第47話 お帰りなさい
「おはよー、雨宮くん!」
朝、9時頃。
新しく買った服に着替え、出勤の準備を整え終えた頃、チャイムが鳴った。
ドアを開けてみれば、そこには上司のアスカ。迎えに来る、とは聞いていたが、存外早く来たようだ。
「おはようございます。わざわざ来て貰ってすみません」
「良いんだよ、体調的に出勤できるかどうか、確認するのも兼ねてるから……うん、なんかすっきりした?」
「髪切ったからじゃないです? ボサボサに伸びてたんで」
「あー、入院中は三つ編みとかお団子にしてたもんねー」
「あれはちょっと恥ずかしい思い出なんですけど……」
目が覚めた頃は大した事無かったが、ぐんぐん伸びて、退院直前は肩程までに髪が伸びていた。
入院中は切るな、と言われていたので切れず、看護師に適当にまとめられていたが、退院してから直ぐに切った。妙につやつやした髪だったので、自分で一束だけ切って取ってある。
「そうそう、もう行ける感じかな?」
「はい、大丈夫ですよ」
「体調は良さそう……に見えるけど、無理はしないでね? それじゃ行こうか」
彼女について、出勤用に荷物を詰めたトランクと共にアパートを出る。
階下の駐車場には、不釣り合いな赤い高級車が停まっていた。これは……アスカの車だ。
これまで2度ほど乗っているが、しゃんとした……しらふの状態で乗るのは初めてかもしれない。
彼女がドアを開けてくれたので、助手席に座り、シートベルトを着けて。
「今日は車で行くよー、これに乗って行くのはあの時以来、あ……」
「良いんですよ、あの時はアスカさんのお陰で助かりましたから」
彼女が気にしていたのは、クリスマスのことだろう。
気にしていない……という訳じゃ無いが、今ではちゃんと割り切りが付いている。あの時、彼女を泣かせてしまったことも、タナさんに怒られたことも、今では大事な思い出だ。
「……そう言ってくれるなら嬉しいな。それじゃ行こうか、飛ばすからねー!」
「とば……うわぁっ!?」
飛ばすから、と言い出した途端、急に窓の外の風景が加速した。
見るからに、違法な速度。
身体に感じるビリビリとした加速度、ハンドルを切る度に左右に揺られ、シートに押しつけられる身体。
こんな街中の公道で出すような速度じゃない。時速100kmは超えている。
……しかも、周囲の車が避けている、というか……車の間を、細くなって通っているかのような感覚すらある。
「サーキットも良いけど、こういう道をブッ飛ばすのも良いよねー!」
「な、何かにぶつかったり……?」
「しないしない! 私の車は特別製だよ?」
すごい楽しそうに笑う彼女は、好き勝手にハンドルを切っている。
公道から、路地裏へ、そしてまた公道へと車は狭さも対向車も関係なく走り抜けて行く。
凄まじい体験だが……ちょっと、いや大分怖い。目を開けてるのすら怖い。
サーキットレーサーってこんな気分なんだろうか……!
「あ、雨宮くん、そろそろ境界を抜けるよ」
そう言われて、恐る恐る前を見てみると、道路の先が光り始め……突き抜けた時には、あの世界の欠片、と呼ばれる満天の星空があった。
境界を抜けた直後から、身体に感じていた加速度が感じられなくなった。
でも、世界横断鉄道に乗って見た時よりも、光の流れは速く感じられる。……時速、何km出してるんだろう……。
「いつ見ても綺麗だよねー、これ」
「ええ……、アスカさんの車って、横断鉄道みたいに移動出来るんですね」
「うん、世界横断鉄道の方が安全なんだけど、私はこっちの方が好きなんだ。あっちはあっちでのんびり出来て楽しいけどね」
運転する彼女の顔は、何処か輝いているように見えた。
根っからの運転好きなんだろう。美人な分、絵にもなる。
その横顔を見ていたら、彼女がこちらをみてにっこり微笑んだ。
「私はこれまで事故った事も、追い抜かれた事もないからね! 安心して!」
「……信用、してますよ?」
そう言って、若干ぎこちない笑顔を返す。
彼女は笑顔のまま、更にアクセルを踏み込んだ。
―――――― ◆ ◇ ◆ ――――――
「はーい、お疲れ様。雨宮くんはこのまま裁縫室に行ってくれる? 新しい制服の仕上げがあるって言ってたから」
「わかりました」
面談の時、そしてクリスマス当日に来た駐車場。
此処に停まってる車は、何台かがアスカのものらしい。同僚の噂に聞くところによれば、日本円にしてその金額は……最早、桁違いと言えるもの。パーツを厳選し、自分で手を加えたりもしている、と聞いたことがある。サーキット用、オフロード用などと色々と改造しているらしい。
「終わったら、神祇部に戻ってきてねー」
車を降りて、アスカの見送りを受けながらエレベーターへ向かう。
このエレベーターに乗るのも久しぶりだ。少し感慨深い。
乗り込んでから程なくして扉が開き、いつもの……そして、少し懐かしい廊下の風景が広がる。
のんびり歩いて、裁縫室と書かれた扉に辿り着き、それを開ける。
その先には、あの時と同じ……魔女達の喧噪があった。
「あらあら、お久しぶり!」
「さあさあ、座ってお茶とお菓子をお食べなさいな」
「それにしても、大変だったねえ!」
