第58話 神の食物を人の口に
第3世界から戻った翌日の日曜日。
寮に押し込んでおいた二つのカカオと、買っておくように言われていた第3世界の砂糖、らしきものを台車で終末部に運び込んだ。
帰ってきた後に予定を聞きに行ったら、明日あの蛇の神を呼び出してくれる、と言っていたので、お邪魔させて貰うことになっている。
「お、雨宮さーん。お疲れさんでーす」
出迎えてくれたのは、終末部骸骨3人衆の一人である〝フランク〟だ。
3人の中で一番背が高く、普段は神殿の前で面接する魂の整理などをしている。
「でっけ! マジでっけぇ……良く捕ってこれたっすねー」
「……死ぬかと思いましたよ」
運び込んだカカオを見たフランクは目を丸くした。
そりゃそうなるよね、実際デカいし。
想起された、魔界カカオとの戦い。目の前に迫る、大物カカオの実。
あの時の恐怖は、出来ればあまり思い出したくは無い……。
「でもハリマさんが手伝ってくれたんじゃないっすか?」
「まあそうなんですけど……あの人ひとりで大丈夫だったんじゃないかな、って思ってます」
最後の最後助けてもらったとはいえ……、少しだけ思う所があった。
実際、最初からカカオ戦の手伝いをお願いしていれば、あんな危険な目には合わなかったかもしれない。命の危機を感じるような場面に合わなかったかもしれない。
だから、ちょっと……もやっとしている。魔族って、こういう人達なのかな、って。
「でも多分それ、雨宮さんが自分でやる必要があったんすよ」
フランクはひとしきりカカオを眺め回し、スマホでカカオと自撮りした後に、さも当たり前かのように言った。
「だって雨宮さん、現地の人間の子と仲良くなったんすよね? 〝人間〟としての面子、立ててくれたんじゃないすか?」
「…………」
「あの世界見に行った人は、だいたい今の雨宮さんみたいなしシブーい顔するんすよねー、まぁあれはしゃーないっす」
確かに、そうだ。
あの場には、ルーが居た。あの子の為に、人間でもある程度はやれる、という〝人間としての面子〟を立ててくれた、と考えれば筋は通る。
そう言う意図があったなら、ちゃんと説明してくれればいいのに……。
「でも魔族の人って、そーやって裏で気を回すのが得意なんすよ。自分からは殆どぶっちゃけねぇんすけど」
「だから、魔族ってだけで引っ張られちゃダメっすよ。ハリマさん、俺らにもちょいちょい奢ってくれる良い人っすから」
「良い人なのは、雨宮さんの方が知ってるっしょ?」
あの世界で見たモノに、引っ張られてしまっていた所はある。
そういう色眼鏡で見ちゃいけない、って思ってた筈なのに、いつの間にか魔族、って色眼鏡でハリマさんを見ていたのかもしれない。
フランクの言葉で、あの時から心の中に掛かっていた黒いモヤが、すっと晴れていくような気がした。
「さ、ターちゃん様のとこまで運んじゃいましょ。手伝うんで、これで作ったモン、俺らにも食わせて下さいねー!」
―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――
「ユキちゃん、よく頑張ったわね~♪ こんな大物久しぶりに見たわ!」
「いやぁほんと、お見事! これ落とすの大変だったでしょう」
タナさんの部屋に入ると、いつも通りのタナさんと……あの蛇ではなく、筋骨隆々とした男性が居た。
色白で、首には金の飾りを着け、腰蓑を巻いた上半身半裸の男性。
あれ、予定……間違えたかな?
「……あ、すみません。出直します」
「ちょっとちょっと! 私ですよ。この間ショコラトルを飲んだ仲でしょう、もー」
引き返そうとすると、その半裸男性に引き留められた。
……もしかして、これがあの蛇の神? この半裸のムキムキマッチョマンが?
