第52話 アーノの講義:魔術概論
今日は何時もの仕事をこなして、同僚二人と共に逗留街の食堂通りに来ていた。
昼食は、スパイシーな香辛料と共に炒められた、鶏のような味のするグリフ種の肉を、薄いパンで挟んで食べる、ケバブのようなもの。同僚の一人、竜人のミュールさんがおすすめする店だ。
その店のテーブルに着き、料理の提供を待ちながら、もう一人の同僚である魔法使いのアーノに、雑談を持ちかけてみた。
「ねえ、魔法とか魔術って実際どういうものなの?」
「何、魔術師になりたいの?」
「いや、そういうんじゃないけど……魔術とか魔法ってどういうものなのかなって。こっちの世界じゃ小説とか漫画でしか見ないからさ」
魔術や魔法の類は、かつては実際にあったのかもしれないが、今となっては創作の題材だ。
まあ霊能者や魔術師を自称する人はいるが、創作に出てくるような事をやっている、とはなかなか思えない。
でも目の前にはその創作に出てきそうな魔法使いが居るわけで。
そうなれば聞いてみたくもなる。
「ああ、第7世界だと絶滅寸前らしいしね。……まあ、教えてあげてもいいけど。ちょうどミュールもいるし」
「ミュールさんも使えるんですか?」
「ええ、私が使うのは魔術……といっても、内丹術に類するものですが」
「そうそう、ミュールは現地じゃ大ババ様って言われて……ぐえっ!」
ミュールさんが微笑みを浮かべたまま、アーノの頭に拳を振り下ろした。
その勢いでアーノの頭がテーブルに叩きつけられる。
この二人は割としょっちゅうこんなやりとりをしているが、今日は一段と強烈に見えた。
「アーノって本当に魔法使いなわけ?」
「……君さぁ、そうなってから割と馴れ馴れしくなったよね……」
「あ、ごめん……」
流石にちょっと言い過ぎただろうか。
そう思いテーブルに伏したままのアーノを起こそうとすると、ミュールさんに制止された。
……もしかしたら、彼女が何らかの力で押さえつけているのだろうか。
「いいえ、この魔法使いに比べれば、よほど可愛らしいというものです。お気になさらないで」
―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――
程なくして、顔面が解放されたアーノは不機嫌そうに口を開いた。
その顔は真っ赤になっていて、テーブルの筋の跡さえ付いている。
美少年形無しだ。中身がいくつかは知らないけど。
「……根源はさておき、命基って言葉は知ってる? あと練気」
「どんなものかまでは知らないけど、何となくは」
それらの単語の音そのものは、ファンタジーの創作で良く聞くもの。
だが、その内容や本質までは把握できてない。実際、魔術が今も息づいている世界で、これらの単語がどう取り扱われているかまでは分からなかった。
「根源は此処の給料でもあるけど、要するに自分の外側の力のことね。命基は自分の生命力だと思っていいよ」
「それで魔術の使い方だけど、根源と命基を身体にある〝回路〟に通すと魔術になる。回路の使い方で、使える魔術が変わってくるんだ」
「回路?」
「そ。神経みたいなもの。その向き不向きはさておき、大体誰でも持ってるよ」
「練気は、根源と命基を体内で練り合わせたものになります。そちらも回路……私達は経絡、と呼びますが、それを通して体内に充満させることで内丹術を行使致します」
「つまり〝身体の中で混ぜるか混ぜないか〟の違いってことだね」
「全部ひっくるめて〝魔力〟って言ったりもするけど、厳密には魔力は回路に流せる根源と命基、あと練気の許容量を指すんだよ。分かった?」
なるほど、ロイヤルミルクティーと、ミルクが添えられた紅茶の違い……みたいなものか。
で、魔力はつまりカップの容量、という事なんだろう。
そう一人納得して頷くと。
「とりあえず回路見てあげるから、手、出して」
といって、アーノが手を差し出してきた。
その手に自分の右手を重ねるように乗せると、少しだけ、何か手の先がピリピリとしたような、痺れるような感覚に襲われる。
「うわ……、ミュール、見てこれ」
「――まあ……」
ミュールさんもその手の上に、自らの手を重ねてきた。
先より強い痺れが手の平全体に走り始め、なんとも言えないもどかしさ……。
くすぐったい、というより背筋に何かゾクゾクとしたものが走るような。
このまま触られたままだったらどうしよう……、と思ったところで二人の手が離された。
「……とりあえず、魔術を使うのに十分な回路はあるよ」
「ですが逆に多すぎる、とも言えますわ。行使するにしても、ちゃんとした訓練を要するでしょう」
