第51話 新しい仕事
「雨宮くんは正規職員になったわけだけど、これからはちょっと仕事の種類を増やしてもいいかな、って思ってるんだ」
アスカに呼ばれて席の側へ行くと、その視線が笑顔と共にこちらに向けられた。
「今までは書類仕事ばっかりだったでしょ? うちのメイン業務ってそれだけじゃなくてさ」
「こっちに逗留してる神々の御用聞き、なんてのもあるんだ。それを雨宮くんにも任せようかな、って思うんだけど、どう?」
今までは書類整理や、管理局内での書類の引き継ぎ、デスクワークが主体だった。
これからは、神々の御用聞き……多分、営業みたいな仕事もしてもらいたい、ということなんだろう。
仕事には変わりないのだけど、この地に居る神々と会える。
未知への好奇心が、湧き上がってきた。
それに、アスカは彼女がやれないだろう、と思った仕事は振ってこない。
今の自分には、それが出来る、と踏んでくれている。
それなら、期待に応えたい。
「ぜひ、やってみたいです」
「オッケー! そうだなー……あ、ミュールちゃん、今日何処か回る予定だっけ?」
笑顔を返すと、アスカは頷いた。
そのまま何か考え込むように腕を組み……、あっと思いついたように、ミュールさんに目線を向ける。彼女は丁度、外回りに出掛ける為の準備をしていた所だった。
「ええ、ひとまずは四季の方々の所へ。まもなく季節移しですから」
「じゃあ丁度いいね。雨宮くん、今日はミュールちゃんに付いてって、いろいろ勉強してきてくれるかな」
これまでも時々、同僚達が外回りに出ていたことがあった。
今回は、それについて行って、どういうことをしているのか学んでこい、ということらしい。
「わかりました」
彼女の言葉に頷きを返し。
簡単に外回り用の準備……といっても、メモやペンなどの筆記用具程度だが、用意を済ませ、ミュールさんの元へ。
「では、行きましょうか」
「頑張ってねー!」
アスカに送り出され、ミュールさんと共に廊下へ向かう。
これから会うのは、一体どんな神様なんだろう?
―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――
「雨宮さんは、四季の事はご存じですか?」
廊下から逗留街に出て、ミュールさんの案内で何処かに向かって歩いて行く。
その最中に、彼女が声を掛けてきた。
「春、夏、秋、冬……のことですよね?」
「ええ、その通りですわ。これからお伺いするのは四季を司る方々の領域。そのうち、冬と春を司る方の元へ向かいます」
「と、いっても逗留街における季節を担われている方々ですから、貴方の世界の四季を司る方ではありませんわ」
言われてみると、この街にも季節がある、ように思える。
道の端には、未だ溶け残った雪がちらほらと散らばり、所々に立つ街路樹は葉を落としたままだった。
人の姿をした神々、らしき人たちは幾分厚着をしているようにも見える。
「職員の精神衛生上、またこちらの神々が仕事を求めるのもあって、この逗留街でも季節の移り変わりがあるのです」
「へぇ……」
季節の移り変わりは、精神衛生上、確かに重要な事だと思う。
神話には、常春の国など穏やかな気候が永遠に続く世界が出てくるけれど、人として生きていくなら、四季がもたらす風景の変化や、気候の変化は重要だ。
ずっと同じで代わり映えしない、というのは退屈だし、それこそ常春の国のような楽園に住んでいたら、ダラける気がする。
「ただ、神々の領域では、割と好き勝手に季節を入れ替えておりますから……こちらでは春なのに、お伺いした先が突然落ち葉舞い散る秋、なんてこともありますの」
「雨宮さんの個室でも、神々に依頼すれば季節を入れ替える事が出来ますわ。ご興味があれば、今日お会いする方に相談してみては如何かしら?」
あの個室で季節を変える、って言われてもなあ……。
「うーん、普通の個室ですからね……今後の参考にします」
窓の外から景色は見えたけど、何処かひとつの季節に固定したい……とは現状思えない。
もし逗留街の季節と連動しているなら、それで十分だ。
そうして暫く歩いていると、一本の大きな結晶の石柱が見えてきた。
石柱には細かな模様が刻まれていて……オベリスク? みたいな雰囲気。
更に、その石柱の周りに突如出現する人が居たり、石柱に手を触れた直後、消失するかのように消え去る人も居る。
これは……いわゆるテレポート、転移の標のようなもの……?