「すいません、前回お会いしたときとは……印象が違って」
「構いません構いません。いやぁしかし本当に大物ですねぇ、これは腕が鳴る!」
文字通り、バキバキと指を鳴らしながら大物カカオに近づく蛇の神。
両手で、二つの実を大きく割り開き、中の白い綿のような果肉からカカオの豆を取り出している。
「うん、良い豆だ。……えーと、確か今回は……お菓子にするんでしたよね?」
「そうです、製菓用……というか、後で自分で別の形に作り直す予定で」
「ふんふんなるほど。それじゃ色々抑え気味にしときますかね」
「……お願いします」
2日前……ショコラトルを飲まされた日は、割と大変だった。
顔は何時までも赤いし、身体は熱いし。ドーンの訓練断ったのに、夜もなかなか眠れなくて……。
原因が、ショコラトルにあったことは言うまでも無く、あれと同じような効果が、他の人に現れては困る。
「本来は選別、発酵、分離、焙煎……などと色々な手順を踏むので時間がかかりますが、今回は私の方で一気に作っちゃいましょう」
蛇の神はそう言うと、カカオを前に両手を広げて。
「〝神の食物よ、其は人の口に能うものとなれ〟」
と、豆に何かを命令するように唱えた。
途端に、二つの実からカカオ豆が飛び出し、両手の間に集まったかと思えば、横に積んであった砂糖も巻き込んで、一気に濃縮されていく。
最後にその手の間には、1枚の大きな板チョコ……大きなレンガブロックのような塊と、それを包む少し茶色い紙が残った。
「はいどうぞ、良ければ味見してください」
差し出されたチョコを受け取って、勧められるままに軽く端っこを削り、口へと運ぶ。
「……では、……あっ、美味しい……!」
口にいれた途端に広がる強いカカオの香り。
味はミルクが入っていないせいか、ビターでしっかりと苦いものの、砂糖の力か甘みも強い。舌触りも市販のチョコレートより、断然なめらかで、とろりと溶けて消えていった。
あぁ……幸せな気持ちで、心が満たされていく……。
「ふふん、そうでしょうそうでしょう!」
「……ユキちゃん、アタシもちょっと貰って良い?」
「ええ、どうぞ! ……こんな美味しいチョコ、初めて食べました」
物欲しそうにチョコを見ていたタナさんにも、味見して貰う為にチョコを差し出す。
これは一人で食べるのはもったいない。
「……あらやだ本当に美味しいわ。良かったわね、ユキちゃん」
「ええ、ありがとうございます……! でもこれ、……僕の腕では、これ以上美味しく作れる気がしないです」
市販の製菓チョコなら、手間を掛けて、元より美味しく作れる自信はあった。
でも、これは……ほぼ完成しているチョコだ。
手を加えた所で、これ以上は望めないと思う。
「大丈夫。そういうのはね、気持ちでカバーするものよ♪」
指先についたチョコを舐めながら、タナさんは笑って言った。
……気持ち、気持ちで何処までカバー出来るか。
久しぶりの本格的なチョコレート作り、何処までやれるか、やってみよう。
―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――
それから一週間後の日曜日。
明日は2月14日、バレンタインだ。
「さてと……」
買い出しを済ませて、テーブルに買ってきたものを並べる。
模様の入った小袋、金のラッピングタイ、飾りのシール……、それとアイス用の紙カップに竹串。
後は生クリーム。まぶす用の粉糖・ココアパウダー・ミックススプレーも買ってある。
チョコレートは、第3世界のカカオから作った特製品。これを加工し直し、バレンタイン用のチョコを作る。
これから作るのは、簡単なトリュフチョコレート。
同僚達や、馴染みのある人々にプレゼントするつもりだ。
……もしかしたら、ちょっと味が落ちるかも知れないけど。
でも、タナさんも言っていた。こういうのは気持ちだ、と。
「えーと……チョコよし、生クリームよし……」
スマホでレシピを再確認。
必要なものは、全て買ってあることを確認、レシピにはお好みで洋酒、とあったが、万人受けを目指すなら不要、と考え、買うのは止めた。
鍋や包丁、その他諸々必要な調理器具や、温度計を準備して、チョコ製作に取りかかる。
「まずはチョコを刻んで……」
チョコを、だいたい1cm幅程度に刻む。
そのうち1/3程度をボウルに入れ、後のコーティング用に分けておく。