二人はなんとも言えないような、何か考え込むような表情でそう言った。
ひとまず、魔術の行使に必要な回路、というのは自分にも備わっているらしい。
だが、それが多すぎる、と彼女達は言っているようで……。
「多いと何か問題があるんですか?」
「ええ、何と言いましょうか……使い方を誤れば、命そのものを削りかねません」
「本筋が太い上に、分岐が多すぎるんだよ。だから必要とする力が大きくなる。上手くやらないとすぐヘバるね」
「加えて特化型、という訳でも無いようですから、器用貧乏になりがち……とも言えますわね」
なるほど、理屈は分かる。水圧のそれ、とも言えるかもしれない。
一本の普通のストローで水を吸い上げるなら、難なく吸えるかもしれないが、ストローが太かったり、複数本だったりすると吸うのが大変になる。それにストローの中を通っている水の量も変わってくる。
……もしかしたら、すぐ使えたりするのかな、なんて思っていたが、流石にそう上手くはいかないらしい。
少しだけ残念だ、と思って苦笑したが、ミュールさんは笑みを返してくれた。
「ですが、正しい技術と知識を習得すれば、きっと優秀な術師になりますわ。これもまた、術師の資質ですもの」
「魔法使いの領域にも見えるんだよなぁ、この魔力量」
その時、店員によって料理が運ばれてきた。
パンに挟まれた肉が、香ばしいスパイスの香りと共に湯気を立てている。
既に空いていた腹が、香りで一層刺激され。一端会話を中断して、目の前の食事に取り組むことにした。
―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――
「そうだ、魔法と魔術の違いってどういうものなの?」
少し腹が満たされてきた所で、会話を再開した。
此処まで受けたのは、魔術や魔法の源になる力がどういうものか、そしてどうやって魔術を使うのか、という所。
でも、魔術と魔法、そして内丹術はそれぞれどう違うのか、というところまでは聞けていない。
アーノはいささか面倒くさそうに、ストローでコップの中身をかき混ぜながら説明を初めてくれた。
「……魔法と魔術の違いだけど……〝借りる〟か〝書き換える〟かの違いだよ」
「魔術っていうのは、その場の事象を書き換えるもの。火が無いところに火を起こす、なんてのが典型だね」
「対して魔法は、事象から借りるもの。火を起こす為だけに、事象から力を借り受けるもの。正しい手順を踏めば、火を起こすという結果が必ず成立する」
「世界そのものから力を借りる。だから魔法は〝世界の法則〟そのものでもある」
「うーん……?」
火が燃えるには酸素と熱、そして有機物が必要なのは、現代科学の理屈から知っている。それらが無い環境で火を燃やすことが出来れば、それは事象の書き換え……魔術、と言うことになるんだろう。
だが、魔法の理屈がいまいち理解出来なかった。
世界の法則そのものだというのなら、普通に木を擦り熱を出して火を起こすのと変わらないような。それって魔法って言えるのか?
ある程度オカルトには詳しいつもりだったけど、頭が付いていかない。
「まぁつまりさ。ざっくり言えば、神々だの妖精だのから力を借りたら、それはもう魔法なんだよ。その分複雑で面倒くさいし、色々知っていないと使えない」
「――逆に言えば、どんな形であれ〝新しい魔法〟が編み出された瞬間に、魔法を編み出した者の意志が混ざって、世界の法則が一部置き換えられる」
「全くの無垢な魔法使いなんて居ないしね。だから魔法使いは〝既存の魔法〟を借りる事が多いんだ」
「だからまあ、程ほどに。世界をバグらせる責任なんて取りたかないでしょ?」
「――――新たな魔法使いになって、良いことなんてないんだからさ」
脳内で何とか理解しようとしていた所に聞こえて来た、最後の一言。
それはどこか寂しそうで、どこか悲しそうで。
普段のアーノのトーンとは違う声が、妙に気にかかる。
その意味を問おうとした時に、ミュールさんが口を開いた。
「では続けて内丹術の説明を致しますわ」
「内丹術、というのは単純に言えば自身の身体を中心に用いる魔術、ということになります」
「例えば身体の負傷を回復させたり、大きく強化したり……交わりによって相手の命基を乱す術、なんていうのもありますわ。つまり肉弾戦向きですわね」
身体強化する術と考えれば納得はいく。
呼吸を整え、気を練ることで精神や身体の安定を図る方法はあるし、空手家が何枚もの瓦をその手で割れるのは、普段の鍛え方だけではなく、呼吸と気を整え、適切な形で力を振るうから、だと聞いた覚えもある。