「こちらが、神々の領域へ移動するための〝門〟」
「逗留街の各所へも移動出来ますから、迷ったらこれを探すといいですわ」
「さあ、手を触れて〝冬神の領域へ〟と唱えてみて下さい」
石柱に手を触れる。
手に伝わるのは、冷たさと同時に、何かピリピリとした感覚。電気を放出する装置に触れ、静電気を纏った時のような少し不思議な感覚に襲われた。
「冬神の領域へ――――」
そして、言われたとおりの言葉を口にする。
――突如、周囲の風景がぐにゃり、と歪んで暗転。
直後、目の前には雪のしんしんと降り積もる、野山の景色が現れた。
「ええ、良く出来ました。このように、触れて唱えた先に移動出来るもの……あら、大丈夫ですか?」
ミュールさんが心配そうに声を掛けてきた。
……少し、クラクラしている。変な酩酊感に襲われ、足取りがおぼつかない。視界もまだ、少し歪んでいる。
「あ、ええ……ちょっと、酔っぱらった……みたいで」
「それはきっと、根源が身体を駆け巡ったせいですわね……少しお休みになりますか?」
いや、この程度なら少し深呼吸していれば落ち着くはず。
両手を広げ、胸一杯に息を吸い、満ちた空気をゆっくりと吐き出して。
数度と繰り返す度に、酩酊感が徐々に薄れていった。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「それでは行きましょうか。雪に足を取られないように、気をつけて下さいまし」
笑顔を返すと、彼女は小さく頷いて。
そのまま先導するように、雪道を進んでいった。
―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――
雪を踏み越えて、ゆるやかな傾斜を登るように5分ほど歩いた先に、和風建築の立派な御殿があった。
玄関に入り、軽く雪を払ったミュールが、誰かを呼ぶようにトントンと床を叩くと、廊下の奥から黒い着物を纏った老爺が姿を現した。
穏やかそうな顔の老爺は、ミュールを見てにっこりと微笑む。
「おや、これはこれは……さ、どうぞ上がって下さい」
「お久しぶりです、冬を司る御方。本日は我々の新人をお連れしましたの」
「雨宮です、よろしくお願いします」
「これはどうも。私が、この辺りの季節を司る冬の神です、どうぞ、宜しく」
ミュールに少し背中を押され、前へ進み出て。
精一杯の笑顔を浮かべながら頭を下げる。
老爺はそれを見て、微笑ましそうにしながら、同じように一礼を返してきた。
そのまま、案内されるままに座敷へと通され、温かいお茶を出して貰った。
湯気と共に漂う香ばしい匂い……これは、玄米茶だと思う。
「お加減は如何ですか?」
「ええ、今年は雪の調子も良く。皆も大層喜んでくれたと聞いて、嬉しいものです」
「我々も折に触れ、空より舞い散る雪が作り出す景色を楽しませて頂きましたわ」
会話の内容は、今の季節……冬、について。
何処となく、ビジネス的というか……社交辞令が織り交ぜられた大人の会話。
生命保険の営業さんみたいな会話だな、と思いつつ横で横で聞いていると、不意に老爺の目線が笑みと共にこちらに向けられた。
「雨宮殿は如何でしたかな、今年の〝冬〟は」
「……すみません、僕はつい最近こちらへ来る許可が下りまして……」
残念ながら、自分はつい最近逗留街へ来られるようになったばかり。
この老爺が担当した今年の〝冬〟がどういうものだったか分からない。
謝意と共に、申し訳なさげに頭を下げた。
すると老爺は如何にも残念そうな口ぶりを見せる。
「おや、そうでしたか。それはもったいない、宜しければ少し冬を延ばして差し上げよう」
「数日程度であれば〝春の娘〟も文句は言わんでしょう。如何かな、雨宮殿」
……親切心から言ってくれているような、気がする。
きっとこの人は、自らの冬、という力に誇りを持っているんだろう。
そういえばアゲハも、今日は雪見に良い日だ、なんて言っていたことがある。