「生クリームを火に掛けて……」
鍋に生クリームを注ぎ入れる。このチョコは少し油分が多いらしいので、多少少なめに。
弱火でゆっくりと温め、ふつふつと小さな泡が立ち始めた頃で、火を止める。
先に少しだけ湯につけて温めて置いたボウルに生クリームを注ぎ入れ、そこに刻んだチョコを投入。泡立て器でゆっくりと混ぜていく。
「うーん、もしかしたら……クルミあたり混ぜても良かったかも……」
生クリームにチョコが溶けてきたら、ボウルを氷水に浸して、とろりとするまでよく混ぜる。
程よく角が立つ程度まで固まってきたら、ラップに10g……大体小さじで2杯程度ずつ取り分けていく。
分け終わったら、冷蔵庫に入れて少し冷やし。時々様子を見て、固まり掛けた頃合いでラップごと形を整えるように丸め、もう一度冷蔵庫で固まるのを待つ。
これが、ガナッシュ。
チョコレートと生クリームを混ぜたもの。トリュフチョコレートの核になるものだ。
「んで、この間に……コーティング用のを溶かす、と」
ガラスボウルにお湯を張り、温度計でだいたい50℃程度になるまで水を加えて調整。
お湯が50℃になったら、その上にステンレスボウルを重ねてコーティング用に取り分けたチョコを入れ、湯煎しながらゴムべらでゆっくりと溶かしていく。
こっちはチョコレートの温度をしっかり計っておかないといけないので、チョコレートにも別の温度計を差しておく。
「割とめんどくさいな、これ……」
チョコが溶けたら、今度は別のボウルに水を張り、その上に溶かしたチョコレートのボウルを乗せて、丁寧にゴムべらで混ぜ、冷やす。大体27℃程度まで下げれば良かったはずだ。
これが、世に言うテンパリングという工程。
温度が高すぎれば艶を失い、温度が下がるとやり直し。温度が命、と言っても良く、久しぶりにやってみたものの、やっぱりめんどくさい。
でも、この一手間がチョコレートの善し悪しを決める、とも言われているから、手は抜けない。
下がった頃合いを見計らって、冷蔵庫の中のガナッシュが固まっている事を確認。
……よし、ちゃんと固まっている。
「網と……うん、揚げ鍋でいっか」
コーティング用チョコレートを、一回湯煎して少しだけ温度をあげる。
温度が30℃程度で保たれているか確認しつつ、丸めたガナッシュに竹串を刺し。
スプーンでコーティングをガナッシュに掛けていく。
程よく掛かったら、網を張った揚げ鍋に立てかけて。あとは固まるのを待つだけだ。
彩り、ということで1/4程度は、固まる前にミックススプレーを散らしておき、また別に1/4程度は竹串から外して、網の上で転がしトゲを作る。
この二つは、固まればそれで完成。
「よし、後は……粉糖とココアパウダーを散らして」
残る1/2が固まったのを確認したら、粉糖とココアパウダーをそれぞれ茶こしでまぶしておく。
これで、4種類のトリュフチョコの完成だ。
「チョコ作りだけで、割と手間、掛かったな……」
出来上がったのはいいが、此処からは包装作業。
アイス用カップに4種類のトリュフチョコを入れて、包装袋にいれ、ラッピングタイで袋を閉じ、その結び目にシールを貼って。
とりあえず、20セットほど作ったけど、……結構疲れた。
多少余るだろうけど、置いておけば誰かしら食べるはず。
作り始めた頃は、まだ昼過ぎだったのに窓の外はそろそろ夕暮れに差し掛かろうか、という頃合い。
意外に時間、掛かったんだな……。
さて、後はこの使った器具達を洗い、片付け開始。
チョコレートを使った調理は、後片付けが結構しんどい。でも放っておけば、後々また面倒くさくなる。
冷えて固まったチョコは極力外して自分のおやつに。こびりついた分はお湯などで温めながら洗い落とす。
「……にしても、結構余ったなぁ……チョコレート」
片付けながら、第3世界のチョコレートの余りを見る。
思いのほか、量があまった。元々あった分の、半分近くがまだ残っている。
こんなに美味しいものだし、自分だけで食べるのはもったいない……今度何かに使えるかな。
片付けを終えて、紙袋に包装したチョコレートを詰め込んで。
これを明日、持って行って皆に配ってみよう。
完成品をひとつ味見してみたがけど、良く出来た方だと思う。味の方は元より保証済み。
形はちょっと、いびつだけど。
……でも、部長は食べれるのかな。
猫にチョコって、NGじゃなかったっけ?
