第59話 強襲、望月の君
或る日の事である。
普段通りに仕事をしていた所、神祇部の扉が開いた。
「お忙しいところ恐れ入ります、神祇部というのはこちらで……」
訪れたのは、小綺麗なスーツを着た男性だった。細身の壮年、その手には、紫の布に包まれた何かがある。
一見すれば、サラリーマンという感じ。髪も油かワックスかでぴったりとなで付けており、ほんのりだが香の香りまでする。
大手上場企業の上位職、というのが初対面の印象だった。
「ええ、そうですが、何か?」
アスカが立ち上がって応対する。
自分が正職員になってから、時たまこうして客人……あるいは客神が訪れるが、初手対応は大体アスカがやっている。
居ない時は、その場に居る誰かがやるが、大体はアスカの仕事だ。
「ああ、貴女がアスカさんですね。いつもアゲハがお世話になっております」
その男性は、深々と頭を下げた。
「先日は大変ご迷惑をおかけしたそうで……お詫びにお伺いした次第です」
男性が布を解くと、その中には木箱。
桐箱という奴だ、表面には焼き印で〝御用達〟などと書かれている。
「どうぞ、皆様でお召し上がり下さい」
「これはご丁寧に……みんなー! お菓子もらったよー!」
アスカが箱を掲げて皆を呼ぶ
中には何かの葉に包まれた、団子のようなものが入っていた。
箱を覗き込むと、ほんのりと甘い匂いがする。
各々が1つずつ取って、口に運ぶ。
食べてみると、これは桜餅のようなもの……でも桜の風味はない。
中には餡が詰まっており、強い甘みが感じられる。僅かに塩気が効いているのかもしれない。
葉も桜、というよりは椿のそれに見えた。
古き良き和菓子という感じだ。
餡については好き好みが別れそうな所だが、皆美味しく食べている。
お茶を淹れようとポットの方に向かった所、男性が自分の名を呼んでいるのが聞こえた。
「ところで、雨宮様というのはどちらの……」
「ああ、雨宮くんなら……あの子ですよ。雨宮くーん」
アスカに呼ばれて男性の前へ。
その人は、笑顔を浮かべながら手を差し出してきた。
「ああ、貴方が! いつもお世話になっております、どうぞ、よろしく」
差し出された手を握り返す。
思いのほか力強い、それよりアゲハの時代に握手の文化はなかったような。
それより後の時代の人か、それとも新しいもの好きなのか。
まぁ彼女の関係者なら変な人ではないだろう。
「ああいえ、こちらこそ。自分も助けてもらってばかりです」
「いえいえそんな、こちらこそ」
何処か形式的な会話。
前に働いてた頃、よくやったな。なんて考えていると、彼は申し訳なさげに。
「ところで、雨宮様……少しお話したいことがあるのですが、少しお時間よろしいですか?」
と言った。
彼女について何か話しておきたい、ということかな?
それなら断る理由はない、でも一応仕事中だ。
アスカの方を見ると、大丈夫、と頷きを返してくれた。
「では……」
彼に、外へと連れ出される。
その時はまだ、大したことは無い……そう思っていた。
―――――― ◆ ◇ ◆ ――――――
「ええと、お話とは……」
外の廊下に連れ出され、暫く歩く。
何時までも話を切り出して来ないので、どうしたものかと聞いてみると、彼は立ち止まり、振り返った。
その顔は、先ほどまでの笑みはなく。怒り、憎悪のような表情になっている。
「……貴様が、貴様があの子を傷つけたのか」
「……え、あ、はい?」
傷つけた……って言われても。
いや、思い当たることは無くはない、けど。
でもあれは彼女も納得ずくの話、あの場で最善を尽くしたことだ。
「知らぬとは言わさぬ! 異界に引き回し、異境の地でその権能を使わせ、挙げ句あの子を――」
「ええい最早許さぬ、断じて許さぬ!」
突如、彼がその手を伸ばし、胸ぐらを掴み上げてきた。
凄まじい力だ……! 足が宙に浮いて、息が、詰まる……!
「――ちょ、ちょっと、まっ……!」
じたばたと身体を動かすが、逃れられる気配はなく。
このままだと息が出来なくなる……と、思ったその刹那。
男の頭の上に、木のタライが降ってきた。
「ぐえっ!?」
「はーっ、はー……っ?」
そのタライが直撃した結果、手が離され、突き倒される形で尻餅をついてしまう。
何処から、タライが……?
「貴様、この後に及んで――ならば!」
男は、このタライがこちらが仕掛けたものだと思ったらしい。
怒りを更に滾らせて、手で何らかの印を結び、何かを唱え――
「ぐあっ!」
また、タライが降ってきた。
今度は金だらい……。何処から降ってきてるんだ……?
