よ………あっちが私に貢いできたくせに…………」


「……………ソファ………買うか? 何なら奢るけど…………」


「いーわよ………もう、疲れた。さっさと帰る」


「………………うん。凛ちゃんたちんとこ行こう」


 ベンチではすっかり泣き止んだ陽菜と凛がソフトクリームを食べていた。姫月が目に入ると、立ち上がって駆け寄ってくる。


「え、エミ様!大丈夫でしたか!? その…………変なことされませんでしたか?」


「ん…………さっさと帰るわよ…………」


「あの男の人はどうなったの?」


「和解…………はしてないけど………示談?で済んだと思うよ。あながち他人って間柄でもなかったっぽいし………」


「うえ!? あ、あんなモンスターとお知り合いだったんですか!?」


(ホラ、ATMだよ………)


(あ! そ、そういうことですか…………)


「エミ様、大丈夫? ケガしてない?」


「私があんな雑魚からダメージ受けるわけないでしょ?」


「そっか……良かった」


「あの…………エミ様。これからはお金に困ったら私に言ってくださいね。いくらでも貢ぎますから」


「……………アンタみたいなタイプが背中刺してくんのよ」


「そ、そんなことしませんよぉ!」


「……………金銭関係のトラブルだけは勘弁してくれよ?もう、ギャンブルも転売もこりごりだぜ」


「………アンタら、今日の事、他の男どもに言っちゃダメよ。特に天知」


「え、エミ様が言うなら………で、でもホントに警察とか呼ばなくてよかったんですか?」


「いいの!」


「エミ様……………助けてくれてありがとう……それと……無茶してごめんなさい………」


「…………………助けてないし、まあ余計なお世話なのは間違いなかったけど………」


「お兄ちゃんも………心配かけてごめんなさい」


「い、イヤ!こっちこそマジでごめんな!あんな怖い思いさせちゃって………謝んないで」


「す、すいません。わ、私が………さっき無茶しないでなんて言っちゃったから……ホ、ホント!どの口がですよね!え、えへへへへへ………」


(凛ちゃんが………意外というか………そういう事ちゃんと言えるんだな。ホントどの口がだけど)


「エミ様………ごめんね…………怒ってる?」


「……………エミでいい」


「え?」


「エミでいいわよ。………………手下ポジは凛一人で十分」


「…………………うん。……うん!分かった!エミ………エミちゃん!!」


「あう………エミ様の下僕仲間が一人減っちゃいました」


「もともと下僕って雰囲気じゃなかったじゃん…………まあ、凛ちゃんも手下って言うよりかは後輩って感じだよ?」


「そ……そうでしょうか?えへへへ……」


 凛と陽菜の顔にも明るさが戻り、和やかな雰囲気でショッピングモールを後にし、帰路に就く。すると公園の敷地内に入ったあたりで、突然、姫月がニヤニヤソワソワと笑みをこぼしながら、小刻みにステップを踏み始める。


「? どうしたの?エミちゃん」


「ンフフフ~…………ここまで来れば~いいわよね~」


 陽菜の質問に答えず、ガサゴソとクッションの入った紙袋に手を突っ込む。そう言えば、荷物持ちの自分がハンモックを持っているとはいえ、姫月が凛に押し付けず自分で手荷物を持っているなんて珍しい。


「ジャ~ン!!」


 満面の笑みで紙袋から何かを取り出す。それは何と、裸のドライヤーである。返品させたものと同じモデル。ATMを叩きのめした凶器でもある。


「ああ!? まさか………それ……どさくさに紛れて盗んだんじゃないだろうな!?」


「え、エミ様!窃盗は不味いですよ!? ま、丸坊主にされちゃいますよ!?」


(刑務所のイメージがグリーンドルフィンストリート………)


「いいのよ…………客の安全を守るどころか野次馬(ゴミ)掃除もできないんだから……それにどうせあんな強い衝撃与えたドライヤーなんてどうせ捨てられるんでしょ?可哀そうだから買い取ったのよ!慰謝料で!!」


「…………ま、それもそうか。でもお前、商品券ももらってたよな?」


「うふふふ………あれはジューサーの足しにしてやるわ!」


「エミちゃん…………天知さんに言っちゃダメなのってもしかして…………」


「うーるさいわね!言っとくけど私、一回した約束を破る奴は変態よりも嫌いだから!」


「えへへへ………転んでもただじゃ起きない……流石エミ様ですね!」


「転んでないわよ。馬鹿が私の周りでキャンキャン吠えてただけでしょ?」


「……………ホント凄いな……お前」


 呆れながらも、そういう子狡さや、あっけらかんとした態度がやけに頼もしく、輝いて見えた。しかし何より、公園の照明に照らされながらドライヤーをブンブン振り回す彼女の笑顔がただ、とにかく眩しくて仕方がなかった。

 この章は何というかメインキャラの顔合わせ会というか典型的な箸休めのつもりだったのですが、一話に一回は山場を作らねばという強迫観念によってまあまあな事件が起きてしまいました。次回こそは平和な回にしたいと思います。まあ、この章は次回で終わるつもりなんですが。

それでは、また次回お会いできることを心より楽しみにしております。

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