第55話 バレンタインデー計画
「そういえば、アスカさんに何作るか決めたんすか?」
終末部への書類引き継ぎに来た時、骸骨3人衆の一人であるエリントンが声を掛けてきた。
……そういえば、鍋をごちそうした時にそんな話をしたっけ。
一応、計画はしてあった。
丁度よく今月は2月、バレンタインデーのある月。
由来は様々、諸説あるが……世間一般では、チョコレートを贈る日とされている。
かつては女性が、好意を抱く男性に対してチョコレートあるいはそれに類する菓子を贈る日だったが、現代においてはその辺は大分緩く、友人であったり、同性同士であったりで贈り合っている。
なお学生男子にとっては、自分の人気であったりモテ度のバロメーターを示す一大イベントだ。
今ではどうかは知らないが、授業が終わった後にロッカーや下駄箱を少しドキドキしながら覗くのが、バレンタイン男子の振る舞い。
モテる男子は大量に貰うが、モテない男子は義理チョコ1つ。下手すれば親に買って貰ったものひとつだけ、なんて割とある話だ。
持ちうる者は多くを得て、持たざる者は何も得ない。
これ即ち、格差社会の縮図である。
……まあ、学生時代は2~3個貰えていたけど。大袋入りの奴。
ちなみに社会人になると〝お返し〟を前提としたプレゼントが横行する。
ホワイトデーは3倍~5倍返しが相場だからだ。
――まあ、それはさておき。
「こっちの世界にはバレンタインって風習があるんで、それにかこつけて何か作ろうかな、って思ってます」
「バレンタイン?」
ああ、そうか。
管理局に居る人は異世界の人ばかりだし、バレンタインって風習はなかなか知らないだろう。
意思疎通における壁が無いからこそ忘れがちだが、こういう固有名詞は説明しづらい。
「えーっと……そうそう、チョコレートをプレゼントする風習なんですよ。チョコレートは知ってます、よね?」
「お菓子っすよね? 茶色かったり白かったりするやつ。ココアだかって実から作るんでしたっけ?」
惜しい……! それはカカオから作れる製品だ。
カカオ豆を発酵・焙煎した後に豆の部分をすりつぶして出来た〝カカオマス〟から〝ココアバター〟という油脂分を取り除いた部分をのことを〝ココアケーキ〟と言う。
ココアケーキを粉砕したのが〝ココアパウダー〟で、それに砂糖や牛乳を入れて飲みやすくしたのが、良く飲まれる〝ココア〟だ。
……と、前にお菓子作りの本で読んだ覚えがある。
「……まあ、似たような名前の豆から作る奴です。こっちの世界には既にチョコレートとして出来上がった製菓用チョコって言うのがあるので、それで作ろうかなと」
「あれ、豆から作らないんすか?」
意外そうな顔をしているエリントン。……そんな顔されてもなあ。
流石に豆からどうやってチョコレートを作るか、なんて知らないし。
「いや、やったことないですし、こっちの世界だとカカオ豆ってなかなか売って無くて」
「そうなんすか? ならどっか別の世界から取ってきたらいいじゃないすか。きっとどっかに生えてますよ」
「何言ってるんですか」
ほんと、何を言ってるんだ。
製菓用のチョコなら扱いやすいが、カカオ豆から作ろうと考えたらどれくらいの手間が掛かるか検討も付かない。味の保証も出来ない。
それに他の世界って言われても、そこにカカオ豆があるかどうかなんて……。
若干呆れ気味に言葉を返すと、エリントンは何か思い出したように神殿の奥へと目線を向けた。
「そういえば、今日ターちゃん様の所に来てる神様、チョコレートに馴染み深い神様だって聞いたことがありますよ? 教わってみたらいいんじゃないすか?」
チョコレートに馴染み深い神様?
確かにそりゃ居るとは思うけど……。パティシエの神が居たっておかしくはない。
「なんでそんな神様が此処に」
それでも、何で〝此処〟に居るのか、という疑問は拭えない。
終末部はあの世関連の部署。わざわざ逗留している神々が来る理由は、あんまりない気がするんだけど……。
「ちょいちょい来てるんすよね。確か第3世界の神様だったかなー」
「…………何で?」
「さぁ? とりあえずほら、何事も善は急げって言うでしょ?」
「ちょ、ちょっとまっ……!」
背中を押され、タナさんの部屋の前まで押し込まれてしまった。
扉の向こうからは、楽しそうな談笑が聞こえて来る。
「……あの、流石に今入るのは――――」
「扉の外で騒がないの。入るなら早くお入んなさいな」
抵抗しようと振り返った時、扉の向こうから声が聞こえてきた。
もう、逃げ道は無い……。
―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――
「あらユキちゃん、どうしたの? もしかしてデートのお誘い?」
ノックして部屋に入ると、ソファに座りお茶を飲んでいたタナさんが笑い出す。
向かいには、鮮やかな色を称えた鱗とを持つ大蛇がとぐろを巻いていた。
異様なのは、首回りがふわふわした毛で覆われている事。
鳥の羽のような、細やかなそれをマフラーのように纏っている。
「いえあの、すみませんお話中の所……チョコレートに縁のある神様が居るって聞いて」
「ああ、それならこのコよ。丁度いい時に来たわねー」
タナさんが指し示したのは、ソファに鎮座する蛇。
こちらに目線を向けながら、鎌首をもたげた蛇の神は、流暢にしゃべり出した。
「どうも、ショコラトルについて何か?」
「ああ、えっと……何処か良いカカオ豆が――」
「カカオ! カカオがお好き、結構結構!」
お辞儀しながら、話題を切り出そうとすると。
するりと足首から腹回りまで、纏わりつくように蛇の神が昇ってきた。
その頭の上には、いつの間にか茶色の泡を称えた木のカップが乗せられている。
「さあさどうぞ、ぐっと一杯、本場のショコラトルです」
「では、遠慮無く……」
カップを手に取り、匂いを嗅いでみる。その香りは、香ばしいココアの香りにも似ているが、それ以外にもバニラのような香りや、香辛料のようなスパイシーさがある。
率直に言って、美味しそう……ではない。
……飲めるのかな、これ。
でも、せっかくのご厚意を断るのもちょっと……。
せめて一口だけ、と口を付けてみると……。
「――――!?!?」
苦い! 辛い!?