というより、何処かで見たぞ、こんな展開。
「――あのねえ、親バカも過ぎると毒なんですよ。とりあえずもう1発いっときましょう」
「ぎゃーっ!?」
何処かから声がして、男の上に別のタライが降る。
今度は……鉄器みたいな、大分重そうなもの。
流石にタライ3連撃には耐えられず、男は気絶したらしい。
「……アンタねえ、そんなだからあの方に煙たがられるんです。遺言すら破ってからに」
また声がして、男の首元から……人の形をした紙がひらりと出て、宙に浮いた。
その首には朱色の五芒星が書かれている。
「いやはや、この望月の君が大変ご迷惑を……雨宮幸彦殿」
……アゲハの関係者で、かつ如何にもな符、それを使役する術師。
しかもこちらの名前を知っている程……となれば、何となく想像はつく。
「ええと、貴方は……一応想像はつきますが……、はる――」
その人にはいくつかの呼び名がある。
一般的には〝せい〟から始まる音読みのもの。ただ個人的には〝はる〟あるいは〝はれ〟から始まる呼び名の方が好きだった。音が良い。
だが、その声をそれを制するように言葉を重ねてくる。
「おや、ご存じでしたか。であるならば話が早い。願わくば次に述べる名にて呼んで頂きたい」
「私は術師、阿部晴明。はる、は私の諱に当たりますゆえ」
まるで唇に指を当てられ、言葉を紡ぐことを禁じるかのような囁き。
凜とした声色に、立ちすくむ他はなく。暫くの間、辺りは静寂に包まれた。
……かと思いきや。
「――――そういうことで☆ よろたんウェーイ!」
「………………はい?」
なんというか、絶句するしかなかった。
目の前でひらりひらりと舞う符が、ひときわ違和感を醸し出している。何処でそんな言葉を覚えたんだ、この陰陽師……。
暫くウェイウェイ言った後、この陰陽師はふと何かに気づいたように言った。
「あ、もしかしてこれ、当世風ではない?」
「いやまあ、現代風と言えばそうなんですけど……違和感がすごくて」
「じゃあ普通に話しますね。こっちの方が楽なんで」
現代風を気取ったのか、これ……。
緊張させないように、みたいな気遣いなのかも知れないが少しズレてるというか。
というか、なんで来たんだろう。この人……というか、この紙。
「あの……何かご用ですか? この人の護衛かなんかで?」
「いえいえ、天文部に身を置くものとして、一度お会いしておきたくて。このバカが暴走し始めたので、これは丁度良いとくっ付いてきました」
「……ああ、つまり僕をコロシかけてくれた人。破っていいですか? これ」
なるほど。
天文部の関係者なら多少の意趣返しはしても良いはず。
この形紙を破るくらいなら、部長やアスカも怒りはしないだろう。
両手で形紙の両手をつまむように持ち左右に力を入れてみたが、するりと逃げられてしまった。
「それを言われると痛いですね。そしていくら符札とはいえ、破られると物理的に痛いので何卒やめていただいて……」
「念のため弁明しておくと、天文部も貴方が死ぬとは見てなかったというか……何かしら上手いことやってくれるだろうって見てただけですので、どうぞ悪しからずご容赦下さい」
「――――ただ私は、貴方なら大丈夫であろうと見立てていましたよ」
ご容赦下さい、って言われてもなあ……。
こっちは約1ヶ月の入院生活、加えて後遺症付きの身になったっていうのに。
これが、日本の陰陽師筆頭……。日本における術師の中の術師だとは……。
まあそれはいい。自分の事はまあ、とりあえずは良い。
だが上司であるアゲハに説明する義務はあるはずだ。
「それ、アゲハにちゃんと言いました?」
「まっさかー、事此処に至って言えるわけないじゃないですか」
「ですよねー」
コイツ……。やっぱり説明していなかった。
そりゃそうだ。きっとアゲハは怒るだろう。烈火の如く怒るはずだ。
自分のことはさておき、上司であるアゲハ本人が入院するような結果になったのだから、どの面下げて謝りに行くんだ、という話。
まぁ、この陰陽師なら気にしそうにない気がするが……。
そんなことを考えて苦笑する。
すると、形紙が急に顔面近くまで迫り、お辞儀をするようにぺらりと曲がった。
「――まあ、今後ともあの方をよろしくお願いします。貴方にはその責がある」
「責?」
責、と言った。つまり責任がある、と。
どういう意味か考えていると、形紙はひらひらと舞うように。
「〝――みさごゐる磯廻に生ふる名乗藻の、名は告らしてよ親は知るとも――〟」
と、和歌を詠んだ。
「万葉集、巻の三……三六二歌、つまりはそういうことなんですよ。頑張って下さい」
「いまいち意味がわかんないんですが……」
「ワハハハハ」
万葉集は分かる。
確か、現存するものでは一番古い歌集だ。万葉、の名の通り数千以上の和歌がまとめられている。
流石にその歌の意味までは分からないが、この陰陽師は気兼ねする気もなさそうに笑い出した。
「ということで、このバカは連れて帰りますので後はよろしくお願いします」
「貴方には覡の才がお有りのようだ、何れ人の身でお会い出来る時もあるでしょう」
形紙がひらりと男の上に舞い降りると、その身体が宙に浮き上がる。
流石稀代の陰陽師、なんでもありだ。
やっぱり今度、1発くらい殴ってもいいんじゃないか?