でも。
ここで〝はい〟と言ってしまえば、この老爺は喜んで冬を延長する、と思う。
でもそれは、街の季節の巡りを乱すことに他ならないはずだ。
だからひとまずは、極力穏便にお断りしよう。
「いえ……それには……」
そう返すと、老爺は微笑みを浮かべたまま、威圧感を放ち始めた。
「おや、雨宮殿は私の冬ではお気に召しませんでしたかな?」
どうしよう。
ミュールさんなら何か口添えしてくれるだろうか、と横目で見てみたが、彼女は湯飲みに注がれたお茶を啜っている。
助けてくれそうな気配はしない……。自分で考えてみろ、という事かもしれない。
前の自分なら上手い返しも出来ただろうけど……。
……そうだ。これはさっきも考えていたことじゃないか。
同じ季節が続くのは良くない。次があるから、今を楽しめるものだ、って。
「……季節は過ぎゆくからこそ、また次の年、季節が巡ってくるのを楽しみに出来るものと考えております」
「今年、貴方の冬を味わえなかったのは、大変残念ではありますが……だからこそ、また次の冬を楽しみに待ちたいと思います。お気遣い頂きありがとうございます」
改めて深く頭を下げる。
これで断り切れなかったら……しょうがないのでミュールさんに直接意見を求めよう。
巻き込むのはあまり気が進まないが、自分の判断で返事できるようなものでもないし……。
「そうですか……では、また次の冬を是非楽しみにお待ち頂ければ」
しかし老爺は、素直に引き下がってくれた。
……良かった、上手く通じたみたいだ。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
その後、老爺と次の季節へ切り替える儀式の算段や、それに必要なものの発注をとりまとめ、見送られながらまた逗留街へと戻ってきた。
やっぱり、ちょっと酔っ払った感じがする。
「ふふ、先ほどは見事な切り返しでしたわ」
酔いを覚ますための深呼吸を繰り返していると、ミュールさんが頭を撫でて来た。
「なんで助けてくれなかったんですか……」
「どうしようもなく追い詰められたら、助けようとは思いましたわよ?」
結構追い詰められていた気がするんだけど……。
あの領域へ向かう前に、季節のことを考えていたから返せたようなものだし。
その後、ミュールさんはこちらの酔いが覚めるのを待って、少し真面目なトーンで口を開いた。
「今回のことでお分かりになったと思いますが、神々はなかなか口が上手いのです。上手く乗せられてしまえば、神々の要求を呑まざるを得なくなります」
「もし今回、雨宮さんがお一人でいらしてて〝そうですね、では数日ほど〟なんて仰っていたら、この後伺う春を司る方にも同様に、数日ずらして貰う必要が出てきてしまいます。そうして本来定められた日取りが、まる1年ずれてしまうのです」
「ですので、これからは……神々を相手にすることの怖さ、というのを心しておいた方がよろしいですわ」
これまで出会ってきた神は、アゲハやタナさん等、そこまで無茶な要求をする人達ではなかった。むしろ大分優しい人達だ。
……だからこそ、神、という存在を少し甘く見ていたのかもしれない。
どうであれ、相手は神様、人知を超えた存在なんだ。
ミュールさんの言う通り、もし今回あの老爺に乗せられていたら、自分の判断で大きな影響を及ぼす事になっていた。
ちゃんと考えないと、足を掬われる。相対しているのは、そういう存在なんだ。
……今更ながらに、少しだけ恐怖を抱く。
「……ですが、恐れ過ぎるのも良くありません。上手くやればいいのです」
「もし失敗したりしても、私たちが居ますもの。どうにかなりますわ」
恐怖しているのが伝わったのか、ミュールさんが微笑みながら、また頭を撫でてくれた。
「さあ、次は春を司る方の元へ向かいますわよ」
酔いも落ち着いてきた。
そしてまた石柱に触れ、次の目的地である〝春神の領域〟と転移先の名を唱えた。