苦みと辛みが凄まじい! その上、後からねっとりとした香ばしい甘みがやってくる!
なんだこの味!?
しかもいつの間にか、蛇の身体が腕に絡みつき、カップを下げさせてくれない。
全部飲め、とばかりに腕を無理矢理押し上げて来る。
結局……無理矢理、全部飲まされる羽目になった……。
「良い味でしょう? んあぁ、仰らずとも。これこそ本場のショコラトル! と絶賛の気持ちで一杯なのは分かりますから」
全て飲み終わると、口の中はまるで噴火したかの如き有様に。
煤のようなジャリジャリとした苦みと、烈火のように跳ね回る辛さ。
スパイスの力なのか、それともカカオの力なのか。
身体中からは汗が噴き出し、胸で打たれる鼓動は速度を増していく。
「……けっこうな……おてまえ、で……」
…………まずい。
非常に不味い。極めて不味い。
口の中に残るカカオの苦みと、唐辛子らしきスパイスの辛さが未だに口の中で暴れている。
出来れば早く、口を濯ぎたい。
「大体皆さんそんな顔でお飲みになられて、大いに喜ばれるんですよ」
絶対喜んでないよこんなの……。凄まじい程不味いのに……。
飲める事が特権だったんじゃないの…………?
「ほらほら、とっとと離れなさいよォ。アタシ妬いちゃうわよ」
タナさんがそういうと、蛇の神はするりと離れていった。
もうちょっと早く……これ全部飲まされる前に、助けて欲しかったんだけど……。
「それでユキちゃん、何でカカオ豆が欲しいの?」
ソファを勧められ、とぐろを巻く蛇神の隣に腰を下ろす。
ありがたい事に紅茶を出して貰えたので、口の中の苦みは洗い流す事が出来た。
……辛みは、まだちょっと残ってる。
「カカオ豆からチョコレートを作ってみようと思って……」
「あぁ、それは良い心がけですねえ。今どき、なかなか豆からって人は居ないですから」
蛇神は満足そうに尻尾を震わせた。
「第3世界の豆が一番良いですよ、効果も抜群、栄養価もそこらの豆じゃ敵いません」
「カカオは第3世界が発祥の地、第7世界や第9世界じゃありません、私がもたらした唯一無二の特別な存在。なのでやっぱり本場モノの豆を使うのが一番です」
「まあまあ手間は掛かるでしょうが、豆を捕ってきたら手伝ってあげますよ」
うーん……。第3世界か。
確か、ハリマさんが第3世界の出身だって、リードが言っていたっけ。
どんな世界かはまだ知らないけど、何れ行く事もあるだろうし、先にちょっと行ってみても、良いかもしれない。
「ユキちゃん、もし本気で捕りに行くなら一人で行っちゃダメよ」
明日は週末の休みだし行ってみようかな、なんて考えていた所を、タナさんに制止された。
「明日行こうかな、って思ったんですけど……」
「初めて行く世界なんだから、ちゃんと誰か連れて行きなさい。迷ったら大変よ?」
確かに、行ったことのない世界な訳だし、誰かが付いてきてくれたら安心してカカオ豆探しが出来る。
現地で買うにしても、取引の作法が分かってる人が居た方が良いだろう。
「じゃあ、戻ったら相談してみます」
そう言うと、タナさんはにっこりと微笑みを返してくれた。
「良いコね♪ ……それはいいんだけど、ユキちゃん」
「はい?」
「帰りに、トイレで顔洗っておいた方が良いわ。すごいことになってるから」
「?」
汗が、今でも垂れてきているのは感じるけれど……。
言われるほど、すごい事になっているとは思わなかった。
「いやー、鳥が卵をわざわざ運んでくれたようなアレですなあ」
「アンタ余計なこと言わない。前にその口のせいで、お酒で痛い目みたの忘れたの?」
「……すんません」
二人が言っている意味はよく分からないが、ひとまずカカオ豆入手の道筋は見えた。
というか、何で豆から作ろう、何てことになったのかも分からないけど。
やるなら精一杯やってみたい、とチョコ作りへの意気込みを新たにする。
二人と別れて部署に戻る途中。
言われたとおりにトイレに向かい、顔を洗うために鏡を見て……。
……我ながら、凄まじい顔をしているのに気が付いた。
ヤバいなこの顔、人には見せられない……。
◆ショコラトル
第7世界、つまるところ我々の世界においては、古代メキシコにて太陽や農耕を司る神が人々にもたらしたと言われている元祖のチョコレートです。
今のチョコレートやココアとは違って、もろこしの粉や香辛料を足して泡立てて飲んでいたそうで、味は苛烈なものだったとか。
カカオ豆そのものはコロンブスが西洋に持ち帰ったそうですが、当時はその効果や有用性に気づくことは無く、その十数年後にスペインの征服者達、エルナン・コルテスがもう一度持ち帰り、紆余曲折あって今の甘いチョコレートドリンクとなりました。
現代における「チョコレート」の製法が確立するのはそれから暫く後の事です。