「その時は1発くらいぶん殴らせて下さいね」
「お断りします。今月の標語〝お年寄りは大切にしましょう〟!」
そういって、形紙は男を連れて、ふよふよと逗留街への扉へと向かい、去って行った。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
「ねえアゲハ」
後日、遊びに来たアゲハに声を掛ける。
彼女はいつも通り、部長を撫で回していた。
「なんじゃ?」
「この間、晴明さんと会ったんだけどさ」
「おお、会ったかあのロクデナシと」
「ロクデナシって……まあ、それはいいんだけど」
日本の最上級陰陽師をロクデナシと言うか。
まあ……うん、ロクデナシの気配は感じるんだけど。変人のジャンルにすら入りそうだ。
あの手のキャラって大体良くないことをやるというか。前回は殺されかけた訳だし、まあロクデナシに違いない。
ってそれはどうでも良くて、彼女には聞きたいことがあった。
「……もしかして、こっちに織田信長とか居たりする?」
「信長……ノブナガ…………ああ、ノブノブか? うん、居るぞ」
「居るんだ……」
彼女の返答は、さも当たり前のようだった。
織田信長と言えば、超有名な武将の筆頭格。漫画でも小説でもゲームでも、戦国を取り扱うと大体出てくる。売り言葉に買い言葉で〝第六天魔王〟なんて名乗った、って記録が残った結果、後世では魔王扱い、ラスボス扱いされがちな武将だ。
多分居るだろうな、とは思ったけどやっぱり居るのか。
「うん、茶会やったりしとるな。たまーに会うぞ、会いたいのか?」
「会ってはみたいけど。それより結構僕らが知ってる人も居たりするのかな、って」
英傑や英雄と呼ばれるような類いではないにせよ、自分から見れば彼女も歴史上の偉人だ。
先のロクデナシ陰陽師も、アゲハの義父も、それぞれ偉人として名を遺した人、のはず。
そう言うタイプの神って、割とこっちに逗留してるんだろうか、と思っていた。
「ああ、わらわ含めて、人の世に生まれて世に名を遺したものは割と居るぞ」
「そういう者は社のあるなしを問わず神、英霊となる事が多いようじゃからのう。人界にて名を遺すとなれば、それなりの信仰も因果も集めるということじゃ」
「故にそれらは、神となる前の性格とかが基本になっておる。なっては居るが、割と変わってしまうことも多いようでの。まーノブノブは大分丸くなった方じゃな」
「じゃから会うたら、わらわと同じように接するが良いぞ。その辺お主ならわかっとるじゃろ?」
「まあ、多分……」
神々との接し方、は何となく心得ているつもりだ。
敬うべきは敬う、他人に接するように丁寧に接する、それでいいと思っている。
彼女もきっとそれを分かって、言ってくれたんだろう。
「それと晴明さんが……みさごいる、磯? ……とかなんとか言ってたんだけど、和歌は詳しくなくて。意味分かる?」
そういえば、あの時。
万葉集のなんとやら、という歌を、あの陰陽師が持ち出していたのを思い出した。流石にあの一度では覚えきれなかったし、何巻の何番かなんて記憶に残っていない。
でも、もしかしたら彼女なら意味が分かるかも知れない。そう思って聞いてみたら、彼女は何やら苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「……あの狒々爺め、すぐそう言うことを……」
一言苦々しげに呟くと、気を取り直したか、大きく息を吐いてから。
「あのな、万葉集は何巻あると思うておるのじゃ、流石にわらわも一首一首覚えておらん」
と言った。
それは確かにそうだ。何千首もある中の一首を特定できるはずもない。
いくらなんでも無理なことを聞いたな、と思い部長を撫でる彼女の頭を撫でる。
「そっか、ありがとう。今度調べてみるよ」
「調べんで良い、ロクデナシの言うことなど気にするな。……彼奴の言に乗せられると痛い目を見るぞ」
「まあ、気にはなるけど、調べなくてもいいって言うなら……」
相手は陰陽師、式神から言霊までなんでも使う稀代の術師だ。その一言にすら、何らかの力が籠もっててもおかしくはない。
藪をつついて蛇……いや、狐を呼ぶ必要は無いはずだ。
「それで良い。さて……わらわはちょっと仕置きがある。また来るぞ」
不意に、彼女は一言いうと、部長をデスクにほっぽり出して出て行ってしまった。
何やら、毛を逆立てて怒ってるような。その後ろ姿から、妙に圧が感じられる。
……ふと、あの陰陽師が、酷い目にあいそうな気がした。
◆椿の和菓子
椿餅と言います。
アゲハ達の時代における一般的なお菓子でした。製法は今に伝わっているものによれば、道明寺粉に甘葛の汁を加えて団子にし、椿の葉で包んだものです。
当時のお菓子は、今のように間食で食べるようなものではなく蹴鞠などの宴の席にて饗されるものだったようです。いわゆる生ハムメロン的ポジション。
◆英霊
人から生まれた神、あるいは神に叙される程の存在になった者をそう呼ぶ場合があります。英雄や英傑から生まれたもの、ということで英霊。
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