それを肉弾戦向きって……。もしかして、彼女は結構な武闘派なのだろうか。
「さっきだって僕の防御結界をぶち抜いてきたからね、馬鹿力にも程があるでしょ」
「せっかくですから、雨宮さんの為にこの魔法使いを使ってもう一度お見せ致しましょうか?」
ミュールさんが拳を握り、満面の笑みを浮かべている。
その拳には、端からも分かる程に力が込められ、下手をすればテーブルごと砕きそうな気配すらある。
アーノはまあ……割と自業自得な所があるが、流石に店に迷惑が掛かるのは良くない。
「いえ、大丈夫です、……というかここお店ですから、ね?」
身を乗り出して握られた拳を解くように手を重ねると、拳からはすぐに力が抜かれた。
触った直後はまるで鉄のように固かったのに、今は普通の手に戻っている。
今のが内丹術の一端だとすれば、それを体得している彼女はどれほどのものなのだろうか……。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
「そういえばアーノは無詠唱で魔術使えたりする?」
食事を終えた後、満腹の腹を抱えながら、アーノに問いかけて見た。
創作などでは、ここ最近呪文の詠唱をしない〝無詠唱魔術〟が流行っている。多くの作品で、状況への高い即応性や、詠唱に掛かるタイムロスをカットした、スマートな戦いをする魔術師が活躍している。
目の前の同僚も魔法使いを名乗ってるし、もしかしたら使えるのかもしれない。
しかし、返ってきた答えは、少しだけ意外なものだった。
「そりゃ使えるけど。オススメしないよ?」
「そうなの?」
「ええ、無詠唱というのは……〝多分この回路で合っているはず〟という賭けをしているとも言えますわ」
「さっきも言った通り、魔術は身体の回路を通して使う訳だけど、どの回路をどれだけ励起させる? っていうキーワードが詠唱なんだよね。自分の身体に対する命令文なわけ」
「それを端折る、っていうのは……まあ、暴発の可能性があるんだよねー」
「ええ、雨宮さんの場合は特に……それに、もし魔術師などと相対した場合に、意図的に暴発させられる可能性もありますわね」
なるほど……。
確かに先ほどの説明を受けた上なら、納得だ。魔術を行使する際に、身体にある回路を用いるなら、〝どこの回路をどう使うか〟を明示しないといけないのは道理だろう。
もし間違えば、魔術の行使が出来ないだけでなく、ダメージを負う可能性もあると考えれば、流石にそんな賭けは出来ない。
それを難なく熟せるから、あの物語の主人公達は強いのかもしれない。でも流石に、その領域に至れる……なんて自信はない。
ちょっとだけ、憧れがあったけど……。
その様子を見たのか、アーノがニヤリと笑って言った。
「どーしてもそれっぽくやりたいなら、事前詠唱が良いね」
「事前詠唱?」
「そう。宝石でも札でもなんでもいいんだけど、そこに詠唱文を込めておくのさ」
「使うときにそれをトリガーにして、詠唱を短縮するんだ。無詠唱より確実だよ」
「とはいえ、過信できるものでもありません。基本は詠唱を前提とした方が良いでしょう」
つまり、その媒体を用いて、自分の身体に〝詠唱済み〟だと誤認させる、ということだろうか。
それはそれで結構高度な技法な気がする。
ひとまず、ここまで懇切丁寧に教えてくれた同僚二人……まずはミュールさんに対して、きちんとお礼を言おう。
レディーファースト、と言えば聞こえは良いが、狙いは別だ。
アーノは憎めない奴ではあるけれど、普段から割と上から目線。それだけプライドが高いとも言える。
……たまには後回しにして悔しがらせてやろう。
「なるほど……ありがとうございます、ミュールさん」
「僕は?」
やっぱりアーノは不満そうに言ってきた。
悪戯っぽく笑いながら、続けてちゃんとお礼を言う。
「わかってるよ、ありがとう、アーノ。お礼に明日の昼は二人に奢るから」
「よっしゃ、明日は高級店行こう。行ってみたい店があるんだよね」
アーノは何を悪びれるでもなく言ってのけた。
「コイツはいけしゃあしゃあと……」
「大丈夫ですわ、後で私が〝わからせ〟ておきます。さあ、戻りましょう」
……何をどうわからせるんだろう。
さっきの鉄拳制裁が、なお強度を増して振るわれるんだろうか。
◆グリフ種
いわゆるグリフィンです。筋肉質で歯ごたえがあり、風味は鶏肉に似ています。
少しクセがありますが、香草などで下味をつけると美味しくなります。
部位で言えば頬肉と手羽元が一番美味しいとか。