言われるままに椅子に座らされ、紅茶とケーキを振る舞われ。
これもあの時と変わらない。もう4ヶ月近く前の話だ。
「この度は、お疲れ様でした……、雨宮さん」
「いえ、制服のお陰で命拾い出来たようなものです。ありがとうございます」
真っ正面に座る11人目の魔女、ホワイトがカップを口元に運びながら微笑んだ。
第9世界での戦い……、あの時制服を着ていなければ、呪いや致命傷で確実に死んでいただろう。
感謝の気持ちを抱いて頭を下げる。
「今回、新しい制服を仕立ててあります、ご確認頂けますか?」
ホワイトに指さされた先には、新しい制服。
デザイン的には大きな変更はないようだ。
立ち上がって手触りなどを確認していた時、ふと上着の裏地が少しだけまだらに見えることに気づいた。
「その裏地はね、前の服の〝焼け残り〟……それを解いて、新しい糸と合わせて紡いだものなの」
「焦げを切って、汚れを落として……大変だったんだ。今度は大切にして」
「きっとその子もボウヤと一緒に居たいだろうからねぇ」
初めてあった時にターコイズ、レッド、そしてパープルと名乗った魔女達が、様々に説明してくれた。
第9世界で回収された時、前の制服は殆ど焼けてしまっていたという。僅かに残ったものを、解いて新しい制服に織り込んだそうだ。
……今更ながら、本当に結構な無茶をしたんだな。
「……では、最後の仕上げを致しましょう。こちらへどうぞ」
ホワイトに案内され、古めかしい糸車の前へと座る。
糸車には既に、綿がセットされており、糸を紡げる状態になっていた。
「この糸車を、ゆっくりと廻して……そちらにある綿を送り出しながら糸を紡いで下さい。心穏やかに、ゆっくりと……」
糸を紡ぐなんて、初めての体験だ。動画なんかで見たことはあっても、やった事は無い。
確か、こう……綿を細く送り出しながら、車輪を回していたような。
ゆっくり、ゆっくり。
綿が途切れないように、早く回りすぎないように。
こうして回していると、なんだか落ち着いてくる。周囲の音が消え、次第に目の前の糸に意識が集まっていく。
心が、次第に、深いところへ……。
その時、意識の奥底で黒い何かが――
「お疲れ様でした、もう十分ですよ」
ホワイトの声に、はっとして手を止める。既に手元の綿は殆ど無くなって、出来上がった糸が紡錘に巻き付けられていた。
「では、この糸で仕上げを行います。その前にこちらをお返ししておきますわ」
ホワイトから差し出されたのは、あの銀のキーホルダー。
夜を往く旅人の守り神、その紋章を模した流れ星のキーホルダーが、その手にあった。
「これは貴方が持つべきもの。貴方の為に立つ者が、遠い何処かに居るという証」
「貴方の途が、例え夜を往くものであろうとも、貴方にその星が輝く事を、私は此処で祈りましょう」
手渡されたキーホルダーを、しっかりと両手で包み込む。
あの時、力を貸してくれた名前も知らない誰かに想いを馳せながら、魔女達の仕上げを見守ることにした。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
魔女達の言った最後の仕上げ、それは上着の裏、内ポケットに先ほど紡いだ糸で、文字を刻むことだった。
文字の形はどの言語にも属さないように見えるが、意味は身体に焼き付いた力で分かる。
名前だ。アメミヤユキヒコ、と刻印されている。
よくオーダーメイドスーツで、ジャケットやコートの内側で名字を刻む事があるが、それと同じだ。
魔女達に聞いたところ、正職員になった場合、こうして糸を紡ぎ制服の何処かに名を刻むのだと言う。管理局との縁を刻む、という意味で大切な儀式なのだそうだ。
そうして出来上がった制服に着替え、また魔女達の祝福を受け……抱きしめられるのはやっぱり恥ずかしいが、きちんと受けて、神祇部へと戻る。
この扉を開けるのも最早懐かしい……。そう思いながら、扉に手を掛けた。
「やあ、元気そうで何よりだ! 身体の方は何ともないかい?」
「随分派手にやったらしいなぁ! 今度は俺も混ぜてくれよ!」
「本当に、良くご無事で」
「お疲れ様でした、ご無事で何よりですわ」
「とりあえず生き残れて良かったねー」
ドーン、リード、ハリマさん、ミュールさん、アーノ。
それぞれが口々に出迎えてくれた。
面会も、アスカと相談の上、仕事に差し障るといけない、ということで遠慮してもらっていたので、彼らの顔を見るのも本当に久しぶりだ。
部長は、……今は席を外しているらしい。まあ、あの人には入院中に会っているけれど、でもせっかくなら居て欲しかったな。
「はいはい、皆! 忙しいんだから、ほら! 仕事に戻って戻って!」
「「「「「はーい」」」」」
アスカの両手を打つ合図で、各々が仕事に戻っていく。
この風景も、前と変わらない。ずっと昔のように感じられてしまう。
「ごめんね、皆、君が帰ってくるの待ってたから騒がしくて……」
「いえ、嬉しいですよ。此処に帰って来られて良かったです」
「うん、……お帰りなさい、雨宮くん」
頭に伸ばされた手を受け入れながら、アスカを真っ直ぐに見つめ。
ようやく此処に帰って来られた、という実感と共に、満面の笑顔を返した。