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
「おはようございます」
「あ、おはよー」
当日は少し早く出社した。
出来れば誰も居ないうちに……と思ったけれど、やっぱりアスカは先に来ている。
「どしたの? また早起き?」
「いえ、今日は……こっちの世界ではバレンタインなので」
自分のデスクに紙袋を置きながら、彼女に笑顔を向ける。
「バレンタイン? ……なんだっけ、聞いたことある気がするんだけど……」
「好きな人や、友人にチョコレートを贈る日なんですよ。なので、はい」
紙袋から、昨日作ったトリュフチョコの包みを取り出し、アスカに差し出す。
それを受け取った彼女は、少し驚いたような顔をした。
「……これ、私に?」
「良ければ食べてみて下さい、口に合えばいいんですけど」
ラッピングタイを解いて、ひとつつまみ上げ口へと運ぶ彼女。
どうだろう、ちゃんと口に合えばいいんだけど……。
「……あっ、美味しい! すごい美味しいよ! これ、雨宮くんが作ったの?」
「チョコ自体は第3世界の神様に作ってもらって、自分は形を作り直しただけで……口に合えば良かったです」
彼女はすぐに笑顔を浮かべてくれた。
本当に嬉しそうな顔で、こっちまで笑顔になる。
「ううん、こんな美味しいの初めてだよ! ありがとう」
「いえ、いつもお世話になってますし」
「ところで……」
「お、今日は早いな。おはよう!」
アスカが何かを言いかけた時、扉が開いた。
現れたのはドーンだ、彼も割と早めに出勤するタイプで、大体15分前くらいには来ている。
「あ、ドーンさん。おはようございます。はい。チョコレートどうぞ」
ドーンにも、チョコレートを渡す。
一応、女性にはハートのシール、男性には星のシールと分けてある。
受け取ってくれたドーンは、アスカよりも驚いたような顔をした。
「おお、ありがとう! 今日は何か特別な日なのかい?」
「こっちの世界ではバレンタイン、っていって……」
やっぱり、他の世界にはバレンタインって文化はないらしい。
笑顔でドーンにもバレンタインの説明をして。一口食べて貰うと、彼もまた美味しいと喜んでくれた。
その後やってきた他の同僚達、それと創造部の2人や、終末部のタナさん達、手伝ってくれた蛇の神にもお裾分け。
アゲハもいつも通り遊びに来たので、彼女にもちゃんと渡して。……余ったのを2つほど持って帰っていったが。
――――皆、本当に喜んでくれた
結構手間は掛かるんだけど、……これだけ喜んでくれるなら、また何か作って持ってこよう。
そうだ、今度は……ルーにも食べさせてあげよう。
来年のバレンタインには、ルーの分も作って持って行ってみよう。
世界には美味しいものがたくさんある。美味しいものは、人を幸せにする。
……今度は、何を作ろうか?
◆神の食物
神話にはわりとちょいちょい出てくる、神々が食べたり飲んだりするものを「神の食物」ということがあります。
有名どころではアンブロシア(アムブロシア)やネクタル、テオ・ブロマ等があり、それをそのまま人の身で食べると大概ロクなことになりません。黄泉戸喫(黄泉竈食)の例よろしく、人の身を超えた何がしかになり果てるので良くないわけです。神々ですら、食べ物により制限を受けることがありますし。
ただ、神が「人に下げ渡す意図」を持って人に下げ渡す(撤下神饌)ことがあり、その場合には人が食べられるものになります。神々との縁ポイント+1。




